5月9日ばんえい第7レースで管理するムサシブラザーが勝ち、通算2,000勝を達成した久田守調教師(68)は、騎手としても2,103勝を挙げ、ばんえい史上初の騎手・調教師での2,000勝を達成しました。競馬場に来て50年という今年、6月7日現在23勝とリーディングトップで、調教師会長としても奔走しています。
北見市出身ですね。騎手になるまでの経緯を教えてください。
気がついたら競馬場にいた(笑)。親は道営競馬にいて、千島一巳さん(道営の元調教師)などと知り合いだったんだ。まだ小樽市銭函で競馬をやっていた頃ね。
高校を卒業して競馬場に入って、次の年(1972年)に騎手になり、山本正彦調教師の父、山本幸一(ゆきかず)さんに世話になった。馬を大事にした人だったな。上手にかわいがって、走らせて。当時はそして金山明彦騎手(現調教師)、山田勇作さん、木村卓司さん、工藤正男さんなど、そうそうたる騎手がいた。デビューした年は3勝、翌年2勝だよ。
5月9日第10レース、カーネーションカップをシンエイボブで勝利し2001勝目(左から2人目)
でもそこからぐんぐんと成績をあげましたね。1978年には56勝、80年には80勝で8年連続リーディングだった金山騎手の2位。88年には前年の82勝(6位)から130勝と大幅に勝ち星を増やし、ついに金山騎手を逆転してリーディングです。88、89、91、92年と4度のリーディング騎手になりました。89年は当時の年間最多勝となる155勝、92年は161勝で記録を更新。1996年に当時史上2人目となる通算2,000勝を達成しました。勝ち星が増えた理由を教えてください。
どうやったんだったかな(笑)。昔の競馬は12月までで、春まで競馬がなかったでしょう。その時に、北見の山で調教をしていたんだ。山ごもりみたいなもんだ。障害よりもきつい急斜面の林道を上らせる。馬を動かすということがどういうことかを学んだ。馬を見る目が変わり、結果が出るようになったな。1988年からは勝利数も3ケタになった。競馬が面白かった時代だね。馬券が売れていた時で1日3、4億。木造スタンドで投票所には行列ができて、売り上げの計算だってそろばんはじいていたんだからね。投票用紙をゴムバンドで縛って、黒板にチョークでメモをして。
頭脳派なんですね。騎乗していて熱気は感じましたか。
迫力がすごかった。まだ馬を使っているファンが多いから、レース中も横に来て、馬を這わせるタイミングで声が入るんだ。下げて、前に出そうとすると「よいしょー!」って。
1995年はまなす賞をシャトルシンザンで勝利(主催者提供)
その時代を見たかったなぁ。それにしても先生、昔の写真を見てもとても細いですね。1996年12月に43歳で引退しました。
体重は50キロ台だったから、なくて苦労した。当時は体重制限が72キロで、それでも20キロくらいの弁当箱(重量を調整する重りを入れる箱)を持っていた。騎手をやって25年。体重がないので体に無理がかかっていた。毎日マッサージなど体のケアをしながら続けていたので、ここらがやめどきかなと。自分でいうのもなんだけど、のめり込んでやってしまうところがあるから。
頑張り屋の性格なのですね。騎手時代に思い出のある馬はいますか。ばんえい記念(農林水産大臣賞典)はニユーフロンテヤ、タカラフジで2勝していますね。
普通なら重賞を勝った馬の名前を挙げるんだろうけど、覚えているのは走らなかった馬だな。山を上がらなかったり、出走停止になったり。
ニユーフロンテヤは一度障害が悪くなったので、調教で障害練習を仕込んできた。おもちゃが壊れたら一度分解して直すように、馬も直していく。昔は障害もきつかったからね。今は馬場が軽いし、障害も低く、バイキさせなくても障害を登れる。昔は障害が3つあったから。1障害と2障害の間に30~40メートルくらいの高さの障害があって、旭川が一番大きかったな。バイキは腕だけでは馬に伝わらない。ボートを漕ぐとき、背中を反らすでしょう。あんな感じでしっかりバイキさせて、声を出すことが大事。ビデオを見たらわかるよ。
そして調教師になりました。調教師7年目の2003年度には、それまでの年間最多勝記録(96勝)を6季ぶりに塗り替え、107勝を挙げて初のリーディング。馬の健康管理を科学的に考えたいと、サラブレッドの獣医師に話を聞くなどしていたんですよね。
最初は馬が少なかったから、預かった馬を自分で調教していた。騎手は「乗りやすい」と言ってくれた。騎手時代から世話になった馬主さんは今でも預けてくれています。そういうの(勉強)好きだからなぁ。平地競馬だって、同じ馬を触っているんだから共通しているところもあるし、違うところも取り入れて勉強すれば違う発見もある。同じアスリートで、陸上選手と相撲取りのようなところがある。
久田先生といえば映画『雪に願うこと』では女性騎手役の吹石一恵さんに騎手指導をしましたよね。
彼女は始めから運動神経がすごかった。プロ野球選手の娘さんだからなのか、簡単に覚えていく。手伝わなくてもすっかり乗れるようになった。
それと、2016年のJRAジョッキーDAYでルメール騎手に手を取って教えたんだ!! こんなのって一生に一度だし、この2つは宝だね。
ルメール騎手に教える久田調教師
思い出の馬は苦労した馬でしょうか。では、私から何頭かリクエストします。まずはカーネーションカップを勝ったシンエイボブ。
ボブは、馬品がいいというのか、厩舎にいると牡馬が騒ぐんだ(笑)。幅もある。重賞まであと少しというところで勝つことができた。
ギンガリュウセイはセン馬というのもあったけれどおとなしくて、子供でも触れる馬。休養中に病気で命を落としてしまったが。オーナーの田中春美さん(JRA田中勝春騎手の父)とは、1999年ばんえいダービー、2,000年銀河賞を制したシンカイリュウが最初。平地競馬とのつながりはここからだね。シンエイキンカイは手がかからない馬だったな。街中で馬車を引いているムサシコマは、素直で真面目。おとなしかったよ。
現役馬だと、ヤマトタイコーは、いい雰囲気を持っている。もっとうまく乗り込んでいけば、上を目指せる馬。おとなしく力持ちだね。
ウンカイタイショウは、頑張っている馬だな。ウンカイの子は、食べるし運動するし、育てやすい。二世ロッシーニの系統というのは性格がレースに適しているんだと思う。カネゾウも、ハクタイホウも、行きたい、行きたい、って馬だな。プレザントウェーは落ち着いているよ。
2013年北見記念を3連覇したギンガリュウセイ
大事にしていることはありますか。
昔から「やってやれないことはない、やらずにできることはない」。稽古していればいつかは......と思っています。
今年から調教師会長に就任しました。オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
これからもっと、自分が先輩に教えてもらった技術を若い人たちに教えて育てていきたい。文化を後世に伝えていこうと思っているんだよね。ファンの方々には、コロナ禍で、来てって言えないからね。本当は直に見てほしいんだけど。こんな時だから、応援してほしい。一生懸命やってここを乗り越えて、落ち着いてくれればファンも戻ってくるかな。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)