2003年デビューの坂口裕一騎手は今年が21シーズン目。それが始まってすぐの3月20日に地方競馬通算1000勝を達成した。
実はその前日の3月19日には所属する村上昌幸調教師の地方通算1500勝も自らの手で達成している。この春はリーディング上位に付ける坂口裕一騎手に話を伺った。
1000勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
記録まで残り11勝という段階でスタートした今季でしたが、やはりまずはこれが目標、"早く達成してしまおう"というような気持ちだったのでしょうか。
どちらかといえば自分の記録よりは調教師の記録(所属の村上昌幸調教師の地方通算1500勝)を先に決めてしまいたいと思っていたから、自分の記録の早い遅いはそれほどこだわってなかったです。
とはいえ自分の勝ち星の方も非常に順調に増やしていっての1000勝達成でした。この春は調子も良いのでは?
自分自身は変わってないと思うけど、3月の最初の1週間は"ツートップ"がいなかったですからね。その分、自分にとっていい流れでスタートできたんじゃないでしょうか。
"1000勝"という記録の重みのようなもの、どう受け取っていますか?
そうですねえ。自分と同年代の騎手はたいがい通過していますからね。もちろん嬉しいですけれど、20年もやっているし......と思うところもありますね。
2023年3月20日、地方通算1000勝達成
確かに今でこそ同世代の騎手がたくさん勝っているけど、ちょっと前は1000勝以前に引退する騎手の方が多かったくらい。1000勝できた、20年も続けてこれたのが凄いと思う。さて、そんな20年の騎手生活で"思い出に残る馬""思い出のレース"を挙げていただくとすると。
どれか1頭・ひとつのレースというのは挙がらないかな。自分はこれまで何度か騎手を続けるか迷ったこともあったんですけども、結婚して"自分はこのままでいいのかな?"と思っていた時にナムラタイタンが来て、もうちょっと頑張ろうと思って。で、タイタンがいなくなって気持ち的に穴が空いた感じになっていた時にリュウノシンゲンに出会ったりして。他の馬でも重賞を勝たせてもらっているんですけども、ホントに"これだけ"という馬はなかなか浮かばないんですよ。
坂口騎手にとってナムラタイタンはやっぱり大きな存在だった?
大変でしたけどもね。調教は毎日乗って、レースも乗って。引退した時には"解放された"という気持ちもありました。ですが、いなくなるとやりがいが無くなって......。ああ、もしかするとナムラタイタンの最後のレースが思い出に残るそれだったりするのかもしれませんね。
3連覇した後の4回目、引退レースになった時の赤松杯ね。
あの時は調教から今までと違う感覚がありました。状態が悪かったというのではなくて、レースで最後まで走ってくれるのかな?という、気持ち面というか。レースでもスローペースで逃げたのに最後は無理しないような走りになって3着。"ついに終わりが来たんだな"と思ったのを凄く覚えています。
自分もその時の陣営とか坂口騎手の雰囲気をなんとなく覚えている。
もちろん、転入初戦の赤松杯でぶっちぎって勝ったのも印象に残っています。あの馬に乗って勝ったレースで一番インパクトが強かったですけども、その勝ったレースが4年後に引退レースになったわけですから。
2014年4月27日、赤松杯。転入初戦のナムラタイタンは持ったままで大差勝ち
そういうのは実際に乗っていた人にしか分からない感覚ですね。それで聞くけども、乗っていて、だんだん力が落ちていくような感触はあった?
能力的に落ちていくというか、年齢を重ねての気持ちだったのかな。本当に満足のいく状態で走れたのは、来た年の最初の3戦くらいでした。その後はこの状態で良くこれだけ走れる......と感じる方が多かったですからね。最後はそうですね、"ついに来た"という気持ちでしたね。
改めて重賞の成績を振り返ると、2010年のひまわり賞をコンゴウプリンセスで勝って初制覇。2011年は空いたけども2012年以降昨年まで、毎年何かの重賞を勝っています。結局坂口騎手は"引き"が良いのではないか?
そうですか?自分では引きが悪いと思っていますけど(笑)。周りの人を"みんな引きが良いなあ"と思いながら見ていますが(笑)
ナムラタイタンもそうだし、リュウノシンゲンでも重賞7つ勝っているし。エンパイアペガサスにも乗って勝っているくらいだから。節目の大きなレースにはいつも顔を出している。
じゃあそうなのかなあ(笑)
もうひとつ。坂口騎手は2003年のデビューで、岩手競馬が一番苦しかった時期に若い頃を過ごしてきた世代になります。今は同世代もみな上の方で活躍しているけども、やっぱり最初の頃は厳しいと感じた?
デビューした頃は騎手の数が多くて厳しくて、存廃問題が起きた頃には人が減ったけど別な部分で厳しくなって。若い頃は何が何だか分からずに過ごしていましたが、今同じ事が起こったら、堪えると思いますね。若いからやってこれたのかな......とか今になって思いますけども。
2003年4月19日、デビュー戦の際の坂口裕一騎手
20年間の騎手生活を経て、自分が騎手として変わったとか騎手として進歩したとか、そんな手応え、そんな部分はありますか?
どうなんですかねえ......なんだろう。そうですね、調教をした馬にレースで乗れるようになってから何か変わったのかもしれません。若い時ってやっぱり調教は乗るけどもレースでは上の人が......ということが多かったじゃないですか。だから、なんて言ったらいいんだろうなあ......。
"仕事だから片付ける"的な?
そうですね、流れ作業じゃないですけどもなんとなくやってたような。それが厩舎の馬に全部乗せてもらえるようになって、重賞なんかも勝てるようになって。取り組み方が何か変わったというわけではないでしょうけども、自分なりに考えるようになったんだろうと思います。
やっぱり昔とは凄く変わったんじゃないかなあ。昔は、今言っていたような雰囲気もあったけど、今はずいぶん違う。
調教師さんも変わってきたんだと思いますよ。昔は調教もレースも所属優先で、自分がレースに乗らない馬でも自厩舎だから調教していたのが、今は途中でも他の厩舎の馬に乗っていいよ......とかに変わってきているのもあるんじゃないですかね。
そうか。自分も変わってきたし、周りも変わってきたと。
そうですね。だからデビューして最初からたくさん乗れる今の若い子たちはうらやましいですね。
ああ、やっぱりそう思うんだ。
まあうらやましいって言うか、時代が変わった、いい環境になったんだなって。
さて。1000勝を達成しました、ということで、この先の新たな目標として挙がるものはありますか。
やはり、怪我には気をつけたいですね。まあ自分が気をつけていても事故は向こうから来ることもありますから、そういう時はどうしようもないですけども、第一は怪我に気をつけて。あとは......。
坂口騎手は岩手の大きな重賞をだいたい勝っているから、そういう目標が意外に出てこないのかもね。あとはグレードレースくらいだから。
そうなんですってね。グレードは、まあ運もありますし......。うん、そうですね、やっぱり怪我をしない事。
話が戻るけど、やっぱり家族は支えになっている?凄く家族を大事にするよね。
それは支えになっていますね。自分が迷ったり悩んだりしている時に結婚して。良い馬にも出会えたけど、家族ができて騎手を続けようと思えましたから。最近は子供もレースのことが分かるようになってきましたし、励みになるというか、"がんばらなきゃな"という気持ちになります。
坂口騎手にとって"結婚"という事が大きいきっかけになったんだろうね。
自分でもそう思いますね。
では最後に、オッズパークで岩手競馬の馬券を買ってくださっている皆さんへ。
いつも応援していただいてありがとうございます。コロナ禍も収まってきましたし、現地の競馬場にもぜひ来てください。
坂口裕一騎手といえばナムラタイタンとのコンビが記憶に残っているが、気がつけば同馬の引退からでも6年経った。ナムラタイタンとの足掛け4年は坂口騎手にとっても大きく飛躍した4年だったはずだけに、その最後のレースを「いつか将来、騎手を辞めて何年も経った後でふと思い出すレースが、あの最後の赤松杯なのかもしれませんね」と言うのも、それだけ強く結ばれたコンビだったからゆえなのだろう。
近い世代の騎手が調教師に転身し始める時期にもなってきたが、坂口騎手にはまだまだこれからも大レースを制する騎手として活躍し続けてほしいと思う。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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昨年は61勝を挙げ、岩手リーディング10位。今年デビュー11年目を迎えた坂口裕一騎手に、これまでのこと、また今後の意気込みについてうかがった。
横川:川崎競馬の厩舎で育ったんだってね。
坂口:父が川崎競馬の厩務員だったので厩舎で暮らしていました。生まれた頃は競馬場の厩舎で、自分が小3の頃に小向に移りました。同期の山崎誠士騎手なんかは学年は違いますが同じ小学校・中学校でしたよ。
横川:じゃあ小さい頃から競馬や馬に慣れ親しんで暮らしていた?
坂口:それが全然興味がなかったですね。厩舎の2階で暮らしていたのに高校くらいまでは全く競馬に関心がなかった。子どもの頃に喘息になった事もあって"馬と一緒の生活は合わない"とずっと思っていましたし、馬が傍にいるからって触りに行ったり乗ってみたりしようともしなかった。だいたい厩舎から普通の高校に通っていたんだから、つまり(騎手に)なる気はなかった......という事でしょ(笑)。弟の方がよっぽど関心があって、騎手になりたいんだろうなって思っていましたから。
横川:それがどうして自ら騎手を目指す事に?
坂口:そんな頃、父がラハンヌという馬を担当していたんです。父の自慢の馬だったんですけど、デビュー戦でぶっちぎりで勝ってその後もけっこう活躍した。それを見ていて"競馬もおもしろいのかな"って思うようになったんです。
2000年スパーキングレディーカップ出走時のラハンヌ(月刊『ハロン』2000年11月号より)
横川:今調べると、デビューから3連勝、それも佐々木竹見騎手が手綱をとって......だから期待馬だったんだね。重賞もリリーカップとトゥインクルレディー賞で2回2着。
坂口:レースを競馬場に見に行ったりするようになって、それまでは行った事がなかったけど牧場に遊びに行ったりとか。茨城の牧場でセイウンスカイの引き運動をした事もありますよ。その時は知らずに"ずいぶん白い馬だな"と思っていたくらいでしたが後で聞いたらセイウンスカイだった。しかし、そのトゥインクルレディー賞2着の直後に父が急に亡くなったんです。それが自分が高2の時。それで自分は岩手に移ってきた。
横川:じゃあ、お父さんが亡くならなかったらそのまま南関東で騎手を目指していた?
坂口:いや、騎手になるよう勧めてくれた馬主さんの紹介もあって、志望は最初から岩手でしたよ。
横川:そういうきっかけがなかったら、騎手を目指してなかったんだろうね......。
坂口:父自身も騎手になりたかったけどなれずに諦めていた人でしたから。中学生の時に鹿児島から出てきて、騎手を目指したけど体重が重くてなれなかったそうなんですね。じゃあ自分がその跡を継ぐのも有りかな......と。
横川:坂口騎手って、そんな熱いエピソードがあるわりには『醒めた』イメージがあるよね。
坂口:馬主さんにも言われた事がありますよ。"お前は勝って嬉しいと思わないのか?"って怒られ気味に。
横川:いや、レースで勝った時は喜んでいる方でしょ。ゴールしながら笑顔になってる時もあるし。
坂口:そうですかね?
横川:よくあるよ。凄く嬉しそうにゴールしてること。
坂口:うーん。人気のない馬とか、自信があるのに印が薄い馬とかで勝つと嬉しいけど......。でもまあ、あまりそういう、勝って派手に喜んだり騒いだりするのって、周りから見てて格好悪いんじゃないかな~?って思うんで、意識的に抑えようとしている所はありますね。そういうのがさっきみたいな"嬉しくないのか"って怒られる原因になる。
横川:ガッツポーズとかもしないものね。
坂口:やってもいいかな~?と思う時もあるんですけどね。でもゴールの瞬間になると"ん?待てよ?"って。でも去年白嶺賞を勝った時はやっておけば良かったな。勝つ自信があって勝てたレースだったし、あの時くらいは思い切りガッツポーズしてみても良かった。
2012年12月22日、白嶺賞をクレムリンエッグで勝利
横川:基本的に『冷静』に振る舞っている方?
坂口:熱くなると空回りするタイプなんですよ。騎手になった当初なんかそうだったし。自分自身でそうだと分かっているから余計に"冷静に冷静に"というところはありますね。
横川:普段はどんな生活をしているの? いや、若い騎手が次々結婚しててさ、若手の中で"最後の独身の大物"といわれているのが坂口君だからさ。知りたい人も多いと思って~。
坂口:え~? 最近はタバコも止めたし、お酒もあまり飲まないし。引きこもり......ですかね...。
横川:競馬がない時は?
坂口:調教→ご飯→寝る。
横川:え(笑)。じゃあ競馬がある時は?
坂口:競馬→ご飯→寝る。ですね。
横川:変わらないじゃないか(笑)。
坂口:後は撮りためたビデオを見るとか......。車を買った時はドライブに行ったりしたけど今はあまり...だし。
横川:えー、坂口騎手はこんな人です。興味がある女性は、覚悟してください(笑)
坂口:こんな話でいいんですかね?
横川:いいよいいよ。掴みはOKだしね。"亡き父の遺志を継いで騎手になった男"なんて、ドラマだよ。普段こんなにクールな人にそんな熱い背景があったなんて、本当にいい話。
坂口:ラハンヌって、父が担当していただけじゃなくて、馬主さんも父の後輩の厩務員だった人で、その人が自ら外国で探しあててきた馬なんですね。脚元がそんなに良くなくて手をかけながら走っていたのが印象深かったですからね。
横川:思い切って聞くけど、"坂口裕一"にとって騎手や競馬はどんな位置づけ?
坂口:昔は話した通りですが、今は馬に乗るのもレースも好きですよ。でも"騎手はこうあるべき"みたいなのは、あまり考えないですね。考えすぎて熱くなるとダメなんで、無心で乗る方がいいなと思っていたりして。
横川:"5年後の坂口裕一"はどんな騎手になっていると思う?
坂口:あまりそういう将来イメージを考えた事がないんで......。あ、こう見えても1日1日、調教もレースも全力でやっているから、けっこう精一杯なんですよ。将来は調教師になる...とか考えられないから、乗れるだけ乗り続けている、でしょうかね。
とまあ、ややのらりくらりとした会話になってしまったが、話していて何となく合点がいくところがあった。一見すると競馬からちょっと距離を置いているような、第三者的な視線を向けているような態度に見える。競馬に過剰にのめり込む事はなく仕事と割り切って、仕事とプライベートはきっちり分けている。しかしいざ実戦になると、例えばそのレースの流れの中心にいる馬がどれなのか? そこをかぎ分ける嗅覚は鋭いし、強い相手にも臆さず喰らい付いていってあわよくば負かす事に喜びを感じているかのような騎乗ぶりを見せるのが彼だ。
生活スタイルはあくまでも今風の若者。古い言葉だが『新人類』という言い方が当てはまる。一方の競馬に関しては、立ち向かう姿勢は今風ではなく、ひとまわり・ふたまわり上の世代の騎手たちに近い雰囲気を感じる。意外に昔気質の勝負師な所があるのだ。競馬に関心がなさそうな姿勢にしたって、彼自身があえてそういう風に見せているだけだろう、と思う。
坂口騎手は怪我や病気で思うように乗れなかった時期が何度かあるが、その度、何事もなかったかのように復帰してくるし、そんな事があった事自体、自分から言い出す事はない芯の強さがある。そもそも人並み以上に根性が据わってなければ、普通の高校に進んでいた人生をひっくり返して騎手になる......なんて決断ができるわけがない。本人は競馬に興味がなかったという幼少時代なのだが、亡くなったお父様はじめ競馬界の住人の、それも80年代~90年代前半の全盛期の南関東競馬の世界で生まれ育った事が、坂口騎手に"その時代の競馬人"の思考パターンのようなものを刻み込んでいたのではないか? そんな風に感じる。
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※インタビュー・写真 / 横川典視