岩手リーディングを獲得すること5回。長きに渡って岩手競馬のトップジョッキーとして君臨してきたのが小林俊彦騎手。2009年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した小林騎手に、これまで、そしてこれからを語っていただいた。
まずは受賞おめでとうございます。
■ありがとうございます。受賞が内定したという連絡を受けたのが11月頃。それを聞いたとき、正直な話『自分でいいの?』と思いました。ただ、昨年まで長く騎手会の会長をしていましたし、存廃問題でいろいろあったときに存続の活動もしましたし、そのあたりが評価されたのかなと。でも授賞式の会場に行ってビックリ。全員の控え室が同じだったもので、そこにいるメンバーがすごい人ばかりなんですよ。そこで改めて、大変な賞をいただいたんだなという実感が湧きました。
これまでに積み重ねた勝利は3000以上。しかし騎手人生の初期には苦労があった。
■秋にデビューしましたがシーズン終了までに勝てなくて、ひと冬越しちゃったんですよね。確かにあせりはありました。それに昔は騎手が40人くらいいて、乗るだけでも大変でしたし。そんな状況をなんとかしようと、調教から率先して手伝うようにしました。だから1日の仕事が終わるとぐったり。その頃は10代でしたが、遊びに行ける元気さえ残っていなかったですね。
その努力の甲斐あって、当時の1日の騎乗数上限(6鞍)の依頼が集まるまでには5年ほどで到達。区切りの勝利を達成する年数も、だんだん短くなってきた。
■27年、長いようで短いですね。見ている人にはわからないかもしれませんが、今でも毎年、乗り方が微妙に違うんですよ。競馬の姿に合わせて柔軟に対応できるというのは、長く騎手を続けるひとつのポイントかもしれません。日々の柔軟体操も欠かせないですが(笑)。昔は体が軽すぎて苦労しましたが、やはり年とともに少しずつ増えてきて。今は油断すると52kgほどになってしまいます。だから今年はサウナによく入っていますよ。競馬の日には50kgを切っておかないと厳しいですから。
■もちろん今年は取るつもりでいますよ。調教師に転身なんて気持ちは全然ないですし。先日、船橋の桑島孝春騎手が引退を発表しましたが、あのくらいの年齢(55歳)までやれたらいいなと思っています
そう思える原動力のひとつが、菅原勲騎手の存在だろう。
■教養センターに入ったとき、菅原さんが1つ上の先輩で、いろいろ面倒をみてもらっていたんですよ。同じ岩手で騎乗するようになって、菅原さんは早くにリーディング争いに加わりましたから、どちらかというと尊敬の念で見ていましたね。そのうち僕もリーディングを取れるようになりましたが、今でもたぶんお互いにライバルとは思っていないんじゃないかなあ。馬にしても、たとえば大レースをいくつも制したモリユウプリンスだって、スイフトセイダイという強敵がいたから自分を高められたんだと思いますし。個人的に菅原騎手はいいお手本という感覚ですが、追いつけ追い越せという気持ちは忘れなかったですね。
そうして切磋琢磨を重ねた小林騎手だが、転機になる出来事もあった。
■リーディングを初めて取った次の年(1999年)に、スタートで馬が転んで落馬して、そのあと馬の体が覆いかぶさってきたんです。それで入院したら、仙骨(骨盤の中心部にある)の骨折と診断されて3週間寝たきり。結局1カ月間入院して、1カ月半をリハビリに費やしました。今思えば一歩間違えば......ですが、当時は休んでいることが本当にもどかしくて。今みたいにパソコンで競馬を観るなんてできませんし、あきらめてリハビリに取り組むしかなかったですね。でもそこでいろいろ考える時間ができたんです。やっぱり自分には馬に乗るしか道はないし、あせらずにやっていこうと。競馬でもそうですが、なるようにしかならない、そう思えるようになったのは、それからですね。
そんな経験もあって、レースではより余裕をもって状況判断ができるようになったとのこと。そうして熟成されていった技が、岩手ダービーダイヤモンドカップ制覇へとつながっているのかもしれない。
■オウシュウクラウンは、冬の間南関東に行ってきてから急に強くなりましたね。おそらくむこうの調教で精神面が鍛えられたんだと思います。ただ、古馬になって脚元に不安が出て、それから体に無理が出てしまって。競走馬は難しいですよ。マヨノエンゼルでもダービーを勝たせていただきましたが、それは今でも感じます。
その岩手ダービーの舞台でもある盛岡競馬場には、どんな特徴があるのだろうか。
■盛岡はある程度、実力がある馬がそのまま結果を出せるコースですね。自分で乗っていても、盛岡のほうが馬の全力を出し切らせやすいと感じます。1200mでも差しが届くことがありますし、道中あせる必要がありません。逆にあせると失敗してしまうコースだと思います。
オーロパークがオープンして14年。そのコースを手の内に入れているベテラン騎手は、若手騎手にとっては先生とでもいえるような存在で、これからも騎乗を続けていく。
■教養センターにいた頃はよく怒鳴られました。でもそれは当然のことで、何か変なことをすると馬のケガにも自分のケガにもつながりますから。だから僕は、レースで危ないことがあったら大きな声を出しますよ。そこで、なぜ怒られているのかが理解できた人間が、騎手として成長していくんでしょうね。
ケガなく乗ることが第一とはいいつつも、昨年惜しくも届かなかったリーディングを目指す意欲は満々。「この仕事が合っているんでしょうね。馬が好きだし勝負事が好きだし」とも。レースへの思いは昔と同じで、日々やりがいを感じているという小林騎手は、まだまだトップジョッキーであり続けることだろう。
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小林 俊彦(岩手)
1965年3月26日生まれ おひつじ座 B型
岩手県出身 小林義明厩舎
初騎乗/1982年10月16日
地方通算成績/16,582戦3,387勝
重賞勝ち鞍/エーデルワイス賞GⅢ、不来方賞5回、
みちのく大賞典4回、北上川大賞典4回、シアンモア記念3回、
桐花賞2回、報知オールスターカップなど77勝
服色/胴緑・桃星散らし、そで桃
※成績は2010年5月20日現在
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(オッズパーククラブ Vol.18 (2010年7月~9月)より転載)
現在も節制を続け、トップの座を守っている小林騎手。昨年はわずかの差でリーディングトップの座を逃した。