岩手の3歳二冠を達成したパンプキンズ(水沢・伊藤和忍厩舎)は来る9月16日の不来方賞で三冠目に挑む。レースを目前に控えて、パンプキンズの手綱を取る菅原俊吏騎手にここまでの同馬のレースについて、また不来方賞への意気込みなどを話していただいた。
昨年のデビュー戦を勝ったパンプキンズでしたが、その後しばらくは一進一退の成績が続きましたよね。
2歳の頃はやはりまだ身体がしっかりしていなくて、若馬にありがちな弱さみたいなものもありましたね。流れが合わないと脆さを見せることもありましたが、ただデビューの頃から良いスピードを持っている馬だというのは感じさせていました。
デビュー間もない頃は先行争いで競り合いになって、それで気分を損ねたら止まってしまう......というようなシーンを何度か見た記憶があります。それが寒菊賞の頃からか、粘り強さを発揮するようになりましたね。
そうですね、寒菊賞のひとつ前のレースの頃から馬の状態が凄く良くなってきていて、レースの結果にも現れるようになりました。パンプキンズがレースに慣れていたのもあるでしょうし、いろいろな距離を経験しながら力を付けていたんだと思います。
芝の新馬戦を勝ったパンプキンズ(2018年8月14日・盛岡第3レース)
そして今は2000メートルの重賞も逃げ切るくらいになりました。2歳の頃と3歳になってと、パンプキンズが変わった点、成長した点はどんな部分ですか?
距離に関してはレースするにつれてスタミナもついてきましたね。一番は体がしっかりしたことでしょう。そこがしっかりしてきた今はもう、距離もスタミナもあまり気にしなくてよくなりました。
昔は、なんというか展開に左右されやすいというか揉まれたらつらいというようなところを感じましたが、今はそういうイメージはないですよね。
ですね。スピードもありますけど折り合いもつくので長い距離でも全然問題なくなりました。強い相手に揉まれてきたのも良かったのでしょう。
少し今年のレースを振り返りたいのですが、やまびこ賞ではグレートアラカーに敗れました。その時の敗因を今になって考えるとすると......?
その前のレース(スプリングカップ)でパンプキンズが逃げ切ったせいか、やまびこ賞ではずっとマークされて、早めに仕掛けられた上にさっと交わされたという感じだったので、そういう展開の影響があったと思います。
その後の東北優駿は、逆にマークされてもやり返してやるぞみたいなレースでしたよね。
そうですね。それ(やまびこ賞)があったから、もう並ばせないように並ばせないようにと、少し早めでも積極的に戦いました。パンプキンズもよく頑張ってくれました。
東北優駿は見事な逃げ切り勝ち(2019年6月9日・水沢)
そして前走のダイヤモンドカップ。短期放牧を経て一足早い秋初戦という感じになったんですけども、ひと夏を越したパンプキンズはどうでしたか。
放牧と言っても牧場では坂路でしっかり乗り込まれていたという事だったので心配していなかったんですけども、暑さの影響は少し感じましたね。他は問題なかったです。ひとまず順調に夏を越せたと思います。
そのダイヤモンドカップは、いわゆる"負けられないレース"になったじゃないですか。乗る方としてはプレッシャーもあったと思うんですが。
正直もう、絶対に負けられないと思っていました。枠が大外で、水沢の1600メートルは外枠から最初に無理をすると脚を使いすぎてしまうという心配もあったんですが、なまじ2、3番手につけるよりはいつもの競馬をした方が良いと思って思い切って戦いました。
ダイヤモンドカップも制して二冠達成(2019年8月18日・水沢)
今はそういうふうに、少々無理をしてハナに行っても頑張れるくらい馬に力がついていると?
そうですね。乗っていてもそのへんは全然心配しなくていいですね。
さて次は不来方賞になるんですが、今の段階でどう戦うかを聞きたいのですが......。結構、いろんな馬が転入して来ちゃいましたね。
2歳の頃に戦ってる相手が多いとはいえ、あちらも力をつけているでしょうし。リセットされたような感じで読みづらいですよね。何がどうなるか正直想像がつかないですけど、乗る方としては自分の競馬をやり通すしかないと思っています。
盛岡の2000メートルという条件は今のパンプキンズにとってどうでしょうか?
ストレートのスタートからになるので、スタートが速いからハナに立つのは難しくないと思うんですけども、問題はその後でしょうね。距離が距離ですから。自分のペースで行けたら最高ですね。盛岡のコースは2歳の時走っていますがあの時も問題はなかったです。逆にコースが広い分、馬群に揉まれ込むリスクが減って戦いやすいかもしれません。いずれにせよ自分の競馬をするだけですね。
レースの前の公開になりますので、意気込みを聞かせてください。
勝てば3歳三冠なので、そこを目指して。強力なライバルがたくさんいますけど、とにかく自分の競馬に徹して、パンプキンズの力を信じたいと思います。
もうひとつ聞きたいのが、藤井勘一郎騎手について。菅原俊吏騎手が先に、オーストラリアから日本の騎手になったわけですが、あちらでは藤井騎手と同じ競馬場で同じレースに乗ったこともあったそうですね。
藤井騎手とは、半年ぐらいかな、一緒に乗ったのは。同じ車で一緒に競馬場に行ったりもしましたよ。向こうの騎手のライセンスを取ったのは多分彼の方が先だと思います。最初から一緒だったのではなくて、たまたま彼が、その頃自分が働いていた厩舎に来たんですよね。当時から結構あちこちを回っていたようです。
オーストラリアで藤井勘一郎騎手と同じレースに騎乗した際のレーシングプログラム(提供:菅原俊吏騎手)
当時の藤井騎手はどんな人でした?
昔から英語が上手かったですね。コミュニケーションも上手いし、レースもどんどん乗るし勝つしで。日本に戻ってJRAの騎手になったのも"なるべくしてなった"という印象ですね。
あっちではプレハブ小屋みたいな宿舎に住み込んでレースに乗ってたって言ってたじゃないですか。そんな頃に一緒に頑張った仲間がJRAの騎手になって活躍してるのは、やっぱり刺激になりますよね。
ですね。自分はまあ、JRAの試験を受けるとかはあれなんで、パンプキンズでJRAのレースに遠征したいですね。それでいつかJRAのレースで藤井騎手と一緒に乗れたら素晴らしいですね。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
菅原俊吏騎手は30歳にしてデビュー5年目の若手騎手。なんだか微妙な言い回しになってしまうのは、菅原俊吏騎手がオーストラリアでの騎乗経験を持ちながら日本でデビューを果たした希有な経歴の持ち主だからだ。
彼の地での勝利数は24。岩手での初勝利の際には「久々の実戦だったので感覚が戻りきっていなかった」という"新人"らしからぬコメントを残していた。デビューの年こそ13勝にとどまったが、翌年からは順調に勝ち星を伸ばし、昨季は84勝で4年目にしてリーディング5位。今季もすでに80勝を挙げて上位を争っている。
横川:菅原俊吏騎手はオーストラリアで騎乗経験を持つ、珍しい経歴の騎手です。まずはそこから始めましょう。となると、競馬学校(JRA)に入れなかった話もしなくてはなりません。
菅原俊:競馬学校の試験に2度落ちたんです。どちらも減量が厳しくて。あと1kgか2kgくらいのところだったんですけど、無理に減量しているのが周りにも分かっていたみたいで・・・。
横川:それでも騎手になりたいという事でオーストラリアに渡ったわけですね。
菅原俊:あちらにある日本人学校に入りました。ライダーになるコースとトレーナーを目指すコースとがあるんですが、自分はライダーのコースで半年、それから紹介された調教師のところで半年修行しました。そのあとで、こっちで言う能力検査みたいなレースを20レースくらい乗ったのかな。それでOKが出ればライセンスが下ります。
横川:俊吏騎手のように騎手を目指してオーストラリアに渡る日本人は、どれくらいいたんですか?
菅原俊:そうですね、16~7人くらいはいましたね。僕のように地方やJRAの競馬学校に入れなかった人だけでなく、外国で騎手を目指そうと思い立って来た人もいました。トレーナーのコースに入る人もいたんですが、やっぱりトレーナーはコミュニケーションが難しいので、長続きした人はあまりいなかったように思います。
横川:今でこそ富沢騎手とか笹田騎手とか、海外でデビューして日本で騎乗する様になった騎手も珍しくなくなったけれど、俊吏騎手が行った頃は逆に"海外に行ったら日本に戻れない"と思われていた時期でしょう? それでも海外を目指したのはなぜ?
菅原俊:一度騎手を目指し始めたからには"騎手"というものを経験したかったんです。騎手ってどんなものだろう、レースってどんなものだろう、と。ビザの関係があって向こうでいつまでも騎乗するというわけにもいかない事も分かっていたし、一度あっちで乗ってしまえば日本に戻って騎手になれるとも思っていなかった。ビザが切れるまでやってみて、あとの事はそれから考えようと思っていましたね。結局あちらには、学校も含めて4年半ほどいました。
横川:それから日本で騎手を目指したわけですが、デビュー目前と思ったらいきなり存廃問題(2007年3月)で揺れる事に・・・。
菅原俊:直接試験を受ける制度があると聞いて日本に戻り、準備も兼ねて厩務員に。結局2年かけて2度目の受検で合格して騎手免許をもらったんですが、いきなり"廃止"という話になって。一度は廃止と決まりましたからね。"デビューできないのかな"とか悔しがったりする以前に、もう何も考えられなかったですね。
横川:あの時、もし岩手競馬が廃止になっていたらどうしていた? さらに他所で騎手を目指したとか?
菅原俊:いや、競馬とは関係ない仕事を探していたでしょうね。いろいろあって日本で騎手になるところまで来て、それでダメだったら縁がないんだろうと思って。
横川:しかし、今改めて振り返るとまだ5年目のシーズンなんですね。なんだかそれ以上の存在感があります。
菅原俊:そうですかね(笑)。最初の頃は自厩舎の馬にもなかなか乗せてもらえなかったですが、最近は良い馬にも乗せてもらえるようになったし、どんな風に乗ったら勝てるかも考えて戦えるようになりましたから。その辺がそう見えるのかも。
横川:オーストラリアの経験も活きている?
菅原俊:んー、レースの質は全然違うと思うんですが、例えば展開の読み方・流れの乗り方、勝負所からの動き方とかはいろいろ経験できたんで、それは活きていますね。あっちのレースの方が流れが厳しいというか、動きづらいですね。道中は隊列を崩さない感じで固まっていきますから。
横川:さて、リクエストがあったので質問します。盛岡と水沢の違い、乗り方の違いのようなものを、騎手としてはどんな風に意識していますか?
菅原俊:そうですね。やっぱり盛岡は力がある馬が力通りに勝つ、というイメージですね。コーナーが1つしかないレースが多いしスタート後の直線も長いから、少々不利があっても挽回できる、と思って乗れます。
横川:じゃあ水沢は気を遣う、と?
菅原俊:水沢は力がある馬でも展開で負けたりしますからね。"いい位置を取る"事を意識して狙っていかないと強くても勝てない事がある。盛岡はその点、あまりガリガリ行かなくてもなんとかなりますから。やっぱり水沢の方がいろいろ考える事が多いですね。
横川:今年は盛岡開催が長かったわけですが、レースに乗る方も戸惑ったんじゃ?
菅原俊:最初はやっぱり変な感じでしたね。もちろん初めてって事じゃないのでだんだんカンを取り戻していくんですけど、位置取りとか動くタイミングとか、結構みなしっくり来なかったんじゃないかと。最初の週に荒れたレースが多かったのは、そんな理由もあったかもしれません。
横川:水沢の騎手はずっと移動が続いたでしょう(※調整ルームは盛岡・水沢それぞれにあるので、盛岡開催時は水沢の騎手はバスで移動する)。辛くなかったですか。
菅原俊:自分はそうでもなかったですね。朝の厩舎作業とかを早めに切り上げて、あとはバスでゆっくりできるんで。自分はむしろ盛岡開催の方が楽でした(笑)。馬の方はかなり厳しかったですね。今年の夏も暑かったから、毎回の輸送がこたえてしまっていた馬が多かったように感じました。
横川:さて、このシーズンオフも遠征するそうですね
菅原俊:今年は佐賀に行く事になりました。こちらは3月の特別開催がないので、1月下旬から3月中旬までじっくり滞在します(※佐賀競馬より1月14日から3月20日まで、のべ4開催の期間限定騎乗が発表されました)。佐賀はM&Kで一度乗った事があるだけで、荒尾に滞在していた時に遠征で行くという話もあったけど行けなかったから、乗るのが楽しみです。
横川:この冬、福山で会った時、自分で「遠征好き」って言ってましたよね。
菅原俊:知らない所に行っても結構なじめるタイプなんですよ。ぼちぼちと乗った事がある競馬場が増えてきたから、いずれ全部の競馬場で乗ってみたいですね。
横川:さて、最後に。俊吏騎手から見て気になる騎手はいますか?
菅原俊:やっぱり齋藤雄一騎手かな。最初に見た時から思っていたんですが、馬のはまりが良い騎手だったんで、これは巧くなるなと。最近の活躍も"やっぱりな"という感じですね。世代も近いので負けないようにがんばらないと。
横川:齋藤騎手とのリーディング争いも楽しみにしています。ありがとうございました。
今「最近伸びている騎手は誰?」と問うたなら、水沢ならこの菅原俊吏騎手、盛岡なら齋藤雄一騎手の名を、誰もが挙げるだろう。なので、俊吏騎手の口から齋藤騎手の名が出た時は、やはり彼自身も意識しているのだなと改めて感じたり納得したりした次第。
年齢的に近く、ここ2、3年の年間勝利数もだいたい同じくらい。それだけに今年の齋藤騎手がグンと勝ち星を伸ばした事は、菅原俊吏騎手にとっても大きな刺激になっているだろう。来季の菅原俊吏騎手の活躍が楽しみだ。
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※インタビュー / 横川典視