今年も笠松リーディングを独走中の笹野博司調教師。第1回ネクストスター笠松をワラシベチョウジャで制覇するなど、絶好調な1年でした。
まずは第1回ネクストスター笠松制覇、おめでとうございます。
ありがとうございます。目指していたレースでしたので、勝つことができて嬉しいです。
レースぶりも強かったですね。
そうですね。仕掛けが早めになってしまったので、最後いっぱいにはなりましたが、早めに仕掛けて勝ち切るわけですから、たいしたものだなと改めて感心しました。
ネクストスター笠松(10月12日)を制したワラシベチョウジャ
今年から始まったネクストスターは1000万円の高額賞金が設定され、インパクトが大きいレースだと思いますが、笹野先生も早い段階で目標にしていたレースでしょうか?
昨年発表された時から注目していましたし、私だけではなく周りの方々も目標にされていたのではないでしょうか。全国的に開催されて注目度も高いですし、そういうレースを勝てて嬉しいです。
ワラシベチョウジャとの出会いはどういう経緯があったのでしょうか。
昨年のサマーセールでオーナーが気に入って選んだ馬です。1歳の冬の頃はずいぶん小さかったのですが、育成公社で育成をしていただいて、ひと冬超えて2歳の春頃になったらだいぶしっかりした印象です。ただ正直、その頃はここまで走るとは思っていなかったというか。丈夫そうな足元をしていて、長く走ってくれそうだなという印象でした。
いつ頃から能力の高さを感じましたか?
入厩してからです。走りに無駄がなく、余計な仕草がないんですよね。まだ体ができていない2歳の頃は、例えば頭が高かったりという無駄な動きがある馬が多いのですが、あの仔にはそれがないんです。飛びは芝でもやれそうな素軽い走りをしますし、1本目の追い切りから時計が良くて、ひょっとしたらモノが違うかもしれないと感じていました。期待通りデビュー戦の800mで勝ってくれましたが、私が一番驚いたのは2戦目のレースです。
7月20日の芙蓉特別ですね。
1400mに距離が延びて、内枠だったのですがゲートの出が悪く、逃げ馬の後ろに控える競馬になりました。ポケットに入る形で4コーナーまで外に出せず砂を被る競馬になって、これは厳しい競馬になったなと。さすがに2歳の女の子でまだ2戦目、距離延長で砂を被ってということで、ちょっと諦めムードだったわけですが、直線で外に出したらピュッと伸びたので驚きました。メンバーも強かったですし、2戦目でこういう競馬ができるというのは、あまり私の経験上なかったものですから、これはモノが違うなと。控えてもいいし、行ってもいいし、競馬に注文がつかない馬だなと思いました。
そこからはずっと順調に過ごして来たのでしょうか。
順調といえば順調ですが、3戦目の秋風ジュニアの時に、どういうふうに仕上げて使うのがいいのかまだ少し手探りの状態だったんです。JRA認定競走で準重賞ということもあり、しっかりと追い切りをかけて仕上げた方がいいのではないかと、最終追い切りを強めに行ったのですが、勝つには勝ったものの余力を残して勝てなかったという経験がありました。渡邊竜也騎手とも話して、そこからは1週前にびしっと行くようにして、本追い切りはなるべく余力を残すようにしようというふうにしたら、それが合うのか勝ち方が変わってきました。まだ2歳ですし、今後も馬の様子を見ながらこの仔に合う調整方法を探っていきたいと思います。
残念ながら12月7日のジュニアキングで連勝はストップしてしまいましたが、来年はどんなイメージをお持ちでしょうか。
ジュニアキングの後は休養するとレース前から考えていて、今は放牧中です。2月頃から始動して、地元のレースを使ってからネクストスター中日本(3月28日・名古屋)を目指すプランです。結果次第では、いつかは芝にも挑戦してみたいですね。
距離適性はどのくらいの範囲だとお考えでしょうか。
1600mは大丈夫だと思います。それ以上はやってみないとわからないですね。今のところ真面目にがむしゃらに走ってしまうので、道中もう少し力を抜いて走ることを覚えていけば、距離の融通は利くのではないかと。レースはすごく真面目ですが、普段は気が強くて厩務員さんは手を焼いています。そういう気の強さも勝負に行っていい方に出ているのではないでしょうか。
ワラシベチョウジャ、というお名前はインパクトがありますね。
最初にオーナーから聞いた時には驚きましたが、とてもいい名前だなと思います。デビュー戦からどんどん勝ち上がって重賞制覇までしましたから、まさに名前のように前に進んでいるなと。前走は負けてしまって悔しいですが、また立て直して来年活躍できるよう頑張ります。
では笹野先生ご自身のことを伺います。今年ここまで167勝(2023年12月11日現在)を挙げて、全国リーディング第3位、笠松リーディング第1位です。毎年好成績を残す秘訣は何でしょうか。
スタッフが毎日一生懸命頑張ってくれますし、今は怪我でお休みしている渡邊竜也騎手や、騎乗してくれるジョッキーの存在も大きいですね。そして、馬主の方々がいい馬を預けて下さることにとても感謝しています。
調教師として、大切にしていることは何ですか。
一番は故障しない馬を作りたい、ということです。故障してしまうと馬自身にとっても辛いことですし、馬主さんにとっても我々にとってもいいことがないですから、そこを大切にしながら、どうすれば強い馬作りができるかということを厩舎一丸となって話し合っています。
以前所属していたオマタセシマシタはとても話題になりました。
斉藤慎二オーナーの馬で、あの仔が走る日はお客様も多く来場されました。2つ勝たせていただいて、笠松競馬場の盛り上がりもすごかったです。我々にとってもいい経験をさせていただきました。今は船橋に移籍しましたので、また新たな舞台で頑張って欲しいです。
笠松では今年の春から調教時間のルールが変わったそうですね。
笠松の場合は他の競馬場と違い、外厩から道路を歩いて競馬場まで競走馬を連れていきますから、放馬防止策の一つとして、朝の調教を7時までに終えるというルールができました。そのため、我々は夜中の12時から調教をスタートしています。最初はちょっと大変でしたが、みんな頑張っていますよ。
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願い致します。
いつも笠松競馬を応援していただき、ありがとうございます。お陰様で売上も好調で、一時期は開催自粛などもあった中で、こうして競馬を開催できることに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも強い馬、話題になるような馬作りを心がけていきますので、笠松競馬をよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:岐阜県地方競馬組合)
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笠松のトップトレーナーである笹野博司調教師は、一風変わった経歴の持ち主。競馬界に入ったきっかけ、そして短期間にトップに上り詰めた要因を伺いました。
笹野先生は今や笠松のトップトレーナーですけれども、経歴が珍しくて、なんとピザ屋の店長から脱サラして競馬の世界に入ったそうですね。
そうなんですよ。就職してピザ屋の店長を何年間かやってまして、27歳の時に「自分が本当にやりたいことは何かな」と考えた時、僕にとってはそれが競馬の世界だったんです。小さい時から親父に連れられて笠松競馬場や名古屋競馬場に行っていて、ずっと憧れがあったので。
社会人として仕事をしている中で、一大決心だったと思うんですけど、何が一番背中を押したんですか?
ピザ屋さんの仕事も楽しかったんですけど、「ずっと今のままでいいのだろうか」って考える時がありまして。母親に相談したら「やってみなさい」と言ってくれて、いろいろ考えた結果、思い切ることにしました。それで、仕事を辞めて、千葉にある乗馬の学校に入って。まったくの素人だったので、基本乗馬や馬学的なことを習いました。
思い切りましたね。
そうですね。かなり(笑)。なかなか僕みたいな経歴の人は少ないと思うんですけど。ただ、その頃は調教師を目指そうとは思っていなかったんです。とりあえず競馬の世界にって考えた時に、JRAの厩務員過程は年齢的に無理だし、地方競馬の厩務員になれればと思っていて。それにはまず馬に乗れないとダメだなと思って、乗馬の学校へ行きました。そこで1年ほど勉強したんですけど、馬に乗るって難しいですね。思っていたよりも全然難しかったです。
挫けそうにはならなかったですか?
それはないです。思うようにいかなかったですけど、競馬の世界で働きたいという意思は強かったので。そこで1年やって、笠松の井上孝彦厩舎に厩務員としてお世話になることになりました。それが28歳の時です。競馬の世界の中では遅いスタートですよね。
実際に競馬場で働いてみて、いかがでしたか?
初めてのことばかりで難しいこともありましたけど、自分で世話した馬がレースで勝つと本当に嬉しくて。サラリーマン時代には味わえない気持ちでした。すごく楽しかったですね。
そこから調教師を目指すことになるわけですね?
厩務員を始めてだいぶ時間が経ってからなんですけど、結局厩務員をやっている以上は調教師さんに馬を任されるわけで、限りがあるわけじゃないですか。3頭、4頭という決められた枠の中でしかできないので。時間が経つにつれて、「もっといろいろな馬を触りたい」「もっと広い視野で馬と関わりたい」という気持ちが大きくなったんです。それには調教師になって、自分で馬を見つけて、馬主さんを見つけてやるしかないなという思いに至りました。
調教師というと、また大きな決断だったと思いますが。
そうですね。僕はまったく馬主さんの知り合いもいなかったですし、本当にゼロからのスタートでした。競馬の世界に入る時もそうですけど、割と決めたらパッと行っちゃうタイプなんですよ。あまり難しくは考えなかったです(笑)。
2012年に開業した時はどんな状況だったんですか?
5月20日に免許が下りて、「すぐ6月から開業していいよ」って言われたんですけど、最初はまったくコネもなくて、厩務員の時に担当していた馬を1頭預けていただけることになったんです。だから1頭からのスタートでした。
そこからどうやって増やしたんですか?
一番大きかったのはトウホクビジンですね。開業して1か月くらいの頃にうちに転厩してきて、3か月目の時に姫路チャレンジカップを勝ったんですよ。それが大きかったです。トウホクビジンにいろいろな競馬場に連れて行ってもらって、いろいろ行くうちにその土地の調教師さんなり知り合いができて、徐々に名前を知ってもらったという感じです。
トウホクビジンはものすごく丈夫でしたよね。
そうですね。なかなかいないですよね。牝馬でしたけど、どれだけ遠征しても食欲が落ちないんですよ。牝馬はレースを使ったり遠征すると食欲が落ちる馬が多いですけど、あの子はまったくなかったです。普段はあんまり余分なこともしないし、馬房の中で寝ることも多くて、自分で疲れをしっかり取っているという感じで賢い馬でしたね。最後は引退式までさせていただきましたし、ファンの方にたくさん応援していただきました。あの馬には本当に感謝しています。
引退レース(2015年1月9日、笠松・白銀争覇)を終えたあとのトウホクビジン
そして開業5年目の去年勝ち星が一気に倍近く増えて、笠松リーディングに輝きました。
要因はと聞かれると、正直よくわからないんですけど、頭数が増えて来て、その中で戦えているのかなと。自分としては、「壊さない」ということを大切にしています。JRAと違って休養のために放牧へということもなかなかできないですから、いかに馬の体調をコントロールして調子を維持するかということを大事にしています。
そこが難しいと思うんですけど。
難しいですね。だいたい隔週で競馬をやっているので、維持するのはなかなか大変ですけど。でも地方の調教師さんはそれぞれ自分なりのコツがあると思うんですよ。そこはそれぞれですけど、自分なりの形を考えて維持しています。もちろん、重賞や大きいレースがある場合は別ですけど、普段のレースはそこを大切にしていますね。
調教師になって、5年でリーディングになれるって思ってましたか?
全然思ってないです。その年その年で目標を立てるんですけど、去年はベスト3に入りたいというのが目標でした。そしたら自分の思う以上に馬ががんばってくれて。厩務員さんも人数が増えて、みんなよくがんばってくれてます。そこが大きいです。
一般社会から競馬の世界に入って来て、年数も短い中で、ここまで結果を出すというのは本当にすごいことだと思います。
いやいやいや。僕の場合は、サラリーマンを経験したことが良かったんじゃないかなって思っています。もちろん、長年競馬界にいる方や、ジョッキーから転身された方にはそれぞれの良さがありますけど、自分の場合は社会経験ができたことは大きかったなと。馬主さんたちは社会的に成功した方々ですし、僕はサービス業だったんですけど、いかにお客様を大事にするかなんですよ。今も調教師というのはある意味サービス業だと思っているので、馬主さんに満足していただけるかを大切に考えています。
今後の目標というのは?
何回かJRAに挑戦させてもらっているんですけど、全然結果が出せていないので、JRAで勝つことを目標にまた挑戦していきたいです。
今特に期待している馬はいますか?
2歳のビップレイジングです。8月に転厩初戦でJRA認定競走の秋風ジュニアを勝つことができました。もともと僕が見つけて来て買っていただいた馬で、門別の齊藤正弘先生のところで鍛えていただいて。いい感じで笠松に来てくれました。デビュー1、2戦は結果が出なかったんですけど、距離が延びて頭角を現して来ましたね。
秋風ジュニア(8月31日・笠松)を制したビップレイジング
写真:(C)fanfan/H.Taniguchi
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
地方競馬の売り上げが好調なのは、ネットで買っていただいているファンの方の存在が大きいと思います。いつも応援していただき、ありがとうございます。笠松競馬、一生懸命がんばっていますので、ぜひこれからもよろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋