今年笠松でデビューした、藤田玄己(げんき)騎手。デビューから約4か月が経過した現在も、日々試行錯誤を続けています。ここまでの道のりと、これからの目標をお聞きしました。
まずは、騎手になったキッカケから教えて下さい。
僕は幼い頃から動物が大好きだったんです。それで、いつか動物に関わる仕事をしたいなと思っていて。小学生の時に、テレビでたまたまレースを見たら、馬の走っている姿やジョッキーのカッコよさに憧れました。レースを見て行くうちに、自分も騎手になりたいと思って、中学を卒業してから3年間、千葉にある馬の専門学校に行ったんです。
馬の専門学校とは、どんなところなんですか?
騎手になりたい人や、厩務員になりたい人や、乗馬のインストラクターになりたい人など、入学理由は色々ですし、年齢もバラバラです。全寮制で、1日中馬のことについて勉強するわけですけど、実は僕は3年間いるつもりはなくて......。地方競馬教養センターの試験を受けて、合格したら中退しようと思っていたんです。でも、2回受けて落ちてしまって、3回目でようやく合格出来たので、結局3年間を過ごしました。
不合格だった理由は、なんだったと思いますか?
体力的なものだと思います。専門学校に入った頃は、まだあまり体力がなかったので。でも3年間みっちり鍛えたお蔭で、3回目の挑戦で合格出来て、本当に良かったです。
専門学校で3年、地方競馬教養センターで2年と、中学を卒業してからずっと全寮制の学校に行っていたんですね。
そうなんです。最初に親元を離れて、一人で専門学校に行った時はホームシックになりました。でもすぐに友達も出来て、3年間すごく楽しかったです。ただ、なかなかセンターに合格出来なくて、一度このままでいいのか考えようと思ったことがありました。諦めようとは思わなかったけど、このまま頑張っても、合格出来る保証はないわけじゃないですか。だから、専門学校の時は不安な気持ちも大きかったです。両親や兄弟がすごく応援してくれていたので、不安な気持ちを相談する勇気はなかったんですけど、センターに合格した時は本当に喜んでくれました。念願だったセンターに入ってからは......専門学校に比べると、教わる内容は似ているんですけど、内容の濃さが違いましたね。相当厳しかったです。
実際にデビューしてみてはいかがですか?
デビュー戦はほとんど覚えてないです(笑)。デビューした嬉しさはあったんですけど、何が何だかわからなかったですね。いきなり先輩たちの中にポンと入って、ずっと後ろから回って来たという感じで......。どこを回ったのか、進路もよく覚えてないんです(苦笑)。ゲート裏で輪乗りをしている時からガチガチだったらしくて、先輩たちから、「肩の力抜けよ」とか、「そんなんじゃゲート出れないぞ」って声掛けてもらったんですけど。それでも力抜けなかったです。62戦目で初勝利を挙げることが出来ましたけど、僕の実力ではなくて、周りのみなさんと馬のお蔭なんです。勝てて嬉しかったですけど、自分の力ではないのがわかるので、素直に喜べない部分もありました。
レースだけではなく、ジョッキーというお仕事についてはいかがですか?
馬に乗る技術ももちろんですけど、今初めて営業しているので、それが大変ですね。乗せてもらえても調教だけだったり、簡単にはいかないです。営業して、乗せてもらえたら本当にチャンスなんでね、一つでも多くのレースに乗れるように、諦めずに何度もしがみついてます。
所属の藤田正治先生とは、同じ苗字なんですね。
そうなんですよ!そのよしみで所属にしてもらった感じです(笑)。僕は出身が愛知なので、最初は名古屋を希望していたんです。でも同期に3人も名古屋希望がいて、難しいだろうということになって。でもどうしても東海に行きたかったので、教官が僕の気持ちを汲んでくれて、笠松で探してくれたんです。藤田先生はとてもいい方ですし、先輩たちもいい人ばかりで、笠松に来て本当に良かったと思ってます。
目標のジョッキーはいますか?
東川公則騎手です!! どの馬にも一生懸命乗っているし、ダメだった時にしっかりと頭を下げて、次に結果を出すんですよ。人当りもすごく良くて、騎手としてだけじゃなく、人としても尊敬しています。いつか僕も、東川騎手のようになりたいです。
では、今後の目標を教えて下さい。
目標は、自分の力で馬を勝たせることです。今はまだペースがよくわからなくて、ハナに行っても馬の好きなペースで走ってしまって、最後バタバタになることがよくあって。色んな人のレースを見て、聞いて、いろいろ取り入れながら頑張っていきたいです。まだまだ未熟者で下手くそですが、精いっぱい頑張りますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー/ 赤見千尋