春から秋は競馬、そして冬はデビュー前の馬の育成に携わるホッカイドウ競馬の騎手。
宮崎光行騎手は1984年のデビューからそのサイクルのなかで実績を重ねてきた。宮崎騎手2009年から北海優駿を3連覇。勝負強さを兼ね備えている騎手でもある。
宮崎騎手は1993 年に初のリーディングを獲得。デビューから10年目だった。
須藤三千夫調教師(故人)の一番弟子としてこの世界に入って、チャンスはたくさんもらえましたね。調教から何からいろいろと教わりました。よく怒られましたし、意見がぶつかることもありましたよ。でもそれは強い馬を造るという同じ目的の上でのこと。僕がここまで来られたのは、やはり須藤先生のおかげですね。リーディングということには自分自身、それほど意識はしていないんですよ。毎年毎年、いい馬との巡りあわせがあるかどうかということが大きいですからね。
その須藤厩舎の管理馬では、2000 年にヒットパークで道営記念を制覇した。
JRA では短距離戦が中心だったせいか、調教から行きたがって仕方がなくて。それでも転入初戦の瑞穂賞の2着で力があることがわかったので、調教方法を変えていくことにしたんです。ヒットパークは、須藤先生が初めてといっていいくらい、僕に調教からレースから任せてくれた馬なんですよ。
そのあと(転入2戦目の)北海道スプリントカップで4 着に入って、秋初戦はJRAのエルムステークスで5着。でもJRAの速いペースを経験して道営に戻ると、また行きたがってしまうと思ったので、南部杯に遠征させてもらって強い相手と対戦させました。そのとき、僕がいちばんに考えていたのは、ヒットパークと自分の呼吸とを合わせたいということ。その過程があったから、2000m の道営記念でも折り合えたんだと思います。短距離馬を2000m の大レースで勝たせたことは、僕の騎手人生のなかで大きな思い出のひとつとして残っています。
「勝つ」という目標に対して進めていく作業には、職人的要素が大いにある。その一方で、宮崎騎手は初コンビの馬を好走させた実績がたくさん。北海優駿は2010 年、2011年と初騎乗の馬で勝利している。
クラキンコ(2010 年)は、周りからいろいろな話が聞こえてきましたけれど、それは全部流すようにして、とにかく僕の感覚で乗るしかないと思っていました。1200m(北斗盃)から2000mになるわけですし、ひたすら「折り合い折り合い」と念じて。でもやっぱり重圧があったのかなあ。表彰式が終わってから、ものすごくホッとしたという気持ちになりました。
そういったなかでも結果を残せる勝負強さは、夏のJRA開催でもいかされている。
昨年までで10勝ですか。もちろん、JRA開催はモチベーションにつながります。でも最近は2歳馬が中心という傾向がより強くなっていますし、3歳時にJRAの芝で勝ったファインドロップみたいなタイプは少なくなりましたね。それでも今後もJRAには参戦していきたいと思っています。
2歳馬が中心の競馬ということは、必然的にケガをするリスクも高くなる。2009 年にはシーズン中のケガで、約3カ月の休養を余儀なくされた。
その年は「久々にリーディングが取れるかな」という勢いだったんですよね。そんななかでのケガでしたから堪えました。あれ以降、少し体が硬くなったように感じているので、毎日のストレッチは入念にやっていますよ。とにかく今は大きなケガをしないようにすることが大事ですから。
その大ケガの影響で、2008 年に続いてスーパージョッキーズトライアル(SJT)に出場できる可能性もついえてしまった。
シーズンが始まるとき、まず目標にするのはSJTの出場資格を得るということ。ほかの競馬場で乗るのは楽しいですし、そのなかでもSJT は本当に出たいと思える舞台。もちろん出場するのも勝ち抜くのも大変ということはわかっていますが、なんとか......とはいつも思っているんです。
宮崎騎手の勝負強さなら、その目標も手が届かないわけではないといえそう。実際、2009 年から3 年連続で連対率が1 位。2011年は勝率でも1位となっている。
「勝たせる」という前提で頼まれる馬も多いですからね。そういった馬でレースに臨むとき、僕は「この馬は強い」と信頼して乗るんです。あとは馬の邪魔をしないようにと気をつけながら。自分の馬が強いと思えば気持ちに余裕が出ますからね。それでもある程度の緊張感というかプレッシャーは、常に感じていなければならないとは思っています。
そういったなかでも、快心と思えるレースはたくさんあったことだろう。
強い馬に乗るのも楽しいですが、強い馬を負かすというのも騎手の醍醐味ですよね。カネマサコンコルド(2010 年北海道2 歳優駿1 着)のレースはまさにそれ。あのときは「ひょっとしたら」という思いはありましたが、無欲といえば無欲。この馬の競馬をして3着でも拾えたら最高だなというくらいの気持ちでいたら、勝ちましたものね。しぶといタイプなので道中はインコースでじっとしていたら前が開いてくれて、展開もピタリとはまってくれました。
昨年はピエールタイガーで北海優駿3連覇
数々の重賞タイトルを手にしている宮崎騎手だが、まだ若手にその地位を譲るつもりは全くない。
とにかく強い気持ちを持つことが大切なんですよ。負けが込むと少しヘコむこともありますが、そんな状態では勝てないんです。勝負ごとでいちばん大切なのは、気持ち。それと体調管理ですね。最近は減量が厳しいですが、プロですからしっかりしていかないと。自分の体調がいまひとつだといい結果も出ないんです。馬も同じですよね。体調がいまひとつだと動けない。ですから、どれだけいいコンディションで自分も馬もレースに臨めるのか。調教も普段の生活も、それを第一に考えています。
今年もSJT の舞台を目指して勝ち星を重ねるベテランジョッキー。「ケガなく」というテーマをクリアすれば、そのチャンスはおのずと近づいてくるはずだ。
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宮崎光行(北海道)
1966年11月24日生まれ いて座 AB型
北海道出身 松本隆宏厩舎
初騎乗/1984年9月30日
地方通算成績/10,604戦1,545勝
重賞勝ち鞍/北海道2歳優駿JpnⅢ、道営記念(3回)、
北海優駿(4回)、赤レンガ記念(5回)、王冠賞、
北斗盃、栄冠賞(2回)、瑞穂賞、サンライズカップ(5回)、
華月賞、フロイラインカップなど49勝
服色/胴白・緑元禄、
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※成績は2012年5月21日現在
(オッズパーククラブ Vol.26 (2012年7月~9月)より転載)
今年6月に1500勝を達成。三冠を達成したクラキンコを含む北海優駿2連覇など、今シーズンの道営ホッカイドウ競馬リーディング2位(46勝、8月25日終了時点)。ここ一番の勝負強さでファンや関係者からも絶大な信頼を集めている、ベテラン宮崎光行騎手にお話を伺いました。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。札幌出身ですよね。
宮崎:親が競馬が好きで、札幌競馬場によく見に行きました。両親は競馬関係の仕事というわけではなかったんです。背が小さいからなれるかな、と思って。
斎藤:でも今、そんなに体が小さい感じはしないですが...。
宮崎:中学3年の時は、体重が32キロしかなったんです。その時は、地方も中央もわからずに岩見沢に連れていかれました(笑)。
斎藤:所属は、須藤三千夫厩舎でした。
宮崎:騎手デビューの年(1984年)が、須藤先生の開業1年目で、先生の騎手時代の勝負服をそのまま受け継ぎました。先生には、「取り柄を持て」と言われましたね。ひとつずつやれ、と。スタートに気をつけるように、とよく言われました。2歳戦が多いので、若駒のスタートの出し方、ゲートの中の馬の御し方などを丁寧に教えてくれましたね。
斎藤:思い出に残る馬を教えてください。
宮崎:初めて重賞を勝ったツルギエイカン。
斎藤:平成元年の赤レンガ記念ですね。その年の第1回ブリーダーズゴールドカップでも3着でした。
宮崎:その時でデビュー6年目だけど、それまでは全然馬に乗せてくれなかったよ。それを勝ってから、大きいレースにも乗せてくれるようになった。そこからだね。
宮崎:それと、中央の芝で勝った、クラキングレディ(2005年8月13日、札幌12R)。芝で合いそうだね、って須藤先生とずっと言っていた馬で......。(その年の5月に)先生が亡くなった後に勝ったから。それは......ぐっときたね。芝で勝ちたかったから。先生は、厳しくて、きつい言い方もするから、喧嘩もしたし、ぶつかったりもした。でも、走る馬に乗せてくれた。
斎藤:須藤先生が、どんな時でも宮崎さんを乗せていた、という話はよく聞きました。今は松本隆宏厩舎所属ですね。松本さんも名騎手でした。
宮崎:先生が松本さんを乗せていたから、良く見ていた。簡単に乗ってぱぱっと勝つし、騎乗スタイルがきれいだよね。
斎藤:中央競馬でも10勝しています。私は1998年、チェックメイトに騎乗して単勝2万円台の穴を空けたときのことが印象に残っています。
宮崎:チェックメイトはあのあとエンジンかかって、重賞勝つまでになったからね。きっかけになってくれたのかもしれないね。どちらにしろ、強い馬に乗らないと勝てないから。
JRAで勝つというのはすごく大変。だからこそ、その中で勝つという醍醐味もある。初芝が多いので、一発勝負になるから、その中でも、できるだけいい結果を出せるように考えている。最初は芝に戸惑ったけど、今は何回も乗っているから、飛びや気性でその馬が芝に合うかどうかはだいたいわかる。適性は、ダートを走っててもわかるよ。まぁ、走ってみないとなんともいえないけど。
斎藤:今年まで、北海優駿を3連覇していますね(アラベスクシーズ、クラキンコ、ピエールタイガー)。このレースに思いはありますか?
宮崎:重賞はどんなレースでも勝てるのは名誉なことだから、どのレースが、ということは特にない。勝ちたいレース? ほとんど勝ってるからなぁ。そういえば、牝馬重賞を勝っていないな。今後は古馬の交流重賞で勝ちたいね!
斎藤:ブリーダーズゴールドカップのクラキンコは、地方馬最先着の6着でした。
宮崎:差があるよね...。馬も調子が悪かったからね。三冠の時に比べたら元気もなかった。でも、牝馬にしてはすごい馬だよね。
斎藤:クラキンコをはじめ、今までも大きなレースで乗替ることが多いですね。それでも乗りこなしていて...心臓に毛が生えているのではないですか?
宮崎:プレッシャーを感じないことはないですよ。もう28年乗ってるんで......スタッフの期待に応えるだけ。馬の能力と、厩舎スタッフが作り上げてきていることを信頼して、それを邪魔しないように乗るだけです。ゲート出てからは、もう馬のことを考えるだけですからね。
斎藤:では、趣味を教えてください。
宮崎:趣味はゴルフですね。騎手では、山口さんと行ったりします。
斎藤:自宅は札幌ですよね。札幌競馬場でレースがある時は、パドックから「パパ頑張って」と声がかかっていましたね(笑)。
宮崎:そうだったかな?(笑) 松本厩舎になってからは、全休の日もあるので、月に1~2回は家族に会いに行きます。娘が2人います。須藤先生の時は休みがなかったからなぁ。
斎藤:冬は遠征しないのですか?
宮崎:減量がきついので......。松本厩舎の馴致をしています。
斎藤:門別競馬場の印象はいかがですか?
宮崎:小細工がきかないから、強い馬に乗れば、乗りやすいよね。ただ、ペースが遅くて、ヨーイドンの直線競馬が多くなってしまう。雨降ると時計が変わるしね。霧の中で乗るのは大丈夫だけど、前で事故があったらわからないから危ないよね。後ろから行こうとすると、逃げ馬がどこにいるか見えないから、距離やタイミングがつかみにくいところはある。
斎藤:これからの目標を教えてください。
宮崎:あと何年乗れるかわからないからなぁ。
斎藤:何言ってるんですか、今もバリバリじゃないですか。
宮崎:若い頃よりは、衰えを感じるよ。気持ちはあるんだけど、昔ほど体がついていかない。2年前、足首を怪我したからね。去年も入院したし、門別になってから夏はいいことがないんだよな。
斎藤:(インタビューは騎乗停止になったすぐ後)......それも今年で最後でしょう! 今後の活躍を期待しています。ファンに一言お願いします。
宮崎:広い競馬場とナイター競馬を楽しんでほしいです。これからは2歳戦でスターホースが出てくるから、それを見つけてください。
思い切りのいい騎乗ぶりを見ていると、豪快な方なのかと思っていましたが、落ち着いた雰囲気はさすがベテランだと感じました。馬と人を信じてきた積み重ねが、結果に現れているんですね。これからも「あっ」と驚かせるような騎乗が楽しみです。
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※インタビュー / 斎藤友香