田中淳司調教師は2015~17年と、ホッカイドウ競馬で3年連続リーディングを獲得中。5月16日の門別8レースでは、地方・中央通算900勝を達成しました。今年はシーズンオフにハッピーグリンがセントポーリア賞を制して念願のJRA初勝利を達成。北海道所属のまま牡馬クラシック戦線に挑戦するなど、各地への遠征でも結果を残しています。
ここまで3年連続でリーディングを獲得中です。活躍の原動力を教えてください。
まずはスタッフが一生懸命やってくれたからというのが大きいですね。開業当初からずっと1番を目指して、みんなが同じ方向を向いて仕事をしてくれた結果だと思います。3年連続でリーディングを取らせていただき、自分自身に余裕が出てきたような気もします。勝てないからイライラするということもなくなりましたし、周囲を冷静に見渡せるようになったというか。
お父様(田中正二調教師)も早くから調教師として活躍されています。競馬の世界に入るのは自然なことだったのでしょうか。
もともと競馬が好きだったというか、とにかく馬に興味があったんですよね。最初は騎手になりたかったんですけど、体格の問題であきらめて。高校を卒業してすぐに親父の厩舎に入りました。厩務員時代は、厩舎にベテランの厩務員さんが多かったですし、親父も「調教師の息子」ということで気を使ったのか、あまりいい馬を担当させてもらえなかったですね。重賞では3着が最高だったと思います。でも、そういった馬でいかにいい結果を出すか、自分で調教しながら試行錯誤していったことが、いま思えばいい経験になっているんでしょうね。
調教師への転身を意識されたのはいつ頃だったのでしょうか。
それほど早く調教師になることは意識していなかったんですが、両親も「試験なんて一発で受かるわけないんだから、早いうちから受けておきなさい」と薦めたので受けてみたら、1次試験を1回目で合格したんです。ところが2次試験の1週間前に、親父と牧場へ馬を見に行ったときに、走ってきた馬に蹴られて腎臓を傷めてしまって。それから数日間は絶食で、傷口も痛かったんですけど、どんな試験なのか自分でも覚えたかったのでなんとか根性で受けたんですが、乗馬の試験もろくに受けられず落ちてしまいました。ちょうどサクちゃん(佐久間雅貴調教師)と一緒に教養センターまで行って、体が痛いなか行き帰りに荷物を持ってもらったりして、本当に助けてもらったことを覚えています。試験に合格したのは2回目ですね。
開業当初はどうだったのでしょうか。
初年度から「絶対にリーディングを取ってやる!」という意気込みでやっていました。最初のころは頭数も少なかったので、いま考えたら「バカだなあ」と自分でも思うんですけど(笑)。ただ、初勝利がその年最初のフレッシュチャレンジ(2007年4月19日門別5レース、アイファーダイオー)で、それが「前代未聞だ」と大きく取り上げていただいたおかげか、そこから馬もだんだん集まってきましたね。
ここまで重賞47勝という実績を挙げられています。なかでも思い出に残っている馬を教えてください。
やっぱりハッピースプリントですよね。「これは負けないだろう」というほどの手応えを初めて感じさせてくれて、馬もそれに応えてくれましたし。初めてリーディングを取らせてもらった年の道営記念(2015年)をグランプリブラッドで勝たせてもらえたのも思い出深いですね。連覇を目指した道営記念の最終追い切りで故障してしまい、かわいそうなことをしてしまったという意味でも印象に残っています。
今年はハッピーグリンがJRAに参戦したことでも話題になりました。
「屋内坂路などの施設に恵まれた門別競馬場から、冬場も中央に挑戦したい」という馬主さんのご理解があったおかげで、今回の挑戦に至りました。昨年の夏、札幌競馬場へ遠征に行ったとき(コスモス賞、すずらん賞)も、必ずしもいい状態とは言えないなかで、いずれも3着に来ましたからね。道中の行きっぷりなんかを見ても、やはり芝向きだろうと思っていました。
セントポーリア賞の末脚は鮮やかでしたね。
夏の遠征のあと、秋口からトモの状態がどんどんよくなってきて、北海道2歳優駿にしても全日本2歳優駿にしても、自信を持ってレースに臨んだにもかかわらず結果が出ず、「おかしいなあ」と思っていました。2走とも内枠が当たって内々を進む形になってしまい、道中で馬がストレスを溜めるような形になってしまったことが敗因だと判断したので、大野(拓弥)騎手には「どこかで外に出してほしい」とだけ指示したんですが、しっかりと結果を残してくれました。「中央で勝ちたい」と思ってきて、それまでに62回挑戦して、あと一歩のレースもあったなかで、本当に夢が叶った一戦でした。
その後スプリングステークス→プリンシパルステークスと、中央のクラシック競走のトライアルに挑みます。
トライアルで結果を出さなければ本番に進めない立場で、毎回納得のいく状態まで持っていくのは大変でした。レース後にケアをしながら、自分でもほとんど毎日調教に乗って感覚をつかみつつ、「大丈夫だ」と判断したら坂路を1日3本入れたりもしました。2歳のうちは自分たちのほうが早くから競馬に使っているというメリットがありますけれど、年を越えてくると、中央の血統馬相手に同じことをしてはダメだと思ったので。今年に入って3回輸送して、そのたびにめいっぱいまで馬を仕上げていって。それでプリンシパルステークス(4着)も初めての2000メートルで33秒台の上がりを使ってくれましたから、一生懸命走ってくれた馬をほめるしかないですよね。
今後のローテーションについても気になるところです。
いまは競馬場近くの育成場に短期放牧に出ています。次走は巴賞(7月1日、函館競馬場)の予定です。52キロで出られるのは好材料ですし、ここを勝てば向こう1年間はGIのステップ競走を使いに行けるようなので。
ハッピーグリン
遠征といえば、エグジビッツもグランダム・ジャパンで2歳女王になり、今年も3歳シーズンで上位争いを演じています。
のじぎく賞は残念な結果に終わってしまいましたが、今年初戦の若草賞(名古屋)のときはカイ食いも十分でなく、体も減ってしまっていたことを考えると、馬の状態自体はかなりよくなっていますよね。2歳の頃はダートグレード競走で戦うにはちょっと頼りないかなと思っていましたが、今の感じだったら、中央勢はともかく、地方馬のなかではそう遜色なくやれるのではと思っています。開業当初から「チャンスがあれば他地区のレースも勝ちたい」と思ってやってきましたが、地理的な制約もあるなかで、遠征で結果を出してホッカイドウ競馬の名前をアピールすることにはやりがいを感じます。
エグジビッツ
今年の2歳馬についても教えてください。
動きのいい馬からフレッシュチャレンジに使っていますが、おかげさまでこれまで3頭勝たせてもらっています。ラブミーリチャードはスピードがある馬で、初戦は自信を持って臨むことができました。今のところ、最初のウィナーズチャレンジ(6月7日)を目標にしています。オスピタリタは、乗ったときのトビがノットオーソリティ(全姉)に近いですよね。ハナに立つとソラを使うようなところも似ていますので、そのあたりが課題だと思いますけど。オーナーサイドも「函館2歳ステークス(7月22日)を目指してほしい」と期待されているので、まずは権利取りを目指していくことになりますね。ホワイトヘッドはまだ前半のエンジンのかかりがちょっと遅い気がするので、距離が伸びてからも楽しめそうですね。使っていくうちに、馬もさらによくなってきそうです。
田中淳司厩舎所属として重賞を制したノットオーソリティの全妹オスピタリタ
今年は所属の落合玄太騎手がデビューしました。先生ご自身にとっても、1からジョッキーを育てていくのは初めてだと思います。
本人にもご両親にも、「リーディングで上位に入るジョッキーは2~3年でそれなりの数字を残すものだから、そのつもりでがんばってほしい」と伝えていますが、真面目に馬乗りに取り組んでいると思います。落ち着いて乗れているのもいいですね。北海道には「調教を手伝ってくれた子は乗せる」という風習がありますから、いろいろな厩舎に行って調教に乗せてもらって、自分自身の土台を作ってほしいです。いまの一生懸命さを忘れず、細かな指示を出さなくても結果を出せるジョッキーになってほしいですね。
今後の目標について教えてください。
4年連続のリーディングももちろんですが、やはりグレードレースを勝ちたいですよね。ハッピーグリンも中央の重賞戦線で勝負するためには、もうワンランク上の段階に成長しなければなりません。
最後に、オッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
ホッカイドウ競馬でデビューする2歳馬は、南関東をはじめとする他地区での活躍ももちろんですけど、昨年のダブルシャープやハッピーグリンのように、中央でも活躍できる素質馬も少なくありません。今年もそういった未来のスターホースがわんさかいると思うので、ぜひとも注目して見てもらいたいですね。
-------------------------------------------------------
※インタビュー・写真 / 山下広貴