10月21日盛岡競馬第6レースにおいて地方競馬通算2000勝を達成した阿部英俊騎手。1992年のデビューは岩手の現役騎手としては2番目の"古株"であり、また岩手競馬の騎手としては現時点で唯一のGIIウイナー(1999年東京盃をサカモトデュラブで勝利)でもある。そんな阿部英俊騎手のこれまでとこれからをうかがった。
2000勝おめでとうございました。勝った時の気持ちを改めておうかがいすると、どうでしたか?
そうですね、リーチがかかってからがね、良い馬に乗せてもらっていたんですけどもなかなか勝てなかったんで。焦ってたわけじゃないですけど、早く達成したいなっていう気持ちはありました。
そういう所を見ていて思ったんですけども阿部さんくらいのベテランになっても、"あと少し"になるといつもと違う感じになるんですか?
いや、そんなことはないですよ。いつかは勝てるんだろうなとは思っていました。ですがなかなかね、勝つっていう事は難しい事なんだな、と。
そしてしっかり決まってみれば嬉しい勝利ですよね。
そうですね。嬉しいっていうか達成感というか、まず区切りができたかなと。
10月21日盛岡第6レースで地方通算2000勝達成
阿部騎手にとってこの2000勝は、やはり騎手として達成したい目標だったんでしょうか?
気持ちの中にはありましたけどね、こればかりはできるかどうか分からない事なのでね。かなり近くなってきてからは意識もしましたけども、それまではそんなに......でしたね。1000勝した時はまだ2000勝とかの数字は見えてこなくて、1500勝、1700勝、もうちょっとで2000、となってきて、騎手として乗れるんだったら2000勝まで行こうかな、とね。昔の騎手は結構若いうちに引退していたし、開催も少なかったですしね。そんな中でたまたま長くやっていた分乗せてもらえて。それで2000勝まで勝てたかなとは思いますね。
たまたま長く、って言いますけども、阿部騎手は途中で大きな怪我があったじゃないですか(2013年11月30日の水沢1Rで落馬負傷し、2015年3月21日に復帰するまで1年以上を要した)。それでもここまで来たのはやはり凄いと思います。
自分はしょっちゅう怪我をしていたんですけども、あのときの怪我が一番大きくて、これはダメかなと思ったほどでしたね。
その後ちょっとずつ厩舎の仕事に戻ったりして、でも馬に乗ってレースまではしんどいかもな、みたいな話もされていたじゃないですか。
怪我した直後は、意外と大丈夫かなとは思ったんですけどもね。首を痛めたりして、後遺症みたいなのもあったし。今でもあるんですけどね。うん、やっぱりその時はもうダメかな、とね。
阿部騎手はその辺の事は、あまり大げさに言われたくないんでしょうけども、見ている方からすると凄いなとしか思えないです。
そこは前にも話しましたけども(2000勝達成時のコメント)、自分には騎手しか、馬しかなかったんで。できれば馬の世界に戻りたかったし、それに年齢ですよね。その時はもう40歳だったから、そこから違う道に行くのも大変だったと思うし。なんとか治ってくれて良かったです。
ここで言えないような事もたくさんあるんでしょうけども、それぐらい頑張っても騎手に戻りたかった、ということですよね。
そうですね、廃止問題とか色々あって、岩手競馬が危ない時も何回もあって。それでもなんとか岩手競馬もやってこれたんで、俺もなんとかやっていければいいなと思いながらね。これしか道が無いってわけでもないんでしょうけども、せっかく騎手になったんだからやれるところまでやってみようと。でも本当に周りの人に助けられて、苦しい時も本当にいっぱいお世話になって、だからやってこれたようなもので。自分一人だけだったら多分無理だったんじゃないかな。
怪我から復帰してから500勝ほど積み上げての2000勝なわけで、騎手としての腕はまだまだ全然落ちてないんだろうなと思って見ているんですけど。
いや、でもね、もう50も過ぎて体力的にも落ちたましたしね。だから、そろそろかなとは考えてましたけども。ただ、調教師になるのもなかなか大変なんでね。
その体力の話ですけど、年をとるとレースでの感覚が変わってきたりするものなんですか?
うーん、まあでも基本走るのは馬なんでね。自分から言わせると競馬なんか良い馬の獲り合い。良い馬に乗れなければやっぱり勝てないというところもあるし。若い騎手が伸びてきたら乗り数が減る、良い馬が回ってくるチャンスが減る。そういう所も含めてやっぱり年寄りは辞めていくべきだね(笑)。
阿部騎手が若手の頃と、今の若手騎手と、どんなところが変わったり違ったりするところだと思われますか?
今は数を乗れますよね。自分が新人の頃は競馬に乗れない日もありましたからね。今は多少下手でも一生懸命調教して、一生懸命頑張ればレースに乗れる。やっぱり競馬に乗らなければ分からないですからね。いろんな馬に乗って失敗して。そうやっていける人が上に行くと思うんでね。今は騎手が少ないですけども、たくさん乗れるのは気持ちの面でもやる気になるんじゃないかと思うし、若い子たちにとっては今は良い時代なんじゃないですか。
しかし、阿部騎手が調教師になったらそういう若い子たちを使う事になるんですけども、そんな世代の差はどうなるでしょうね。
まあ、まだわからないけども、やっぱり元気のある子に乗ってもらった方が良いですよね。頑張ってるな、っていう子は乗せたい。自分がいろんな面で苦労してきて、悔しい思いもたくさんしてきているんでね。そういう思いはしてもらいたくない。頑張ってる子には、上手い下手関係なく乗せたいなと思っているけども。でも調教師としては経営第一、馬主さん第一だから変わるかもしれないけど(笑)。
なし崩しにそんな話になったんですけども、将来的な目標としては調教師を目指していきたい......ということですね。
ですね。だから、2000というのはいい区切りだったし。年齢的にも、乗ってもあと1年とか2年ぐらいなのかな。
いろいろな話を聞きたいんですけども、この2000勝の間の"思い出のレース"を改めて伺いたいのですが、やはり初勝利でしょうか?。
そうですね。初勝利のレースですね。(1992年)10月のデビューだったんですけども全然乗れなくって勝てなくって。センス無いのかなと思いながら、もうちょっとやってダメだったら騎手を辞めようと本気で思っていたところで勝てた(初勝利は翌93年4月12日)。本当に助けられたし、乗せてもらった調教師さんにも感謝してますし。それがあったから今の2000勝があるんで、無かったら多分騎手を辞めていたんじゃないかなと思いますね。
もうひとつ、うかがいたいのが東京盃です(99年サカモトデュラブで勝利)。
東京盃は、たまたま伊藤和先生に"行くか"って言われて、何も知らないまま"行きます"って言って乗って、たまたまゲート出て、逃げて勝ったっていう(笑)。サカモトデュラブは東京盃にも何回か出ていて成績も悪くなかったですけども、自分は本当に訳も分からないまま。大井も初めてだったし、"ゴールまで長いなあ"とひたすら追っていたらクビ差くらいで勝っていた。本当に全てが上手くいった。自分は勝たせてもらっただけです。
1999年9月23日、東京盃(大井)をサカモトデュラブで逃げ切った
じゃあそういうことにしておきますけども、でもあれは凄い。自分もテレビで見てて興奮しました。
まあ、競馬ってそういうこともあるんだなと。最後まで何があるか分からない。最後まで諦めないでいるとね。競馬って奥が深い。
ある意味阿部騎手自身がそうですよね。怪我で諦めていれば2000勝がなかった。
諦めてたらそこで終わっていたんでね。まあ自分には騎手しかないと思っていたから。
2011年12月31日、桐花賞をカミノヌヴォーで勝利
ではこの先の目標は、大体聞いてしまったような気がするんですけども。
もう少し乗れるのならね、調教師よりは騎手の方が気が楽ではあるんですけどもね。試験もすぐ合格できるか分からないからまだまだ乗っているかもしれないですけども、30年乗ったし、調教師になるなら少しでも早い方が良いと思っています。
では最後に、オッズパークで馬券を買ってる会員さん向けに一言を。
そうですね。岩手競馬も楽しいので、ぜひ馬券を買ってください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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渡邊竜也騎手(笠松)が、10月23日笠松競馬第8レースでパイロズブリッジ(笹野博司厩舎)に騎乗して勝利。これが今年の笠松での184勝目となり、自身が持つ笠松競馬年間最多勝利記録を再び更新しました。
今年も笠松競馬年間最多勝利記録更新、おめでとうございます! 2022年に164勝目を挙げて26年ぶりに川原正一騎手が持つ記録を更新し、2023年は183勝でさらに記録を塗り替えましたが、今年はまた数字を伸ばしましたね。
ありがとうございます。頑張ってくれる馬たち、いい馬に乗せてくれる関係者の方々、応援してくれる皆さまのお陰です。とても感謝しています。
なぜこんなに勝てるんですか?
それはもう、いい馬にたくさん乗せてもらっている、ということに尽きますね。所属の笹野先生がいい環境を作って下さり、他の先生方も強い馬に乗せてくれるので、今はすごくいいサイクルだと思います。
10月23日、パイロズブリッジで勝利し今年184勝目
毎年ご活躍が目立ちますが、今年は飛躍の幅がさらに大きくなった印象です。
自分としても意識しているというか、毎年成績を上げたいと思っていて、特に今年は上がっている実感があります。
笠松や名古屋だけではなく、他場の活躍も増えましたね。11月16日の京都競馬10レースでは8番人気のメイプルタピット(南田美知雄厩舎)に騎乗して強いレースを見せてくれました。JRA初勝利、おめでとうございます!
ありがとうございます。厩務員さんから、出たなりでレースをして欲しいと言われて、その通りのレースをしました。向正面で川田(将雅騎手)さんが外から行ったんですけど、そこで手応えが良くて、3コーナーを回る時には持ったままでしたし、その辺りでいいところあるなと思いました。JRA初勝利ができて嬉しかったです。周りからも反響があって、X(旧Twitter)のフォロワーが増えました。ここで勝ったことで、笠松も注目していただけたら嬉しいです。
他場での活躍といえば、9月21日に金沢で行われた金沢シンデレラカップでは、北海道所属のプチプラージュ(小国博行厩舎)に騎乗して勝利。地元ではない競馬場で他地区所属馬に騎乗しての重賞制覇でした。
とても強い馬に乗せていただきました。なかなかないチャンスをいただき、結果を残せて良かったです。地元で頑張ることはもちろんですが、他場にも積極的に行きたいですね。よく吉原(寛人騎手)さんとお話させていただくんですが、ああいう風になれたらなと。憧れの存在です。
頑張り続けられる秘訣というか、モチベーションになっていることはありますか?
毎年成績を上げたいと思っている中でも、今年に関して言えば3月から勝率を気にして乗っていました。岐阜新聞の記者さんに、「勝率が高いよ」って教えていただいて、そこからNARグランプリの勝率部門を取りたいと思って。1戦1戦を大事に勝率を意識していたらどんどん上がったというのはあります(2024年11月27日現在36.7%)。
逆に数字を気にすると追い込まれる、という風に聞きますが、メンタルが強いですね。
どうでしょうか。ただ自分自身としては精神面の成長は感じます。昔のレースを今でも見ますけど、僅差で負けたレースとか、今の自分ならばならなんとかできたのではないかって。大舞台をたくさん経験させていただいて、レースに向かうメンタルが強くなったなとは思います。
コロナ渦では無観客開催があり、笠松では開催自粛期間があったり、激動の時代もありましたね。
そうですね。そういう時期があったので、乗れることが当たり前ではなかったですから、今は競馬に乗れる幸せを実感しています。特に競馬を再開できた時は、頑張らないとと強く思いました。先輩方が一気に抜けて若手が多い中で、みんなで一丸となって盛り上げようと頑張っています。
今の渡邊騎手の武器は何ですか?
武器と言えるかはわかりませんが、綺麗な姿勢で乗っていたいということは意識しています。がむしゃらに乗って勝つのも大事だけれど、馬にとっても人間が無我夢中になってしまうより、綺麗なフォームで乗っている方が走りやすいのではないかと思っているので、そこは貫いていきたいです。
レースを見ていると、展開の読みがすごいなと思うことが多いです。
最近いろいろな方にそう言っていただくことが増えて、すごく嬉しいです。自分は競馬新聞やメンバーを見て、けっこう考えるタイプですね。レースで気を付けているのは、無駄に外を回さないこと。外回しがあまり好きではないというか、やっぱり南関東や多頭数のレースで結果を出す騎手は内を捌いて来られる騎手だと思うので。
では、今の目標と先々の目標を教えてください。
今の目標は、まず今年勝率で全国1位を取ることです。あと年内1000勝がギリギリ達成できそうなのでそこを目標にしています(2024年11月27日現在988勝)。先々の目標は、もっと遠征に行きたいですね。吉原寛人さんのようにいろいろなところで声をかけてもらえる騎手になりたいです。
オッズパークユーザーの方々にメッセージをお願いします。
いつも笠松競馬を応援していただき、ありがとうございます。オッズパークさんに提供していただいた勝負ズボンをよく履かせていただいています。これからも笠松を盛り上げて行けるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:岐阜県地方競馬組合)
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