9月12日に地方通算2,000勝を達成した九日俊光調教師(佐賀)。初出走から27年の間には九州ダービー栄城賞4勝や、5年連続佐賀リーディングなど多くのタイトルを手にしてきました。今年も佐賀リーディングを走る九日調教師のいまのお気持ちとは。
2,000勝おめでとうございます。記録が近づいているのは意識してらっしゃいましたか?
ありがとうございます。2,000勝は全然気にしていなかったです。この年齢になると、2,000くらい勝てるかな、と感じています。
厩舎初出走は1994年4月。調教師になったきっかけは何でしたか?
佐賀で騎手をしていたんですけど、体重が重たくてね。
開業した頃の思い出に残っていることは何ですか?
初勝利がB級の重賞(1994年佐賀競馬リーディングジョッキー特別・カイキョウロマン)で、首からかけるレイがあったんですよ。開業にあたって他の先生のところから預かった馬だったんですけど、記憶に残っています。
9月12日、地方通算2,000勝を達成したシゲルブチョウ(写真:佐賀県競馬組合)
それから27年、多くの重賞レースを勝ってきました。記憶に残っている馬は?
ありがたいことにここまで恵まれてきて、思い出の馬はいっぱいいます。開業して最初に預かった2歳新馬がキングオブザロードという馬でした。それがめちゃくちゃ走ってね、佐賀で賞金を1億円稼ぎました。2歳で来た時はそんなことはなかったのですが、年が明けて3歳になるといい馬になってきて、ダービーとかを意識できるようになりました。
佐賀のダービーにあたる栄城賞を勝ち、その後も重賞を勝ちました。
プロキオンステークスや小倉日経オープンなど中央競馬にも遠征に行けて、若かったので「挑戦だ!」とはしゃいで楽しかったですよ。安藤くん(安藤勝己元騎手)とは同級生なんですが、当時は彼もまだ笠松から中央に遠征していた時で、遠征先で一緒になるといろいろ話したりご飯を食べたりできて、楽しかったです。
安藤くんが佐賀のJRA認定レースをうちの厩舎のコウエイリードで勝って、ひまわり賞(小倉競馬場が改修中のため京都開催)に遠征したんですけど、その時も安藤君に乗ってもらいました。佐賀の馬に笠松のジョッキーが乗って中央に遠征するっていうのが楽しかったですね。
JRA遠征と言えば、スーパーマックスの2017年チャレンジカップ(GIII、阪神芝2,000m)も5着で興奮しました。
気づけば5着で、「やったじゃん」という感じでした。翌年には阪神大賞典にも出走したんですけど、佐賀デビューの馬でGIIに出走できるというのが嬉しかったです。GIIに出走できることなんて、最初で最後かもしれないと感じました。
阪神大賞典に出走したスーパーマックス(写真:大恵陽子)
そういった活躍馬をこれからもどんどん育てられることと思います。
もう自分たちはゴールに入った後の流し運転に入っている感じで、若い子たちにガンガン抜いていってほしいなと思います。
今年61歳。後輩たちの活躍も願ってらっしゃるんですね。とはいえ、今年も佐賀リーディングを走っています(10月17日現在)。
馬房数が40くらいあって、馬がたくさんいますからね。馬主さんに恵まれています。何年か前に売り上げが落ちて一番キツかった頃に馬房数を増やせたんですけど、あの頃は佐賀の在籍馬も少なくて、潰れるんじゃないかって言われていました。今は売り上げが伸びていて、ありがたいですね。
2018年九州ダービー栄城賞を制したスーパージェット(写真:佐賀県競馬組合)
今後について、目標や勝ちたいレースなど教えてください。
佐賀競馬の調教師としてはこれまでたくさん勝たせていただきました。高知優駿も、今から考えると「佐賀の馬が勝てるなんて」と思いますが、スーパージェットで勝たせていただきました。佐賀の調教師として中央のGIを勝つっていうのは、それはもう夢物語なので、セリで自分が見つけた馬が中央の先生の元でGIを勝ってくれることが夢ですかね。
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※インタビュー / 大恵陽子
9月12日のばんえい第2レースでフンコロガシが勝ち、西邑春夫調教師(73)は1,500勝を達成しました。開業38年目、ばんえい競馬の調教師では歴代8人目(現役5人目)の快挙です。
(写真:ばんえい十勝)
1,500勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。年齢的にも少し焦っていたので無事達成できてよかったです。
旭川市出身ですね。競馬との関わりを教えてください。
姉が競馬場に友達がいて、その紹介です。スキーで高校に行きたいという思いもあったけれど、働いてほしいと親にも言われたから中西関松さんの厩舎に入りました。ばん馬は大きいし体重もある。家に馬もいなかったし、続けていけるんだろうか、と思ったけれど慣れてきた。
ばんえい草創期の大スターといわれる、中西関松さんのもとで働かれていたのですね。どのような方でしたか。
当時、中西さんは騎手と調教師を兼業していました。名人だ。馬に対しては厳しかった。「自分が食わなくても馬に餌やれ」と言われました。大事にするのは餌やり、運動。朝の調教、昼には外に馬を出し、夜には手入れ。きつかったですね。
教えが今の厩舎にも受け継がれているんですね。
時代が変わったから。同じことをしていたら人が長続きしないから、若い人がいなくなるよ(笑)。今厩務員は3人います。
騎手生活について教えて下さい。1973年デビューですね。
少し乗ってはいたけれど、2、3年かな。乗るのは嫌いだった(笑)。調教師のほうがいいよ。
その後、1977年に中西さんが58歳で調教師専業になり、騎手と調教師の兼業が終わりました。西邑先生の調教師開業は1984年でしたね。
中西さんはものすごく喜んでくれた。開業の時には道具を回してくれたり、たくさん後押ししてくれました。開業した年に、今厩務員をしている次男が生まれたのでよく覚えています。1カ月で競馬場に連れてきたな。所属騎手と兄弟のように育ったよ。中西さんには本当にお世話になった。1989年に調教師を引退してから1年たたずして亡くなられました。
さて、サカノタイソンについてお話を聞かせてください。3歳時に西邑厩舎に転厩し19連勝しました。
大きかったな。体高もあったし。他の厩舎から移籍して来たとき「すごいな」と。3歳だけど他の馬より大きいね、とみんなと話をした。ただ心臓が弱かった。レースが終わるたびに獣医師に見てもらって、鍼を打ったりしていたよ。夏が弱かったから、岩見沢はほとんど使っていないんだ。タイムが速い競馬もあるし。大事に使われていた。
レースは騎手に任せていた。20連勝を狙っていたけれど......(春休み明けの1999年6月のレースで4着)。調子が良くなかったけれど、連勝の期待がかかっていて使わざるを得なかったからね。
初めて勝ったばんえい記念(2001年)は、最初は使う予定がなかったんだ。だから主戦の藤本騎手はグレイトジャイナーに先約があって乗らなかった(大河原騎手騎乗)。当時5歳だったスーパーペガサスが来年はばんえい記念に出てくるだろうから、と早めに使うことにしたんだ。
勝ったときは嬉しかった。自分の厩舎でばんえい記念を勝てるとは感無量。2回目のばんえい記念(2002年、初参戦のスーパーペガサスは2着)の前は、特別戦ばかり走り、考えながら使っていた。種馬になったけれど、長生きできなかったな。心臓に爆弾抱えていたから......。
ばんえい記念を制したサカノタイソン(2001年2月18日)
一昨年、ホクショウマサルが19連勝の記録を塗り替えました。正直、その時どう思われましたか。
良かったなぁ、って。あれだけレースを使って連勝するのは大変だよね。あれくらいの馬はいない。騎手も大変だったろう。
ソウクンボーイの引退式。左端が西邑春夫調教師
過去の所属馬について教えて下さい。まずは今年引退式を行ったソウクンボーイはいかがでしょう。
障害だけが難儀するんだ。ずるいところもあった。ばんえい記念は、出る馬が少なかったから無理して使ったところもあった。2歳で重賞を勝つ(2012年ヤングチャンピオンシップ)とハンディもあってその後は大変だったが、いい思いをさせてもらった。馬主さんがとてもいい人だから、大事に使うことができた。
ユミタロウ(2003年旭川記念)は力があるが、ずるいところがあったな。種馬になろうとした矢先に事故で亡くなってしまいました。ナリタボブサップ(2010年ばんえいグランプリなど重賞6勝)もいい馬だったな。強かった。
騎手時代にはキンパイやヤマサラツキーが思い出に残っています。活躍馬ではカミチカオウですね。馬主から、周りの人たちからいい人に恵まれて、幸せだと思う。真面目な馬もいたし、いろいろと教えた馬もいたね。
ユミタロウ
現在の所属馬について教えて下さい。ビールはレースの際に、枝豆などおつまみの飾りがたてがみについていてかわいいですね。
ビールはもう少し体重があればな。これからです。
フナノダイヤモンドは馬場が軽いといいが、重くなると辛いんだ。期待はしている。
1,500勝をしたフンコロガシ、馬名の意味はわからないんだよな(笑)。
1,000勝達成時は2007年3月17日、ばんえいの4市開催が終わりを告げる頃でした。
こんなに長いことできるとは。4市による市営競馬組合が解散した時にもうばん馬は終わりかな、って思ったよ。存続して嬉しかった。願わくば、もう一箇所あればいいね。でも昔のように4市で回っていたら、体力的に続けられないと思う。昔は賞金も高かったし、いい時代だった。それでもここ最近は良くなってきたよ。
最後にオッズパーク会員に一言お願いいたします。
ファンや馬主さんに本当にお世話になった。これからも1勝1勝を大事に頑張っていきます。自分が引退してからも競馬が続くように、これからも盛り上げていただければと思います。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
8月31日に地方競馬通算2000勝を達成した愛知の大畑雅章騎手。2001年のデビューから20年、ここまでのことを振り返っていただきました。
地方競馬通算2000勝達成、おめでとうございます!
ありがとうございます。デビューした頃はまさか2000勝も出来ると思っていなかったので、すごく嬉しいですね。周りの方々や頑張ってくれた馬たちに感謝しています。
デビューからちょうど20年の節目に達成となりました。
20年......、長かったですね。デビューした頃は全然乗り馬がいなかったですし、目立たない存在でした。そこから自分なりに努力しましたし、錦見勇夫厩舎に移籍したのが分岐点だったと思います。本当にたくさんのいい馬たちに乗せていただきました。
2000勝達成はガッツポーズでゴール
その中でも、印象深い馬を挙げるとしたらどの馬ですか?
やっぱりピッチシフターとカツゲキキトキトは特別です。2頭ともかなり我が強いんですけど(笑)、全国の舞台で戦うことが出来て、ダートグレードでも上位争いをしてくれて、とてもいい経験をさせていただきました。
思い出のレースはどのレースですか?
たくさんありすぎて、どのレースとは言えないですね。まずピッチシフターでいろいろな経験をさせてもらって、その後にカツゲキキトキトに出会って、ピッチシフターでの経験がすごく活きたと思います。どんな舞台でも平常心で、緊張することもなかったですから。カツゲキキトキトで勝った東海ダービーは、初めてダービーを獲らせてもらって思い出深いですけど、とにかく馬の力で勝たせてもらった感じです。ダートグレードでもいい勝負をしてくれて、周りもすごい人馬が揃っている中でレースが出来たというのは面白かったです。
カツゲキキトキトで東海ダービーを制覇(2016年6月7日)
デビューから20年、今も馬乗りは楽しいですか?
楽しいですね!毎朝2時から攻め馬が始まるので1時半くらいに起きて、8時くらいまで乗りっぱなしです。だいたい20頭ちょっとくらいの攻め馬を毎日、それを20年やって来ました。確実な答えがないし、今でも馬乗りは楽しいです。
やめたいと思ったことは?
ないですね。全く乗れなかったデビューの頃も、怪我をした時も、やめたいと思ったことはないです。
では今後の目標を教えて下さい。
数字としては3000勝まで頑張りたいです。実は僕の兄の息子が今年の4月から地方競馬教養センターに入ったんですよ。兄は競馬とはまったく関係ない仕事をしているんですけど、甥っ子が僕を見て名古屋で一緒にやりたいって言うんでね、その子が一人前になるまでは付き合いたいと思っています。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも名古屋競馬を応援していただき、ありがとうございます。今の競馬場は来年の3月までで、着々と移転する準備が進んでいます。弥富のコースは毎日調教で乗っていますけど、すごく乗りやすくて、名古屋より直線が50mも長いですから、レースの質も変わってくると思います。今の競馬場がなくなるのは淋しいですけど、最終日までしっかり頑張って、新しい競馬場でも楽しんでいただけるよう頑張ります。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:愛知県競馬組合)