地方通算3944勝(9月17日時点)を挙げ、年内には4000勝のメモリアル勝利も見えてきた田中学騎手。デビューした頃には2000勝すら想像のつかない数字だったと言いますが、「1つでも上の着順を」と試行錯誤してきたことやこだわりの返し馬など、26年間積み重ねてきたものがありました。
7月17日に地方通算3900勝を達成して、いよいよ4000勝へのカウントダウンとなりました。
ありがとうございます。
今年は菊水賞など重賞2勝を挙げるジンギやMRO金賞を制覇したテツなど楽しみな3歳馬が多いですね。
3歳馬もですし、古馬でも遠征であちこちに行かせてもらって、ありがたいですよね。遠征が続くと「大変でしょう?」って言われるんですが、僕けっこう遠征に行くのも好きなんですよ。遠征先で美味しいものを食べるとか観光を特にするわけじゃないんですが、ひとりでただボーっと過ごす時間も楽しいなぁって。
移動時は体に負担がかかりそうです。2015年下半期は原因不明の腰痛が続いて半年ほど休養されたこともありましたが、いま体のコンディションはいかがですか?
あの時は病院をいろいろ回ったけど、なかなか原因が分からなかったんですよね。今もたまに痛みが出る時もありますが、なんとか持ち堪えています。最近は調教にはあまり乗っていないですが、それでもレースで乗せてくださる関係者には感謝しています。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
先日は高知競馬場へ西日本ダービーでテツと遠征されました。残念ながら4着でしたが、馬の状態などはいかがでしたか?
返し馬で砂がちょっと深いかな!?と感じました。4コーナーで前の2頭を交わす時に一緒に合わせて走ろうとするなど、まだ幼い面がありました。でも、逃げてしか勝ったことがなかったのが、今回は1つポジションを下げても向正面で手応えが良かったです。長い距離でもいけそうですし、思ったより力をつけています。
テツやジンギ、エイシンニシパなど橋本忠明厩舎とは名コンビですね。
橋本調教師も僕と同じく2世(父・橋本忠男さんは元調教師)。調教師になった当初から「全部マナブくんに乗ってもらうくらいのつもり」って声をかけてくれて、本当に嬉しかったです。エイシンニシパは去年の園田金盃で乗り馬が重なってしまって手放したんですが、責任だけはちゃんと果たしたいなと思って、今も調教には乗っています。すごく乗りやすい馬で、僕はただ跨っているだけです。
田中騎手の父・道夫調教師は騎手出身ですが、「人とは違うことをしないと何千勝もできない」とおっしゃっていました。
たしかに、同じ馬を同じように乗っていたって結果が出ることはないです。僕らでも新人の頃は1~2頭、同じ馬ばかりに乗っていました。その中で、別の馬が回ってきたら1つでも上の結果を残したいので、「(上手い人と)何が違うのかな?」って考えていました。
MRO金賞(7月30日・金沢)を制したテツ(写真:石川県競馬事業局)
そういうことの積み重ねが勝利につながっていくんですね。田中騎手は返し馬をじっくり丁寧にされる印象がありますが、そこに込められたポリシーは?
テン乗りだと返し馬を大事に、長めにしています。後ろから行く馬の場合は、ちょっと気を入れるようにしっかりとやりますね。そうしたらゲート離れ(スタート)からちょっと違うような気もして。馬体重が増えている時は「返し馬を強めにやりたいな」と思うこともあります。
的場(文男)騎手も返し馬を長めに乗りますよね!?的場さんなりの考えがあるんでしょう。いいものは取り入れたいと思います。
8月23日にはオッズパークプレミアムパーティーに出席されました。どんな雰囲気でしたか?
すごく豪華なホテルで、会員さんが80~90人くらい来ていたのかな。グッズ抽選会では当たった瞬間、「よっしゃぁー!」って声が会場に響き渡ったりしていました。そんなに喜んでくれたら嬉しいですよね。僕は勝負服とステッキ(鞭)とポロシャツをプレゼントしました。パーティーに呼んでいただくこと自体もですが、会員の方から「腰、大丈夫?」など声もかけてもらってありがたかったですね。
他競技の選手も出席されていましたが、どんなお話をされましたか?
競輪のトップレベルの選手やオート、ガールズケイリンの選手も来ていて、いろんな話を聞けました。オートは全然分からないので、仕組みを聞いたり、競馬で言う調整ルームが競輪ではどうなっているのかを聞きました。僕らは個室なんですが、競輪は4人部屋とかのようで、「いいねー」って言われました。
さて、いよいよ通算4000勝が見えてきました。
デビューした頃は2000勝って夢のまた夢っていうか、そんなこと自体、考えたことがなかったです。そんな中での4000という数字。上には上がいますが、4000勝は自分自身が良くやってくれたかなって思います。周りの人たちから助けていただいてばかりなんですけど、自分自身も褒めてあげたいなって。そういう気持ちが出てきてもいい数字かなって感じています。
4000勝を超えて5000勝となると、それはまた1つ上のランクかなと思います。川原(正一)さんもそうですが、すごいですよね。5000勝はいかに長く続けているかと、いかに早くから成績を残してきているかってことだと思います。騎乗できる期間(年数)は絶対的に限られていますから。的場さんなんて「すごい」って言う以前の問題で、「ものすごい」って言葉じゃ片付けられないですよね。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
たくさん馬券を買ってください! それが僕らへの応援になります。迫力のあるいいレースを届けたいっていうのは当たり前のこと。公営ギャンブルが潰れるか潰れないかは売り上げにかかっています。売り上げが上がれば賞金や手当て、待遇が変わって、そうするとモチベーションも上がって魅力のある騎手も増えます。いま、地方競馬の騎手がまた少なくなってきて、園田も30人を切っています。好循環になって、たくさんの人が競馬を楽しんで、馬券を買ってくれる人口が増えればと思います。
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※インタビュー / 大恵陽子
8月11日に行われたばんえい競馬の夏の大一番『ばんえいグランプリ』は、コウシュハウンカイ(牡9)が初制覇。騎乗した4000勝ジョッキー、藤本匠騎手に話を伺いました。
先行して2障害を最初にゆっくりと越え、逃げ切りの勝利でした。
やっとだったけどね。勝った時はほっとしました。最近は年齢からか、1障害を降りてからの「ギュン!」と進む力が弱くなった。でもうまく1障害を越えて、他の馬は2回止めるところを1回にして、若いメジロゴーリキ(2着)と一緒に前へ付けた。ひと腰で2障害を上げないと降りて歩けなくなるから、障害はなんとか止めないようにした。自分のパターンに持ち込めた。
最後の直線は、「頑張れ!頑張れ!」と声をかけていましたね。
祈りながら歩いていた。2年前の力ならゴール前にタイムを縮めて楽勝だったと思う。年齢とともに我慢が少なくなっている。それでも、いつも真面目で同じレースをする。ずるいところがなく、競走馬の鑑のような馬だよ。
母馬のタカラドーベルも騎乗はしたことはないが、真面目な馬だった。
レース前日に雨が降って、1.8%の馬場水分でした。数日前から涼しくなりましたが、今年の帯広は暑く、体調をキープできない馬も多くいました。
暑かったな。松井浩文調教師が、あまり馬に負荷をかけずに調教してきたから。もともと夏は弱いイメージがある馬だが、調子よく迎えられた。とても調教が難しい馬なんだ。
昨年10月の北見記念以来の重賞勝利となります。久々でしたね。
どちらかというとパワーよりスピード勝負の馬だが、昨シーズンの冬はあまり雪が降らなかった。あれが堪えたのかな。だからばんえい記念もパワー勝負だとつらい。スピードレースになれば。
今年のばんえいグランプリは、"生産者の祭典"として行われました。生産者の六車實子さんの牧場は今は閉場されていますが、思い出はありますか。
当歳の時にコウシュハウンカイは牧場で見ているんだ。絵に描いたような体形で、見た瞬間「すごいいい馬だな」と思った。オレノココロも一緒にいたんだけどね。
前哨戦となる9月8日のマロニエ賞も勝ち、3連勝です。次の重賞岩見沢記念を勝てば四市重賞制覇となります。次走に向けて、オッズパーク会員の方に一言お願いします。
マロニエ賞は障害も楽に上がっていき、レース後も息づかいが良かった。調子はいいね。皆さんの期待に応えられるレースをしたいと思います。
コウシュハウンカイについては、これからも無事に走って将来的に種馬になってくれれば。俺ももう少し乗ろうと思っているよ。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
岩手の3歳二冠を達成したパンプキンズ(水沢・伊藤和忍厩舎)は来る9月16日の不来方賞で三冠目に挑む。レースを目前に控えて、パンプキンズの手綱を取る菅原俊吏騎手にここまでの同馬のレースについて、また不来方賞への意気込みなどを話していただいた。
昨年のデビュー戦を勝ったパンプキンズでしたが、その後しばらくは一進一退の成績が続きましたよね。
2歳の頃はやはりまだ身体がしっかりしていなくて、若馬にありがちな弱さみたいなものもありましたね。流れが合わないと脆さを見せることもありましたが、ただデビューの頃から良いスピードを持っている馬だというのは感じさせていました。
デビュー間もない頃は先行争いで競り合いになって、それで気分を損ねたら止まってしまう......というようなシーンを何度か見た記憶があります。それが寒菊賞の頃からか、粘り強さを発揮するようになりましたね。
そうですね、寒菊賞のひとつ前のレースの頃から馬の状態が凄く良くなってきていて、レースの結果にも現れるようになりました。パンプキンズがレースに慣れていたのもあるでしょうし、いろいろな距離を経験しながら力を付けていたんだと思います。
芝の新馬戦を勝ったパンプキンズ(2018年8月14日・盛岡第3レース)
そして今は2000メートルの重賞も逃げ切るくらいになりました。2歳の頃と3歳になってと、パンプキンズが変わった点、成長した点はどんな部分ですか?
距離に関してはレースするにつれてスタミナもついてきましたね。一番は体がしっかりしたことでしょう。そこがしっかりしてきた今はもう、距離もスタミナもあまり気にしなくてよくなりました。
昔は、なんというか展開に左右されやすいというか揉まれたらつらいというようなところを感じましたが、今はそういうイメージはないですよね。
ですね。スピードもありますけど折り合いもつくので長い距離でも全然問題なくなりました。強い相手に揉まれてきたのも良かったのでしょう。
少し今年のレースを振り返りたいのですが、やまびこ賞ではグレートアラカーに敗れました。その時の敗因を今になって考えるとすると......?
その前のレース(スプリングカップ)でパンプキンズが逃げ切ったせいか、やまびこ賞ではずっとマークされて、早めに仕掛けられた上にさっと交わされたという感じだったので、そういう展開の影響があったと思います。
その後の東北優駿は、逆にマークされてもやり返してやるぞみたいなレースでしたよね。
そうですね。それ(やまびこ賞)があったから、もう並ばせないように並ばせないようにと、少し早めでも積極的に戦いました。パンプキンズもよく頑張ってくれました。
東北優駿は見事な逃げ切り勝ち(2019年6月9日・水沢)
そして前走のダイヤモンドカップ。短期放牧を経て一足早い秋初戦という感じになったんですけども、ひと夏を越したパンプキンズはどうでしたか。
放牧と言っても牧場では坂路でしっかり乗り込まれていたという事だったので心配していなかったんですけども、暑さの影響は少し感じましたね。他は問題なかったです。ひとまず順調に夏を越せたと思います。
そのダイヤモンドカップは、いわゆる"負けられないレース"になったじゃないですか。乗る方としてはプレッシャーもあったと思うんですが。
正直もう、絶対に負けられないと思っていました。枠が大外で、水沢の1600メートルは外枠から最初に無理をすると脚を使いすぎてしまうという心配もあったんですが、なまじ2、3番手につけるよりはいつもの競馬をした方が良いと思って思い切って戦いました。
ダイヤモンドカップも制して二冠達成(2019年8月18日・水沢)
今はそういうふうに、少々無理をしてハナに行っても頑張れるくらい馬に力がついていると?
そうですね。乗っていてもそのへんは全然心配しなくていいですね。
さて次は不来方賞になるんですが、今の段階でどう戦うかを聞きたいのですが......。結構、いろんな馬が転入して来ちゃいましたね。
2歳の頃に戦ってる相手が多いとはいえ、あちらも力をつけているでしょうし。リセットされたような感じで読みづらいですよね。何がどうなるか正直想像がつかないですけど、乗る方としては自分の競馬をやり通すしかないと思っています。
盛岡の2000メートルという条件は今のパンプキンズにとってどうでしょうか?
ストレートのスタートからになるので、スタートが速いからハナに立つのは難しくないと思うんですけども、問題はその後でしょうね。距離が距離ですから。自分のペースで行けたら最高ですね。盛岡のコースは2歳の時走っていますがあの時も問題はなかったです。逆にコースが広い分、馬群に揉まれ込むリスクが減って戦いやすいかもしれません。いずれにせよ自分の競馬をするだけですね。
レースの前の公開になりますので、意気込みを聞かせてください。
勝てば3歳三冠なので、そこを目指して。強力なライバルがたくさんいますけど、とにかく自分の競馬に徹して、パンプキンズの力を信じたいと思います。
もうひとつ聞きたいのが、藤井勘一郎騎手について。菅原俊吏騎手が先に、オーストラリアから日本の騎手になったわけですが、あちらでは藤井騎手と同じ競馬場で同じレースに乗ったこともあったそうですね。
藤井騎手とは、半年ぐらいかな、一緒に乗ったのは。同じ車で一緒に競馬場に行ったりもしましたよ。向こうの騎手のライセンスを取ったのは多分彼の方が先だと思います。最初から一緒だったのではなくて、たまたま彼が、その頃自分が働いていた厩舎に来たんですよね。当時から結構あちこちを回っていたようです。
オーストラリアで藤井勘一郎騎手と同じレースに騎乗した際のレーシングプログラム(提供:菅原俊吏騎手)
当時の藤井騎手はどんな人でした?
昔から英語が上手かったですね。コミュニケーションも上手いし、レースもどんどん乗るし勝つしで。日本に戻ってJRAの騎手になったのも"なるべくしてなった"という印象ですね。
あっちではプレハブ小屋みたいな宿舎に住み込んでレースに乗ってたって言ってたじゃないですか。そんな頃に一緒に頑張った仲間がJRAの騎手になって活躍してるのは、やっぱり刺激になりますよね。
ですね。自分はまあ、JRAの試験を受けるとかはあれなんで、パンプキンズでJRAのレースに遠征したいですね。それでいつかJRAのレースで藤井騎手と一緒に乗れたら素晴らしいですね。
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※インタビュー・写真 / 横川典視