4月2日に笠松競馬場でデビューした東川慎騎手。デビュー当日のメインレースで初勝利を挙げると、父である東川公則騎手は涙を流したとか。笠松で生まれ育ち、「父を超えたい」と目を輝かせるルーキーに生い立ちや目標について伺いました。
■お父様は現役で2700勝以上を挙げる笠松の名手・東川公則騎手。騎手になろうと思ったきっかけはやはりお父様だったんでしょうか?
はい、父に憧れてですね。小さい頃から「騎手になりたい」と思っていたわけではなくて、中学校に入ってから次第に父がカッコよく感じてきました。僕は6人兄弟の5番目なんですが、兄弟の中では一番体格が恵まれていたんです。
それでしたら、「騎手になりたい」と言った時にはお父様は喜ばれたんではないですか?
よくインタビューで聞かれるんですけど、父はそんなに大きなリアクションはしていなかったと思います。「一緒に乗れるのが嬉しい」とは言っていて、それは自分も嬉しかったです。
地方競馬教養センターに入所前から乗馬は習っていたんですか?
一応、小学生の時にやっていたんですけど、そこまで本格的にはやっていませんでした。地方競馬教養センターへは1回目は面接でダメで、2回目で合格しました。
デビュー初日の4月2日、5戦目での初勝利
デビュー初日のメインレースで初勝利。家族が応援に来ていたそうですね。直線では歓声など聞こえましたか?
もう必死過ぎて、全然聞こえなかったです。1800m戦だったので、正直「どうなのかな?」と思っていたのですが、少し追ったら馬が応えてくれてビュンッと行ってくれました。勝ったという実感はなくて、「え、マジで!?勝ったしまった!」って感じでした。ゴール後に(佐藤)友則さんが馬上から手を差し伸べてくれて、泣きそうになりました。バレンティーノの調教には友則さんが乗ってくれて、(尾島)徹先生にもお願いしてくださいました。ホント、友則さんに感謝ですし、徹先生にも馬主さんにも全員に感謝です。でも、もっと楽に勝たせてあげたかったな、と思うので、そういう意味ではこのレースはあんまり見たくないんです。
お父様と同じ職業に就きましたが、家ではどんな感じなんですか?
父は仕事では真面目ですけど、家ではワイワイしています。兄弟同士イジり合ったりしますし、家族みんな仲がいいですね。いまこうして父と一緒に乗れて、迷惑しかかけていないですが、最近は競馬の話もするようになりました。まだ僕は全然競馬のことは分からないですが、調教の話とかするのが楽しいですね。
(5月1日現在)デビューして1カ月が経ちましたが、どうですか?
まだ2勝目を挙げれていないんですよね......。厩務員さんには「勝つのが早すぎたな」って言われました(苦笑)。初勝利はホントみなさんに感謝です。
となると、今の目標は?
とりあえず2勝目ですね。初勝利を挙げたバレンティーノはこないだ(4月23日)2着やったんですよ。
(編集部注:5月9日笠松第7レースで2勝目を挙げました)
将来的な目標は何ですか?
ぶっ飛んでいますけど、父を超えたいです。通算勝利数もですし、笠松リーディングも獲りたいですね。父がリーディングを6回獲っているので、僕は7回!そのためにはもっと勉強します。
笠松には東川騎手が2人いるわけですが、ファンのみなさんには何て呼んでほしいですか?
好きな呼び方で呼んでいただければと思います。「ジュニア」はなんか照れ臭いですけどね。みなさんの応援にこたえて、どんな人気のない馬でも勝てるようになりたいです。
初勝利セレモニーでプラカードを持つ父、東川公則騎手
勝負服の胴に入っている菱形はお父様と同じですしね。
はい、この菱形でがんばっていきたいです。とにかく、勝ちたいです!笠松のない週は名古屋にもレースに乗りに行くんですけど、楽しいです。いっぱい乗せてもらえるので、がんばります。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも同じことしか言えないのですが、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子(写真:岐阜県地方競馬組合)
黒船賞(JpnIII)で5着に健闘したサクラレグナム。同馬を管理するのは2010年全国リーディングに輝いた田中守調教師です。これまでコスモワッチミーやサクラシャイニーなどでは他地区に遠征するなど、その活躍は高知にとどまりません。田中調教師ご自身のこと、厩舎のこと、そしてサクラレグナムについて伺いました。
騎手から34歳で厩舎を開業されて17年。どういった経緯で調教師に転身されたのでしょうか?
今はJRAにいる小牧太騎手や園田の尾林幸二調教師、門別の沼澤英知調教師と同期で、和歌山の紀三井寺競馬で騎手デビューしました。廃止後は益田競馬で半年ほど乗って、地元・宮崎に少し帰った後、紀三井寺時代の師匠からの紹介で高知競馬にやってきました。でも、減量続きで体も悪くなっていたので調教師試験を受験できる年齢になって割とすぐに受けました。当時は今よりも年齢制限が確か高かったんですよ。調教師になる時は、高知競馬が低迷していた時だったので、「調教師にならない方がいいんじゃないか」って声もありましたが、幸いにも僕はツラい思いをすることはそんなにありませんでした。開業当初は預託馬が集まったものの人手が足りなくて、調教も馬房掃除もいろいろ動いていましたね。
翌年にはナムラコクオーで建依別賞を勝って重賞初制覇。ここまで重賞44勝を挙げていますが、その間には他地区やJRAへも積極的に遠征しました。
県外に遠征に行きはじめたのはビッグフリートからでした。中西(達也騎手・当時)と東京盃やJRA京都競馬場でのプロキオンステークスにも行きましたね。プロキオンステークスに出走させたのは、一度中央を見てみたかったですし、ビッグフリートが中央でどれくらいのパフォーマンスを見せられるかというのも知りたかったんです。僕が調教していた馬で、レースは16頭立て11着でしたが、2番手からのレースで走破時計も着差も悪くないな、と。「これなら佐賀のサマーチャンピオンでいい勝負ができる」と思いました。結果は4着でしたけどね。
ナムラコクオーで重賞初制覇となった建依別賞(2003年9月15日)
写真:『Furlong』2003年10月号より
JRAから移籍のビッグフリートは脚元に不安のある馬だったそうですが、田中厩舎の調教は基本的にどんなメニューですか?
だいたいは運動が長めです。馬も1頭ずつ性格が違うので同じようにはできませんが、馬場に入ったらまずは軽速歩をゆっくりしてからキャンターで4コーナーから1800メートルほど走らせます。長い距離を乗らないので、ピッチは速めです。行かない馬は行かせてあげて、ハミ掛かりのいい馬は抑えたままでスーッと、という感じですね。これがいいのか悪いのかって言われたら「どうなのかな?」と思いますが、どの馬も故障もなく現役生活を長く続けられているので、これでいいんだろうと思って変えずに今まできています。
2010年には全国リーディングに輝きました。
あの頃はそういうことに全く頓着していなかったので、全然知らなかったんです。大晦日くらいになって「1位よ」って言われて、「え?え?全国??何それ」って(笑)。そういうところは(赤岡)修次はよく知っているんでね。NARグランプリ授賞式には最優秀勝率騎手賞を受賞した修次と優秀女性騎手賞の(別府)真衣ちゃんと3人で行きました。
さて、先月は黒船賞にサクラレグナムが出走して5着。年末の兵庫ゴールドトロフィーでも4着の実績があり、地元代表として期待が寄せられました。当日の馬の状態などはいかがでしたか?
ずっと状態の良さを持続していたのですが、当日は少しボーっとしていて、「こんな感じの子じゃないのに」って思っていました。前走からちょっと間隔が開き過ぎたかもしれません。黒潮スプリンターズカップの後、どこかで使おうかなとも考えたのですが、変に使わない方がいいと思い、黒船賞に直行しました。遠征に行けばシャキッとするんですが、地元で使うには間隔が長すぎたのかもしれません。
黒潮スプリンターズカップ(2019年2月3日)を制したサクラレグナム
写真:高知県競馬組合
レース当日はずっと「緊張する」とおっしゃっていましたね。地元での一戦だっただけに思いも強かったのではないですか?
サクラレグナムは輸送があまり得意な馬じゃないんです。修次も「地元だと馬の雰囲気が違って、蹴りもいい」と言っています。それでも遠征であれだけ走れるのは筋肉が柔らかいからなんでしょう。「輸送がなければもうちょっと走れる」っていうのもありましたし、メンバーを見て「今年は...!」と期待を持っていました。
その後、ほぼ連闘で重賞・御厨人窟賞に向かい、完勝。黒船賞は少し残念でしたが、地元馬同士だと負けないぞ!っていう強さを見せてくれて安心しました。
レースに申込みだけはしていたんです。黒船賞後にすぐに乗り始めて、調教に跨っている山頭(信義騎手)が「めちゃくちゃ元気です」と言うので、じゃあ行こうか、と。いい状態をずっと調教で維持するより、レースに使った方がいいと思いますし、黒船賞で負けた後だったので、勝ったらまた馬に自信を取り戻させられるかな、と考えました。勝ち時計はあの日の馬場にしたら速いですし、4コーナーは馬場の真ん中を走ってのものですから、よかったと思います。
サクラレグナムの今後の予定を教えてください。
5月1日かきつばた記念に向かう予定です。その後は地元では1400メートルの重賞が8月25日建依別賞までないので、去年と同じようなローテーションで南関東などへ遠征かな、と考えています。
サクラレグナム(2018年11月22日、笠松グランプリ出走時)
田中調教師ご自身は今後どのような目標を立ててらっしゃいますか?
やっぱりもう1回、NARグランプリ授賞式に行きたいなって思います。初めて行った時にカルチャーショックみたいな感じで、「うわ!すごい所だなぁ」と驚きました。だからもう1回、行けるようになったらいいなぁと思っています。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。またこれからも変わりなく応援していただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
2018年、ホッカイドウ競馬から3季ぶりの新人としてデビューした落合玄太騎手は、 ルーキーイヤーから57勝でホッカイドウ競馬の新人騎手最多勝記録(1977年以降)を更新。その活躍ぶりが認められ、同年度の日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞しました。昨年末に大井・中山競馬場で行われたヤングジョッキーズシリーズ(YJS)ファイナルラウンドでも全国各地のホープとしのぎを削りました。2年目のさらなる飛躍が期待されています。
1年目から57勝(北海道のみ)を挙げ、阿部龍騎手が持つホッカイドウ競馬新人騎手の最多勝記録(52勝)を塗り替えました。
阿部さんの記録を抜くことを目標に1年間やってきたので、達成できてよかったと思います。馬主さんや調教師さんをはじめとする関係者のみなさんが、いい馬に乗せていただいたおかげです。うちの先生(田中淳司調教師)も勝てる馬をたくさん用意してくださいましたし、他の厩舎でも1頭でも多くの馬に乗せていただけるよう、調教を手伝わせてもらったり、自分なりに努力してきたつもりです。
1年目で印象に残っているレースはありますか。
初勝利(2018年5月3日門別2R・クィーンアリス)ももちろんなんですけど、やっぱり初騎乗(2018年4月18日門別2R・エンジェルアイズ・3着)ですかね。スタートで立ち遅れてしまって、「そんなにうまくいかないな」とプロの厳しさを感じました。
アポロストロングとのコンビで1年目から道営記念にも出走しました。
6勝もさせてもらいましたが、先生とも「ここまで勝つようになるとは思わなかった」と話しています。レースでは結構トボけるところがあって、出だしはけっこう前に行けるんですけど、隊列が落ち着くと気を抜くんです。2番手の馬が追い付くとまたハミを噛んで、僕が離したらまた抜いて...というのを繰り返して。でも、道中抜いて走るぶん、逆に最後の脚が溜まったのが好結果につながったんでしょうね。
昨年、落合騎手で6勝を挙げたアポロストロング
所属先がリーディングの田中淳司厩舎、兄弟子の服部茂史・岩橋勇二両騎手もリーディング獲得経験があるということで、身近なお手本にも恵まれていると思います。
1年目はレース後によく先生の家にお招きいただき、レースのVTRを見ながら「ここはこうだった」「ここはこうすればよかった」とアドバイスをいただいたのがとても助けになりました。レース前に乗り方を細かく指示されることは少ないですが、「落ち着いて乗れ」ということはよく言われますね。競馬が始まる前には、自分が乗る馬の過去のレースを観て、前回のことを思い出しながら「今回はこうしようかな」と考えたりします。あらかじめ馬の情報を入れておくことが、落ち着いて乗れることにもつながると思うので。
服部さんや岩橋さんは、ゲートを出るときから道中の運び方まで、もう自分とは全然違います。これまで前に行っていた馬でも後方から追い込んで結果を出したりするのは、なかなか真似できないですね。
2018年10月9日、落合騎手騎乗のドラゴンハートで田中淳司調教師が通算1000勝達成
オフシーズンは浦和競馬場・野田トレセンでも調教に騎乗したとのことですが、門別との違いはありましたか。
門別の開催が終わってすぐに、「休みに入るから、少しでも多く馬に乗っていた方がいい」という先生からの勧めもあり、小久保智厩舎で1週間ほどお世話になりました。ちょうど浦和でのYJSトライアルラウンドも控えていたので、1頭でもエキストラ騎乗があれば、ということも考えてくださったみたいです。門別では基本的に坂路での調教が主体なので、馬場での調教とか、馬の抑え方を勉強することができたのかなと思います。
その浦和でも騎乗したYJSは、トライアルラウンドが東日本4位という成績でファイナルラウンドに進出しました。川崎(10月16日)で3、2着とポイントを加算できたのが大きかったと思います。
左回りコースの実戦自体が初めてだったのですが、当日エキストラで乗せていただいたのがプラスになりました。1レースでブースターという馬に騎乗して勝たせてもらったんですけど、1コーナーでうまく回り切れなかったんです。門別とコーナーの回り方が全然違うなと思って、YJSではなるべく膨らまないよう意識することができました。
そして年末のファイナルラウンドへ。JRAでの騎乗も初めてでしたね。GIデーということもあり、多くのファンの方が来ていたと思いますが。
楽しかったです。それほど緊張もしませんでしたし、自分ではあまりプレッシャーとかは感じない方なのかなと思います。元々仲が良かった同期の吉井(章・大井)や、学校ですごく良くしてくださった渡邊(竜也)さん(笠松)とも一緒に出られましたしね。あと、JRAの服部(寿希)君のお父さんとうちの父が同じ職場で、少し話しました。レースの合間とか表彰式の前とかもいい雰囲気で、みんなでワイワイしていましたね。
総合成績は10位でしたが、ファイナルラウンド中山・第2戦(ダート1800メートル)ではマルヨシャバーリーに騎乗し3着。あわやの場面もありました。
コーナーでちょっと外を回りすぎてしまいました。あれがなければ少なくとも2着はあったと思いますし、ちょっと悔いが残ります。今年もYJSに参加させていただきますが、またこの舞台に立って今度は1着を獲りたいですね。
いよいよ2年目が始まりました。どのような目標をもってシーズンに臨みますか。
昨年はNARグランプリの優秀新人騎手賞を取ることができなかったので、今年はそれを目標にしています。今年までは受賞の対象になっているようなので。去年の渡邊竜也さんがシーズン64勝だったので、それくらいの勝ち星を目指したいです。
オフシーズンの門別競馬場で、初めて馴致に関わった2歳馬もデビューします。
それまで乗ってきた馬は全部「出来上がっている馬」で、そういうところを教えなくても動いてくれる馬だったので、まだ何もわからない馬に人が乗るところから教えて、1頭の競走馬を作っていく過程の難しさを感じました。ただ人を落とさずに乗るだけでは勝てませんし、扶助を使って前に行かせることを教えるのが特に苦労しました。全部が全部というわけにはいかないかもしれませんが、やっぱりそういったところから苦労してきた馬でフレッシュチャレンジを勝ちたいですよね。今シーズンは船橋での期間限定騎乗もあるので、門別で跨ってきた馬にも乗れるんじゃないかという楽しみもあります。
では、オッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。
これからも頑張ってホッカイドウ競馬を盛り上げられるようなレースをしたいと思いますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 山下広貴