2018年、第51回日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した赤岡修次騎手。NARグランプリ2018では6年ぶり3回目となるベストフェアプレイ賞も受賞しました。"高知競馬の顔"は全国の重賞レースへのスポット参戦などにより今や全国区の活躍となり、コンビを組むサクラレグナムとはダートグレードレース初制覇の期待も寄せられます。「プロの旬は短い」と話す赤岡騎手が考える今後とはどのようなものなのでしょうか。
第51回日本プロスポーツ大賞功労賞の受賞、おめでとうございます!
ありがとうございます。新人賞ぶりですね。NARグランプリとはまた違って、なかなかとれないものですからね。地方競馬で受賞の可能性があるのは基本的には新人賞と功労賞ですが、デビューして2回もらった人って、そんなに何人もいないんじゃないですかね。嬉しいことです。
NARグランプリ2018では3回目となるフェアプレイ賞を受賞されました。こちらもおめでとうございます。
ありがとうございます。南関東に行きはじめて特に「綺麗に乗る」ということを意識しました。みんな綺麗に乗りますし、多頭数のレースで馬の力が拮抗しているので、そうしたことまで考えないと勝てないなと思いました。そういったことがフェアプレイ賞にも繋がったのかもしれませんね。
NAR2018祝賀会にて、筆者と
さらに2018年9月28日には地方通算3500勝も達成されました。高知競馬所属騎手の歴代最多勝記録を更新し続けていますが、それに対するプレッシャーなどはありますか?
今はもうないです。「高知競馬が良くなるために」と思っていた時はプレッシャーというか、「自分がミスをすれば高知競馬全体のイメージが下がる」と分かっていたので、自分のためでもある一方、高知競馬や今後の若い子たちのためにも失敗はできないと思っていました。でも今はもう道を作ることができたので、これからの高知競馬を背負っていく20代、30代の子たちが自分自身でどういう風に騎手人生を作っていくかを決めることかなって思っています。
2015年からは南関東で期間限定騎乗を毎年行っていますし、重賞のたびに各地で騎乗するなど全国区で活躍されていますね。
こうして声を掛けていただけるうちが僕の騎手人生の華かなって思っています。今は地元のリーディングにこだわっているわけではなくて、あとは騎手としていい晩年を迎えられればいいかなって思います。吉原(寛人)もですが、僕もこれだけ全国で重賞を勝たせていただける流れを作ってくださったのは、内田利雄さんであったり菅原勲さんであったり、ですよね。以前は他場のジョッキーを重賞に呼ぶなんてまず考えられませんでした。それを内田さんや菅原さんが前例を作ってくれました。菅原さんはメイセイオペラや南関東に期間限定騎乗で行った時、南関東の重賞で本命馬や川島(正行)先生のところの馬を頼まれて勝つのを見て「すごいな」と思いましたよ。なかなか結果を残せるものじゃないです。あの方たちがいたから、こういう流れがあるんじゃないかなって思います。
赤岡騎手は初めて南関東に期間限定騎乗に行かれる時、馬のことだけでなく騎手の癖なども研究したとうかがいました。そういった点も遠征先での結果に繋がっているのでしょうね。
「この騎手ならあそこまで行ってくれるから、自分はここくらいで競馬しよう」って考えたりしますね。特に上手いジョッキーに関しては「こういうレースをするんじゃないのかな」っていうのがある程度は想像できます。
昨年11月の笠松グランプリでは吉原騎手が行くのを見て、赤岡騎手はその後ろに控えました。まさしく今おっしゃったようなことなのでしょうか。そのレースでは騎乗したサクラレグナムは残念ながら2着でしたが、スピードのある馬ですね。
昨年の春に高知へ移籍してきましたがJRA所属馬相手でもスピード負けしないですし、南関東で重賞を勝てるくらいのポジションにいた馬です。昨年は習志野きらっとスプリントでも勝ったアピアとそんなに差もなかったですしね。
赤岡騎手が感じるサクラレグナムの一番の持ち味はどんなところでしょうか?
前向きさだと思います。すごく前向きさがあるので長い距離は良くないでしょうが、小回りだとどういうレースでもできるんじゃないかなって思います。兵庫ゴールドトロフィーの時に安藤(勝己)さんが「赤岡の馬、印薄すぎるけど、俺は本命だと思うんだ」って言ってくださったんです。僕も「52kgで走れるので」と話していました。南関東などでダートグレードレースを走っても勝ち馬からは0コンマ何秒差です。兵庫ゴールドトロフィーは4着で馬券圏内には絡めませんでしたが、「やれるな」って感じました。ただ、あの時はかなりイレ込んでいたんです。南関東に行くと「こんなんで大丈夫かな?」というくらい落ち着いているんですけどね。
その後、大高坂賞、黒潮スプリンターズカップと連勝しました。
輸送が入るとどうしても疲れが残るタイプなので、その分地元は楽なんじゃないですかね。遠征と地元じゃ全然馬の雰囲気が違いますから。黒潮スプリンターズカップではスタートして他の馬が行きそうだったので、控えてレースを進めました。前が速くなって、展開的にもいい流れでした。
サクラレグナムで大高坂賞を勝利(2019年1月14日、写真:高知県競馬組合)
いよいよ3月21日には地元で黒船賞(JpnIII)が実施されます。地元でのダートグレードレース制覇を期待するファンのみなさんも多いかと思います。
楽しみですね。去年は兵庫のエイシンヴァラーが勝ちましたし、頑張りたいです。高知の馬場は県外の馬がいきなり来て重賞を勝つのは難しい馬場だと思います。出走を予定しているサクラレグナム自身も輸送のない地元戦はプラスに働きますから、なんとかいい結果を残したいですね。
今後の目標を教えてください。
全国から声を掛けていただいて乗りに行くことをいつまで持続できるか、が目標ですかね。全国で乗っているのが当たり前になったので、それがなくなったらダメなんじゃないかなと思います。重賞の時期になると高知にはレースの時だけ帰ってきて、また他地区へ乗りに行くという感じでほとんど高知にはいませんが、プロの旬は短いのでやれる間に行っておきたいです。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
今は全国どこに行っても「赤岡」って言ってくれて応援していただけるのがすごくありがたいです。レースで勝つか負けるかは分からないですが、精一杯がんばりますのでこれからも温かい声援をよろしくお願いいたします。
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 大恵陽子
テンマダイウェーヴとのコンビで重賞2勝を挙げた、兵庫の渡瀬和幸騎手。1999年のデビューから、20年目の悲願の重賞初制覇。ここまでコツコツと努力を重ねて来た苦労人に、現在の心境をお聞きしました。
兵庫若駒賞、園田ジュニアカップと重賞連勝おめでとうございます!
ありがとうございます。すごく嬉しいです。兵庫若駒賞の時は馬自身まだ勝利を挙げたことがなかったし、初の重賞挑戦でどのくらいやれるかなという気持ちでした。でも勝負どころで手ごたえバツグンで、「あれ?あれ?あれ?」という感じでしたね。
どの辺で勝ちを意識しましたか?
4コーナーで前が開いた時です。僕,最初は(下原)理さんの内を狙ったんですけど、バッと閉まってしまって。でも外が開いたので、そっちに切り替えました。そうしたらすごく良く伸びてくれて。
勝った時はガッツポーズをしていましたけれども。
ゴールに入ったら自然とやっていました。馬も初重賞勝利ですし、僕にとっても初めてで本当に嬉しかった。何より、仕上げてくれた陣営に感謝しています。
人馬ともに重賞初制覇となった兵庫若駒賞(2018年10月18日)
テンマダイウェーヴとは4戦目のJRA認定競走からコンビを組んでいますね。
最初は(杉浦)健太が乗っていて、その時のレースで健太が違う馬に乗るということで回って来たんです。初めて乗ったレースは2着だったんですけど、ちょっとまだ後ろ脚が甘かったりしてコーナーで外側に流れて行くようなところもありました。馬場が悪かったのもありますし、これからどんどん成長してくれるだろうなと。2着で賞金加算したので、次は兵庫若駒賞へという流れになって。もともと健太が乗っていた馬ですから『健太で』という声もあったんですけど、新井先生が「渡瀬で賞金加算したんだからこのままいきましょう」って言ってくれたんです。
それで結果を出せたことは大きいですね。
そうなんです。実際僕より先生の方が嬉しかったんじゃないですかね。先生はもともと(渡瀬騎手が所属する)碇(清次郎)厩舎で厩務員をしてから調教師になった方で、昔からずっと一緒にやって来たんです。だからこうして結果を出せたことは本当に嬉しいです。
次のJRA認定競走から逃げる形での競馬を覚え、園田ジュニアカップも逃げ切り勝ち。より強い競馬で重賞連勝でした。
最初は逃げようとは思っていなくて、好位の外取れたらみたいな気持ちでした。スタートも速かったですし、他の馬が意外と行かないから中途半端になるよりはと逃げました。ずっと気合を付けながらで、ずっと遊んでいる感じでした(笑)。それでも(相手が)来れば来る分だけ伸びてくれて、本当に強い競馬でしたね。
園田ジュニアカップ(2018年12月31日)
兵庫若駒賞は人気薄での勝利でしたが、園田ジュニアカップは1番人気での勝利。プレッシャーはありませんでしたか?
僕、基本的にあまり緊張しないタイプなんですけど、さすがにこの時は緊張しました。これまでで一番緊張したんじゃないかっていうくらい。先生のプレッシャーの掛け方もすごかったんです。装鞍が終わって「お願いします」って言ったら、「勝って帰ってこいよ」って。それまではあんまり緊張してなかったんですけど、パドック行ってからなんだかすごくしゃべっている自分がいて。これは緊張を誤魔化しているんかなって。とにかくめちゃめちゃ緊張しましたね。
そのプレッシャーを跳ね退けて見事な勝利でした。またひとつ大きな経験を積みましたね。
これは大きいですよね。今回は絶対に勝たなければならないって思っていて。でも競馬で絶対勝たなければならないという立場って、どんなに強い馬に乗っていてもキツイですから。だから(武)豊さんとか本当にすごいなって改めて思いました。こんなプレッシャーをGIでやっているなんて...、想像しただけで本当にすごいです。
初遠征の笠松(ゴールドジュニア・7着)は残念な結果でした。
そうですね。馬も人も初の笠松だったので、理さんや(田中)学さんにアドバイスをいただいたりもしたんですけど、枠も外だったし、結果あそこまで外を回るなら下げても良かったかなと。惨敗という形になってしまいましたが、馬も人もいい経験をさせてもらいました。馬自身は幅も出て、後ろ脚もしっかりしてきたので、これから暖かくなってさらに楽しみです。
この馬はどんな存在ですか?
やっぱり、こういう馬がいるとモチベーションは違うと思います。自分自身ではそれほど意識はしていないですけど、やっぱり違うのではないかと。それに、普段この馬の攻め馬は健太がずっと乗っているんです。「いつもありがとう」と言っていますし、本当に感謝しています。
これまで渡瀬騎手もそういう経験があったんじゃないですか?
それはそうですね。だからこそ感謝してます。僕はデビューして20年経って、ようやく掴んだ重賞だったので。重みありますよね。でもここまでジョッキーをして来て、辞めたいと思ったことないんですよ。ずっと馬に乗っていられて楽しいというのが大きくて。怪我もそんなになく休むこともなかったし、とにかく馬に乗ることが好きなので。
園田ジュニアカップの口取りにはお子さんが4人写っていましたけれども、渡瀬騎手のご家族ですか?
うちの家族と甥っ子が1人混ざってます。うちの子供は5歳、3歳、0歳なんですけど、本当に可愛いくて...。励みになりますね。保育園から帰って来て、その金ナイターとか見ているらしいんですけど、一番上の子が「パパいつも勝てへんなぁ」って言ってたらしくて(苦笑)。口取りに写ったのも初だったと思うし、僕が目の前で勝ったのも初めてだったんじゃないかな。「おめでとう!」って走って来てくれて。もう勝った瞬間よりもそっちの方が泣きそうでした(笑)。記憶に残ってくれるといいんですけど。
奥様はいかがでしたか?
めっちゃ笑顔ですごく喜んでくれましたね。やっぱり奥さんがいるから頑張れるんです。子供もいるし、家族のために一生懸命頑張らないと。それが力になってます。大晦日に競馬終わって嫁さんの実家に行ったら、垂れ幕とか飾ってあって、クラッカーでお祝いしてくれて。本当に嬉しかったですね。
今回ジョッキーインタビューは初登場です。オッズパーク会員の皆さんに自己PRをお願いします。
園田のペリエと呼ばれています。髪型的に(笑)。厩務員さんや調教師さんからもそう呼んでもらっているので、そのあだ名で覚えてもらえたら嬉しいです。騎乗に関して負けない部分は、今はゲートですね。出遅れはほぼないと思っていただいて大丈夫です。昔はそうでもなかったんですけど、ここ何年かずっと乗り方を研究していて、他の人の真似をしたりいろいろ試してみたんですけどなかなかしっくりこなくて。それで、アブミの長さを2、3穴(約5cm)伸ばしたらすごくしっくり来て。重心の問題だと思うんですけど、しっかりとゲート出るようになって、自分の形ができました。
そういう時期にテンマダイウェーヴのような馬と出会えたのも良かったですね。
本当に今で良かったですね。園田は若くて活きのいい騎手もどんどん出て来てますけど、追い比べになったらまだまだ負けないですよ。若い子らには、「もっと来い!」と思っています。今回こういう馬に出会って成長させてもらっているし、まだまだ頑張ります!これからもよろしくお願いします。
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 赤見千尋(写真:兵庫県競馬組合)
現役では3人目となる地方競馬通算3000勝を達成(2018年11月17日高知第8レース)した松木啓助調教師。高知競馬が現在の場所に移転してからほぼ同じ年月を調教師として過ごしてこられました。時代の変化や今でも忘れられない馬、そして今後について語っていただきました。
地方競馬通算3000勝、おめでとうございます。1986年4月の初出走から約32年での達成です。改めて、どんなお気持ちですか?
ありがとうございます。ある時からみんなに「もうちょっとや」って言われていたんですが、私自身はそんなに意識をしていませんでした。32年間の積み重ねで、いま考えてみたら長いですね。
厩舎を開業されたのは、高知競馬場が『桟橋競馬場』と呼ばれていた地から現在の場所に移転して1年後のことでした。当時はどんな状況でしたか?
移転して1年は騎手としてレースに乗っていて、それから調教師になりました。当時はスタンドも馬場も新しかったですね。移転して少ししてから売上げもバーッと上がって、あの頃は良かったですよ。
調教方法など、いまとの違いはありますか?
こっちではみんな内厩ですが、桟橋の頃は外厩が3分の2くらいは占めていましたかね。遠いと車で馬を連れてきていました。あと、昔は浜で乗っていました。浜の近くにも厩舎が結構あって、今の場所に競馬場が移ってからもしばらくは外厩という形で利用していました。砂浜での調教は屈腱炎とか故障馬にいいんですよ。あんまり砂が深い所で走らせると馬も疲れてしまうので、うまく調整しながらですね。
調教師になったばかりの頃は、他の調教師が嫌がる屈腱炎の馬とかを紹介してもらい預かっていました。屈腱炎の馬って、能力やスピードがあるんですよね。脚元を注意しながらですが、走れれば力は全然違います。朝、競馬場で調教を終えてから浜に行っていたので忙しかったですが、だからこそ成績も上がったと思います。開業当初は15馬房くらいしかなくて、まずは成績を上げないと馬房数も増えなかったですからね。
そうした苦労や工夫のおかげで、1年目は馬房数の約2倍にあたる29勝を挙げられたんですね。重賞はこれまで記録に残っている上では55勝です。特に印象に残っているのはどの馬ですか?
タイホウミラクルですね。開業3年目で高知県知事賞を勝ちました(1989年1月15日)。当時も県知事賞はビッグレースで、ええ馬に当たりましたね。気性のいい馬でした。
2004年には福山で全日本アラブグランプリをマルチジャガーで制覇。同馬は13連勝ののち4着を挟んで7連勝で同レース優勝だったんですね。カッコイイです。
2歳のデビューから高知でやった馬で、強かったね。スピードが違っていました。
最近ではセトノプロミスで2018年御厨人窟賞を勝たれました。
プロミスは高知にきてパパーッと勝ちましたね。距離は1400mか1600mがいいでしょう。1600mは掛かる時もあるけど、その時によって分かりません。折り合いがついたらいいですけどね。なかなか重賞っていうのはうまいこといかないと勝てないですから。この馬は脚元が良くなったり悪くなったりで、最近は年齢もあるかもしれません。でも、能力は高いですよ。
セトノプロミス(2018年3月11日・御厨人窟賞/写真:高知県競馬組合)
ご自身は重賞での活躍だけでなく、2000年からは4年連続で高知リーディングに輝くなど、毎年リーディング上位の勝利数を挙げています。今後についてはどのようにお考えですか?
高知の調教師には定年がありません。だから、自分で自分の引き際を決めないといけないです。でも、元気でやれるうちはやろうと思います。またマルチジャガーみたいな馬、やりたいですね。なかなか難しいことですが、ずっとやっていればどこかで当たるかもしれないですしね。
それと、いま厩舎に預けてくださっている馬主を大事にしたいです。景気が悪い時は高知競馬にも馬が300頭前後しかいなくて、経費も最小限に抑えていたから、1回走って2万5000円ほどの出走手当。私も預託料を下げましたが、それでも限界があって、結局馬主のところに負担がいってしまいました。もう辞めようかと思った時もありましたが、ナイターをやり始めてから売り上げも上がって、あの頃より良くなっています。だから、あの頃にお世話になった馬主は大切にしないといけません。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
高知の競馬は魅力があると思います。内の砂が深いことを買う方も考えないといけないでしょうし、ジョッキーも内枠に入ったら悩むと思います。
これからも高知競馬はまだまだやっていくと思います。売り上げも上昇してきました。どんどん買ってもらって、宣伝をどんどんしてもらって、高知競馬を発展させてもらいたいです。
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 大恵陽子