7月8日に通算300勝を達成した、佐賀の小松丈二騎手。2002年に岩手でデビューし、佐賀に移籍して13年。現在のお気持ちを伺いました。
300勝達成、おめでとうございます。1日で(騎乗機会)3連勝して一気に達成しましたね。
ありがとうございます。自分ではあんまり意識していなかったんですけど、達成した時には「確か、そうだったかな」って思いました。
299勝目は珍しく降着からの繰り上がり勝利でしたね。
そうですね。それでリーチが掛かったとかは意識しなかったです。300勝目のレースも勝ちを意識しなかったのが良かったのかなと。馬の状態も良かったですし、道中は思った以上に手ごたえがあって。4コーナーの手前では止まる感じもなかったので、勝ったと思いました。ゴールした後に周りの方から「300おめでとう」って言われて、嬉しかったですね。それに所属の武藤敏明厩舎の馬で達成できたというのも嬉しかったです。
300勝積み重ねてきましたが、どんな想いがありますか?
節目の数字で嬉しいですけど、他の人はもっといっぱい勝ってますから。もっともっとがんばらないといけないなと思います。
今年はすでに37勝(7月20日現在)を挙げ、これまで以上の活躍ですね。
馬がよくがんばってくれているお陰です。自分としては、精神的に良くなってきたのかなと。最近は前よりも数字や結果にこだわりすぎないようにしているので、そういうのがいい結果に繋がって来たのかもしれません。
勝ちを意識しないようにするのは難しいですよね。
そうなんですよ! でも最近は、勝ちをあんまり意識していないです。そっちの方がいいとは思っていたんですけど、やっと気持ちをコントロールできるようになってきました。実際、自分の気持ちってすごく馬に伝わっているんだなって思って。ゲートの中とかも違うじゃないですか。人間が力が入っていると中でガチャガチャしちゃったり、出遅れてしまったり。でもこちらがリラックスしていると馬もリラックスしてくれるので。だから、何も考えないようにしています。「緊張しないようにしよう」って思ってる時点でもうダメなんですよ。そういうことは何も考えないようにするのが一番だって気づきました。
佐賀リーディング6位ですよ。
たまたまです。自分の下手さが最近、ヒシヒシと伝わってきているんですよ(苦笑)。下手なのは知っていたけど、ここまでひどかったのか......って。だから、馬たちのお陰ですし、関係者の方々のお陰なんです。このままじゃダメだって思うので、もっと上手くなりたいです。
特に気になるところはありますか?
まず硬いですよね、乗ってて。もっと柔軟に乗れるようになりたいです。あとは折り合いですね。もっと上手く折り合いをつけられるようにしたいです。
自分に厳しいですね。
いやいや、だって上手くなりたいじゃないですか。レースに乗せてもらえるのは楽しいですし、もっと努力して少しでも早く上手くなりたいです。
もともとは岩手デビューですよね?
そうなんです。実家の近くに盛岡競馬場があって、騎手に憧れました。ただ、人よりもだいぶ下手くそだったので、なかなか乗せてもらえる機会がなくて。岩手所属の3年間はキツかったですね。シーズンオフの時に佐賀で乗せてもらって、レースに乗れる喜びを感じました。それで、思い切って移籍したんです。
地元も岩手ですし、移籍するのは大きな決断でしたね。
若かったからできたことです。それに、岩手と佐賀の関係者の方々が理解してくれたからこそ実現できました。周りの方々には、本当に感謝しています。今はすごく楽しいですし、とても環境に恵まれていて...。本当に有り難いです。
辞めたいと思ったことはないですか?
ありますよ、いっぱい(笑)。心が弱いので。でも辞めなかったのは、やっぱり負けたくないですから、自分に。こんな下手くそのままじゃ辞められないです(笑)。まだまだ足りないところがいっぱいあって、下手を直すって難しいですけど。少しでも上手になりたいので、日々試行錯誤しています。
今の目標は?
具体的な数字はないんですけど、とにかく自分の乗り方が少しでも良くなればと思っています。先のことって、正直どうなるかわからないじゃないですか。30過ぎてから、「この先どうなんだろう」って考えるようになりました。20代の時はあんまりそういうこと考えなかったんですけどね。「あと何年続けられるんだろう」ってことは考えるようになりました。まだまだ乗りたいからこそ、そういう風に思うのかもしれないですけど。
騎手と言う仕事が好きなんですね。
そうですね。僕は本当に環境に恵まれていて、先生やスタッフと一緒に馬を育てていくのがすごく楽しいです。良くなっていくのを近くで見れたり、一緒にレースで勝ったりしたら本当に嬉しいですから。それに、馬を育てる上で確実な答えがないんですよ。そこも面白いです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
これからも一生懸命がんばりますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
7月1日第9レースで通算1000勝を達成した、ばんえい競馬の阿部武臣(たけとみ)騎手(44)。1998年にデビューして20年、今までの思い出や苦労を伺いました。
達成おめでとうございます。1000勝はいつから意識していましたか。
残り10くらいからかな。小5と中1の息子が「今日1着獲った?」って言ってきたから、気にしていたのかな。下の子なんて3年くらい前、2着が続いたら「お父さんアヒル飼ってるの?」って。2がアヒルってことだよね(笑)。
デビューして20年、(1000勝まで)時間がかかったなー。1000勝するとは思っていなかった。10年目までは、騎乗依頼が少ない辛い時代だった。当時は賞金が高いし乗るのもランキング上位の騎手ばかり。騎手の数も今の倍で40人くらいはいたからね。1開催で6~8頭乗ったら多い方。今の若い人より揉まれている。俺らの世代は騎手が多かったけどみんなやめた。俺もやめようと思ったことはある。
それでも踏みとどまった理由はなんでしょうか。
ここの世界しか知らないから、やるしかないのかな、と。少しずつ乗り馬増えてきた時だったし、レースで1着獲ったりすると、やっぱり...ね。負け込むと嫌になるけど、自分が調教をした馬が頭(1着)獲るとうれしいし、次の糧になる。
義理の父である、坂本東一さん(現調教師)には怒られて、怒られて...(笑)。坂本さんは早い時間から調教する人だったから、自分も午前2時とか3時から調教していたよ。それでも11年前は、手当も下がってきたのに我慢していたら『廃止になるかも』だもんね。やめておいた方がよかったのかな、って思ったよ。今はだいぶ売り上げが上がって手当も上がってきたけど、なんだかんだいって馬が好きなんですよね。
一から馴らして、能検やって育てて、オープン馬、というのを育てたいな。馬は子どもと同じで勝手に育っていかないから、一つ一つ教えて作っていく。
7月9日に行われた1000勝達成セレモニー(写真:ばんえい十勝)
レースや調教で心がけていることは。
馬は『前に行きたい気持ち』があってそれで競走している。障害でいかに嫌な思いをさせないで上らせるか。その馬の気持ちと能力を把握して、流れをみながら嫌な思いをさせないようにする。
調教は、馬に適した方法や、力も一頭一頭違うので考えながら行う。
馬との出会いについて教えてください。
宮城県大崎市(旧古川市)で、祖父が山から馬を使って材木出しをしていました。俺らは「馬車追い」って言ってた。
馬でやると山が痛まないんだ。トラクターは、通るために道を作らないといけないから。馬はその必要がない。
俺も中学、高校の時は手伝っていたよ。草ばん馬にも乗っていたから、本場の乗り方や馬の手入れなどを覚えるのに行ってみよう、と高校卒業後にばんえいに来ました。
思い出に残る馬や、今注目している馬を教えてください。
ホッカイヒカルは特殊な馬だったよね。ゲートは出ないしスタートも走らない。手間がかかった。その分思い出深い。来年産駒がデビューするから、うちの厩舎に来たら乗りたいな。シベチャタイガーやイケダガッツのような、ひとくせある馬に乗ることが多いかもね。その時、焦らないことを覚えたかもしれない。
1000勝を達成したミノルシャープはこれから良くなるね。今は休み休み使っているけど、秋になってスピードを生かす競馬ができれば。昔は細かったけれど体が出来てきたし、将来的にオープンになれる馬。障害を降りたら速いし、障害が良く瞬発力がある。
キサラキクは、男馬の中に入るとちょっと辛いけど、軽いといいレースをする。この馬なりに頑張っている。春はあまり調子がよくない方だけど、今年は動きがいいよね。
バウンティハンターは昔は腰が悪く、(障害で)寝てばっかりだったが、それが解消されてきた。
2016年ドリームエイジカップをキサラキクで制した
今のばんえいについて思うことはありますか。
売り上げは伸びているけど、大事なのは人材育成だよね。馬の触り方を覚えないと。騎手になっても、馬の調子を見極められないといけない。それには5、6年はかかるかな。
若い人が少ないよね。生き物相手だから休みがない。馬優先だからね。それを理解して、我慢ができないとだめ。馬主さんの財産を預かっているわけだから。
若い騎手は、昔よりは騎乗できるようになっているけど、自分でレースを考えられるかが重要。
今後の目標を教えてください。
一つ一つ大事に乗って、その馬にとって一番いいレースができるよう心がけたい。それが自然と勝ち星につながっていく。
イレネー記念もばんえいダービーも(ともに2014年ホクショウマサル)獲ったし、今後一番勝ちたいのはばんえい記念だね。あそこまでたどりつく馬がなかなかいない。駆け引きが重要で、乗ってておもしろいから毎年乗りたいレース。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
倉兼育康騎手がコンビを組んだタッチスプリントはグランダム・ジャパン3歳シーズンに参戦し、29ポイントを獲得。しかし最終戦の関東オークスで、大井のステップオブダンスに同点とされ、その最終戦の着順による規定で優勝を逃すことに。残念な結果となったが、その戦いを振り返っていただきました。
グランダム・ジャパン3歳シーズン最終戦の関東オークスは、消化不良という感じのレースでした。
関東オークスは初めての左回りで、返し馬のときに馬が戸惑って、ビタッと止まってしまったんですよ。後ろから別の馬が来たことでやっと動いたんですが、そういう不利もありました。それでレースでは1コーナーで他の馬にぶつけられましたから、さらに厳しくなってしまいましたね。しかし4つのレースに参加してコツコツとポイントを重ねてきたのに、なんというかねえ。ルールとはいえ、チャンピオンになれなかったのは悔しいですよ。
それでも最終戦まで行けたのは、若草賞での勝利があったからだと思います。
確かに、あのレースを勝ったからというところはありますね。でもあのときは馬の調子がけっこう悪かったんですよ。毛ヅヤはいまひとつでしたし、道中でものめりながら走っていました。エンジンがかかったのは最後の400メートルだけ。でもあの差し脚にはビックリしました。
若草賞(名古屋)を制したタッチスプリント(写真:愛知県競馬組合)
その前は高知の金の鞍賞で2着、佐賀遠征の花吹雪賞でも2着に入っていました。
高知に来てからの成績が良かったのは確かですが、若草賞は初めて対戦するメンバーですから、レース前はここでどのくらいまで頑張れるのかなという感じで考えていましたね。
若草賞を制したあとは、再び名古屋で東海クイーンカップに出走することになりました。
小柄なので、佐賀(ル・プランタン賞)よりも間隔が取れるほうを選んだということだと思います。ただ、東海クイーンカップは不良馬場になってしまったのが誤算。若草賞よりは前のほうでレースを進めたんですが、他の馬に被せられたところで馬が嫌気を出してしまいました。タッチスプリントは基本的に、砂をかぶることをきらうタイプなんです。
それでも400キロ前後の体でよく頑張っていると思います。
どこに行っても落ち着いているのが長所ですね。レース当日は、本馬場に入ってゲートに近づくにつれて、自分で気合を上げていってくれます。レース経験を積むごとにゲート離れもよくなっていますね。ただ、2着だったのじぎく賞もそうですけれど、あとちょっと着順がよかったらと思うとねえ......。
それでも2位という成績は残しました。管理する別府真司調教師は「夏になると走るタイプ」と話していましたが、グランダム・ジャパンの古馬シーズンはどうでしょうか。
地元だと上のクラスになってしまいますし、そういう点からもグランダムに行くと思います。まずは兵庫サマークイーン賞ですかね。その後は結果次第だと思います。
ソウル競馬場での倉兼騎手
倉兼騎手は韓国で騎乗する時期が長かったわけですが、高知に戻ってきておよそ1年。以前と変わったと感じるところはありますか?
賞金は上がりましたが、それ以外ではそれほどすごい変化というのはないかなあ。でも騎手の人数は増えましたし、馬の質も以前に比べると上がってきたとは思います。
高知に戻ってのご自身の成績はいかがでしょう。
自分の成績はまあ、いまひとつという感じですかね。日韓合計2000勝は達成できると思いますが(6月18日時点で1983勝)、日本だけでの2000勝は、今の状況だとどうかなあ。乗り鞍も今年はちょっと少ない感じがしますし、あまり勝てていないこともあってモチベーションも下がりぎみ。でもそういう状況のなかにタッチスプリントのような馬がいると、気持ちを上げることができますよね。ありがたい存在だと思います。
韓国では2007年に初めて短期免許を取得して、2014年にはソウルのMVPジョッキーに選ばれるなど活躍しました。韓国競馬を経験してよかった点はどこでしょうか。
いちばん大きかったのは、いろいろな人と話せるようになったというところでしょうか。以前はそれほど気さくに話ができるようなタイプじゃなかったんですよ。酒を飲めば別なんですが(笑)。韓国では通訳さんがついてくれているとはいっても、自分の意思をしっかりと伝えないとどうにもならないですからね。いちばんのプラス面はそこかなと思います。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典