今年4月に金沢競馬場でデビューした柴田勇真騎手。約4か月で16勝を挙げ(8月18日現在)、順調なスタートを切りました。騎手を目指したキッカケから今後の目標まで、たっぷりと語っていただきます。
騎手になろうと思ったキッカケは何だったんですか?
テレビで競馬を見ていて、騎手ってカッコいいなと思ったんです。高校を卒業する時に将来のことを考えて、体も小さいし挑戦してみたいなと。その時、学校からの推薦で就職が決まりそうだったので、母は安定した職業に就いて欲しいって思っていたみたいですけど。でも騎手になるには年齢制限があるので、今しかチャレンジできないと思いました。高校を卒業してから茨城にある騎手になるための勉強をする専門学校に入って、最初はJRAの試験を受けたんです。そこは落ちてしまったんですけど、騎手になりたいという気持ちは変わらなかったので、地方競馬教養センターの試験を受けました。
教養センターでの生活はどうでしたか?
茨城の専門学校で一通り馬の経験を積んだので、入所した当初はすんなりと馴染めました。ただ、1期上の先輩たちが競馬場実習に行ってしまい、作業も馬に乗る頭数も倍になってからはけっこうしんどかったです。休む間もなく時間に追われて動き続けるので、そこが大変でした。
やめたいとは思わなかったですか?
騎手になりたいっていう気持ちが強かったですし、家族や友達に応援してもらって家を出て来たので、途中で帰るという選択肢はなかったです。
群馬県出身の柴田騎手が、金沢所属になった経緯というのは?
競馬の世界に知り合いがいなかったので、なかなか所属先が決まらなかったんです。最初の頃は南関東を希望していたんですけど、受け入れてくれる厩舎が見つかりませんでした。教官から「騎手は乗ってなんぼだぞ」って言われて、チャンスの多い競馬場がいいんじゃないかと思うようになって。ちょうどその頃、僕の1期上の中島龍也騎手が金沢でデビューしてすごく活躍していたので、金沢に行ってみたいなと思うようになったんです。それで希望を出したら、高橋俊之先生が所属にしてくれると言ってくれました。高橋先生はもともと高崎の調教師でしたから、僕が群馬県出身ということで受け入れてくれたみたいで。縁があって金沢所属になれて、本当によかったです。
デビュー戦(4月4日第1Rピースピース・5着)、そして初勝利(4月14日第11Rブラッシー)は覚えていますか?
覚えていますよ。デビュー戦は思っていた以上に緊張しなかったです。今思えばただつかまっていただけなんですけど、3、4番手に付けてジッと回って来た感じです。初勝利はデビューから10日後なので、そこだけ見ると早いって言われるかもしれないですけど、それまでに何度かチャンスをもらっていたので自分としては焦っていました。最初はあまり気にしていなかったんですけど、同期の栗原大河騎手が先に勝った時(4月12日第6R)にけっこう焦りましたね。初勝利は、あれはひどいレースでしたね(苦笑)。1~2コーナーで後方からブワーッとマクって行って。先生から「一周追ってこい」と言われていたので、心の中で「行けー!」と思いながら追ってました。先頭でゴールに入った時にはすごく気持ちが良くて、「これが勝つということなんだ」と実感しました。1つ勝ってからは気持ち的に楽になった気がします。
デビューから約4か月で16勝。いいペースですね。
たくさん乗せていただいて本当に感謝しています。でも、勝ち星には満足していません。乗り馬の質を考えたら20勝は越えていないといけなかったんです。僕のミスで取りこぼしたレースもありますし、その分、2着3着が多くて申し訳ないです。
柴田騎手は一般家庭から競馬界に入って来たわけですけれども、想像と違う部分はありましたか?
ありますね。ある程度想像はしていましたけど、デビューしてみて勝負の世界は甘くないなと痛感しました。まず普段の人との関わりが大事だし、少しずつ乗り馬を増やしていくことも、たくさんの先輩方がいる中で簡単なことではないなと。それに、レースでもデビューしたての時には危ない場面があると先輩方が気を使ってくれましたけど、それも甘えていたんだなと思います。当たり前のことですけど、勝負の時はみんな本気ですから、自分で馬をコントロールして危険を回避しないといけないし、その中で勝つというのは本当に難しいです。
尊敬している騎手はどなたですか?
先輩方みんな尊敬していますけど、目標は大きくミルコ・デムーロ騎手です! 成績をしっかりと出す騎手だし、誰が見ても上手いと思うじゃないですか。日本人と体の造りが同じじゃない部分もありますが、少しでも追いつけるように目標にしています。
故郷を離れて金沢所属になったわけですけれども、すんなりと馴染めましたか?
高橋先生がすごく良くしてくれますし、厩務員さんもいい方ばかりで恵まれた環境だと思います。競馬場の雰囲気にもすぐに馴染むことができました。いい馬にも乗せてもらっているので、早く上手くなって恩返しがしたいです。勝つことが一番の恩返しだと思うので。今は、金沢所属になれて本当によかったと思っています。それと、この前のお盆開催の時に両親が見に来てくれたんですけど、やっと目の前で勝つことができたんです。これまでデビュー戦と、ゴールデンウィークの開催の2回見に来てくれたんですけど、その時は勝てなくて...。お盆の時は目の前で2勝することができたので、ちょっとは親孝行できたかなと思いました。
では、今後の目標を教えて下さい。
まずは、今年中に減量を取る(30勝)ことです! 将来的には金沢のリーディングを獲って、全国で活躍できる騎手になりたいです。そのために、1レース1レースを大事に乗って、日々成長できるよう頑張ります。金沢は若手の先輩方がすごく活躍しているので、僕もその中の一人になりたいですね。同期の栗原大河といういいライバルがいるので、常にモチベーションを持ち続けながら成長していきたいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
オーストラリアを拠点に、韓国やシンガポールでも活躍する藤井勘一郎騎手(31)が、9月30日までホッカイドウ競馬で期間限定騎乗中です。
日本での最初の騎乗が道営で、とても嬉しいです。ホッカイドウ競馬で騎乗することになった経緯を教えて下さい。
昨年、韓国でレース中に怪我をして、妻の実家がある札幌にいたんです。シンガポールの高岡秀行調教師(元ホッカイドウ競馬)がセリに来ていると札幌競馬場で聞いて、静内へ挨拶に行きました。その時にホッカイドウ競馬の調教師を紹介していただき、田中淳司先生と縁ができたのです。
各地の競馬場で騎乗されていると思いますが、門別はどこに似ていますか?
オーストラリア、シンガポール、マレーシア、韓国、約60箇所で乗りましたが、似ているところはないです! ほとんどが芝ですし、門別は砂厚が12センチと深く、パワーがいる。雨が降るのと乾燥しているのではコンディションが違い、日によってどこを通るかが大事になる。去年研修に来た時に聞いてはいましたが、乗ると全然違いますね。ベテランの位置取りを見ながら、レースを組み立てています。古馬はクラス分けも細かいから、駆け引き次第で変わってくる。騎手の能力が問われます。2歳は南関東や中央を目指しているからシビアですね。全体的に、7カ月のみの競馬だからか、意気込みを感じます。学ぶことが多い。同厩の岩橋騎手とは同年代だし、刺激しあえる仲です。心強い。
門別競馬場は、関係者、スタッフが一丸となって作り上げている。全体の魅力、思いが伝わってほしい。
ナイター競馬はいかがでしょう。
シンガポールやオーストラリアでナイターの経験はあります。霧は人生初めてですよ、霧!! びっくりしました!! レースが中止になった時は、馬もよくなっていたのに......。映像は白くても、全く見えないわけではないんです。ただ、離して逃げる馬がいると距離感がわからないし、霧がゴーグルについて見にくくなるそうです。何より、パトロールタワーからレースが見えないと公正競馬が成立しないですからね。初めてといえば、今日午前3時頃坂路に行ったら、叫び声が聞こえたんです。子鹿が迷い込んでいたんですよ。
北海道はいかがですか。
道路が広く、自然が豊かなのはオーストラリアに似ています。オーストラリアでは3時間とか車を運転して競馬場に行くので、それを思い出しました。
牧場も新しい経験ですね。先日は育成牧場に行きました。坂路といってもいろいろあって、ウッドチップの質や敷き方、勾配、距離から違う。先日は育成牧場を経営している、元騎手の吉田稔さんと併せ馬をしたんです。元トップジョッキーと乗れたのもいい経験でしたね。うれしかったです。休みの日は札幌にいる家族に会いに行っています。3歳の息子、4月に生まれた娘がいます。癒やされますよ。
初勝利(7月15日1レース、ハッピーヴィータ)については。
勝つ馬を用意してもらいましたから。ほっとしましたね。精神的に楽になりました。日本で勝ったら感動するかなぁと思いましたが、以外と冷静でしたね(笑)。すぐに次はどう乗ろうか、と考えていました。結果を出すということを考えると、冷静、客観的にならなきゃいけないところはありますからね。
今後は、重賞を勝ちたいですね。王冠賞に乗せていただきましたが、他地区の川原正一騎手(兵庫)が来たり、独特の雰囲気があって乗っていて楽しい。道営は元トップジョッキーの調教師が多いので、騎手に対する目が厳しいです(笑)。
勝負服はどのように決めたのですか。
騎手服のある韓国で騎乗する時に作りました。オーストラリアで5勝か6勝して、大きな競馬場で乗るきっかけをくれた、ベネッツグリーンという馬がいます。馬主さんにぜひ使いたい、とお願いして同じ勝負服を引き継ぎました。
JRAの騎手試験を受けるときに、1キロだけ体重がオーバーして受けられずオーストラリアに渡ったと聞きました。地方競馬は考えなかったのですか。
もちろん、地方競馬のことは知っていたのですが、中央でも体重制限があるなら地方も同じだな、と考えて、オーストラリアを目指しました。
小学生の時に、たまたまテレビをつけて見たのがフジキセキの弥生賞。それから父が2カ月に1回くらいは、京都などの競馬場に連れて行ってくれました。父はもともとギャンブルやらないんですけどね。蹄やムチの音、臨場感、美しい馬。全てが新鮮でした。競馬場を出ると、焼き鳥やイカ焼きとかが並んでいる(笑)。それも思い出です。
理解してくださったお父様も素敵ですね。さて、オーストラリアではジョー(Joe)と呼ばれていますね。勘一郎と全然違うじゃないですか(笑)。
そうなんですよね(笑)。15歳の時に行ったホストファミリーでニックネームを名付けられて、そこから定着したんです。僕のサインもJoeって入っていますよ。
騎手になりたい若者が日本にもたくさんいると思います。
簡単ではないけれど、本当にやりたければ挑戦していくべきだと思う。僕もまだ、挑戦の過程です。オーストラリアにはほかにも日本人騎手はいますが、僕みたいに日本ら来ているのもいれば、現地で結婚して家を建てたり、それぞれのライフスタイルがありますね。
門別の後は決まっていませんが、10月にはJRAの試験があるのでそれに向けて勉強します。自分は初めて見たのがJRAだったから、日本で乗りたい気持ちがある。スノーフェアリーのダンロップ調教師なども言っていたけれど、日本の競馬は今世界で認められているし、日本で勝つのは難しい。外国の騎手にとっても、日本で乗るのはステイタスになっています。
好きなレース展開はありますか?
特にないです、馬に合った乗り方をしているだけ。生き物ですから、毎回レースで変わってくる。リプレイは欠かさず見ていますが、固定観念に縛られず、日々の変化をどれだけ感じ取れるか、です。宮崎光行騎手と話す機会があって、その時話題になったのは「人それぞれの個性がある。どれだけストロングポイントを出して騎乗するか」ということ。自分ですか? 難しいですが、いろんなところで乗ってきた、という柔軟性でしょうか。ここの競馬場だから簡単に勝てる、というところはひとつもないんです。
プロフェッショナルでいたい、ですね。それがあれば、海外でも言葉、生活の壁があっても、信念があれば乗り越えられる。いい仕事をしたいです。
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※インタビュー / 小久保友香 (写真:小久保友香、小久保巌義)