デビュー28年目に突入した、佐賀の真島正徳騎手。今年は地方通算2000勝も達成し、すでに前年を越える勝ち星を挙げるなど(11月18日現在)、ベテランの力を存分に発揮しています。区切りの勝利を挙げた今、これまでのこと、そしてこれからのことを語っていただきました。
今年は2000勝達成(8月31日)、すでに昨年の勝ち星を越えるなど、いいリズムですね。
そうですね。この1年は無難に来ている感じです。2000勝は、数字としてはもちろん嬉しいですけど、自分としては通過点というか、特に意識はしていなかったですね。これだけ乗ってたら、自然と通過する数字ですから。
8月31日佐賀第9レース、カシノマラドーナで地方通算2000勝達成
デビューから丸27年が経過しましたが、振り返ってみていかがですか?
もうそんなになりますか。まぁ何て言うか、自分の考えを曲げずにこれていることが有難いですね。競馬場の人付き合いというのは、かなり特殊ですから。僕は「乗せて下さい」って営業するのが苦手なんですよ。今はそんなこと言ってられない時代ですけど、それでもポリシーを曲げずにこれたことは、兄(真島元徳調教師)のお蔭です。
所属調教師でもある真島先生の存在は大きいですか?
大きいですねぇ。兄がいなかったらもっと早く辞めていたと思います。兄というよりも、師匠という感じですね。10歳離れてますから、飲みに行ったり、細かいこと話したりすることはないですけど。まぁ照れもありますから、2人で何かするっていうことはないです。兄も感情をあまり表に出さない、昔かたぎの人間ですから。
騎手を目指すきっかけも、お兄さんだったんですか?
そうです。物心ついた時には、兄はもう競馬場に行ってて家にはいなかったですね。どちらかというと親戚のおじさんという感じです(笑)。僕は勉強が嫌いでしたから(笑)、高校へ進学しようとは思ってなかったし、早い時期から兄に憧れて騎手になりたいと思ってました。だから、馬が好きとかで入ったわけじゃないんです。馬に乗ったこともなかったですから、最初は全然乗れなくて本当に大変でした。
デビューした頃はどんな感じだったんですか?
兄は現役の騎手でしたから、別の厩舎の所属になったんです。でも全然乗れなくて、何度も辞めようと思いました。その度に兄が、怒りながらも「頑張れ!」って言ってくれて。なんとか続けていたんです。その後、兄の所属厩舎だった山下定文調教師に引き取ってもらって、その辺りから乗り鞍も増えていって。兄が調教師になったタイミングで、また移籍して今の形になりました。ただ、僕はデビューした頃に本当に上手く行かなくて、色々悩んだりもしましたから、兄の厩舎の所属になったからといって、絶対に甘えてはいけないと思いました。今でもそうですけど、勝負の世界ですから、努力して認めてもらって、それで乗せてもらいたいと思ってます。
2000勝を達成した佐賀プリンス賞で、兄の真島元徳調教師と
真島騎手の勝負服は、紫と黄色ですけど、大井の真島大輔騎手(真島元徳調教師の息子)と近いデザインですよね。
兄が騎手をしていた時の勝負服が、大輔が着ている勝負服なんです。騎手を引退する時に、「お前、継ぐか?」って言ってもらったんですけど、少しアレンジして、袖の黄色をストライプにしました。
甥っ子である、真島大輔騎手の存在はいかがですか?
同じ場所で乗っているわけではないので、今でも甥っ子という感じが強いですね。南関東で頑張っているし、成績が上がったら素直に嬉しいです。夏に『里帰りジョッキーカップ』という九州出身の地方騎手招待競走があって、その時に僕が勝って大輔が2着だったんです。2人でワンツーが出来るなんて滅多にないですから、嬉しかったですね。
真島騎手というと、逃げ切り勝ちが多いイメージなのですが、ご自身ではいかがですか?
よくそう言われるんですけど、好きなのは差し切りです。やっぱり、乗っていて気持ちいいですから。逃げ切りのイメージが強いのは、佐賀はどうしても先行有利なコースなので、自然にそうなっているんだと思います。今乗せてもらっている馬も、基本的には逃げ・先行馬が多いですね。前に行けないと、なかなか勝ち切れないですから。
最近の注目馬は?
この時期はやはり2歳が気になりますね。この仔たちがどれくらい成長してくれるかで、来年が変わって来ますから。牝馬だと、ちょうど2000勝を挙げさせてくれたカシノマラドーナ。『九州ジュニアチャンピオン』は6着に負けてしまったんですけど、まだ体質が弱くてきちんと追い切りが出来ない中で、ここまでよく頑張ってくれてると思います。今は休養に出ているので、どれくらい成長して帰って来てくれるか楽しみですね。
では、今後の目標をお願いします。
具体的な目標は特にないんですけど、これからも体が続く限り乗っていたいと思っています。僕はこれまで、骨折したことがないんですよ。落馬しないわけじゃないんですけど、丈夫なんですかね。周りからは"不死身"って言われてます(笑)。これからもケガをしないよう気を付けながら、地道に頑張って行きますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
山頭信義騎手のデビューの地は船橋競馬場。その後、2年目に期間限定騎乗で高知に来て、デビュー4年目の今年10月、正式に高知競馬場所属騎手となりました。期間限定騎乗を経て高知に移籍した騎手としては、調教師に転身した目迫大輔騎手に続いて2人目です。
もともと船橋競馬場に縁があったんですよね?
はい。祖父が出川龍一厩舎で厩務員をしていて、競馬場にはよく遊びに行っていました。父は騎手になりたいという夢があったんですが体重の関係であきらめたそうで、僕が父の夢をかなえたということになりますね。小学5年からは中山競馬場の乗馬苑に通って、地方競馬のの騎手試験を受けました。でも1回目は落ちたんですよ......。
それは想定外ですね。
なんで落ちたんだろうなあ。仕方がないので船橋競馬場で厩務員をして、次の試験で受かりました。
南関東は新人がいきなり活躍するのがむずかしい場所ですが、初勝利はデビューの次の開催で挙げることができました。
ただ、乗り鞍が少なかったのが......。デビューの開催は10鞍あったんですが、そのあとが続かなくて。船橋では厩舎の2階に住んでいたんですが、ヒマでヒマでしょうがないんですよ。なんとかしなきゃという思いはいつもあって、そんなときに確か、高知に行っていた(同期の)山崎良騎手から来ないかと誘われたんです。ただ、個人的には船橋で頑張りたかったので、2回断りました。でもまた連絡があって、3回目に行きますと返事しました。
それからはおよそ1年間、高知で騎乗して、3週間ほど間があいて、また期間限定騎乗。その限定期間が終わって、正式に高知へ移籍ということになりました。
その3週間なんですが、船橋に戻ったのは2泊3日だけなんですよ。高知での仕事が残っていて、さらに台風で出発が延期になって、船橋では部屋を片付けただけという感じでした。
期間限定騎乗を続けたのは、高知の環境が気に入ったからということでしょうか?
そうですね。とにかく乗れますから。船橋とは攻め馬の数も違います。僕自身の最大では、25頭前後のときがありました。今は馬の手入れ作業もしているので18頭ぐらいですが、でもそれをやり始めてから、馬との距離とか接し方とかが変わったように感じます。正直、疲れるといえば疲れますけれど、午後も仕事があるので体調管理はしやすいです。
所属の田中守厩舎にはたくさんの活躍馬がいますね。
タンゴノセックは僕が攻め馬をしていました。サクラシャイニーは僕がするつもりだったんですが、(赤岡)修次さんが自分ですることになりました(笑)。先生に言わせると、攻め馬のレベルが違うって......。でも先生はいろいろな馬に乗せてくれます。別府(真司)先生にもお世話になっていて、オールラウンドやクロスオーバーの攻め馬に乗せてくれました。そういう毎日だから、楽しいですよ。もちろん、実戦でも自分が乗れればという気持ちはありますが。
たくさん乗れることが高知に移籍した最大の理由なんですね。
そうですね。本当に楽しいです。忙しいと時間が過ぎるのも早いですし。最近は厩舎作業もしているので、街に行かなくなりました。さらにこの間、厩舎地区に食堂がオープンしたのでなおさら。
となると、彼女とかは?
あと10年ぐらい......は考えなくてもいいかなあ。それよりも技術をもっと上げたいですから。馬を追うときの推進扶助がまだまだですし、レースでの展開もまだ読めていません。もっともっと乗って、経験を重ねたいですね。今で満足していたら、移籍した意味がないですよ。
確かに騎乗数は多いですが、勝ち星という点ではもっと上を目指したいところです。
チャンスはたくさんいただいているんですが、それを活かしきれていない感じがあります。個人的な目標としては、あと2年以内に通算100勝を達成したいですね。
しかし高知の上位陣はかなり層が厚いです。
ベテランのみなさんは若いですよ。そして技術もすごいですね。たとえば西川(敏弘)さんは、ほかの騎手より姿勢が高いんですが、追い始めると馬がぐんぐん伸びていきます。馬が動くツボを知っていると思うんですよ。本当にすごいと思いますし、そういう技術を自分もつけていかないと。
そして山頭騎手自身も1年前と比べると見た目が変わりましたね。1本だけ抜けていた前歯が今はありますし、髪の毛の色も変わりました。
前歯はブリッジを入れました。歯が1本だけないと、なんだかアホっぽく見えるみたいなので(笑)。髪の毛は、今は明るい栗色みたいな感じですけれど、前はもっと金髪に近い色だったんです。美容師さん任せにしたらそうなったんですが、これはちょっと、先生に怒られるかなと思いました。動機はやっぱり、自分を変えたいというところですね。
まだデビュー4年目ですから、これからですよね。
そう思っています。高知は僕が初めて来たころよりも馬の質が上がりましたし、馬の数も増えました。それとともにチャンスも増えていますけれど、ここからはもっと自分の地位を上げていかないと。
南関東にいる若手騎手にメッセージはありますか?
南関東のほうが夢は大きいかもしれないですが、レースに乗るという楽しみが少ないケースが多いですよね。高知はいつでもウェルカムなので、乗りたいという思いを持っているなら来たほうがいいと思います。夢はこちらでもつかめると思いますし。
ちなみに収入面は?
船橋時代にくらべると、だいたい倍になりました。ただ、今は使うヒマがないから貯まる一方です(笑)。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典