今年名古屋でデビューした新人3人のうち、最初に初勝利を挙げた村上弘樹騎手。その後も順調に勝ち星を重ね、名古屋期待の星として日々成長しています。初々しい笑顔が印象的な村上騎手に、現在の心境を語っていただきました。
4月にデビューしてから約4か月。ここまでで10勝(8月12日現在)というのは順調ですね。
本当に周りの方に恵まれています。最近では他厩舎でもいい馬に乗せていただくチャンスもあり、ここに来ていいリズムになって来ました。ただやっぱり、実際のレースは難しいです。当たり前ですけど地方競馬教養センターの時にやっていた模擬レースとは全然違ってて...。模擬レースの時は、ほぼ自分と自分の馬のことだけ考えてれば良かったですけど、レースは自分のことだけじゃなく、周りの動きとか手応えとかを見ながら流れを読むわけじゃないですか。面白いですけど、難しくもありますね。
初勝利はデビューから2戦目(4月14日)という早さ。名古屋の同期3人の中でも1番早かったですね。
自厩舎の馬で、チャンスあるって言われていたので、勝てて本当に良かったです。5枠からの発走でスタートも良かったんですけど、どのタイミングで内に入ればいいかわからず、ずっと外を走っていました(笑)。最後は2頭の叩き合いになったんですけど、最後の最後に「あ!差した!!」と思いましたね。この1勝というのは気持ち的にすごく大きかったです。同期からも「おめでとう」って言ってもらいましたけど、内心は悔しかったんじゃないかと思いますね。かなり意識していますし、いいライバル関係なので。
地元の同期だけではなく、他地区の同期も意識しますか?
しますね。ちょっと前まで、高知の妹尾浩一朗騎手と勝ち星が並んでいたので、負けたくないと思っていました。もともとセンターでも上手だったし、気になる存在です。あと、門別の水野翔騎手も気になります。一番のライバルは......金沢の中島龍也騎手と言いたいですけど、すでに32勝(8月12日現在)もしているので、ちょっと遠い存在になっちゃいました(苦笑)。でも、同期の頑張りはずごく励みになります。負けたくないですし、自分ももっと頑張ろうと思えますね。
そもそも、どうして騎手になろうと思ったんですか?
小学生の時に、父がたまたまマキバオーのビデオを借りて来たんです。一緒に見ているうちに、すごく面白いなと思って。それまで見たことのない世界というか、勝負の世界、真剣な戦いみたいなのが、心にグサッと刺さったんです。そこから競馬を見るようになって、その頃から背が小さかったので、騎手になりたいと思うようになりました。
ご家族の反対はなかったですか?
特に反対はされなかったですけど、心配はしていたと思います。中学3年生の時に、JRAの騎手学校を受けたんですけど、落ちてしまって...。受ける前は、よくわからないんですけど、何故か自信があったんですよ。それが、面接も全然話せなかったし、体力面も全然ダメで。現実を知って、落ち込みました。その頃は何をしたらいいのかわからなくなってしまったんですけど、たまたまテレビを見ていた時に、明石家さんまさんの番組で、騎手学校に入った小沢桃子さんのことを放送していて、国際馬事学校というところがあると知ったんです。すぐ親に話して、中学卒業と同時に入学しました。
全寮制の学校ということですけれども、初めての寮生活はどうでしたか?
寮生活はそんなに苦じゃなかったですね。辛かったのは......、高1の時にもう一度JRAを受けて、また落ちてしまったことです。本当はこの年に地方も受ければ良かったんですけど、当時はどうしてもJRAに行きたい気持ちが強くて。でも2度も落ちてしまったので、もう騎手は諦めようかなと思いました。その時に両親が、「ここまで頑張ったんだから、騎手になって欲しい」って言ってくれて。それで、次の年にもう一度JRAを受けて、落ちて、教養センターを受けて、合格したという経緯がありました。
必ず騎手になれるという保証がない中で、頑張り続けるのは難しい面もありますよね。
そうですね。当時の僕は、親の気持ちとか全然考えてなかったんです。自分のことばっかりで。でも、両親に背中を押してもらって、センターに入って名古屋所属になって。今は本当に良かったと思いますね。実は、金沢の中島龍也騎手は、国際馬事学校の1学年後輩だったんです。センターでは同期で、ずっと一緒に頑張って来たので、負けたくないっていう気持ちが強いですね。
では、今後の目標を教えて下さい。
今はまだ未熟ですけど、もっともっと腕を磨いて、岡部誠騎手や安部幸夫騎手や丸野勝虎騎手のようになりたいです! 名古屋で上位に食い込めるようになって、他場からも騎乗依頼をいただけるような騎手になるのが目標ですね。そしていつか、JRAで乗るのが夢です。そのためにも、1つ1つのレースを大切に積み重ねて行きたいです。一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
ハイレベルと噂される今年4月デビューの新人騎手。その中で初騎乗初勝利と華々しいデビューを飾ったのが高知の妹尾浩一朗騎手。その後も着実に勝利を重ね、8月18日時点で7勝。馬を追う時、グンと沈む柔らかい上半身と可動域の大きいダイナミックなフォームはまさに天賦の才。これに経験というスパイスを加えて、さらなる飛躍を目指す。
4月にデビューしてから4カ月半で7勝。ここまで振り返ってどうですか?
競馬は本当に難しいですね。特に展開を読むのが難しいです。デビューしたばかりのころは、本当に展開が分からず、無我夢中でしたが、最近はようやく、速い遅いは分かるようになってきました。だからと言って、その流れに応じて、いい位置が取れているかは別ですが。
デビュー前に想像していたレースと現実のレースは全く違ってましたか?
全く違いました。現実のレースは本当に厳しくて、自分の理想からだんだん離れていく感じすらします。今は現実のレースに揉まれて、壁に当たって悪戦苦闘しています。今のこの経験を糧にしながら、ステップアップしたいと思っています。
8月16日高知5レースで7勝目
師匠や先輩騎手からアドバイスはありますか?
(打越勇児)先生には特に厳しくご指導頂いています。調教の時とかに他のスタッフさんに、もっと気遣いできるようにならないとダメと言われてます。兄弟子の(宮川)実さんや赤岡さんからも指導されています。僕はよくレース中、どうしようかと一瞬迷うことがありますが、実さんからは迷ったら負けと言われます。迷う前に先に体が動くようにならないといけないんです。赤岡さんからはこの前は、もっとメリハリをつけろと言われました。前につけるにしてもハナに行くのか、控えるのか、中途半端では勝てないと言われました。
今は色んなことを吸収する時期ですね。ところで、どうして騎手を志望したんですか?
家族が競馬が好きで、よく競馬場に連れて行ってもらったことで競馬や騎手が好きになりました。それに母の従弟にボートの妹尾忠幸選手がいて、小さい頃から知っていたので、その影響もあったと思います。
大阪出身ですが高知競馬を選んだ理由は?
最初は実家(大阪府豊中市)から近い園田競馬に行こうかなと、何となく思ってましたし、母もそれを希望していました。しかし、(地方競馬)教養センターに特別講師として赤岡さんが来た時に「高知はたくさん乗れるから来い」と言われました。その直後に、調教師になったばかりの師匠になる打越先生が研修に来ていた時にお会いして決めました。母から反対されましたが、粘り強く説得しました。
勝負服は青に黄色の星散らし。この勝負服に込められているものは?
青と黄色は(打越)先生のお父さんである初男先生(高知初の2000勝騎手となり、ミスター高知競馬と呼ばれた。2011年死去)の勝負服(胴袖黄、青元禄)に使っていた打越厩舎伝統のカラーです。先生の「父を越えろ」の思いも込められています。星散らしは尊敬する兄弟子の実さんのデザインと同じものにしました。ナイター競馬の高知に似合っていると先生には言ってもらいました。伝統の重みを感じるし、誇りに思っています。厩舎や先輩の名を汚さないようにしないといけません。
初騎乗初勝利の時のことは覚えてますか?
あのレースがやはり、一番印象に残っているレースです。緊張もしましたが、意外に余裕を持って焦らずに乗れました。今でも、あの時のレースは頭に映像が浮かびます。ヤギリエスペランサという馬で、僕が勝った後は兄弟子が乗って鼻血を出し、最後のレースは僕に乗せて頂き、結果は7着でしたが、この馬には感謝の気持ちで一杯です。一生忘れられない馬ですね。
今後の目標は?
デビュー前は「年間100勝」と言ってましたが、今の現状では、かなり厳しいですね。でも、言った以上は、それに向かって頑張りたいし、看板は下ろしません。あと母に宣言したこともあるので。
母に宣言?と言いますと?
今、中学1年の妹はバスケットで私立の強豪校に、去年スカウトされたんですが、うちは母子家庭。母は学費のことで悩んでいました。それを聞いて「心配しなくても、僕が出すから」と言ったんです。妹は無事入学しましたので、僕は毎月仕送りしています。だから僕も、もっとうまくなって勝たないといけないんです。
18歳と言えば、中学時代の同級生はまだ高校3年生。なかなかできないことですよ。今は3キロ減で騎乗していますが、身長は騎手としては高い方(165.9センチ)。減量は厳しくないですか?
4カ月と少し騎乗して、コツは分かってきました。減量はただ落とすだけだと体力もなくなるし、それだと意味がありません。週の半ばから気をつけて少しずつ落としてます。今はサウナにこれくらい入れば体重はこれくらい落ちるみたいな計算ができるようになってきました。
自分の長所はどこにあると思ってますか?
体が柔らかいところと手が長いので馬を追うのにはいいと思います。それをもっと騎乗に生かしたいですね。
見本にしている騎手は?
兄弟子の実さんですね。乗ってる時の姿勢がきれいですし、馬を御すのもうまいですから。あと南関の御神本騎手のフォームも格好いいと思います。
今後に向けて抱負を。
とにかく競馬は勝たないと楽しくないし、1着になった時のうれしさは本当に最高です。最近は全国にいる同期の活躍が刺激になってます。特に金沢の中島くんの活躍はすごいと思うし、自分も負けないように頑張りたいと思います。
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※インタビュー / 松浦渉 (写真:にゃお吉)
今年笠松でデビューした、藤田玄己(げんき)騎手。デビューから約4か月が経過した現在も、日々試行錯誤を続けています。ここまでの道のりと、これからの目標をお聞きしました。
まずは、騎手になったキッカケから教えて下さい。
僕は幼い頃から動物が大好きだったんです。それで、いつか動物に関わる仕事をしたいなと思っていて。小学生の時に、テレビでたまたまレースを見たら、馬の走っている姿やジョッキーのカッコよさに憧れました。レースを見て行くうちに、自分も騎手になりたいと思って、中学を卒業してから3年間、千葉にある馬の専門学校に行ったんです。
馬の専門学校とは、どんなところなんですか?
騎手になりたい人や、厩務員になりたい人や、乗馬のインストラクターになりたい人など、入学理由は色々ですし、年齢もバラバラです。全寮制で、1日中馬のことについて勉強するわけですけど、実は僕は3年間いるつもりはなくて......。地方競馬教養センターの試験を受けて、合格したら中退しようと思っていたんです。でも、2回受けて落ちてしまって、3回目でようやく合格出来たので、結局3年間を過ごしました。
不合格だった理由は、なんだったと思いますか?
体力的なものだと思います。専門学校に入った頃は、まだあまり体力がなかったので。でも3年間みっちり鍛えたお蔭で、3回目の挑戦で合格出来て、本当に良かったです。
専門学校で3年、地方競馬教養センターで2年と、中学を卒業してからずっと全寮制の学校に行っていたんですね。
そうなんです。最初に親元を離れて、一人で専門学校に行った時はホームシックになりました。でもすぐに友達も出来て、3年間すごく楽しかったです。ただ、なかなかセンターに合格出来なくて、一度このままでいいのか考えようと思ったことがありました。諦めようとは思わなかったけど、このまま頑張っても、合格出来る保証はないわけじゃないですか。だから、専門学校の時は不安な気持ちも大きかったです。両親や兄弟がすごく応援してくれていたので、不安な気持ちを相談する勇気はなかったんですけど、センターに合格した時は本当に喜んでくれました。念願だったセンターに入ってからは......専門学校に比べると、教わる内容は似ているんですけど、内容の濃さが違いましたね。相当厳しかったです。
実際にデビューしてみてはいかがですか?
デビュー戦はほとんど覚えてないです(笑)。デビューした嬉しさはあったんですけど、何が何だかわからなかったですね。いきなり先輩たちの中にポンと入って、ずっと後ろから回って来たという感じで......。どこを回ったのか、進路もよく覚えてないんです(苦笑)。ゲート裏で輪乗りをしている時からガチガチだったらしくて、先輩たちから、「肩の力抜けよ」とか、「そんなんじゃゲート出れないぞ」って声掛けてもらったんですけど。それでも力抜けなかったです。62戦目で初勝利を挙げることが出来ましたけど、僕の実力ではなくて、周りのみなさんと馬のお蔭なんです。勝てて嬉しかったですけど、自分の力ではないのがわかるので、素直に喜べない部分もありました。
レースだけではなく、ジョッキーというお仕事についてはいかがですか?
馬に乗る技術ももちろんですけど、今初めて営業しているので、それが大変ですね。乗せてもらえても調教だけだったり、簡単にはいかないです。営業して、乗せてもらえたら本当にチャンスなんでね、一つでも多くのレースに乗れるように、諦めずに何度もしがみついてます。
所属の藤田正治先生とは、同じ苗字なんですね。
そうなんですよ!そのよしみで所属にしてもらった感じです(笑)。僕は出身が愛知なので、最初は名古屋を希望していたんです。でも同期に3人も名古屋希望がいて、難しいだろうということになって。でもどうしても東海に行きたかったので、教官が僕の気持ちを汲んでくれて、笠松で探してくれたんです。藤田先生はとてもいい方ですし、先輩たちもいい人ばかりで、笠松に来て本当に良かったと思ってます。
目標のジョッキーはいますか?
東川公則騎手です!! どの馬にも一生懸命乗っているし、ダメだった時にしっかりと頭を下げて、次に結果を出すんですよ。人当りもすごく良くて、騎手としてだけじゃなく、人としても尊敬しています。いつか僕も、東川騎手のようになりたいです。
では、今後の目標を教えて下さい。
目標は、自分の力で馬を勝たせることです。今はまだペースがよくわからなくて、ハナに行っても馬の好きなペースで走ってしまって、最後バタバタになることがよくあって。色んな人のレースを見て、聞いて、いろいろ取り入れながら頑張っていきたいです。まだまだ未熟者で下手くそですが、精いっぱい頑張りますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー/ 赤見千尋