『岩手競馬10年ぶりの新人女性騎手』として、また東日本大震災では気仙沼・鮪立(しびたち)で被災して、被災地から生まれた騎手としてデビュー前から注目されていた鈴木麻優騎手。4月19日にデビューし、ちょうど1カ月後の5月19日に初勝利を挙げてその注目ぶりに応えた。今回はその初勝利の話を中心に鈴木騎手のインタビューをお伝えする。
4月19日のデビュー戦
最初はやはり初勝利の話からいきましょう。5月19日(盛岡第1レース、ホヤラー騎乗)に待望の初勝利を挙げました。
ホヤラーには調教にもずっと乗せてもらっていて、最初の頃は引っかかったりしていたんですけど最近はうまく乗れるようになって、もう"以心伝心"なんですよ。ホヤラー、いい仔なんですよ。大好きなんです。
レースの時は、調教師さんからしっかりと指示を受けていたと聞きました。
スピードがあるから前に行けるんですけど、行きすぎると最後に止まってしまう馬なんですね。だから前回の騎乗時には(佐々木由則)調教師から「無理に行こうとしないで我慢して、周りの動きをよく見て乗ってこい」と。自分も勝とうとか思わないで指示通りに周りの馬の動きを見て進んでいたら、そうしたら勝てる位置に来ていた......という感じでした。
最後の直線とかゴールの瞬間とか、覚えてますか?
覚えてます。村上騎手の馬(ドクトルバロン)を追いかけている間はずっと手応えが良かったので"あっ、もしかしてハナ(1着)獲っちゃうかも!? でもまだまだ(仕掛けるタイミングが)早いよ"って。南郷さんの馬(ラッキーアスム)が来ていたの分かっていて、間に入られないように詰めようかどうしようかちょっと迷ったんですが、詰めに行って。そうしていたら忍さんが動いたんで"ここで動けばいいんだ!"。そこも合わせて動いていったら最後まで馬の手応えが良くて......って感じでしたね。
初勝利のゴールへ(5月19日)
あのレースはホヤラーとしては完璧な乗り方だったよね。良いレースでした。
まだまだですよ。もっとうまく乗らないといけない所がありましたから。でも、ホヤラーには調教とかレースとかいろいろ教えてもらったから、これからも乗る機会があれば一緒に頑張っていきたいです。
ひとつ勝ったことで見えてきた課題、みたいなものはありますか?
そうですね、まだまだ追えないですね。追う力が足りないのは自分でも自覚しています......。
最初の頃なんか、直線でもう息があがってる感じだったものね。でも徐々に力も増してきたように見える。
先輩方がいろいろアドバイスしてくれるんです。ビデオを見ながらどこでどう動いたらいいかとか、どういうコースを取ればいいかとか。先輩方が本当に丁寧に教えてくれるので、自分も少しでも早く進歩しようと思っています。
初勝利のことは、ご家族はなんて言っていましたか?
「おめでとう」って。レースはネットで見ていたそうです。その日は地元でウニの開口があって来れない日だったから。
次の目標は?
まず自厩舎の馬で勝つことです。伊藤先生には実習中から心配ばかりかけていたので良い結果を出して恩返ししたい。
もうひとつくらい。もうちょっと大きめな目標を立てるとしたら?
そうですね~。10勝したいです! 今シーズン中に。勝って自分の力で減量が取れるようになりたいです。
デビューの日はたくさんのマスコミが取材に。新人騎手の囲み取材は前代未聞
さて、今回の初勝利でもそうだったと思うのですが、デビュー前からデビュー後、これまでと、マスコミの取材がね、引きも切らないじゃないですか。そういうのは自分でどう思っていますか?
岩手競馬をアピールする機会になっているから、凄く嬉しいです。
嬉しい?
そうですね。これで岩手競馬を知ってもらって、もっとたくさんのお客さんに来ていただけるようになればいいなと思っています。
あとは、何というか"被災地の復興のシンボル"みたいな扱いに、どうしてもなってしまうじゃないですか。震災から起ち上がる被災者......みたいな。そういう位置づけ方はどうですか? 鈴木騎手的にOK?
うーん、私よりももっと苦労している方のほうがずっと多くて、自分の苦労なんかは比べるとホント小さくて。それに自分はちょっと前向きなだけで、それでここまでやって来ただけだから、"こんなに大々的に取り上げられていいのかな?"と思ったりもします。それも岩手競馬とか地元の宣伝につながるならいいのかな、って。
4月の初騎乗の際もマスコミが"殺到"と言ってもオーバーではないくらい多数訪れ、今回の初勝利のニュースも「全国ニュースで見ました」という声が多い......というほど鈴木騎手のことは各種媒体で取り上げられている。
しかし彼女はそんな扱いに特に舞い上がるでもなく、ソツなく取材をこなす。被災地とあわせて取り上げられること、それが「岩手競馬の宣伝になればいい」という言葉も、分かってそういう役目を演じて、狙って言っている......というわけではなさそうで、ごくごく自然な彼女のスタンスから出てきているようだ。
競馬のこと、レースのことも大事だけど、「もうちょっと、ほっぺのあたりが痩せてスッキリ見えるようになったらいいな~って」「髪を伸ばしたいんですよ。伸ばしたくても伸ばせなかったから、"フワッ"ってなるくらい伸ばしたい」と気にするあたりは年相応の女の子。変に形にとらわれることなく"公・私"を使い分けられるのが彼女の他にない持ち味なのだろう。
競馬は厳しい勝負の世界......ではあるが、願わくばこの自然さを、いつまでも保ち続けてほしいと思う。既存の形に囚われないスタンスは競馬にもきっと活きる......と思うのだが、どうだろうか。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
4月から短期免許を取得し、高知競馬で騎乗中のオーストラリアの賀谷祥平(かやしょうへい)騎手(35歳)。ケアンズを拠点に174勝の実績も申し分ないが、それ以上に目を引くのは、インテリビジネスマンでもあるもうひとつの顔。上智大経済学部卒で、公認会計士の資格を取得し、騎手と並行しながら現在は会計事務所を経営している。そんな異色ジョッキーの素顔に迫りました。
4月5日から騎乗を始めて、28日に初勝利。おめでとうございます。
ありがとうございます。オーストラリアは芝ばかりで、ダートは初めてだったし、高知のレースの流れや、外が軽い馬場など、戸惑うことが多かったですが、まずは1つ勝ててホッとしています。
高知の騎手会長で、2500勝の西川騎手に直々にアドバイスをもらったと聞きましたが。
熱血指導をいただきました(笑)。西川さんを筆頭に、赤岡さんや高知の騎手はみんな人情に厚いんで、感謝してます。
勝負服のデザインが「胴青桃縦縞、袖緑」ですが、この由来は?
青が僕の好きなカラーで、桃と緑は高知で所属させて頂いている田中守先生の騎手時代の勝負服カラーを頂きました。田中先生にはアドバイスしてもらったりお世話になってます。
4月28日第4レース、ラビットアドゥールに騎乗して初勝利
ここで、もうひとつの顔でもあるビジネスマンの方のことをお聞きます。持っている資格を教えて下さい。
オーストラリアとアメリカの公認会計士、MBA(経営学修士)、会計学修士、宅地建物取引主任者です。
騎手をしながら、それだけの資格を取得するなんて、すごいですね。
騎手も会計士に関わる仕事や勉強も好きでしてますし、趣味みたいなものですから大変と思ったことはありません。毎日、満員電車で通勤されて、朝から晩まで働き通しの日本のビジネスマンの方がずっと大変だと思います。
オーストラリアでの1日のサイクルを教えて下さい。
平日は朝は4時半に起きて、車で競馬場に移動して5時から8時くらいまで調教に騎乗。そこからいったん家に帰った後、9時から経営している会計事務所で夕方5時まで仕事をして帰宅。夕食やお風呂に入って10時に寝ます。競馬開催の土日は早朝に調教に乗るのは同じですが、昼から夕方にかけてレースに騎乗します。こんな生活ができるのも家族と会社のスタッフの理解があるからですね。本当に感謝してます。
本題に戻って、オーストラリアで騎手になった経緯は?
高校のころから競馬が好きで、テレビでも、ライブでも見てました。でも目が悪かったので、日本で騎手にはなれないと諦めてました(裸眼で地方競馬教養センターは0.6以上、JRA競馬学校は0.8以上)。大学3年(21歳)で就職を意識しはじめた時、自分の腕で稼げる仕事がしたいと思ってたし、周囲の友達のように一流企業で働く気も全くなかった。それなら単位も既に取れていたし、矯正視力でも騎手になれるオーストラリアの競馬学校に入って騎手になろうと思いました。
言葉でオーストラリアの競馬学校に入るというのは簡単ですが、英語は話せましたか?
読み書きは受験の時に勉強したので、自信はありましたが、行ってみると、話せない聞き取れないで大変でしたね。しかも周りに日本人は僕ひとり。でも、自分で決めた以上は乗り越えるしかなかったですね。
03年に見習い騎手デビューし、オーストラリアでは1934戦174勝。07年にはクイーンズランド州北部の最優秀見習い騎手にもなっています。
競馬学校があったアーミデールでデビューした後、06年6月に現在のケアンズに移りました。日本人のいないところにいましたので、観光地で日本人が多いケアンズが魅力に映りました。見習い最優秀騎手になった年は27勝して、メトロポリタン(賞金の高い競馬場で日本の中央に相当)に移る話もありましたが、当然、厳しい競争があります。有力な厩舎や馬主とのコネもなく、騎乗数が減る不安もあったので、プロビンシャルやカントリー(賞金の低い競馬場で日本の地方に相当)で騎乗数を確保できる方を選びました。カントリーと言っても観客は多いし、すごく盛り上がります。
オーストラリアの競馬を振り返って。
思い出すのは競馬場までの移動距離の長さ。自分の本拠地以外でレースがある時、3~4時間かけて車で移動するのは当たり前。時には砂漠の道を延々8時間くらい走ることもありました。途中、飛び出してきたカンガルーをひきそうになったことも1度や2度ではありません。あと、思うのは向こうでは騎手は特殊な職業ではないことですね。日本のように門戸が狭いわけではなく、誰でもなれるし、広く受け入れて、そこからの競争が厳しい。子育てが落ち着いたからと、40歳を越えて復帰する女性騎手もいるくらい。日本では制限が多くて中央と地方では自由に乗れないけど、メトロとカントリーの行き来は自由。実力の世界で厳しいけど、これが本来あるべき姿だと思います。
日本で短期免許で乗ろうと思ったきっかけは?
僕は日本人だし、日本で乗れるものなら乗りたいと思ってましたが、視力の関係で諦めてました。でも、オーストラリアで免許を取得していれば矯正視力でも乗れると話を聞いて申請しました。
地方の中でも、賞金レベルの高くない高知を選んだ理由は?
広島県呉市の出身なので乗れるのなら、地元の福山で乗りたいと思ってました。でも廃止になったので、それなら福山の次に近い高知で乗ろうと思いました。南関東の賞金は高いですが、騎手の数も多い。乗り鞍が少ないと日本で乗っても意味がないので考えませんでした。
高知にはご家族と一緒ですか?
妻と長男(4歳)と長女(3歳)はオーストラリアに残して、高知には単身赴任で今は調整ルームで住んでいます。日本に住む両親と妹が4月26日に高知に見に来てくれて、びっくりしましたが、うれしかったですね。
日本とオーストラリアの競馬の違いはどのあたりに感じてますか?
日本の騎手はみんな上手ですし、きれいなフォームで乗ってます。オーストラリア以上に、地方も中央も競馬学校でかなり厳しく教えられてるんだと思います。それから、日本の騎手はオーストラリアよりも手綱を長く持ってますが、それで馬を抑えているのが、すごいです。学ぶことが多いです。
短期騎乗もあと1カ月になりましたが、最後に日本のファンの方にメッセージを。
オーストラリアはカントリーの競馬場でも観客が多く、すごく盛り上がりますし、それが騎手にとって励みにもなります。生の競馬場は、馬の走る音や、鞭の音、馬が間近で見れるなど足を運んでみて初めて感動することがたくさんあります。僕もただの競馬ファンだった時はあの馬が走り過ぎていく時の蹄音に感動しました。日本のファンの方にはもっと、競馬場に足を運んで応援してもらったらうれしいですね。
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※インタビュー / 松浦渉 (写真:にゃお吉)
今年がデビュー15年目になる陶文峰(とう ぶんほう)騎手。昨シーズンはドリームクラフトとのコンビで重賞4勝を挙げ、同馬を2013年度の岩手競馬年度代表馬に導きました。また、2004年にトキオパーフェクトで2勝を挙げて以来、久しく遠ざかっていた重賞制覇でもあり、昨シーズンは陶騎手にとって記念すべき1年となりました。
まずはですね、"ドリームクラフトって陶騎手から見てどんな馬?"という質問からいきましょうか。
レースがよく分かっている馬ですね。どこから動き出してどこで脚を使うか自分で知っていて毎回3~4コーナーで伸びてくれる。乗っている僕が邪魔しなければ力を出してくれる馬ですよ。
勝った重賞は全部水沢で、"盛岡は苦手なのか?"とも言われていますが?
いや、盛岡も決して苦手ではないと思うんですよ。クラスターカップ(7着)の時も上がり34秒6とかで走っていて上位の馬がもっと走ったというだけだし、シアンモア記念で2着になった時も走りや手応えは凄く良かったんで、あれで盛岡は走らないという感じはしないんです。勝った馬が強かったとか上手く走ったとかそんな感じで、ドリームクラフト自身はそんなに悪い走りだったわけじゃないと思います。
確かにシアンモア記念の2着はレース内容が良かったし、それに水沢でだって負けた事があるわけだしね。
盛岡で勝ててないのは距離もあるかな。マイルはちょっと長い。長いというか脚の使い所が難しいですね。短すぎる距離だと忙しくて合わない。1400mがやっぱり一番良くて、この距離なら馬が自分で動いてくれるし捲っていく時の手応えも凄いからね。
盛岡が芝もダートもイマイチだったのは、盛岡のコース形態だとこの馬が動きたいところに必ず坂があるからかな?とか想像しているけど?
そういうのはあるかもしれませんね。3コーナーからずっと下ってきてすぐ登りですからね。あと、58kgとかの重い斤量をちょっと気にするのかもしれない。
ドリームクラフトでトウケイニセイ記念を制してガッツポーズ
ドリームクラフトの転入初戦、去年の3月の開催で勝った時から「これはかなり走る」って言ってましたよね。
最初はダートの1800mでね。調教師からも「芝の方が良いんじゃないか」って言われてて自分もそのつもりで挑んだけど、3コーナーあたりからガツンとハミを取って、あれっ?と思った時にはもう周りの馬が止まって見えるくらいの脚。これはダートでも走るなと。その頃は芝馬っぽい素軽い走りって言うんですか、そんな走りだったけど徐々に変わってきて。馬体重も440kg台でしたがその後は450kg台後半になって。パワーが増してきたんじゃないかな。
陶騎手はトーホウエンペラーとかデンゲキヒーローとかも知っているわけだけど、そういう馬たちと比べた時はどう?(注:トーホウエンペラーは千葉四美厩舎に所属していた時に調教を付けていたことがある。デンゲキヒーローはキャリア終盤にコンビを組み、04年の名古屋グランプリGIIで3着がある)
トーホウエンペラーやデンゲキヒーローはパワー型でしたよね。重賞を勝ったトキオパーフェクトはスピード型。そんな馬たちに比べるとドリームクラフトはちょっと違いますね。短い距離で勝っているけどスピードで押す馬ではなくて、そういう距離でキレる脚があるタイプ。コウギョウデジタルと似ているところがあるなと感じるんですよ。レース中に気を抜く時は抜きすぎるくらいなのに何かのきっかけでスイッチが入ってグッとハミを取ったり。同じアグネスデジタルの産駒だからかな?と思ったりしますね。
デンゲキヒーローで挑んだ2004年12月の名古屋グランプリは3着
陶騎手は中国の生まれ(中国黒竜江省生まれの中国籍。数少ない日本で免許を取得した外国人騎手)で、日本に来たのはいつでしたか?
12歳の時ですね。日本に来た時にはもう中学生の年齢だったけど、日本語がよく分からないという事で最初は妹と二人で小学校に入ったんです。妹が小五の年齢だったので二人で小学校5年生ね。で、妹と一緒に小学校を卒業して、妹は普通に中一だけど自分はすぐに中二に飛び級みたいな感じで上がったんです。
水沢農業高校で馬術部に入ったわけですが、それは馬が好きだったから?
いや、最初はサッカー部に入ろうと思っていました。友達に誘われて馬術部を見に行って、それで入ったんです。中国時代は家に農耕馬がいたけど、大きくて怖かったからあまり近寄ったことがなかったですからね。
水農馬術部から競馬の世界...って、岩手競馬では出身者が多い路線だよね。
馬術部の頃にアルバイトってことで水沢競馬場でポニーを引く係をやったことがあって、競馬を見て凄いなと思って。そんな時に千葉四美調教師(当時)に誘われたんです。日本に来ていろいろな仕事に興味があったけど馬の仕事もいいな...と思って騎手を目指すことに。でも長期過程を二度落ちたんです。当時は体重も増え始めていたからどうしようかと思ったけど、短期過程があるからということで受けて合格しました。
陶騎手もベテランの年になったから水農出身の後輩も増えてきたと思うけど、先輩風吹かしたりしてないの?
いや、ないですよ(笑)。俊吏(菅原俊吏騎手)が一つ下、皆川(麻由美元騎手)が二つ下になるけど、もっと上の先輩もたくさんいますからね。伊藤和調教師や瀬戸幸一調教師、吉田司調教師、高橋純調教師。自分はとても威張ったりできない。
重賞初制覇をもたらしたトキオパーフェクト(2004年OROカップ)
えー、ではドリームクラフトに戻って。今年はどんな成績を残したいですか?
年度代表馬を2年連続で取る、というのはめったにないことだろうし、それができるのは年度代表馬を取った次の年なので、今年も狙っていきたいです。勝つべきレースをきっちり勝てるようにしたいですね。あとは盛岡で勝ちたいですね。さっきも言ったように盛岡がダメだとは思ってないので、盛岡でも強いドリームクラフトを証明したいです。
自分自身は?
この年になると毎年"今年はどこまでやれるかな?自分はあとどれだけやれるのかな?"って感覚になってくるんです。でも、これまでも自分が苦しい時に良い馬に出会って助けられてきた。トキオパーフェクトとかデンゲキヒーローとかね。今はドリームクラフトがそうなんだと思う。良い馬で必ずしも良い結果を出せなかったとも思うから、ドリームクラフトではきちんと結果を出して、期待に応えたいですね。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
佐賀のトップジョッキー山口勲騎手。2006年に初めて佐賀リーディングを獲得すると、その後は毎年のように全国リーディングの上位に名を連ねています。2012年には地方通算3000勝を達成。2013年は、前年惜しくも逃したNARグランプリ最優秀勝率騎手賞を受賞するなど、年々その存在感は大きくなっています。
少し前の話になりますが、NARグランプリ2013最優秀勝率騎手賞おめででとうございます! 受賞された率直な感想は?
前の年がちょっとの差で負けてしまい2位だったので、今回の受賞は余計に嬉しかったですね。特別賞や殊勲賞の時とは気持ち的にも違いますね。
2012年は、最後まで高知の赤岡騎手と勝率を競い合っていましたからね。
いやーほんと、最後まで分からなかったですもん。
聞いたお話ですと、お互いがかなり意識し合っていて、周りもどうにかして獲らせてあげようという状況だったと。実際はどうだったんですか?
自分は意外とそこまで思っていなかったんですけど、うちの調教師は意識していたみたいですよ。他の調教師はあまり知らなかったんじゃないかな。
結果は、山口騎手が勝率30.2%、赤岡騎手が30.8%と、本当にわずかな差でした。
ラスト1日まで分からなかったので悔しかったですね。最後に赤岡騎手が、他の騎手からの騎乗変更で勝つ馬が回ってきたという話を本人から直接聞いたから余計に(笑)
2010年は殊勲騎手賞を受賞されています。ただ、この年は294勝をあげ、地方全国リーディングだったのですが、最優秀勝利回数騎手賞は獲れませんでした(地方・中央合わせた勝利数のため、受賞したのは戸崎圭太騎手)。
地方では最多勝とは言われましたけど......ちょっと腑に落ちない部分はあったし悔しさはありましたよね。
最近は常に全国のトップの位置にいますが、こういった賞は意識されているんですか?
1年が始まった時にはあまり思わないのですが、去年は10月、11月くらいから意識し始めましたね。でも表彰式に行ってあんな華やかな舞台に立つと、来年もここに来たいという思いは出てきます。今年は佐賀でも特別に表彰されましたし、賞をもらうのはやっぱり良いことだなと。佐賀のPRにもなりますし、自分のモチベージョンにもなります。
2013年は200勝、地方全国7位(勝利数)、8年連続佐賀リーディング獲得という成績でしたが、満足はしていますか。
以前は荒尾競馬がありましたから、2010年のような数の勝鞍がありましたけど、今は佐賀だけですからその分は仕方ありません。200勝できたので自分では満足していますね。
2013年にはダイリングローバルで九州ダービー栄城賞を制覇
今年、ここまでの成績や調子はいかがですか?
今年は勝率も低いし、今のところあまりよくありませんね。自分の中では毎年と変わらないのですが、流れがまだ良くないので後半がんばりたいです。
2014年の目標は?
できれば通算3500勝とは思っているのですが、今のペースじゃ厳しいかなあ。でも、とにかくケガなく、騎乗停止なく乗れればいいですね。ここ1、2年騎乗停止があって1年間通して騎乗できていないので、そこは気にして乗りたいとは思っています。佐賀リーディングも続いている以上は獲りたいです。
これまで3000勝以上をあげてきたトップジョッキーの山口騎手。例えば、若手に「どうやったら勝てますか?」と聞かれたら何と答えますか?
「冷静に乗ること」だけですかね。競馬は、自分が走るわけじゃないですから。周りをしっかり見て落ち着いて乗ることです。自分も今でも失敗することはありますが、それを少なくしていかないといけません。
今の若手ジョッキー達に伝えたいことはありますか?
やっぱり努力をしないといけないってこと。まあ、昔とは努力の感覚が違ってきていますが。騎手はチャンスを生かさないといけないから、努力をしていないとそのチャンスも巡ってこないですしね。
山口騎手自身の今後についてはどう考えていますか?
あと何年騎手を続けられるかということは考えるところではありますよね。やっぱり体も硬くなってきていると自分でも感じますし。できるだけ現役を続けていきたですね。
では最後に......今年のNARグランプリでは、どの賞を受賞しますか?
うーん、あと残っているのは、ベストフェアプレイ賞くらいかな(笑)。でもあれもかなり勝たなくちゃいけないからなぁ。がんばります!
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※インタビュー / 秋田奈津子
今年、騎手生活28年目を迎えた東川公則騎手。2011年には地方競馬通算2000勝を達成。近年でも毎年100勝以上を挙げ、トップジョッキーとして活躍し続けている東川騎手に、これまでのこと、また今後の目標などをうかがいました。
昨年は117勝を挙げて笠松では2位。1位は125勝で向山牧騎手でした。ベテランが頑張っていますね。
そうですね。自分ではまだベテランのつもりはないんですけど(笑)。気がついたらもうこの年(44歳)になっていたという。
2010年から昨年まで4年連続で100勝以上を挙げて、2011年は笠松リーディングでした。今年で28年目ですが、それだけ頑張れるという秘訣はありますか。
一番は、この仕事が好き、ということです。あとは、この仕事しかないという感じでずっとやってきてますからね。2009年は怪我があったので100勝に届きませんでしたが、また笠松でトップをとらないと、まだまだ若手には負けたくないという気持ちでやっています。
昨年、重賞では、1月には金沢のトウショウクエストで白銀争覇を、11月には北海道のカクシアジでプリンセス特別を勝ちました。いずれも他地区からの遠征馬でした。
なかなか他地区の馬に乗せてもらって勝つということはないですから、そういう機会を与えていただいて、結果を出せたということで、いい経験をさせてもらいました。いい馬に乗せていただいたということもありますし、馬をよく仕上げてくださったということもあったと思います。だから、ほんとに勝ててよかったと思います。
プリンセス特別では、北海道のカクシアジを勝利に導いた
一昨年(2012年)には浦和に所属して、南関東で2カ月間、期間限定騎乗がありました。
手探り的なところもあって、あまりいい結果は残せなかったんですけど、ただ、騎手である以上まだまだチャレンジはしたいと思っています。この年になって、いつまで騎手を続けられるかということもありますし、いろいろな競馬場で乗ってみたいという願望もあります。
その南関東の期間限定騎乗では、5勝、2着14回という成績でした。
けっこう数は乗せていただけたので、それはいい経験になったと思うんですけど、勝つまでには、自分の中にまだ足りないものもあったと思います。あまり慣れていない左回りも、騎手をやっていく以上、もっともっと経験して、慣れていかないといけないと思っています。
思い出の馬となると、やはりミツアキタービンですか。ダイオライト記念と、オグリキャップ記念(2004年、当時は交流のGII)を連勝しました。
そうですね、あの馬はほんとに強いと思ったし、乗りやすい馬でした。なかなかグレードレースを勝てるような馬に乗せてもらうこともないですから、いい経験をさせていただきました。
ミツアキタービンで制した2004年のオグリキャップ記念GII(写真:いちかんぽ)
ミツアキタービンでは、中央のフェブラリーステークスで4着というのもありました。
あのときは、自分でも直線半ばまで、いいのか?って思いながら、ここまで来たらと思ったんですよね。(勝ったアドマイヤドンから)コンマ2秒差ですか、あんな経験はなかなかできないですよ。
それ以前では……。
最初にすごい馬に乗せてもらったのは、メーカーロッキーです。デビューして7年目ですか。それまで重賞で人気になるような馬には乗ったことなかったんですが、メーカーロッキーはずっと連勝していて(17連勝中)、重賞の東海大賞典で斤量が50キロということで僕に回ってきました。微妙に内に刺さる馬で、僕は左利きで、どちらかというと右のムチがまだ苦手だったんです。右から上手に叩ければよかったんですが、ギクシャクしたままゴールして、ロングニュートリノという馬にハナ差で負けたんです。あの負けは僕のせいだなあとか考えたら、悔しかったですね。でもそのときに自分の技術の未熟さをあらためて認識して、もっと練習しないといけないとも思いました。あの経験は大きかったですね。
あとはトミケンライデンですね。サラブレッドの重賞を初めて勝たせてもらった(1997年・岐阜金賞)のがこの馬だと思うんです。それまでは(安藤)勝己さんとか(安藤)光彰さんが乗っていて、ほかに乗り馬が決まっていたのか、当時は前日投票だったんですけど、投票を見たら僕になっていて、「オレじゃん、いいの?オレで」みたいな。1番人気が(吉田)稔のセイエイツートップで、僕は2番人気。レースの前日に勝己さんから「この馬は300メートルくらいしか脚が使えないから、我慢できるところまで我慢しろ」って言われていたんですが、手ごたえがよかったので行こうとしたら、勝己さんのほうがよく見ていて、「お前、まだ早いわ」って。3~4コーナーでセイエイツートップが上がっていったところで、「よし行け」って、勝己さんがゴーサインを出してくれて(笑)、勝つことができた感じでした。そのころから荒川先生(故・荒川友司調教師)の馬に乗せてもらうようになって、勝つ自信がついたというか、いい経験をさせてもらいました。
最後に、これからの目標というか、どういうふうに競馬とかかわっていこうとお考えですか。
今のところ調教師とかは考えたことがなくて、10年でも20年でも騎手でいられるなら、騎手という仕事をやっていきたいと思っています。(地方競馬の最高齢重賞勝利記録を更新した)的場(文男)さんみたいな人がいる以上、自分もまだまだと思いますね。よほどの怪我とかでもない限り騎手を続けたいです。地元のリーディングもまた獲りたいと思うし、あとは、いろんな競馬場で乗って、そこで結果を出したいというのが目標かな。今年7月から8月まで、今度は大井の所属で、また南関東で期間限定騎乗が決まっています。さすがに吉原(寛人)君みたいな活躍はできないと思いますけど、大井は(笠松と)同じ右回りで、その時期は開催日数が多いですから、今後の自分に生かせるような結果が出せればと思っています。
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※インタビュー・写真 / 斎藤修