この春、デビュー3年目を迎えた高知の下村瑠衣騎手。ここまでの2年間は、門別から福山に移籍したり、福山競馬廃止を経験したりと、まさに激動の騎手人生でした。福山から高知に移籍して約3か月。現在の心境をお聞きしました。
赤見:高知にはもう慣れましたか?
下村:慣れました! コース自体は福山と比べて広いし、内を開けて乗るので乗りやすいです。砂がとにかく深いので、最初のうちは福山から一緒に来た馬たちはいい結果が出せなくて...。なかなか初勝利が挙げられなくて、『このまま高知では1勝もできないかもしれない...』なんて落ち込んだ時もあったんですけど。今は馬たちも慣れてきたみたいで、力を出せるようになりました。たくさん乗せてもらってるし、勝たせてもらっているし、本当に所属の那俄性哲也先生のおかげです。
赤見:那俄性先生とは、福山から一緒に来たんですよね。
下村:そうです。福山に行った時には最初は短期の期間限定騎乗で、会長の徳本慶一先生のところで所属にしてもらったんです。その後に完全移籍が決まって、福山の廃止も決定的になって...。それで、那俄性先生が『一緒に高知に行こう』って言ってくれて所属することになりました。
実は私、門別から短期で福山に来た時、この期間限定騎乗が終わったら騎手を辞めてもいいかなと思っていたんです。デビューしてからなかなか結果が出せなくて、『自分は騎手だ』と胸を張れるような仕事を全然していなかったので。今思うと、門別でももっと頑張れたのかもしれません。自分の努力が足りなかったし、考えが甘かったんです。
赤見:なぜ移籍先を福山にしたんですか?
下村:それはもうLJS(レディースジョッキーズシリーズ)のおかげです。新人だったとはいえ、盛岡ラウンドと荒尾ラウンドで全く成績が出せなくて...。このままじゃダメだと思って、ラストの福山ラウンドでは、徳本先生にお願いして朝の調教を手伝わせていただいたんです。レースでは強い馬に当たって、2レースとも勝たせてもらいました。その中の1頭が那俄性厩舎の馬だったので、そこからのご縁なんです。
期間限定騎乗で福山に行った時、徳本先生が空港まで迎えに来てくれたんですけど、その車の中で廃止決定の記事が載っている新聞を見せていただきました。もう本当に衝撃だったけど、とにかく福山で精一杯頑張ってみようと思いました。
赤見:実際の福山はどうでしたか?
下村:調教にもレースにもたくさん乗せていただいて、色々な経験をさせてもらいました。周りの方々も温かく迎えてくれて、日に日に『もっと乗りたい!もっと乗りたい!』って気持ちが大きくなって。地方競馬の中で、騎手の完全移籍というのはなかなかできないじゃないですか。でも周りの方々が親身になって相談に乗ってくれて、門別とも相談してくれて、期間限定じゃなく福山に移籍できることになったんです。
赤見:廃止が近かったですけど、不安はなかったですか?
下村:不安がなかったと言えば嘘になるけど、私本当に福山が大好きで、みんなと一緒に乗りたいっていう気持ちが強かったですね。廃止の日が近づいてくるのは本当にイヤでした。私は那俄性先生のおかげで高知に移籍できることになったけど、続けられるのに辞めざるを得ない人もいましたから。すごく複雑な気持ちでした。
廃止の日にはたくさんのファンの方が詰めかけてくれて、いっぱい声援もいただきました。応援していただいて、本当に嬉しいです。福山に来た時は、騎手を辞める覚悟をしていたけど、この何か月かの経験で人生観が変わって、少しでも長く騎手を続けたいって思うようになりました。たくさんの人たちのおかげで、こうやって騎手を続けていられるんだと思ってます。
赤見:その後高知に移籍したわけですが、高知の雰囲気はいかがですか?
下村:高知の人たちも本当に優しくて、和気あいあいの雰囲気ですね。私は中学生くらいの時から(別府)真衣ちゃんに憧れていたんですよ。レースを見ながら、カッコいいな~って。LJSで会った時から仲良くしてもらってましたけど、実際に同じ競馬場になってからはさらに優しくしてもらってます。騎手として色々教えてくれるし、一緒に乗っているだけでもすごく勉強になりますね。
赤見:休みの日は何をしてるんですか?
下村:何もしてないです(笑)。今は厩舎に住んでるんですけど、馬にご飯あげたり水を足したりする仕事があるし。ずっと馬と一緒の生活です。どこかに出かけたりもしないですね。実は、厩舎が山の上の方にあって電波が良くないので、テレビも映らないんですよ(笑)。自分の部屋では寝るだけです。でも、すごく仕事が充実しているので、毎日楽しいんですよ。食事は那俄性先生の奥さんが作ってくれて、厩舎で先生や厩務員さんとみんなで食べるんです。もう家族みたいな感じですね。
赤見:今後の目標を教えて下さい。
下村:今すごく意識しているのが、名古屋の木之前葵ちゃん。会ったことはないんですけど、同い年だし、ちょうど私が高知に来た頃にデビューして、バンバン勝っているので。いつも成績をチェックしてます。今までは先輩たちに憧れるだけだったけど、こうやって身近なライバルがいると燃えますね。自分の中で燃えるものというか、闘志というか、そういうのが強いんですよ。周りからは、あんまりそういう風に見えないって言われますけど。
幼稚園の頃からの夢が叶って騎手になれたけど、その後打ちのめされて、いっぱいもがいて...。デビューして丸2年で競馬場を転々としちゃいましたけど、やっと高知に落ち着くことができました。色んな経験をさせてもらったので、これから何があっても怖いものはないです。高知に移籍したタイミングで、勝負服のデザインも新しくしました。青と黒で、大人な感じにしたんです。20歳にもなったし、本当にここからがスタートという気持ちで頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
ホッカイドウ競馬の新人井上幹太騎手(19)。今シーズン開幕日の第1レースから初騎乗初勝利。この日は4レースに乗って3勝をあげる大活躍。昨年の阿部龍騎手に続く大物新人の登場です。
斎藤:まずは、騎手になったきっかけを教えてください。出身は兵庫県ですね。
井上:中学3年の時に、競馬ファンだった父に連れられて阪神競馬場に行きました。桜花賞の前日だったと思います。その時、騎手を見て、これだ、と決めました。それまでは高校に行こうと思っていたから、親もびっくりしていました。最初は危ないと反対されましたが、そのうち、行け、と言ってくれました。
斎藤:それまで、馬には乗ったことがなかったのですよね。
井上:小学校では野球、中学ではバレーボールをしていました。中学卒業後、千葉県のアニマル・ベジテイション・カレッジで騎手になる勉強をしました。はじめは馬の上が高くて怖かったですが、すぐに慣れました。
その学校では、障害馬術が面白かったです。資格も1級を取りました。ハミ受けとか、基本的な動かし方が今でも役に立っています。3年間コースだったのですが、2年目で騎手試験に受かったので途中で教養センターに行きました。
斎藤:教養センターの同期はレベルが高いと聞きました。
井上:経験者が多かったからかな。みんな仲が良かったです。いつもおもしろおかしくやっていました。辛かったのは、規則正しい生活......早寝早起き(笑)。減量は苦労していないです。
大井の笹川(翼騎手)がいつも1番で、自分はだいたい2番でした。
斎藤:なぜ北海道を選んだのでしょうか。
井上:教養センターの先生に、園田か北海道を薦められました。2歳馬をやってみたかったのと、より中央で乗れるチャンスがあるからと、北海道にしました。
斎藤:昨年度リーディングの原孝明厩舎に決まりました。実習で来た時の感想は。
井上:1日10頭くらい乗せてもらい、馬の力の強さにびっくりしました。当時の(原厩舎の)所属で、(北海道で)9連勝したクロタカ(現JRA)は、かわいくて強い馬でしたね。
勝負服は調教師が決めてくれました。兄弟子の坂下(秀樹)さんも宮平(鷹志)さんも優しく教えてくれます。見ながら学ぶ感じ。道営の騎手はみんな優しいです。
斎藤:そして、いよいよデビューを迎えました。その日のことを教えてください。初騎乗初勝利は兄弟子の坂下騎手以来27年ぶりだそうですね。1レース、4レース、5レースと3勝しました。
井上:3日前、調教を付けていたら「これ(ハンミョウ)でデビュー戦乗るから!」と言われました。普段も、騎乗馬は前夜版(出馬表)を見て始めて知るんです。楽しみですね。怖いということはないです。いっぱい乗れるかなー、って。レース前も、特に緊張はしなかったです。
開幕初日に初騎乗初勝利をあげたハンミョウ
斎藤:前向きですね。ハンミョウは先に行く馬ですが、中団からのスタートでしたね。
井上:やべ!と思いました(笑)。砂かぶると癖を出すと聞いていたので、まずは砂をかぶらないようにと。焦りはしなかったですね。馬を信じて追ったら、差しちゃった。前が止まっているように見えました。この日は両親と祖父母が来ていました。
マキハタテフロンに乗った4レースは、展開が読めました。なので、一番このレースが印象に残っています。
5レースで勝ったキタノダイフクは、実習に来た時から乗っていた、好きな馬なんです。たてがみがきれいだし、手入れしていると、かじってくるんですがそれもめんこい。初めはリーディングジョッキー競走に使うはずだったんですが、先生に「乗りたい馬いるか」と聞かれた時にこの馬の名前を出したら、ここで使ってくれたんです。
斎藤:すごい活躍ですよね。これまで、11勝(6月13日現在)です。
井上:取りこぼしもあるので、3、4勝は損しています。最近は、自分の流れがつかめていない。もまれてきているのを感じます。まずは、トレーニングして壁を壊そうかなと。ビデオで勝つ馬を見て、どうやって勝ったか、自分とは何が違うかを研究しています。まだ、今は馬に調教されている感じ。ハミを取るところなど、特にオープン馬が教えてくれます。
斎藤:乗りたいレースはありますか。
井上:北海道スプリントカップですかね。中央との交流に乗りたいです。乗りたい馬は、うちの厩舎のアウヤンテプイですね。かしこいんです。ハミかけたら、ガーン、と行くんです。なんだこいつ、と思いました。13日の北海道スプリントカップ(4着)は、ゴール前でセレスハントと並んだ時は本気で応援しました。これからも頑張ってほしいです。
斎藤:では、普段の生活を教えてください。
井上:午前3時から10時まで調教をつけています。厩舎作業はなく、ひたすら乗っています。それから1時まで休んで、4時半くらいまで乗り運動。うちの先生はマシン使わないんです。乗らないとわからないから、乗って確かめる。
仲がいいのは、(新人の石川)倭と、宮平さんですね。倭とは、競馬の話はしないけど、プライベートで買い物に行ったりします。特に意識はしていないです。休みの日はトレーニング。馬場を走るんです。2周くらいしますね。
斎藤:馬場を走るんですか! それは体力がつきそうですね。尊敬している人はいますか。
井上:吉原さん(寛人騎手)です。金沢に所属していながら、どこの競馬場に行っても乗れる。北海道に来たら、原厩舎の馬に乗ることも多いので話すことがあります。追い込みの力強さと、体が柔らかいところを真似したいです。
斎藤:兵庫出身ということですが、関西弁が出ないですね。
井上:出身は県北部の香美町というところで、どちらかというと鳥取なんです。大雪も降りますよ。小学校からスノーボードをしていました。(佐々木)国明さんはスキーをするので、冬に行こうと言われました。
斎藤:佐々木騎手もスキーが上手だそうですよね。では、目標と、ファンに一言。
井上:これからももっと精進して、ひとつでも多く乗って結果を出したいです。中央に乗りに行ければいいな。ファンの方には、「追い込みを見てくれ!」......と言えるように頑張ります。
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※インタビュー / 斎藤友香 (写真:小久保巌義)
昨年は61勝を挙げ、岩手リーディング10位。今年デビュー11年目を迎えた坂口裕一騎手に、これまでのこと、また今後の意気込みについてうかがった。
横川:川崎競馬の厩舎で育ったんだってね。
坂口:父が川崎競馬の厩務員だったので厩舎で暮らしていました。生まれた頃は競馬場の厩舎で、自分が小3の頃に小向に移りました。同期の山崎誠士騎手なんかは学年は違いますが同じ小学校・中学校でしたよ。
横川:じゃあ小さい頃から競馬や馬に慣れ親しんで暮らしていた?
坂口:それが全然興味がなかったですね。厩舎の2階で暮らしていたのに高校くらいまでは全く競馬に関心がなかった。子どもの頃に喘息になった事もあって"馬と一緒の生活は合わない"とずっと思っていましたし、馬が傍にいるからって触りに行ったり乗ってみたりしようともしなかった。だいたい厩舎から普通の高校に通っていたんだから、つまり(騎手に)なる気はなかった......という事でしょ(笑)。弟の方がよっぽど関心があって、騎手になりたいんだろうなって思っていましたから。
横川:それがどうして自ら騎手を目指す事に?
坂口:そんな頃、父がラハンヌという馬を担当していたんです。父の自慢の馬だったんですけど、デビュー戦でぶっちぎりで勝ってその後もけっこう活躍した。それを見ていて"競馬もおもしろいのかな"って思うようになったんです。
2000年スパーキングレディーカップ出走時のラハンヌ(月刊『ハロン』2000年11月号より)
横川:今調べると、デビューから3連勝、それも佐々木竹見騎手が手綱をとって......だから期待馬だったんだね。重賞もリリーカップとトゥインクルレディー賞で2回2着。
坂口:レースを競馬場に見に行ったりするようになって、それまでは行った事がなかったけど牧場に遊びに行ったりとか。茨城の牧場でセイウンスカイの引き運動をした事もありますよ。その時は知らずに"ずいぶん白い馬だな"と思っていたくらいでしたが後で聞いたらセイウンスカイだった。しかし、そのトゥインクルレディー賞2着の直後に父が急に亡くなったんです。それが自分が高2の時。それで自分は岩手に移ってきた。
横川:じゃあ、お父さんが亡くならなかったらそのまま南関東で騎手を目指していた?
坂口:いや、騎手になるよう勧めてくれた馬主さんの紹介もあって、志望は最初から岩手でしたよ。
横川:そういうきっかけがなかったら、騎手を目指してなかったんだろうね......。
坂口:父自身も騎手になりたかったけどなれずに諦めていた人でしたから。中学生の時に鹿児島から出てきて、騎手を目指したけど体重が重くてなれなかったそうなんですね。じゃあ自分がその跡を継ぐのも有りかな......と。
横川:坂口騎手って、そんな熱いエピソードがあるわりには『醒めた』イメージがあるよね。
坂口:馬主さんにも言われた事がありますよ。"お前は勝って嬉しいと思わないのか?"って怒られ気味に。
横川:いや、レースで勝った時は喜んでいる方でしょ。ゴールしながら笑顔になってる時もあるし。
坂口:そうですかね?
横川:よくあるよ。凄く嬉しそうにゴールしてること。
坂口:うーん。人気のない馬とか、自信があるのに印が薄い馬とかで勝つと嬉しいけど......。でもまあ、あまりそういう、勝って派手に喜んだり騒いだりするのって、周りから見てて格好悪いんじゃないかな~?って思うんで、意識的に抑えようとしている所はありますね。そういうのがさっきみたいな"嬉しくないのか"って怒られる原因になる。
横川:ガッツポーズとかもしないものね。
坂口:やってもいいかな~?と思う時もあるんですけどね。でもゴールの瞬間になると"ん?待てよ?"って。でも去年白嶺賞を勝った時はやっておけば良かったな。勝つ自信があって勝てたレースだったし、あの時くらいは思い切りガッツポーズしてみても良かった。
2012年12月22日、白嶺賞をクレムリンエッグで勝利
横川:基本的に『冷静』に振る舞っている方?
坂口:熱くなると空回りするタイプなんですよ。騎手になった当初なんかそうだったし。自分自身でそうだと分かっているから余計に"冷静に冷静に"というところはありますね。
横川:普段はどんな生活をしているの? いや、若い騎手が次々結婚しててさ、若手の中で"最後の独身の大物"といわれているのが坂口君だからさ。知りたい人も多いと思って~。
坂口:え~? 最近はタバコも止めたし、お酒もあまり飲まないし。引きこもり......ですかね...。
横川:競馬がない時は?
坂口:調教→ご飯→寝る。
横川:え(笑)。じゃあ競馬がある時は?
坂口:競馬→ご飯→寝る。ですね。
横川:変わらないじゃないか(笑)。
坂口:後は撮りためたビデオを見るとか......。車を買った時はドライブに行ったりしたけど今はあまり...だし。
横川:えー、坂口騎手はこんな人です。興味がある女性は、覚悟してください(笑)
坂口:こんな話でいいんですかね?
横川:いいよいいよ。掴みはOKだしね。"亡き父の遺志を継いで騎手になった男"なんて、ドラマだよ。普段こんなにクールな人にそんな熱い背景があったなんて、本当にいい話。
坂口:ラハンヌって、父が担当していただけじゃなくて、馬主さんも父の後輩の厩務員だった人で、その人が自ら外国で探しあててきた馬なんですね。脚元がそんなに良くなくて手をかけながら走っていたのが印象深かったですからね。
横川:思い切って聞くけど、"坂口裕一"にとって騎手や競馬はどんな位置づけ?
坂口:昔は話した通りですが、今は馬に乗るのもレースも好きですよ。でも"騎手はこうあるべき"みたいなのは、あまり考えないですね。考えすぎて熱くなるとダメなんで、無心で乗る方がいいなと思っていたりして。
横川:"5年後の坂口裕一"はどんな騎手になっていると思う?
坂口:あまりそういう将来イメージを考えた事がないんで......。あ、こう見えても1日1日、調教もレースも全力でやっているから、けっこう精一杯なんですよ。将来は調教師になる...とか考えられないから、乗れるだけ乗り続けている、でしょうかね。
とまあ、ややのらりくらりとした会話になってしまったが、話していて何となく合点がいくところがあった。一見すると競馬からちょっと距離を置いているような、第三者的な視線を向けているような態度に見える。競馬に過剰にのめり込む事はなく仕事と割り切って、仕事とプライベートはきっちり分けている。しかしいざ実戦になると、例えばそのレースの流れの中心にいる馬がどれなのか? そこをかぎ分ける嗅覚は鋭いし、強い相手にも臆さず喰らい付いていってあわよくば負かす事に喜びを感じているかのような騎乗ぶりを見せるのが彼だ。
生活スタイルはあくまでも今風の若者。古い言葉だが『新人類』という言い方が当てはまる。一方の競馬に関しては、立ち向かう姿勢は今風ではなく、ひとまわり・ふたまわり上の世代の騎手たちに近い雰囲気を感じる。意外に昔気質の勝負師な所があるのだ。競馬に関心がなさそうな姿勢にしたって、彼自身があえてそういう風に見せているだけだろう、と思う。
坂口騎手は怪我や病気で思うように乗れなかった時期が何度かあるが、その度、何事もなかったかのように復帰してくるし、そんな事があった事自体、自分から言い出す事はない芯の強さがある。そもそも人並み以上に根性が据わってなければ、普通の高校に進んでいた人生をひっくり返して騎手になる......なんて決断ができるわけがない。本人は競馬に興味がなかったという幼少時代なのだが、亡くなったお父様はじめ競馬界の住人の、それも80年代~90年代前半の全盛期の南関東競馬の世界で生まれ育った事が、坂口騎手に"その時代の競馬人"の思考パターンのようなものを刻み込んでいたのではないか? そんな風に感じる。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
4月17日にデビューした、兵庫の新人ジョッキー小山裕也騎手。同期の騎手達が次々に初勝利をあげていますが、1勝までの道のりは、なかなか厳しいようです。インタビューにはどんな受け答えをしてくれるのか少し不安がありましたが、とても明るく前向きな小山騎手がいました。デビューしてからの1カ月間と、これからの大きな夢も語って頂きました。
秋田:まずは、騎手になろうと思ったきっかけから教えてください。
小山:小学校5年生の時、競馬好きだった父親に京都競馬場に連れていってもらったんです。そこで見た騎手の姿に憧れて、騎手をめざそうと思いました。
秋田:その想いを抱いた後から、地方競馬の教養センターに入るまでは?
小山:小学校から中学校まで、ずっと野球少年だったので、馬には乗ったことがありませんでした。中学3年生の時にJRAの試験を受けましたが落ちてしまって...。高校に入ってから、阪神競馬場にある乗馬クラブみたいなところに1年通いました。そして、高校1年で地方の試験を受けて、合格しました。
秋田:教養センターはいかがでしたか?
小山:初めの頃は全然上手くならなくて、怒られてばかりだったんですが、半年くらい経ったときに1頭出会った馬がいて、その馬がきっかけでちょっとずつ上達したんです。
秋田:それはどんな馬だったんですか?
小山:ニホンカイイサリビという馬。ちょうど障害訓練をしていて、それまで障害訓練が凄く苦手で嫌いだったんですが、その馬に乗ったら、馬と一緒にどんどん進歩できました。先生からも「お前じゃないと、この馬は動かないんだ」って言ってもらえるくらい。だからすごく感謝しています。
秋田:デビュー戦は4月17日の第2レースで8着でしたね。
小山:スタートの時点でダメでした。緊張して。パドックから緊張していました。やっぱり、レースは難しいなと...。ペース判断や、展開を読むのが。騎手学校とは違いますね。
秋田:ここまで29戦しましたが、(取材は5月16日)、印象に残っているレースを教えてください。
小山:2戦目です。大暴走でしたね。
秋田:まさに、大逃げというレースでしたが、どういう状況だったんですか?(結果は10着)
小山:逃げろという指示だったんですが、出遅れてしまいました。それで逃げないと、と思って押していって先頭に立ったのに、まだ逃げないと逃げないとと思っていたら...。馬も気が入っちゃったし人間もパニックになってしまって、戻ってきた時にやっとあんな風になっていることに気づいたんです。
秋田:レース中、あれだけ離して逃げていたのが分かっていなかったんですか?!
小山:そうなんです。ぱっと後ろを見た時、確かに馬がおらんなぁと思ったんですが、あそこまで離れているとは気づかなくて。それだけパニックだったんですね...。
秋田:レース後に、調教師や先輩から何て?
小山:冷静になれって(笑)
秋田:そのレースの翌日、3戦目は1番人気の馬でしたしチャンスでした。(結果は3着)
小山:この馬も逃げました。ただこのレースは、展開の難しさを感じましたね。仕掛けどころで一気に他の馬に来られてかぶされてしまったので、馬が嫌気をだしてしまって。逃げ馬の難しさを教えられました。
秋田:デビューから1カ月が経ちましたが、まずは初勝利ですね。
小山:はい。でも最近、勝とう勝とうじゃなくて、がんばって着を拾おうくらいの気楽な気持ちでいます。そのせいか、デビューの時より少しは落ち着いて乗れていると思います。
秋田:同期のみんなは、全国で続々と初勝利をあげていますが、焦りはありせんか?
小山:騎手学校時代からあまり上手くなかったので、焦らずにやっていこうと思っています。そうすればそのうち勝てるやろって。
秋田:まずは1勝。それからの今年の目標を教えてください。
小山:減量が取れるようになりたいですね。
秋田:騎手としての目標や、夢は?
小山:園田のリーディングを獲って、中央でも乗れるような騎手になりたいです。
秋田:勝ちたい重賞はありますか?
小山:海外のレースになっちゃうんですけど...、凱旋門賞です!
騎手になりたいと思った小学生の頃、ちょうどディープインパクトが現役の時で、この馬でも負けるんだなって。まだ日本人も勝ってないから、自分が勝ってみたいです。
秋田:園田から世界へ、いいですね!!では、プライベートの夢は?
小山:フェラーリに乗りたいです。
秋田:おぉ!フェラーリを乗るには、1億円稼いでも足りませよ(笑)。でも凱旋門賞を勝てるくらいの騎手になれば、乗れるかも。
小山:そうですね(笑)、がんばります!!
秋田:では最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
小山:一戦、一戦、大事に乗って、早く勝てるようにがんばります!
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※インタビュー / 秋田奈津子