菅原俊吏騎手は30歳にしてデビュー5年目の若手騎手。なんだか微妙な言い回しになってしまうのは、菅原俊吏騎手がオーストラリアでの騎乗経験を持ちながら日本でデビューを果たした希有な経歴の持ち主だからだ。
彼の地での勝利数は24。岩手での初勝利の際には「久々の実戦だったので感覚が戻りきっていなかった」という"新人"らしからぬコメントを残していた。デビューの年こそ13勝にとどまったが、翌年からは順調に勝ち星を伸ばし、昨季は84勝で4年目にしてリーディング5位。今季もすでに80勝を挙げて上位を争っている。
横川:菅原俊吏騎手はオーストラリアで騎乗経験を持つ、珍しい経歴の騎手です。まずはそこから始めましょう。となると、競馬学校(JRA)に入れなかった話もしなくてはなりません。
菅原俊:競馬学校の試験に2度落ちたんです。どちらも減量が厳しくて。あと1kgか2kgくらいのところだったんですけど、無理に減量しているのが周りにも分かっていたみたいで・・・。
横川:それでも騎手になりたいという事でオーストラリアに渡ったわけですね。
菅原俊:あちらにある日本人学校に入りました。ライダーになるコースとトレーナーを目指すコースとがあるんですが、自分はライダーのコースで半年、それから紹介された調教師のところで半年修行しました。そのあとで、こっちで言う能力検査みたいなレースを20レースくらい乗ったのかな。それでOKが出ればライセンスが下ります。
横川:俊吏騎手のように騎手を目指してオーストラリアに渡る日本人は、どれくらいいたんですか?
菅原俊:そうですね、16~7人くらいはいましたね。僕のように地方やJRAの競馬学校に入れなかった人だけでなく、外国で騎手を目指そうと思い立って来た人もいました。トレーナーのコースに入る人もいたんですが、やっぱりトレーナーはコミュニケーションが難しいので、長続きした人はあまりいなかったように思います。
横川:今でこそ富沢騎手とか笹田騎手とか、海外でデビューして日本で騎乗する様になった騎手も珍しくなくなったけれど、俊吏騎手が行った頃は逆に"海外に行ったら日本に戻れない"と思われていた時期でしょう? それでも海外を目指したのはなぜ?
菅原俊:一度騎手を目指し始めたからには"騎手"というものを経験したかったんです。騎手ってどんなものだろう、レースってどんなものだろう、と。ビザの関係があって向こうでいつまでも騎乗するというわけにもいかない事も分かっていたし、一度あっちで乗ってしまえば日本に戻って騎手になれるとも思っていなかった。ビザが切れるまでやってみて、あとの事はそれから考えようと思っていましたね。結局あちらには、学校も含めて4年半ほどいました。
横川:それから日本で騎手を目指したわけですが、デビュー目前と思ったらいきなり存廃問題(2007年3月)で揺れる事に・・・。
菅原俊:直接試験を受ける制度があると聞いて日本に戻り、準備も兼ねて厩務員に。結局2年かけて2度目の受検で合格して騎手免許をもらったんですが、いきなり"廃止"という話になって。一度は廃止と決まりましたからね。"デビューできないのかな"とか悔しがったりする以前に、もう何も考えられなかったですね。
横川:あの時、もし岩手競馬が廃止になっていたらどうしていた? さらに他所で騎手を目指したとか?
菅原俊:いや、競馬とは関係ない仕事を探していたでしょうね。いろいろあって日本で騎手になるところまで来て、それでダメだったら縁がないんだろうと思って。
横川:しかし、今改めて振り返るとまだ5年目のシーズンなんですね。なんだかそれ以上の存在感があります。
菅原俊:そうですかね(笑)。最初の頃は自厩舎の馬にもなかなか乗せてもらえなかったですが、最近は良い馬にも乗せてもらえるようになったし、どんな風に乗ったら勝てるかも考えて戦えるようになりましたから。その辺がそう見えるのかも。
横川:オーストラリアの経験も活きている?
菅原俊:んー、レースの質は全然違うと思うんですが、例えば展開の読み方・流れの乗り方、勝負所からの動き方とかはいろいろ経験できたんで、それは活きていますね。あっちのレースの方が流れが厳しいというか、動きづらいですね。道中は隊列を崩さない感じで固まっていきますから。
横川:さて、リクエストがあったので質問します。盛岡と水沢の違い、乗り方の違いのようなものを、騎手としてはどんな風に意識していますか?
菅原俊:そうですね。やっぱり盛岡は力がある馬が力通りに勝つ、というイメージですね。コーナーが1つしかないレースが多いしスタート後の直線も長いから、少々不利があっても挽回できる、と思って乗れます。
横川:じゃあ水沢は気を遣う、と?
菅原俊:水沢は力がある馬でも展開で負けたりしますからね。"いい位置を取る"事を意識して狙っていかないと強くても勝てない事がある。盛岡はその点、あまりガリガリ行かなくてもなんとかなりますから。やっぱり水沢の方がいろいろ考える事が多いですね。
横川:今年は盛岡開催が長かったわけですが、レースに乗る方も戸惑ったんじゃ?
菅原俊:最初はやっぱり変な感じでしたね。もちろん初めてって事じゃないのでだんだんカンを取り戻していくんですけど、位置取りとか動くタイミングとか、結構みなしっくり来なかったんじゃないかと。最初の週に荒れたレースが多かったのは、そんな理由もあったかもしれません。
横川:水沢の騎手はずっと移動が続いたでしょう(※調整ルームは盛岡・水沢それぞれにあるので、盛岡開催時は水沢の騎手はバスで移動する)。辛くなかったですか。
菅原俊:自分はそうでもなかったですね。朝の厩舎作業とかを早めに切り上げて、あとはバスでゆっくりできるんで。自分はむしろ盛岡開催の方が楽でした(笑)。馬の方はかなり厳しかったですね。今年の夏も暑かったから、毎回の輸送がこたえてしまっていた馬が多かったように感じました。
横川:さて、このシーズンオフも遠征するそうですね
菅原俊:今年は佐賀に行く事になりました。こちらは3月の特別開催がないので、1月下旬から3月中旬までじっくり滞在します(※佐賀競馬より1月14日から3月20日まで、のべ4開催の期間限定騎乗が発表されました)。佐賀はM&Kで一度乗った事があるだけで、荒尾に滞在していた時に遠征で行くという話もあったけど行けなかったから、乗るのが楽しみです。
横川:この冬、福山で会った時、自分で「遠征好き」って言ってましたよね。
菅原俊:知らない所に行っても結構なじめるタイプなんですよ。ぼちぼちと乗った事がある競馬場が増えてきたから、いずれ全部の競馬場で乗ってみたいですね。
横川:さて、最後に。俊吏騎手から見て気になる騎手はいますか?
菅原俊:やっぱり齋藤雄一騎手かな。最初に見た時から思っていたんですが、馬のはまりが良い騎手だったんで、これは巧くなるなと。最近の活躍も"やっぱりな"という感じですね。世代も近いので負けないようにがんばらないと。
横川:齋藤騎手とのリーディング争いも楽しみにしています。ありがとうございました。
今「最近伸びている騎手は誰?」と問うたなら、水沢ならこの菅原俊吏騎手、盛岡なら齋藤雄一騎手の名を、誰もが挙げるだろう。なので、俊吏騎手の口から齋藤騎手の名が出た時は、やはり彼自身も意識しているのだなと改めて感じたり納得したりした次第。
年齢的に近く、ここ2、3年の年間勝利数もだいたい同じくらい。それだけに今年の齋藤騎手がグンと勝ち星を伸ばした事は、菅原俊吏騎手にとっても大きな刺激になっているだろう。来季の菅原俊吏騎手の活躍が楽しみだ。
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※インタビュー / 横川典視
いまをときめく兵庫のスターホース、オオエライジンがいる橋本忠男厩舎に所属する吉村智洋騎手。
同馬に騎乗した経験のある、数少ないジョッキーです。
吉村:最初はひ弱で頼りない感じのする馬だったんです。それがレース毎に成長していって、前走のレース前にも乗りましたけど、やっぱり凄いですよ!
竹之上:レースでも乗りたい?
吉:そら乗りたいですよ!でも、やっぱり木村さんしかないですわ(笑)。
そう先輩騎手を立てる吉村騎手も、気がつけば今年で10年目の(12月26日で)27歳。デビューしたころのあどけなさもすっかり抜けて、いまや兵庫を支える立派なジョッキーへと成長を遂げています。
通算495勝(12月8日現在)。500勝のメモリアルがもうすぐそこに迫っています。今年の勝ち鞍は61勝で、リーディング第9位。ここ5年は常に10位以内を確保しているように、安定した成績を残しています。
プライベートでは、ふたりの男の子の父親。その息子さんも、年が明ければ6歳と4歳になるんだそうです。
吉:ジョッキーの結婚は早いか遅いか極端ですよね。ぼくは20歳のときに、3つ上の嫁さんと結婚したんです。
竹:息子さんにはジョッキーになって欲しいと思う?
吉:家で仕事の話はほとんどしないんですけど、上の子は「なりたい」って言うことがありますね。でも「危ないから」ってちょっとビビってますけどね(笑)。
家族の話になると、少し照れながらもにこやかに話す吉村騎手。ところがレースに行けば、大胆な騎乗ぶりが持ち味。彼を良く知る園田ファンならお分かりでしょうが、一気に突き抜けるマクリが印象的なジョッキーです。
竹:大胆なレースも魅力あるけど、最近はレースの流れもよく見えて良いレースができてるなぁと思ってんねん。
吉:そうですか、ありがとうございます。実は自分で変えていこうと思って、意識してるんです。ぼくはレースでいつも一気に行ってしまうんですけど、それを徐々にスピードアップできるようにと思ってるんです。
竹:じゃあ、大胆なマクリ戦法は封印するかも知れんってこと?
吉:マクリの合う馬もいるんですけど、あの戦法は馬の力があればこそですからね。それと、じっくり乗った方がいい場合もあるのに、どんな馬でも行ってしまってたところがあるので...。実は、ぼくこう見えて神経質なんですよ。じっくり乗った方がいいと分かっていても、つい不安がよぎって一気にマクってしまうんです。
分かるような気がする。自分の不安を悟られまいと、相手を威嚇するような態度を取ってしまうことって、誰しも経験のあることかも知れません。
竹:前から気になってたんやけど、レース中に後ろを何度も振り返るようにキョロキョロしてるときがあるよね。それもメンタルな部分の問題?
吉:そうなんです。自分が先頭に立って、もう大丈夫と分かってても、また不安がよぎるんです。うしろから誰かが来るんじゃないかって。
レースぶりや言動から受ける印象とは裏腹に、これほどまでにナーバスであったとは、人の本質は訊いてみないとわからないものです。だからこそ面白い♪
吉:周りの人からもよく、お前は力はあるんやから、もっと冷静になれって言われることがあるんです。よーいドンで追い出せば、誰にも負けないぐらい追えるのに、そこに至るまでに馬にムダ脚を使わせてるから負けてしまうんやと...。
竹:良いこと言ってくれる人がいるんやなぁ。他にも変えていこうと思ってるところはあるの?
吉:喋りすぎるところですかね(笑)。お前しゃべんな!とか、喋らんかったらもっと伸びるぞ!とか言われますもん(汗)。口は災いのもとって言うでしょ。アレですね(笑)。これからはそのあたりも気をつけて行きたいと思います。
確かに吉村騎手はよく喋ります。いらんこともよく言います。しかし、それは彼の照れ隠しであり、不安を悟られまいとする防御本能がそうさせているのかも知れません。話をしていくうち、そんな気がしてきました。
竹:レースの話に戻るけど、なぜ自分のスタイルを変えていこうと思ったの?
吉:もっと上を目指したいと思うようになったんです。騎手になった以上、トップを獲りたいと思わなかったらウソですし、一番眺めの良い景色を見てみたいんです。
そのきっかけともなったレースが、重賞レースの『園田チャレンジカップ』(8月31日)でした。9番人気と低評価だった自厩舎のコスモピクシーに騎乗して、鮮やかな差し切りで快勝するのです。
吉:実を言うと、あのときのコスモピクシーは調子が良くはなかったんです。夏負けの尾を引く状態で、はっきり言って自信なんてありませんでした。でも、結果的にはそれが良かったんです。調子があまりよくないからこそ、無理に馬を動かそうとせず、レースの流れに乗って行くことができたんだと思います。
竹:おぼろげにある自分の理想のレース運びと、うまい具合に合致したんやね。
吉:そうなんです、だからこれからはそれを意識してできるようになりたいんです。それでも、また不安になって、外からビュンって行ってしまうかも知れませんけどね(笑)。
吉村騎手の馬を動かす技術は、兵庫のトップジャッキーですら認めるところ。なのに、いまの地位から抜け出せないでいるのは、自身が神経質と言うように、精神面の弱さなのかも知れません。しかし、いまそのコンプレックスを克服しようとしているのです。
吉:トップを獲るには、トップを獲りたいという気持ちがないと絶対に獲れないと思うんです。もう無理やと思った瞬間に、そこから離れていくんやと思うんです。
10年という節目を迎えて、湧き起こってきた勝利への飽くなき欲望。あえて自分の弱い面をさらけ出し、熱く語ってくれた彼に、希望の光を見出すことができます。必ずや兵庫を引っ張っていく存在となることを確信させてくれました。なぜなら、コンプレックスは他人に披露した瞬間、もうコンプレックスではなくなるのですから。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一