今年デビュー10年目を迎えた、笠松の筒井勇介騎手。昨年は名牝エレーヌとのコンビで地方競馬を席巻し、全国にその名を広めました。これまでの騎手生活や、エレーヌの想いでについてお聞きしました。
赤見:筒井騎手はどんなきっかけで騎手を目指したんですか?
筒井:単純ではあるんですけど、きっかけはダビスタです(笑)。小学5,6年生の頃にハマって、面白そうだなと思ってて。
でも僕は電気屋の長男なんで、工業高校行っていつか実家を手伝えればなと漠然と思ってたんですよ。それが中学2年の時に、背も小さいし本格的に騎手を目指してみようと決心したわけです。
赤見:ご家族は反対しませんでした?
筒井:最初父が、「お前なんかがなれるわけないだろ!厳しい世界なんだぞ」って感じで反対しましたけど、すぐに好きなようにやれって言ってくれました。
中学を卒業してそのまま牧場に就職したんですけど、実は1か月で辞めて実家に帰ってしまったんです...。
赤見:1か月で?!何が原因だったんですか?
筒井:まぁ色々ですけど、結局は人間関係ですね。なんかゴチャゴチャしちゃって。
それで半年間何にもしなかったんです。騎手になる夢も諦めようかなと思って、実家の仕事を手伝ったりしてました。
そんな生活の中で、趣味程度と思って乗馬を始めたんです。そしたらまた火がついちゃって(笑)。
赤見:そこからまた騎手を目指したんですね。
筒井:そうですね。結局2年くらいは宙ぶらりんな時期がありました。今になって思うと、その期間て僕にとってはすごく大事で、必要な時間だったと思います。
あの2年があったからこそ、地方競馬教養センターでもホームシックにならなかったし、辞めようとも思わなかったですから。
赤見:最初の挫折を乗り越えて、無事に騎手デビューしたわけですけど、初勝利はデビューしてすぐでしたよね。
筒井:デビュー5日目です。そんなに早く勝てると思ってなかったんで、本当に嬉しかったですね。800m戦で、逃げて勝ったんですけど、今思うとハナに行かせてもらった感はありましたね。あの頃は無我夢中でそういうのもわかんなかったですけど。
赤見:そして2年目は32勝とブレイクしました。
筒井:減量特典もあったし、本当にいい馬をたくさん乗せてもらってて、毎日がとにかく楽しかったです。
でも、次の年に厩舎を移籍して、一気に乗れなくなりました。所属にしてくれた田口輝彦調教師は新規で開業したばかりで、どうしても技術のある上位の騎手を優先して乗せることが多くて。でも調教する馬はたくさんいるので他の厩舎を手伝うことも出来なかったんです。あの頃はほとんどレースに乗ってなくて、もう辞めようかな...と思いました。
赤見:そこからどうやって立ち直ったんですか?
筒井:とにかく真面目にやってようと思いました。じっと耐えてて、あと1年このままだったら本当に辞めようって腹を括ったんです。
ちょうど1年後くらいに、三谷厩務員(エレーヌ担当)が声をかけてくれて、山中輝久厩舎を手伝うようになったんです。そこで【オグリホット】という馬に乗せてもらって、たくさん勝てたことが大きかったですね。
その頃、高崎が廃止になって法理勝弘調教師が笠松に移籍してきて、乗せてもらえるようになって...いいサイクルに変わりました。
赤見:最初のきっかけが、【エレーヌ】担当の三谷厩務員だったんですね。
筒井:そうなんですよ。【エレーヌ】に乗せてもらったのはたまたまだったんですけど、最初は冬毛ボーボーでもさもさしてて、「この馬走るのかな?」って感じだったんですけど、レースしたら5,6頭の外をマクって勝ったんです。こりゃ走るなって実感しました。
その次のレースは、吉田稔騎手騎乗でJRAに遠征したんですけど、その時にもたれちゃって追えなかったということで、園田の『クイーンセレクション』ではリングバミに変えたんです。レースは余裕の強さで、直線で内からステッキを振りかぶった時にいきなり内に飛び込んで...落馬してしまいました。見てたみなさんもびっくりしたと思いますけど、後ろにいた田中学騎手が一番びっくりしたんじゃないですかね。僕を踏んだ手ごたえはあったと思うし、僕も「もうダメだ...」って思いましたもん。幸い当たり所がよかったので、大きな怪我はしなかったですけど。
赤見:あのレースは本当にびっくりでした。【エレーヌ】はちょっと気性の激しいところがあったんですか?
筒井:そうですね。ちょっとありました。でもあの落馬はちょうどステッキを振りかぶる時で、片手手綱になってたので、タイミング的に制御出来なかったんです。【エレーヌ】は悪くないんです、本当に。あのレースで同じ馬主さんの【コロニアルペガサス】が勝ってくれたんで、なんとか僕のクビも繋がった感じですね。
〈SAKAMOTO CHIZUKO〉
赤見:そして『東海ダービー』を快勝しました!
筒井:ここでダービー勝てなかったら一生勝てないと思って、馬を信じて乗りました。【エレーヌ】は行きだした時のバネがとにかく凄い。本当に色んなことを教えてもらいました。
最後は可哀想なことになってしまって...ものすごくショックでした。
赤見:体調不良で亡くなった時は、私もとてもショックでした。たくさんのファンのみなさんも同じ気持ちだったと思います。
筒井:いつもいつも一生懸命に頑張ってくれた馬でした。あの馬のお陰で色んな競馬場に行って勝たせてもらって、ファンの方にも声かけてもらって...。とても充実した時間を過ごさせてもらいました。
赤見:【エレーヌ】の存在は、とても大きいですよね。
筒井:あんな馬にはなかなか出会えないですよ。他の馬たちももちろん頑張ってくれてるけど、【エレーヌ】は別格ですから。
最近の僕は、スランプというか、試行錯誤中なんです。勝てないことが続いてて、そのせいで焦りすぎてしまって...。ドンと構えていたいんですけど、つい焦ってしまうんです。この流れから早く抜け出せるとうに、今は色々考えながらやってます。
赤見:それでは、今後の目標を教えて下さい。
筒井:今年も元気のいい2歳馬たちが入って来てるし、楽しみな出会いが期待出来そうです。ダービージョッキーの名に恥じないよう、もっともっと腕を磨いて頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
2001年のデビュー年に、いきなり95勝を挙げて金沢リーディング3位に食い込んだのが吉原寛人騎手。2005年に初めてリーディングを獲得してからは、それが不動の位置。今年も2位以下に大差をつけて独走中だ。吉原騎手の今後には、大きな可能性が詰まっている。
吉原騎手は昨年の白山大賞典で、地元代表のジャングルスマイルを2着に導いた。
スタンドからの応援の声がすごかったですね。レース中でもよく聞こえました。ジャングルスマイルは3歳の秋に金沢に来た馬なんですが、最初は気が悪くて大変だったんですよ。
当初は馬場入りすらできないくらいだったんですが、担当の厩務員さんが一所懸命に調教して、なんとか馬場を回れるまでになったところで試しにレースに出してみたら、意外と走ったんです。そこから連勝が続いて4歳になりましたが、金沢の夏は湿度があって、馬にとっては厳しいんですよ。昨年はそのあたりを考慮しながら白山大賞典を狙っていったんです。でも正直なところ、自分としては半信半疑というところはありました。
夏は暑く、冬は寒い北陸地方。金沢競馬は年明けから春先まで休催期間がある。
ここは北海道と違って、騎手は冬の間、何もすることがないんですよ。そんな状況なんですが、僕は1年目の冬に名古屋に行かせてもらえて、2年目と3年目は笠松で騎乗しました。冬場を利用していろいろなところに行けるのは金沢の利点ですね。
そして4年目の冬からは、3年連続で海外遠征を敢行した。
このきっかけは、トゥインチアズで京都のもみじステークスを勝ったこと。そのおかげでJRAの森秀行調教師に目をかけていただいて、いろいろ話をしているうちにオーストラリアに行ってみるかということになったんです。いやあ本当に、一気に視野が広くなりましたね。行く競馬場は毎日違うし、馬場も相手関係もわからないし、まさに一発勝負の連続。レースもいい意味でアバウトに考えられるようになりました。また、海外での生活で、ハングリーさ、貪欲さが出てきたという気がします。
2006年3月25日には、ドバイゴールデンシャヒーンでアグネスジェダイに騎乗するという経験も得た。
金沢の騎手がドバイで乗ったんですからね。すごい経験ですよ。そんな経験が自信になって、それからはドンと構えて乗れるようになりました。海外に行っていちばん変わったのは、メンタル面が強くなったというところでしょうね。
2010年度から条件が緩和された南関東での期間限定騎乗制度にも手を挙げ、2011年1月から3月まで川崎所属で騎乗した。
行く前は、南関東ではほとんど騎乗できないのではと思っていたんですよ。北海道や岩手からもトップジョッキーがやってきて、激戦に輪をかけるみたいな感じでしたから。それでもいざ行ってみたら毎日が競馬漬けになって、夜ごはんを食べたらバタッと倒れるみたいな、そんな日々が続きました。夜、遊びに行ったのは1回だけかな......。でもその毎日がすごく楽しかったんですよ。どうすればもっとうまく乗れるのか、そればかり考えていましたね。惜しかったレースのあとに映像を何回も見直して「どうにかならなかったのか」と研究したりして。2カ月の限定期間が終わったときには、本当に名残惜しかったです。
しかしそうやって向上心が刺激されると、金沢では物足りなくなるかもしれない。
確かに舞台は大きいほうがいいですよね。ただ、こっちはこっちでいい馬に乗れますし、楽しみももちろんあります。今の金沢競馬場はとても難しくて、日によって馬場の傾向がすごく変わるんです。開催日にも調教に乗りますが、実際のレースになるとまた違うんですよね。カラカラに乾いていても前が止まらないとか。だから逆に、馬券を買う人も難しいんだろうなと思います。
騎手の立場で気がつく傾向といえば、外枠のほうが競馬をしやすいことですね。それと金沢で逃げ切るには、力量差がないと難しいということ。逃げ馬には厳しい競馬場だと思います。だから僕もなるべく好位を取る騎乗をしています。そして全体の流れを読んで、仕掛けどころを判断して。そういったことが体でわかってきたのは、ここ2~3年ですね。それまでは実のところ、何でこんなに勝てるのか、という感覚が心の中にありました。
金沢で5年連続リーディング。8月も大井競馬の重賞に騎乗するなど、開催期間中でも他地区からのラブコールは多い。
いろんな経験をさせてもらっていますが、もっと名前を売っていきたいですね。今年の大きな目標は白山大賞典。ジャングルスマイルは昨年よりさらに実が入りました。7月にはこの馬向きと思えない1400m戦でレコード勝ちしましたが、それも出るべくして出たという感じです。今まで乗った金沢の馬では、乗り味が別格。奥行きがすごくある馬なので、乗っていてときどき「これでいいのかな?」と判断に迷うことがあるくらいなんです。
となれば、2011年の白山大賞典はかなり楽しみ。そして吉原騎手自身も実りの秋にしたいところだ。
そうですよね。白山大賞典とスーパージョッキーズトライアル。ポイント制のレースって、どうもクジ運が悪いというか、なぜかイマイチなんですよね。でも今年はワールドスーパージョッキーズシリーズへの代表権を勝ち取って、そして本番でも勝ちたいと、強く思っているんです。大舞台を踏むことももちろんですが、その先にあるものがとても大きいと思いますから。
未来への希望、大舞台への夢は尽きないが、その一方で「現時点では、今できることに最善を尽くすことがベストと思っているんです。厩舎の皆さんもみんな一所懸命に仕事していますから、その人たちの頑張りにも応えないと」とも語る。その想いと行動は、きっと神様も見てくれているはず。吉原騎手が大きく飛翔するのは、遠い未来のことではないはずだ。
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吉原寛人(よしはらひろと)
1983年10月26日生まれ さそり座 O型
滋賀県出身 宗綱泰彦厩舎
初騎乗/ 2001年4月7日
地方通算成績/ 6,454戦1,294勝
重賞勝ち鞍/百万石賞2回、北日本新聞杯、
スプリングカップ2回、兼六園ジュニアカップ2回、
イヌワシ賞、オータムスプリントカップ、ゴール ド
争覇(名古屋)、オータムカップ(笠松)など 15勝
服色/胴赤・黒縦縞、そで青
※ 2011年8月17日現在
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(オッズパーククラブ Vol.23 (2011年10月~12月)より転載)