日本一、小さな競馬場(益田・2002年8月廃止)から新天地を求めて8年もの歳月が流れた。人気薄でV候補を蹴散らし、大ドンデン返しを演じる意外性のジョッキー、まさに雑草ファイターの形容がふさわしいサコ畑雄一郎騎手がこの2010年はスタートから快進撃。瀬戸内きっての名脇役が現在、リーディングジョッキーのトップに立って一躍主役の座に...。第1回の「福山ジョッキーインタビュー」は絶好調が止まらないサコ畑雄一郎騎手(29)にスポットを当ててみた。
昨年が通算27勝でリーディング17人中の13位。それが年が明けた途端、人が変わったように勝ちまくって旋風を巻き起こしているね。平成21年度の終了現在(3月28日現在)、すでに昨年の勝ち星と並び、昨年のキング楢崎騎手とトップタイ。2着の差で楢崎騎手を上回り、リーディングジョッキーに君臨とはすばらしいばかりだね。もの凄い勢いだけど、絶好調の秘訣は一体...。
■うちの徳本先生からも「いまのままじゃ、いつまでたっても一人前になれないぞ」とゲキを飛ばされたこともそうですが、ボクの乗り馬で一昨年秋から8勝を稼がせてもらってたシルクスピアで完全にミスってしまい、下ろされたことが発憤材料になりましたね。
ジョッキーとしては屈辱的なことで僕自身、正直なところ情けないというか、大ショックでしたね。だから小林旭じゃないけど、一から出直します(笑)状態で覚悟というか、初心に戻ろうと心を決めたんです。そんな時にうちの厩舎の実力牝馬アルテローザ、アルアンナで年明けからリズムよく勝てて、勢いに乗れたんだと思います。
とりあえず話をひと昔前に戻そうか。
ジョッキーになったキッカケというか、何か運命的な出会いでもあったのかな?
■幼い頃から馬が好きで小学校5年から中学校を卒業するまで故郷の安来(島根県)で乗馬クラブに通っていたんです。それがキッカケというか、乗馬クラブのオーナーがボクの恩師でもある益田競馬の大賀先生とたまたま知り合いだったということもあり、紹介してもらったんです。ジョッキーへの道はボクにとって夢だったですから感激で感激で...。
もちろんデビューは益田競馬場だね。以前、サコ畑くんに高知・福山連携ハンドブックの取材で聞いたことがあるけど、デビュー戦でいきなり大仕事をやってのけたそうだね。なんと初騎乗、初勝利...。
■トミノダイゼンっていう馬ですね。この馬だけは一生忘れることはないでしょうね。確か5番人気くらいで好位につけて4コーナーを2番で通過。直線200メートルは無我夢中でステッキを叩き込みましたよ。気がついていたら、勝っていた。人生最高の思い出ですよ。
それから僅かして益田競馬が廃止。あれから8年になるけど、サコ畑くんが番園厩舎の主戦ジョッキーとして福山へやってきた当時のことが懐かしい。ボクの印象では目つきが鋭く、若き勝負師といったイメージだった。でもなかなか思うように結果を出せなかった。
■福山での乗り始めはまずまず順調だったのですが、うまく騎乗できずに正直、焦りがありましたね。スランプというか、精神的につらい日々が続きましたね。だから、気持ちを切り換えて仕事にまっすぐに向き合おうと自分に言い聞かせるだけでした。
人間、気持ちの切り換えが大事なんだよね。そして、サコ畑くんにとってジョッキーとしてのターニングポイントが...。一昨年の秋、福山のスタンドが震えた第41回菊花賞。ボクも思わず涙が...。
■弓削厩舎のサムライランボーですね。もともと岡田さんが主戦ジョッキーだったのですが、岡田さんがV候補のブラウンコマンダーに騎乗で、ボクにサムライランボーが回ってきたんです。確か最低人気で樋本さんもノーマークだったですよね(笑)。
まず勝てるとは思ってなかったですが、ひと脚くらいは使って見せ場くらい作りたい、そんな気持ちだったですね。最内枠だったですから、インインの経済コースをついてなんとか入着を、と思っていたのですが、馬の反応が抜群でこれはひょっとしたらという気持ちになりましたね。
4コーナーを回った時点では人気のファニーカイザーが一気に差し切りそうな感じだったけど、ゴール50メートル手前からインを突いて白い帽子がスルスルと...。まるで忍者のごとく忍び寄ってきた。
■ 型にハマったという感じですね。それでもファニーカイザーにヤラれたと思いましたよ。だから、なんとか2着を死守したい、そんな気持ちで手綱をしごいたら、サムライランボーは最後のひと脚を使ってくれました。
ハナ差の初重賞。薬師丸浩子じゃないけど、「カイカーン」って感じで...。男になれたという達成感が体中に伝わってきましたね。ただし、本命党のファンには申し訳ないことを(笑)...。
そして、2度目の重賞ゲットが先月のクイーンカップだった。2度目は人気のワイエスオジョーで僕自身も迷わず本命をつけた。だってサコ畑くんの目の色が攻め馬から違っていたからね。
■正直なところ初重賞のサムライランボーよりも感激しましたね。3歳クイーンの座を目標としてきたましたし、勝ちに行って勝った。注目される馬で思いどおりのレースパターンで3コーナー外からズバッと決められたあの一戦はこれまで騎乗したなかでもベストプレーだったと思います。直線では背中に電流が走りましたね、マジ。
いまのサコ畑くんを見ていると未完の大器が本格始動、そんなムードを漂わせているけど、目標とする騎手というか、好きな乗り方のジョッキーは誰かな?益田の大先輩、岡崎くん?それとも...。
■岡崎さんはもちろんですが、園田からJRAへ移籍して大活躍を演じている岩田さんなんか、ボクの理想ですね。レースでの柔軟性が抜群ですし、追い出してからのアクションなんか見ていると憧れますね。勝負に対する姿勢、闘争心は見習いたいです。
ところでサコ畑くんは遠征にも強いというイメージがあるけど、4年前の高知で行われた「こうち・福山スタージョッキーシリーズ」総合優勝で南国土佐のファンに衝撃を与えた大胆な騎乗が脳裏に焼きついて離れない。カーブが急で小回りの福山コースよりも、迫力で勝負できる馬場の広いコースの方が合っているにじゃないの?
■ボクはどちらかといえば不器用なタイプなので馬場が広くて伸び伸びとプレーできる方が好きですね。特に高知の馬場は乗りやすかったですし、もう一度乗ってみたい競馬場ではありますね。他に荒尾、佐賀、園田での騎乗もありますが、佐賀のセカンドジェネレーション騎手招待では本番こそ完敗しましたが、一般レースで最高の乗り方ができて勝ったことがいまでも印象に残っています。
じゃ、東京競馬場なんかだと"サコ畑パワーさく裂"じゃないの(笑)。地方競馬のジョッキーにとってJRAの大舞台を踏むのは見果てぬ夢なんだろうね。過去には岡田くんがウルトラエナジーで福山所属のジョッキーとして初めて京都の舞台を踏んだ。その岡田くんはエナジー以外にも準メイン、メインに連続騎乗。テレビ中継でアナウンサーが「福山の岡田、福山の岡田!!」を連発して一躍、ネームバリューが全国区に...。サコ畑くんも当然、JRA騎乗への憧れは持ってるんじゃないの?
■それを早く聞いてほしかったですね(笑)。JRAならもちろん東京競馬場です。テレビで見ていても4コーナーからゴールまでが遠いこと遠いこと...。あの馬場で直線、Vゴールを駆け抜けられたら最高でしょうね。一度でいいですから、武豊さん、アンカツさん、そして岩田さんたちと一戦交えられたらジョッキー冥利に尽きますね。
過去の名馬でもいいのだけど、乗って見たかったと思った馬は?サコ畑くんならディープインパクトなんか合いそうだけど(笑)...。
■それも早く聞いてほしかったですね(笑)。ボクが益田でデビューした1998年の秋に天皇賞で大逃げを打ちながら、3角故障でこの世を去ったサイレンススズカなんか、きっと乗って最高の馬だったでしょうね。一体、どれだけのスピードでどんな乗り味なのか。サイレンススズカ級の馬で東京の馬場をぶっちぎりでスタンドからファンの大歓声を浴びる、まさに夢の夢ですよね。正夢にならないかな(笑)。
サコ畑くんにとって騎手は天職なんだろうけど、仮に騎手になっていなかったら、どんな職業についていたと思ってる?
■全然、考えもつかないですね。想像すらつきませんが、ボクは釣りが好きで実家のすぐ近くが日本海なのできっと漁師になっていたかも(笑)...。魚がエサに食らいついたあの瞬間、あのビビビとくる感触は競馬のレースに共通するものがあります。
いずれにしてもサコ畑くんは朝早くから仕事をする運命にあったわけだ。ジョッキーは朝早くから攻め馬で大変そうだけど、一日のスケジュールは...。かなり忙しそうに働いているね。
■ボクなんか、丈夫で長持ち、貧乏暇なし(樋本デスクのキャッチフレーズを盗まれた)状態。朝は毎日1時過ぎに起床。厩舎の仕事を手伝ったあと、2時15分から攻め馬を開始。攻め馬と厩舎の仕事で9時まで競馬場でがんばってます。それから自宅へ戻って朝食、そして1時間くらい寝て、また厩舎で3時くらいまで仕事する毎日の繰り返しですね。仕事は好きなので苦にはなりませんよ。
ボクと同じだね。うちの女房なんか、「仕事もほどほどにして一日、ゆっくり休んだら...」とよく言われる。サコ畑くんも奥さんに言われることあるかな。騎手の女房って大変じゃないの?
■うちのカミさん(紘子・年齢不詳ですが、実は31歳)は年上女房でボクを凄く可愛がってくれてくれてます(笑)。だから、仕事をする張り合いが普通の人とは3倍くらい違うんです。
カミさんとは友人の紹介で19 歳の時に知り合い、2年近くの交際を経て、22歳で結婚しました。普通に可愛い女性ですが、ボクにとってはダイヤモンドよりも素敵な宝物です(笑)。カミさんの作るコロッケを食べると力と勇気が湧いてきます。樋本さん、一度コロッケ食べに来てください。
いいカミさんもらって幸せなサコ畑くんだね。 ところで仕事熱心で真面目を絵に描いたようなサコ畑くんの趣味は...。
■趣味というか、美味しい白ご飯をたらふく食べるのが生き甲斐ですね。福山で大食い大会があれば絶対、ボクが優勝ですよ。あとはカミさんが作る天下一品のコロッケがあれば何もいらない。日本一、経済的な男なんですよね、ボクって。
そういえば5年前になるか、シャトル三刀屋(島根県)へ騎手5名でイベントに行った時、うちの福山エースから昼食代として1万円を渡されたのだけど、サコ畑くんひとりで予算オーバーになっちゃった(笑)。あの食欲、宇宙人としかいいようがない。他のジョッキーの食べ残しもきれいに平らげた。あげくの果てにはデザートとは...。
■でも食べるだけでアルコールは全然。あと楽しみといえばタバコですが、ショートホープ10本入を4箱ほど吸いますかね。タバコは健康の敵ですけど、タバコを吸いながらレースの組み立てを脳裏に描いてるんです。これはタバコを辞めない言い訳でもありますが(笑)...。
ところで朝早いサコ畑くんだから、テレビはあまり見ない方なのかな?好きな番組、あるいは好きなタレントがいれば...。
■うーん、テレビはあまり見ない方ですね。特にニュースなんかは翌日の新聞で目を通すので...。ボクの性格上、やはりお笑い番組が性に合ってますね。好きなタレントですか?女房以外の女性は...。
いろいろ楽しい話を聞かせてもらったね。最後に最近、感動したことと、ファンに熱いメッセージを...。
■感動といえばバンクーバー五輪の真央ちゃん。キムヨナに負けたのが悔しくて悔しくて...。でもあのパフォーマンスはボクも見習いたいと思っています。とにかく福山競馬を面白くしたい。アッと驚くパフォーマンスでスタンドを沸かしたいというのが本音ですね。
存続の危機に直面している福山競馬ですが、ボクはもちろん、ジョッキーが一丸となって福山競馬を盛り上げていきたいと思っています。福山競馬をお越しになった時は是非、サコ畑雄一郎の応援よろしくお願いします。人気薄で大逆転のサコ畑雄一郎をお忘れなく...。
※「サコ」は「土」偏に「谷」の組字です
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※インタビュー/福山エース 樋本輝明
デビューから5連勝で全日本2歳優駿Jp nⅠを制し、NARグランプリ2009 の年度代表馬に選ばれたラブミーチャンの主戦を 務めるのが、濱口楠彦騎手。日本中の競馬ファンの注目は馬だけではなく、その鞍上に も集まっている。
ラブミーチャンは、JRA未出走から転入してきた馬だ。
■笠松に入ってきた当初は尋常じゃない暴れ方でしたね。5日くらいしたらおとなしくなりましたが、そのパワーはすごかったですね。ただ、腰がゆるくて。JRA(栗東・須貝尚介厩舎)では全然動かなかったという話も聞いていましたし、実際に乗ってみても、手前を替えるのさえ下手だったという状況でした。
そういう馬が10月7日のデビュー戦では、 鮮やかな勝利を収めることになる。
■毎日の調教では「まあまあの馬かな」という感じで、デビュー戦のときの追い切りで「いいスピードがあるなあ」と思ったくらいでした。でも実戦ではあの走り(800 m戦を48秒1、重馬場)でしょう。もう少し追えばレコードだったと思いますが、そのときには「勝つことが第一」と思うくらいになっていました。
ラブミーチャンの素質、そして将来性を感 じ取った濱口騎手。2戦目では重賞をあっさり突破する。
■2戦目はスタートが少し悪かったんですよね。それもあって直線では目一杯追いました。3戦目のJRA挑戦のときは、正直半信半疑でしたね。でも最後の根性がすごく て、改めてこの馬の能力を認識したという感じでした。
そして、兵庫ジュニアグランプリを快勝し、暮れの2歳王者決定戦に駒を進める。
■デビューのとき、マイルくらいまでは大丈夫とは思っていました。でもだんだんテンションが上がってきたのが心配で。全日本2歳優駿のときは普通に返し馬をするつもりだったんですが、危なくて待避所に直行せざるを得ませんでした。それでもスタートは速 かったですし、最後までしっかり走ってくれました。
じつはゴールしたときは、ウイニングランなんて考えていなかったんですよ。でもゴール後も勢いがすごくて3コーナーまで行ってしまったので、じゃあ1周しようかなと思ったんです。それでスタンド前をトコトコ歩いていったら、お客さんに「手ぐらい挙げろよ」と言われましてね(笑)。あわてて手を挙げたら、スタンドが盛り上がってくれました。気持ちよかったですよ。
と、50 歳間近にして最高の栄誉を勝ち 取った濱口騎手。しかし30 年余りの騎手人生には苦労も多かった。
人も多かったですね。同期だって安藤勝己、安藤光彰の2千勝騎手ですし。安藤勝己騎手なんて誕生日も一緒だから最初はライバルだと思っていましたが、ほどなくして彼はお手本、そんな感覚になりましたものね。
それでも本当に悩みましたよ。なんで彼のように乗れないんだろうかと。普段の仲は良かったんですが、あるときついグチをこぼしたら「自信を持って乗らないといかんよ」と諭されました。でもそれがいいきっかけになって、それからは自分の欠点を気にするよ りも、思い切りがいいという長所を伸ばしていこうと決めたんです。
その日々を成長に結びつけ、笠松のトップ ジョッキーのひとりとして現役を続けてきた。
■ただ、2000 年のケガはきつかったですね。ゲート練習で馬がひっくり返って、十字靭帯を切ってしまったんです。この左足、今でもちゃんと曲がらないんですよ。医者には一生正座できないと言われました。
手術後1年間は馬に乗るなと言われていましたが、どうしても乗りたくてケガから10カ月目のときにおとなしい馬に乗せてもらったんです。でもそのとき、あまりにも体が重くって、一気に自信がなくなりました。ちょうどケガをする前あたりが技術的にいい感じになってきたと思えてきた頃だったので、余計にくやしかったですね。
騎手生活続行の大ピンチ。それでも周囲 の助けもあって、現役を継続。そんな危機を乗り越えたからこそ、濱口騎手は栄誉を つかむことができた。
■ 2006 年のワールドスーパージョッキーズシリーズは、いい思い出ですね。あのときは本当に運がぼくに向いていたと思います。スーパージョッキーズトライアルへの出場騎手選定のタイミングのときに、ぼくがリーディングだったのもそうですし(最終的にはリーディング2位)、そのトライアルでも2位の山口竜一騎手とは1ポイント差。出場した本番では、JRAで勝ちたいという夢もかないましたから。
それ以上の夢が、ラブミーチャンには詰 まっているのではないだろうか。
■そうですね......。でも楽しみではありますが、楽しいとはいえないですよ。責任感というか不安というか、とにかく無事でという気持ちのほうが大きいですね。
ラブミーチャンは筋肉も関節も柔らかいんですよ。軽く走らせると頼りないんですが、スピードに乗るといい走りになります。昔は中京競馬場での開催もありましたから、芝馬の感触もある程度わかります。そのときの経験から考えると、ラブミーチャンは飛ぶような走りをしますから、芝にも対応できると思っているんです。
濱口騎手が最初に馬に乗ったのは12 歳に なったばかりの頃。エイユーザンという名のアラブのオープン馬だった。
「父が調教師と知り合いで、何かこの子に やらせることはないかと紹介されて、馬乗りを始めました。そうしたら小学校の卒業式 の日にその調教師が校門で待っていて、中学は厩舎から通うことに。選択の余地はな かったですね(笑)。でも、この仕事と巡りあってよかった。今となっては、父に感謝していますよ」
30 年以上も騎手を続けられる人はほんの 一握り。「乗せてもらえて幸せ」と思う気持ちの積み重ねが、今につながっているのか もしれない。そんな濱口騎手と歩むラブミーチャン。伝説はどこまで広がるのか、期待 をもって見守りたいものである。
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濱口 楠彦(笠松)
1960年3月28日生まれ おひつじ座 A型
三重県出身 松原義夫厩舎
初騎乗/ 1976年10月20日
地方通算成績/ 18,167戦2,377勝
重賞勝ち鞍/全日本2 歳優駿JpnⅠ、兵庫ジュニ
アグランプリJpnⅡ、全日本サラブレッドカップ、
名古屋大賞典、東海桜花賞、東海菊花賞、全日本
アラブクイーンカップなど58勝
服色/白・紫のこぎり歯形
※成績は2010 年2 月18日現在
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(オッズパーククラブ Vol.17 (2010年4月~6月)より転載)