一昨年、兵庫のリーディングジョッキーとなった木村健騎手。
昨年はその座を田中学騎手に譲ったが、今年は再びその地位を奪回するべく、目下
リーディング1位を守っている。
■昨年は1カ月くらい、アメリカ(ケンタッキー州キーンランド)に行っていたんですよ。現地では、
厩舎所属騎手として受け入れていただきました。しかしさすがアメリカですね。厩舎も大きくて、
中で運動ができるくらいなのにはビックリしました。レースもこちらとは大違いで、何よりジョッキー
の迫力が違います。
直線400メートルのレースなんか、ずっと追いっぱなしですし。ただ、レースには1度しか乗れません
でした。騎手ライセンスの発給に手間取っている間に、所属厩舎の馬がほとんど出走してしまったんです。
その唯一のレースでは、流れに乗るということを考えていたのですが、"うわ! もう行くのか!"という
感じで、まったく想定外の場所からレースが動き始めたんです。むこうでは強い馬が向正面からでも
仕掛けていくので、ペースが落ちつかないんですよ。しかもバテない。刺激になりましたね。
実戦経験こそ1レースだけだったが、多くを学んだ木村騎手。その成果は現れているのだろうか。
■いちばんの成果は、冷静に乗れるようになったことですね。それまでは、少し出遅れるとあわてて
追い上げて、最後に脚が止まってしまうということがよくありました。お客さんには"見せ場をつくった"
みたいに映るかもしれませんが、検量に戻ってきたら先生には怒られて......。
それが向こうで"強い馬は強い"というレースを体感できたことで、どっしりと構えられるようになったと
感じています。
兵庫県競馬は、岩田康誠、小牧太、赤木高太郎と、JRAで活躍する騎手を生んだ場所。
その3人が抜けた今、次代を担う木村騎手への期待は大きい。
■いやいや、リーディングを取るのはむずかしいですよ。兵庫は騎手のレベルが高いですし。
それより自分としては、目の前のひとつひとつを大切にという気持ちです。でも、名騎手の姿を
見られたことは、自分自身の栄養になっていますね。とにかく流れに乗るのが上手でしたし、
見ているだけで本当に勉強になりました。
そう実感しているという木村騎手は、今年8月13日に通算1500勝(中央含む)を達成した。
■1500勝ですか。うれしいですね。でもひとつの通過点。区切りといえるのは2000勝でしょう。
ゴールデンジョッキーにも出られますし。でもそんな先のことなんて考えられない、そういう仕事を
しているという思いで乗っていますよ。
でも、少し先のことを展望してもらおう。今年、園田競馬場ではJBCが開催される。木村騎手は
JBCクラシックにアルドラゴンで出走する予定となっている。
■アルドラゴンはすごく掛かる馬なので、なかなか操縦が難しいんです。追い切りでも掛かるくらい
ですから。だから、レースでは折り合いをつけるのが大変。それだけに、2400メートルの六甲盃は
快心の勝利でした。あのときは馬場入場のときから馬に勢いがついていて、"これじゃあ2400メートル
なんてもたないよ"と思いましたから。それがレースになったら、前半にハミが抜けて折り合いがついて、
最後にビシッと伸びる、そんな理想的な競馬ができました。
あの勝利は自分の自信にもつながりましたね。帝王賞のときは(同じ兵庫所属の)チャンストウライに
負けましたが、こちらは重めでしたから度外視。放牧からいい体になって帰ってくると思いますし
、ぼく自身もすごく期待しているんです。
ひとつひとつのレースを大切にして、勝ち星を積み重ねる木村騎手。何か心がけていることは
あるのだろうか。
■レースでは基本的に内を回るようにしています。今は馬場の内外の差もあまりないですし。
JRAで勝ったときも、内をずっと回ったことが最後の伸びにつながったのかなと思います。
やっぱり内を回って距離をロスしないのは重要ですよ。競馬が終わってからは、VTRを何回も
見ています。どの馬の騎乗依頼があってもいいようにという意味もありますが(笑)。でもVTRを見て、
初めてわかることも多いんですよね。もちろん、反省できることも。今はレースに乗ることが楽しいですよ。
この生活はやめられないですね!
元気さと勢いが魅力の木村騎手だが、以前は体調管理に苦しんだそうだ。
■昔はしょっちゅう風邪をひいていて、1年に3回くらいは開催を欠場していました。熱も40度くらいまで
上がって......。このままじゃどうしようもないと思ったので、扁桃腺を切る手術をして、それからは熱が
上がらなくなりました。ただ、30代になってからは、体が少し硬くなったかな? でも、昔みたいに
ガンガン競ったりしなくなったのは年のおかげかも(笑)
しかしその姿は年齢を感じさせず、若手のリーダーという表現がピッタリ。その流れもあってか、
木村騎手は兵庫所属の若手騎手で作るユニット、ADONOS7のメンバーに加わっている。
■いやいや、ファンとの交流がまだまだ少ないですよ。兵庫の競馬を盛り上げるためにも、もっといろいろ
なところに出たいと思っていますし、顔も売りたい。
ぼくらはヤル気マンマンなのに、いまだに全員そろってのサイン会もやっていないんですよ。
ホント、何か企画してもらえます?(笑)
木村騎手の父も兵庫で活躍した騎手。ある日、『メインレースを勝つから賞品を取りにこい』と
レース前に言われ、予告どおりに勝った父をみて「かっこいいなあ」と強烈なあこがれを抱いた
という。その背中を追って騎手になった少年は、今や兵庫県競馬を背負って立つまでになった。
そして今年の大一番はJBCクラシック。木村騎手に自信をつけさせたというアルドラゴンとの
コンビで挑む舞台が待っている。
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木村健(きむらたけし)
1975年8月16日生 獅子座 A型
和歌山県出身 西川精治厩舎
初騎乗/1993年10月20日
地方通算成績/12,670戦1,509勝
重賞勝ち鞍/兵庫大賞典、六甲盃(2回)、
園田金盃、新春賞、のじぎく賞、園田ジュニ
アカップ、姫路プリンセスカップ、楠賞全日
本アラブ優駿など10勝
服色/橙、白山形一本輪
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※成績は2008年8月24日現在
(オッズパーククラブ Vol.11 (2008年10月~10月)より転載)
昨年のホッカイドウ競馬でリーディング2位に躍進した服部茂史騎手。
今年も当然、リーディング争いに加わるはずで、その手腕には大いに期待がかかる。
服部騎手は、ホッカイドウ競馬に所属する前は、中津競馬(大分県)で騎乗していた。
■生まれは北九州市です。競馬を意識したのが、オグリキャップで競馬ブームになっていた中学の頃。
そして3年生になって進路を考えるとき、学校の先生に「騎手になったらどうだ」と勧められたんです。
その言葉をうけて騎手を目指した服部少年は、JRA競馬学校の騎手課程を受験。しかし
思わぬ問題が立ちはだかった。
■視力が悪くて、落ちてしまったんです。その後、中津競馬場にお世話になって、地方競馬の
騎手試験を受けましたが、やっぱり視力で落ちて。当時は試験が年に2回ありましたが、2回目も
3回目もダメでした。教養センターの人からも「実技も学科もできているから、あとは目だけ」と。
でも視力ですからね。困っていたそのとき、中津の調教師が視力矯正の医者を見つけてくれたんです。
さっそく診察に行って切開して......。怖くなかったですよ。騎手になりたい気持ちのほうが強かったですから。
その思いは通じ、4回目の試験は無事に通過。そして地方競馬教養センターでの
日々が始まった。
■ぼくは厩舎の仕事をずっとやっていたので、実は学校の生活のほうが楽でした。卒業後に
中津に戻ったら、朝から昼くらいまで調教して、その後は厩舎作業。昼休みはありましたが、
若手なので雑用も多く、休憩にならないことも多かったですから、やっぱり学校のほうが楽でした(笑)。
そんななかで確実に実力はついていき、99年には年間の騎乗回数が中津で1位に。
しかし転機も近づいていた。
■中津競馬の存続が怪しくなっていることは感じていました。そんなとき、中津に来ていた
元ホッカイドウ競馬の調教師に「乗りに来てもいいぞ」と声をかけられたんです。招待競走で、
旭川で乗った経験も後押しになりました。
その決意から2000年9月に渡道して、旭川競馬場から新たなスタートを切ることとなった。
■旭川競馬場は、中津と似ている感覚があったので、スムーズに入ることができました。でも札幌と
門別は多少時間がかかりました。門別では3~4コーナーくらいまで仕掛けを待たないといけないの
ですが、つい向正面で仕掛けてしまったり。
札幌で難しかったのは1000メートル戦。中津で乗っていた800メートル戦では、とにかく行って
しまえば最後までもつのですが、1000メートルではどこかで息を入れなければもちません。
そのタイミングを会得するのに試行錯誤をすることになりましたね。
そして、中津にはなくて北海道にあるものが、デビュー前の2歳馬の馴致。寒い時期に若駒に
競馬を教え込む作業は、苦労が多いように思えてしまうが。
■いやいや、全然そんなことないですよ。けっこう楽しいものですし、2歳馬にハミを教えていくことで、
自分のレース中の技術が向上しましたし。それに、2歳馬を自分でしっかり育てて、大きいレースを
獲ってみたいという思いもあります。もちろんそれぞれにむずかしい面がありますが、やりがいも
大きいと感じています。
順調に成長した2歳馬たちの最初の目標は、認定戦の勝利だ。
■やっぱりどの騎手も狙っていると思います。でもその前に、自分の馬がちゃんと走ってくれるかですよ。
まずゲートにいちばん気をつかいます。練習と実戦は違いますし、とにかく自分の馬をうまく走らせる
ことのほうに、より神経は行きますね。
そのなかでうまく認定競走を勝利できれば、JRAに参戦するというチャンスも生まれてくる。
■そうですね。中央に乗りに行くのは楽しみのひとつです。中央での初勝利は、カツマサケン
(2002年8月3日、美利河特別)。函館の芝1200メートル戦でしたが、ものすごい万馬券になりました
ねえ(単勝249.2倍)。あのときは、返し馬での芝の感触がよかったので、じっくり行けば最後は伸びる
と思っていました。レースでもそのとおりの走りで、3コーナーあたりでオッと思って、4コーナーでは確信
に変わりました。
いやあ、うれしかったですよ!旭川に戻ってきたら、みんなが祝福してくれて。あれは思い出に残る
レースですね。
そして昨年はブルータブーで、北海優駿連覇の偉業を達成した。
■あのときは、返し馬のときに勝てるという手ごたえを感じました。ブルータブーでも芝のレースを
経験しているのですが、ノメってノメって全然ダメで、完全にダート向き。北海優駿のあと、ジャパン
ダートダービーに遠征に行きましたが(7着)、あれは馬にとっても自分にとってもいい経験になりました。
やっぱり他場に乗りに行くと、いい刺激になりますね。
その経験の裏付けは騎乗依頼につながり、昨年はホッカイドウ競馬所属騎手で最多騎乗(629回)となった。
■でも、昨年は落馬で腰の横の骨を折ってしまって、夏に1カ月間の休養があったんです。ケガの
程度のわりには、早く復帰できたので助かりましたが。開催中は休みがほとんどありませんが、
楽しいから大丈夫ですよ。
でも唯一つらいのが、ナイター開催時。レース中は全神経を集中させているので疲れなどは全然感じ
ないのですが、最終レースが終わって馬具の手入れをしているときに、ドッと......。
そして朝は2時起きですから(苦笑)。
インタビューのなかで、いわゆる苦労話を聞きだそうと何度か試みたのだが、そのたびに
かわされてしまった。というより、本当に苦労を苦労と感じていないようなのだ。にこやかな
表情と「頼まれたら断らない」という性格は、確かな技術と相まって、成功しているのも納得
という印象だ。「お客さんからの注目を感じるとうれしい」という服部騎手。これからもその
職人魂で、好騎乗をみせてくれることだろう。
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服部茂史(はっとりたかふみ)
1976年3月14日生 魚座 O型
福岡県出身 楠克美厩舎
初騎乗/1994年10月8日
地方通算成績/7,764戦682勝
重賞勝ち鞍/北海優駿2回、王冠賞、瑞穂賞、
ステイヤーズカップ、エトワール賞、フロー
ラルカップ、フロイラインカップ、アラブ王
冠(中津)など11勝
服色/胴青・黄ひし山形、そで桃
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※成績は2008年5月29日現在
(オッズパーククラブ Vol.10 (2008年7月~9月)より転載)
上位の騎手が僅差の成績でしのぎを削っている福山競馬。その争いを制し3年連続で
リーディングを獲得しているのが、渡辺博文騎手だ。これまでコンスタントに活躍を続け
られてきたのは「今までほとんどケガをしたことがない」からなのだそう。
そんな渡辺騎手に、福山競馬場の特徴なども交えつつ話を伺った。
トップジョッキーの地位を確かなものにした渡辺騎手だが、意外なことに、騎手になるまで
に苦労を重ねた晩成のところがあるらしい。
■僕は春木(競馬場は74年に廃止)で生まれて5歳の頃に福山に来たんです。当時の競馬場は
すごい人でしたね。その頃のスタンドは小さかったとはいえ、入りきらないほどでしたから。
そんな時期に兄が騎手になって、その姿を見るうちに僕もなりたいなあと。でも、地方競馬教養
センターの長期騎手課程の試験になかなか受からなかったんです。
仕方がないから厩務員を2年くらいやりました。ようやく19歳のときにデビューできたのですが、
そこからも大変で。所属した厩舎には、兄弟子が4人もいたんです。それもみんな、福山を代表
するような騎手。だから、仕事は攻め馬ばかりでした。その状況をなんとかしなければと思って、
自分の厩舎の仕事が終わってから、他の厩舎を手伝いに行ったんです。
2月頃には、牧場から裸馬の状態で運ばれてきた2歳馬に鞍をつけてハミをつけてという馴致作業も......。
冬になると「ああ、この時期がやってきた」とユウウツになりましたね。そして何度投げられた(落とされた)
ことか。でも、そういうことを続けていくうちに騎乗数が増えてきて、3年目にはベストテンに入れるように
なったんです。
しかし素質がないと、なかなかそううまくはいかないもの。何か成功の秘訣のようなものは
あったのだろうか。
■騎手になる前から、福山のレースはほとんど全部見ていましたね。レースが好きで好きでたまらない
という時期もあったくらいで。いま思うと、それが自然な形でイメージトレーニングにつながっていたよう
に感じます。なぜかわからないのですが、デビューの時から騎乗技術には自信がありました。
なかなか実際にはうまくいかないのですが、なぜか自信だけは(笑)。
その自信を失うことなく今日まで来た渡辺騎手。福山競馬場で結果を残すポイントは何なの
だろうか。
■福山の場合は、道中の位置取りが本当に重要。人気になっている馬が内枠に入ると、絶対に出して
もらえないくらいです。コーナーもきつくて、普通に走るだけでも外にふくれるコースですが、かといって
ブレーキをかけるわけにもいきません。特に3~4コーナーの中間には、馬の体が一旦まっすぐになる
くらいの直線があります。
つまりそれだけカーブがきついんですよ。だから、コーナーの出口をどうこなすかが最大のポイント。
場合によっては、4コーナーで1完歩待って、外にふくれた馬の内を突くこともありますよ。
長方形の土地を一杯に使って作られたコース。ただ、その競馬にも変化が出ているという。
■位置取りを考えつつ、時には強引な競馬ができたのは、馬がアラブだったから。サラブレッドの場合
だと、4コーナーでインを突くより、スピードにまかせて外を回ったほうがいいというケースも増えてきました。
そして、サラは体に注意しないといけないところがありますね。アラブに比べると明らかに繊細ですよ。
特に不良馬場だと馬場がすごく硬くなりますから、脚元が大丈夫か気になります。
しかし、その時代の変化に対応していかなければならないのが、今の福山競馬。騎手の
技量にも左右されがちな小回りコースの勝負どころについても教えてもらった。
■福山では1250メートルと1600メートル戦が多いですが、どちらもいちばん気をつかうところは
最初のコーナー。傾向としては、内枠有利で先行するのが基本です。外枠から先行争いに加わると、
気がついたときには最後方になってしまっていることもありますよ。ですからゲートを出てからの
作戦が、結果を大きく左右します。
道中も仕掛けどころのタイミングがかなり重要。福山は騎手同士が意識し合っている感じがすごく
あることも、レース後半が激しくなる要因かもしれません。あとは騎手の性格。早仕掛けしがちな
騎手をマークすると、楽に勝てることも。誰なのかはナイショですけど(笑)。だから、前にいる騎手が
誰なのかを確認して、仕掛けどころの判断をすることもありますよ。
小回りコースでの激しい攻防。それだけに「ずっと外を回らされて負けたときは、こんな情け
ないことはないという気持ちになる」そうだ。
■そんな思いでシュンとなっていると、さらにパドックで追い打ちをかけられるんですよ。絶対に勝つ
だろうと思っていた馬で負けたときは最悪です。広島は言葉もキツイですから、そういうときはパドック
の騎乗周回がとても長く感じられますね。
1人がヤジを始めると、周囲に飛び火する傾向もあるんですよね......
そんな観客からの愛のムチ(?)を受けつつリーディングの頂点を守る渡辺騎手に、今後の
目標を尋ねた。
■まずは早く2000勝を達成したいですね。そうすれば、園田のゴールデンジョッキーカップなどに
出場できる可能性も出てきますから。そして今後はJRAに乗りに行きたい
。去年のワールドスーパージョッキーズシリーズで赤岡君が勝ったときには感動しましたからねえ。
残念ながら2月24日に予定されていた初のJRA遠征は、騎乗予定馬の辞退によって実現
しなかった。それでも近いうちに、その希望がかなう日がくるはずだ。
「やっぱり騎手はおもしろい。まだまだ頑張っていきますよ。いいことばかりじゃないけれど(笑)」
と、人懐っこい笑顔をみせる渡辺騎手の活躍に、今後も期待ができそうだ。
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渡辺博文(わたなべひろふみ)
1966年7月4日生 蟹座 B型
大阪府出身 柳井宏之厩舎
初騎乗/1986年4月27日
地方通算成績/12,629戦1,915勝
重賞勝ち鞍/福山大賞典3回、全日本アラブ
グランプリ、ローゼンホーマ記念3回、福山
桜花賞3回、全日本2歳アラブ優駿、銀杯3
回、椿賞2回など34勝
服色/胴青・黄二本輪、そで赤・黄二本輪
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※成績は2008年2月17日現在
(オッズパーククラブ Vol.9 (2008年4月~6月)より転載)
昨年、初の高知リーディングに輝いた赤岡修次騎手は、今まさに充実期を迎えている。
今年は年間200勝に届くほどの好成績を挙げ、そしてJRA阪神競馬場で行われたワールド
スーパージョッキーズシリーズ(WSJS)に、地方競馬の全騎手を代表して参戦。
通算1000勝も達成して、ますます進化を続ける赤岡騎手に話をうかがった。
まずは優勝してWSJSへの出場権を手にしたスーパージョッキーズトライアル2007
を振り返ってもらった。
■1戦目は1番人気の馬が時計的にも抜けていたので気楽に乗りましたが、僕の馬
(ポエラヴァ=9番人気2着)も行きっぷりがよくて、「これなら」と思って追いました。
1000メートル戦でしたが、1周1100メートルの馬場に慣れているせいか、向正面も
最後の直線も長かったですね(笑)。それが逆にあわてなくても大丈夫と、しっかり
構えられたことにつながったのかもしれません。
2戦目(ヤマトロード=6番人気6着)は逃げましたが、いま考えると2番手のほうがよかったかも。
こういうレースは全馬乗り替わりですし、自分の肌で感じて乗るしかありません。
本当にフィーリングが試される舞台なんだなと思います。
名古屋での3戦目と4戦目は偶然同じ厩舎の馬。どちらも人気がなかったのですが
(3戦目・カンドーレ=6番人気3着、4戦目・ラピスレヴェリオン=12番人気2着)、厩務員さんが
すごく感じのいい人で。これはがんばらなきゃいかんな、と気合が入りました(笑)。
おかげさまで優勝することができましたので、阪神競馬場では悔いを残さないように乗ってきたい
ですね。地方競馬の代表として行くわけですから。
そう意欲を語っていた赤岡騎手は、デビュー時には日本プロスポーツ大賞の新人賞を受賞するな
ど順風満帆のスタートだった。しかし大きな挫折も味わっている。
■マカオの国際見習騎手招待にも行って、3年目にはイージースマイルで高知の二冠も獲りました。
でも4年目に落馬して、左足の靭帯断裂で4カ月も入院したんです。そしてようやく退院して競馬場に
戻れたのですが、そのときには自分が乗る馬がすっかりいなくなっていました。
さらに、ときどきヒザが脱臼するような感覚がする後遺症もあって、以前のようには乗れなくなっても
いたんです。だから5年くらい、成績が低迷しましたね。心もすさんでいたのかなあ。あまり仕事もせず、
評判も悪くなる一方で。その状況が長く続いたので、騎手をやめるつもりでいたんです。
そんな自分を助けてくれたのが西川(敏弘)騎手。熱心に止めてくれましたし、お手馬がカチ合ったとき
には騎乗馬を回してくれたりしました。落馬したのは、スタート直後に前の馬に追突したという完全な
自分の責任。当時は馬に乗るのは楽しかったけれど、気の緩みがあったのだと思います。
リーディング下位をさまよった赤岡騎手。復活するきっかけは何だったのだろうか。
■徳留(康豊)騎手が金沢に移籍してから、(同騎手が所属していた)松木啓助厩舎の攻め馬を
手伝うようになって、あまり期待されていなかった馬でよく勝ったんです。そのおかげなのか、
だんだん騎乗数が増えていきましたね。でも失敗するとすぐに乗り替わりになるんです。
やっぱり失った信用はすぐに取り戻せるものではないんだなと反省して、1戦1戦に集中して乗る
ようになりました。そこでこだわったことは、とにかく逃げること。当時は逃げが得意の騎手が少な
かったので、そこを突いて逃げまくりました。その後、田中守厩舎に声をかけていただいたことで、
成績が飛躍的に伸びてきました。今にして思えば、あのケガは僕にとってよかったですね。
今は他の競馬場のレースを研究したり、イメージトレーニングをしたりしていますが、当時のまま
だったらそんなことはなかったと思いますから。
再び昇り竜の勢いになった赤岡騎手。普段の騎乗スタイルは、どのようなものなのだろうか。
■高知はすごく馬場が重いんですよ。だから1300メートル戦と1400メートルでは最後の踏ん張りに
違いが出ます。雨が降って内側の砂が流れても、馬場管理がしっかりしているのですぐに元通りに
なりますし、やはり少し外を回るほうがいいですね。でもそんななかでも砂が軽いところがあるんです。
返し馬のときには速脚で1~2コーナーと3~4コーナーを走らせて、どこが軽いのかを必ずチェック
しています。僕が常に考えているのは、馬の力を最大限に出すためにはどうすればいいのかということ。
道中は勝負どころまではハミをかけずに見せムチを使いつつ、ギリギリまで楽に行かせて、勝負を
かけていきます。他の騎手のクセなども考慮しますよ。それに役立っているのがイメトレですね。
当日に出走メンバーを見てから何十通りもレースパターンを考えます。こうすれば勝てるという
イメージができるまで、頭の中でレースをするんです。
最後に大舞台となるWSJSへの抱負をうかがった。
■高知では1番かもしれないけれど、今後も続く保障はありません。今はとにかく技術をもっと上げ
たいですね。世界の一流ジョッキーといっしょに乗れる機会を与えられましたから、それを体感する
ことで自分のなかで何かが変わるのではないかと期待もしています。
昨年のWSJSのビデオを見ると、全馬がコースロスなく乗っていて、2番手追走のままでどこも開かず
に負けた馬もいました。そういう感覚もしっかり吸収したいと思っています。
インタビューをさせていただいたのはWSJSの2週間前。そして本番では第2戦で見事に勝利。
「まさか勝てるとは......」と笑顔で表彰台にのぼった赤岡騎手は、翌日もエキストラ騎乗で勝
利し、総合順位も第3位と存在感を示した。間違いなく、今後に要注目の騎手だといえるだろう。
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赤岡修次(あかおかしゅうじ)
1977年3月15日生 魚座 B型
高知県出身 工藤英嗣厩舎
初騎乗/1994年10月10日
地方通算成績/7,597戦1,052勝
重賞勝ち鞍/黒潮皐月賞、高知優駿2回、黒
潮菊花賞、高知市長賞2回、珊瑚冠賞2回、
建依別賞、金の鞍賞、花吹雪賞、黒潮スプリ
ンターズカップなど14勝
服色/白、右青たすき、そで青二本輪
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※成績は2007年11月20日現在
(オッズパーククラブ Vol.8 (2008年1月~3月)より転載)