ばんえい競馬情報局とは?

ばんえい競馬の最新情報を提供します。重賞を中心に予想や回顧のほか、ばんえい競馬に関するコラムなどもご覧いただけます。
カレンダー
リンク
おすすめコンテンツ

メイン

ばんえいコラム アーカイブ

<<前へ 345678910111213

やっぱり馬が好き(第52回) 旋丸 巴

2008年11月13日(木)

強面でエッチで無類の馬好きな凄腕調教師

 ばんえいジョッキーファイル、面白いな〜。友人を公の場で誉めるのはシャクだけど、友香さん、インタビューうまいじゃん。

 それにしても、あんなに赤裸々にジョッキーの姿を紹介してしまっていいのかしらん?と心配になって、友香さんに尋ねてみたら、「いいえ、あれでも全部は書いてないんですよ」だって。ばんえい界って、どれほど裏話があるんでしょーねぇ。う〜む

     *     *     *

 さて、そんなジョッキーファイルに対抗して、私も今回は厩舎関係者を取材しよう!と意気込んで、さて、誰を直撃しようかな〜。と獲物を狙っていた私の毒牙にかかったのは、じゃじゃ〜ん! 鈴木邦哉先生!

  鈴木先生は、ご存知リーディングジョッキー鈴木勝堤さんの実兄。ご自身も、クシロキンショウ(帯広記念)など数々の名馬を手がけ、本年6月27日には1000勝調教師となった名伯楽なのだけれど……。

 私にとって、邦哉先生は、「優しくて楽しい先生」。毎週のように競馬場でお会いしては、お茶なんぞを一緒に飲ませてもらうのだけど、東北イントネーションを残した柔らかい言葉遣いで、冗談を言ってはガハハ、と笑われる実に愉快な先生。

 「俺は不治の病にかかってるからなぁ。ん? 病名か? 病名は……スケベ病。がはははは!!」

 スケベか否か、残念ながら私はその実態を見たことは無いけれど、聞くところによると、ゴルフに行けば先生のファンのキャディーさんが御菓子を用意して待ち受けているとのこと。だから、相当、おモテになることは間違いないらしい。ただし、先生を待ち受けるギャディーさん達の平均年齢は……いや、みなまで書くまい。

 そんな陽気な邦哉先生だけれど、さて、しかし、一皮剥けば、この先生ほど真面目な調教師さんはいないのである。

 昭和29年、馬の里として知られる岩手県遠野の農家に生まれた邦哉先生は、幼少期から馬の世話をし、馬と共に木の切り出し作業のために山に入った。

 そんな姿を見た知り合いの馬主さんから、「そんなに馬が好きなら、ばんえい競馬っていうもんがあるから、そこで働かないか」と誘われたのが17歳の時。以降、四十年近く、馬一筋に歩んで来られたけれど、「一度だって故郷に帰りたいと思ったことはないな」というほど、このお仕事に喜びと誇りを持ってらっしゃるのである。

 厩務員時代も、少しでも多くの馬を見るために、休みを取っては馬市に出かけた。

 そうした研究熱心さが、調教師となった邦哉先生に名馬を発掘せしめる。ばんえい記念で、三度、史上最強馬スーパーペガサスと死闘を繰り広げたミサキスーパーだが、1歳のセリでは買い手が付かなかった「売れ残り馬」。

 「けどさ、朝から馬市に行って、ずらっと並んだ馬を見て歩いたんだけど、『これだ』って思ったのがミサキスーパーでさ。体は小さかったけど、なんとも言えん、いいマナコ(目)してさ。『この馬はどうしたって手に入れんきゃならん』と思ったよ」

 こうして馬主さんに買ってもらったミサキスーパーは、鈴木厩舎に入ったが、邦哉先生の見込み通り、調教を始めると素晴しい動きを見せた。

 「とにかくさ、あの馬が引くとソリが左右にブレないんだわ。普通の馬なら、歩くと、どうしてもソリを振ってしまうんだけど、あの馬は真っ直ぐに引くんだわ。それだけ四肢のバランスが良かったってことさ。そういう馬は滅多にいるもんでないよ」

 厩務員時代から寸暇を惜しんで馬を見続け、そこから生み出した「美学」。その美学が、ミサキスーパーという大器を射止た訳である。

081113-1.JPG
引退式でのミサキスーパーと鈴木勝堤騎手(2007年1月27日)

 そんな名調教師にも、一昨年、存廃問題は容赦なく襲い掛かった。

 「競馬がなくなったらどうしようとか言う前に、とにかく、この競馬を残さんきゃ、って無我夢中でさぁ」

 無類の馬好き、根底に真摯さを持つ邦哉先生だから、存続が叶った今も、服部義幸調教師、小林長吉調教師と共にファンサービスに奔走する。リッキーに続いて帯広市役所嘱託職員となったミルキーも邦哉先生の管理馬。今もミルキーと共に、イベントや保育所、学校へと飛び回る邦哉先生なのである。

 「とにかく、俺は、みんなの力で支えられてここまでやって来たんだ。だってよ、右も左もわからないアンチャンの時に、仙台空港から飛行機に乗ってこの世界に連れてこられてさ、それから、ずっと厩舎で暮らして来たんだもん。馬が好きで、ずっとこの道で来たんだもん。皆さんのお陰で、ばんえい競馬が続けられるっていうだけで有難いさ。それだもん、俺にやれることなら、何でもやる。いや、やらせてもらうさ」

081113-2.jpg
邦哉先生とミルキー

 先日、追突事故に遭われた邦哉先生。

 「止まってるところにぶつけられたから、車を降りて行ったら、相手は、小さい子を連れた若い母さんでな。『子供、大丈夫だったか?』って聞いてもブルブル震えて口がきけないんさ」

 黒塗りの大型車から、眉間に皺を寄せた邦哉先生が出てきたら、若い女性でなくても震え上がるだろう。

 強面で、ちょっとエッチで、しかし、無類の馬好き、競馬を心から愛する凄腕調教師の姿を見て、つくづく「ばんえい競馬っていいな」と思うのは、私だけではあるまいて。

馬券おやじは今日も行く(第49回) 古林英一

2008年10月30日(木)

必見!これで菊花賞はいただき!……になったらいいなあ

 ナイター開催も終わり北海道は晩秋である。今年は妙に暖かい日が続いたので、これは地球温暖化とやらで、このまま冬にならないのではあるまいかと心密かに懸念していたのであるが、ここ数日突然寒くなり、山や峠は雪だそうな。感覚的にいうと、2障害をすんなり切ってゴール寸前まで逃げ粘っていた秋を、フクイズミのように冬が一気に追い込んできたという感じである。これから帯広の昼間開催にお出かけになるみなさん、くれぐれも暖かい服装をお忘れなきように。昼間は暖かくても、メインレース、最終レースになるとぐっと気温が下がる。特に最終なんぞになると、日がかげって寒くなるわ、すってんてんにやられて、懐も寒くなってるわで実に寒いったらありゃしない。

 どうも、この季節が一番寒いような気がする。もちろん、気温だけをみればこれからまだまだ寒くなるのだが、氷点下××度なんていう季節になれば、こちらもそれなりの覚悟と対策をとって競馬場に出撃するし、帯広競馬場のスタンドの中は随所に暖房用の大型ファンがぶんぶん回っているのでそんなに寒くはない。レースのときだけ外に出るのだが、それとても夢中になってるからあまり寒さは感じないものである。体がまだ冬体制になっていないこの時期が妙に寒く感じられるのである。

 ま、外気が寒くなるのは仕方ない。お天道様に文句たれても仕方ない。せめて懐だけでも温かく帰途につきたいものである。で、いよいよ今年も菊花賞である。帯広競馬場に勇躍出撃しようか、それとも自宅でごろごろ寝っ転がってTV観戦にしようか、はてさてどうしたものかと迷ってたら、オッズパークのNさんから「菊花賞イベントをやるから帯広に来い」とメールが来たのである。来いといわれりゃ行かざるを得まい。

 野を越え山を越えて帯広に出撃するからには、「何がなんでも勝たねばならぬ」と「王将(「餃子の〜」ではありません、念のため)」の坂田三吉の気分になったはいいが、ここのところ、というよりもこの春からずっとなのだが、ばんえいの馬券がおそろしく当たらない。たとえば、ナイターの最終開催の第13回6日間とデー開催になった14回前半の3日間あわせて9日間で、小生が手を出したレースは全部で43レース。このうち的中したのはわずか5レース。回収率にいたってはわずか40%程度にとどまっているのである。

 こんな状況で帯広に出撃するのは竹槍でB29と戦うようなもの(いうことが古いなあ。そこの若い衆、わかる?)。そこで、今回の菊花賞予想は自分で予想を立てるのをやめ、必殺技を繰り出すことにした。名付けて「下手な考え休むに似たり・当たるも八卦当たらぬも八卦・必勝・エクセル活用・数理統計学的予想術」である。

 細かいことは抜きにして要点だけをいえば、走破タイムは馬場水分とばんえい重量で決まると仮定し、これまでの各出走馬の今年度の戦績を元データとし、出走予定10頭の菊花賞の予想タイムを推定したのである。統計学でいう重回帰分析という手法である。

 で、出た結果は、馬場が重かろうと軽かろうと、勝つのはニシキエースということになった。ちなみに、仮に馬場水分が昨年と同じ4.5%程度だとすれば、ニシキエースの走破タイムは2分5秒程度と推定される。昨年のシベチャタイガーが2分4秒9であるから、まあ妥当なところではなかろうか。

 そして、2着は…。

 これが混戦模様なのである。当日の馬場水分次第で2着候補が変わるのである。3.6%未満であればライデンロック、3.6〜6.0%程度ならウメノタイショウ、さらに軽くなるようならオレワスゴイである。もう1頭気になる馬がカイセテンザンである。というのは、この馬の走破タイムには殆ど法則性がないのである。こういう不安定なデータの馬は一発あるかもしれない。

 以上、結論は、

 ◎ニシキエース
 ○ウメノタイショウ
 ▲ライデンロック
 △オレワスゴイ
 ×カイセテンザン

となった。これでしっかり儲けて、小生は豪華にグリーン車で札幌に戻るのである。

 では、みなさん、11月3日帯広競馬場で会いましょう!

やっぱり馬が好き(第51回) 旋丸 巴

2008年9月17日(水)

ばんえい騎手交流会

 自分たちで作ったNPO法人「とかち馬文化を支える会」……だけど、NPO法人って、「会員に利益を還元してはいけない」んだってさ。つまり、会員さんになってもらっても、無料入場券1枚すらあげてはいけないんだって。めんどくさいねぇ。

 という訳で、せっかく「支える会」に入会してもらっても何のメリットもないのでは、あまりにも会員さんに対して申し訳ないので、せめての「お楽しみ」として、昨年に引き続き、今年も支える会主催の「ばんえい騎手交流会」を開催しました〜。

 元々この交流会は、本情報局でも活躍中の斎藤友香さんが考案してくださったもの。今年は、日程などの関係で帯広に来られない友香さんに代わって、不肖・旋丸が責任者に。

 9月12日、帯広競馬場の「ふれあい広場」で夕方から焼き肉パーティーをしよう、と企画立案したまではよかったけれど、出席申込も少ないし、開催当日は朝から雨。天気予報の降水確率も90%だし、どーなることか、と胃がシクシクと痛んで……。

 でもね、案ずるより産むが易し、とは正にこのこと。

 蓋を開けてみたら、出席者は予想を上回る50名。騎手さんも17名も参加されて、大盛況のパーティーとなったから、やーれ、嬉しや!

 開会前から、大口泰史騎手や安部憲二騎手が「ビールがぬるい」と我がままを言い……

旋丸 「ビールはぬるい方がいいの。大体、ビールの本場イギリスではね……」

安部 「ここは日本だもんね〜」

旋丸 「意地悪! べ〜だ!」

 などと大騒ぎ。このままのテンションで交流会に突入したから、その後の騒ぎや、推して知るべし。その賑やかなこと、楽しいこと。

080917-1.JPG
交流会風景(写真提供 松井和実氏)

 中でも一番盛り上がったのが、「お楽しみ抽選会」。この日のために、騎手の皆さんに「お金で買えないプレゼントを用意してね」とリクエストしておいたのだけれど、破壊的なまでに身勝手なお願いにも関わらず、騎手各位が快く持ち寄ってくださったのが……

 細川弘則騎手:1000勝記念マグカップ
 鈴木恵介騎手:使用済みゴーグル(サイン入り)
 西弘美騎手:2000勝記念絵皿、サイン入りジャンパー
 尾ヶ瀬馨騎手:特製サイン入りTシャツ
 藤本匠騎手:サイン入りマグカップ
 村上章騎手:サイン入りジャンパー
 西謙一騎手:50勝記念ボールペン

 その他、安部憲二騎手が用意して下さった「勝負服デザイン帽子」などなど(書き忘れた賞品もありそうだけど、忘れてたら提供者の騎手さん、ごめんね)。

080917-2.JPG
細川弘則騎手のサイン入り帽子

080917-3.JPG
西弘美騎手2000勝記念絵皿

 さてさて、そんなマニア垂涎の賞品が当たる抽選会。だから盛り上がらないはずもなし。くじを引くたびに歓声が上がり、提供騎手さんと当選者が熱い握手を交わし、賞品にサインを入れてもらい、その間中、安部騎手が吠えまくり……。いやはや、実に、誠に、心底、楽しい楽しい夜が更けていくのでありました。
 
 以上、交流会責任者としては、著しく自画自賛、我田引水の報告となったけれど、しかし、なんである。こんなにも明るくて気取らない交流会ができるのも、ばんえい競馬ならではじゃないかしら?

 交流会に協力してくれた騎手部会会長・藤本騎手をはじめとして、プロ顔負けの手つきでビールサーバーからクリーミーな泡たっぷりの極旨ビールを皆さんについでくれた大口騎手、大量のイカを差し入れて下さった大河原騎手、ばんえい競走馬の資質について語ってくださった阿部騎手などなど、皆さん、一様に気さくに、時に真剣にファンをもてなしてくださって、実施者としては感謝感激雨アラレ。

 それにね、とにかく、ばんえいの騎手さん達は気さくで面白くて威張らない。だから、ファンとの距離もグッと近いのである。

 今回、騎手部会副会長として、実務を全て取り仕切ってくれた安部騎手も、「毎年といわず、季節ごとに交流会するべ! 冬は寒いって? なーんも寒くない! 寒かったら、服、たくさん着ればいいべや!」と、おっしゃってくれていることだし、またまた交流会を開こう、と企む旋丸。

 ただし、である。ただし、次回は、遠方からの皆さんも参加できるように、うんと早い時期から告知して行う予定。そうすれば、本州の皆さんも、早割チケットなんぞを使って来帯できるもんね。

 告知は「支える会HP」などで行うので、今回参加されなかった皆さんも、次回こそは是非ご参加を! 日頃は決して見られない騎手さんの本当の姿が見られるのよ〜♪

馬券おやじは今日も行く(第48回) 古林英一

2008年8月20日(水)

ミサキテンリュウの重大使命

 8月上旬のとある日、小生は富山市ファミリーパークを訪問した。富山市ファミリーパークと聞いて、すぐにミサキテンリュウの名前を思い出した貴方、かなりのばんえいファンですな。

 ミサキテンリュウとハヤトリキは2005年3月、富山市ファミリーパークにやってきた。ミサキテンリュウは1995年5月に北見でデビューし、2003年2月に引退するまで200戦21勝という成績をあげている。ハヤトリキは2001年4月にデビューし、2004年11月に最後のレースを走っている。なかでもミサキテンリュウは競馬場内で馬車リッキー号を曳き、みんなに愛された馬であった。

 富山にトレードされたミサキテンリュウとハヤトリキに科せられた任務は動物園の単なる客寄せではなかったのである。実は彼らには重大な任務を担うべく富山に転勤したのであった。今回、富山市ファミリーパークの山本茂行園長にいろいろをお話をうかがい、彼らに期待されている任務がわかった。それは現代における動物園の使命に関わる重大任務だったのである!

toyama_6.jpg
ミサキテンリュウ・ハヤトリキが曳く馬車

 以下は園長にうかがった話である。動物園という施設が果たしてきた役割は歴史のなかで変化してきた。まずは世界各地から珍獣を連れてきて見せるという役割である。この流れは1970年代のパンダやコアラまで続く。次に科せられた役割は絶滅に瀕している希少生物の繁殖である。希少生物の絶滅を防ぐために世界各地の動物園が果たしている役割は大きい。またその延長に在来種(トキやコウノトリなど)の復活もある。

 山本園長らはさらに新しい役割を提起・実践しようとしている。それは人と動物の歴史を文化として継承する拠点としての役割である。ペット(昨今ではコンパニオンアニマルという)としての動物ではなく、人間社会をつくってきたパートナー(家畜)としての動物に注目した試みである。

toyama_7.jpg
放牧地でくつろぐミサキテンリュウ。右側が馬車のコース

 山本園長は富山ファミリーパークを、擬似的な自然空間ではなく、里山のある動物園として、人間以外の生物と人間の関わりを考える最前線として位置づけている。ついでにいえば、山本園長にご教示いただき改めてわかったことだが、わが国には国立の動物園はない。国立の動物園がないということは、文化的もしくは教育的観点から考えるという政策がわが国にはないということの現れであろう。ここでパートナーとしての動物として最適だと考えられたのが馬、なかでも農用馬であった。

 これまで動物園にはいわゆる家畜、特に大家畜はあまりいなかった。牛や馬はわざわざ動物園で見るものではなかった。私事であるが、小生、この8月に無事生誕50周年を迎えたのであるが、その小生が小学校の低学年の時代まで大阪近郊でも牛が田を耕す光景がみられた。だが1970年頃には田を耕す牛はほぼ姿を消していた。

 富山市ファミリーパークには現在ばん馬の他に木曽馬が2頭いる。この木曽馬を使って水田を耕作しようという試みもおこなわれている。今では農村部でも田に入ったことのない子供たちが殆どだという。彼らにとって貴重な経験となるだろう。農業・畜産業の理解なくして「食育」もへったくれもあったものではない。

toyama_5.jpg
農家から寄贈された耕作用馬具

 全く当然のことながら、家畜にはそれを飼養し、御する人が必要である。産業現場から家畜の姿が消えて久しい。もちろん富山にばん馬を御することの出来る人はすでにいない。

 ばん馬にふれたこともない職員にばん馬の飼養管理と制御技術をレクチャーしたのは大河原和雄騎手であった。大河原さんご本人によると、ただ付いていくだけと思って富山に行ったら、「しばらく居れ」と服部師といわれ、そのまま滞在することになったのだという。大河原騎手はそのまま10日間富山に滞在し、ばん馬にふれたこともない動物園の職員たちに飼養管理と御者の訓練をおこなった。ちなみに、詳細を調査したわけではないので確たる証拠はないが、おかげで大河原騎手は富山の飲み屋街に最も精通した北海道民になった模様である。

 大河原騎手の指導の甲斐あって、ミサキテンリュウとハヤトリキは富山で無事に大役を務めている。飼育担当の沢井さんにもすっかり懐いている様子であった。心配された夏の暑さも慣れたようである。馬車は富山市ファミリーパークの呼び物のひとつとなっており、彼らに科せられた任務を十分に果たしている。もし富山に行かれることがあれば、ぜひミサキテンリュウとハヤトリキに会いに行っていただきたい。

toyama_3.jpg
飼育担当の沢井さんとミサキテンリュウ

谷あゆみ厩舎に訪問  山崎エリカ

2008年8月 1日(金)

 齋藤修さんが所有しているヤエ坊ことヤエノリュウを見せてもらいに谷あゆみ厩舎におじゃましました。谷さんが馬房からヤエ坊を連れてくると……「あれ? 谷さんもともと小さいけど、更に小さくなってない?」みたいな印象を受けました。

 いや、谷さんが小さくなったのではなく、ヤエ坊がとても3歳とは思えないほど大きすぎるのです(^-^;;;;;;) 最初はそれほど大きい方ではなかったらしいけど、1年くらい前から急に背丈が伸び、手足も長くなって、胴体も長くなったそうです。

 ヤエ坊は子供っぽくじゃれる仕草とは裏腹に、既に体重が1020kg弱もあります。単に1020kg弱といってもイメージがわかないと思うので、山崎がヤエ坊に乗っかってみました。山崎の身長は159cm、体重は45kg……いや、本当は50kgくらいありますが、足を思いっきり伸ばしても体の真ん中くらいまでしか届きません。800kgくらいの小柄なばんばだと、なんとかつま先がお腹のラインくらいまで届くのに、やっぱりでかいです。

%E5%86%99%E7%9C%9F1.JPG

 天井の屋根に頭をゴツンしないことだけに気を取られて、乗った位置(バランス)が悪かったのか、それとも単に嫌われているのか、なんとなくヤエ坊が嫌がっているような表情に見えます(T_T) ごめんなさい。

 だけど谷さんが近寄ると急変して嬉しそうな表情になります。やっぱりいつも一緒にいて世話をしてくれる飼い主にはかなわないなぁ〜(´・ω・`) 下の写真は一見、谷さんがヤエ坊に顔面を吸われているかのように見えますが、実は谷さんとキスをしているのです。なんでもヤエ坊はキスするのが好きらしく、谷厩舎にいるポニーのチャチャとも毎日のように“チュウチュウ”しているらしいのです。おませさんだなぁ〜。

%E5%86%99%E7%9C%9F2.JPG

 このようなほのぼのとした光景を見ていると、山崎もばんばが欲しくなっちゃいます。ばんば自体は山崎でも無理すれば買えない金額ではないけれど、現在の賞金体系(下級条件は1着が10万円で3着までしか賞金が支給されない)を考えると、自分の馬が重賞でも勝ってくれない限り、毎日たまごかけご飯を食べることになりそうだから厳しいかなぁ〜。もうちょっとばんえい競馬が盛り上がって、賞金が高くなれば毎日たまごかけご飯を食べる覚悟を決めて、夢を見るのも悪くはないと思うのだけれど。


 ちなみに私が谷厩舎に遊びに行ったその日(JRAジョッキーDay)、谷厩舎の看板馬の1頭であるホシマツリがこの日のメインレース(オープン)を勝ちました。山崎は自身自身を勝手に“勝利の女神”と呼び、「私と巡り合えた馬や人は近いうちに必ず勝てる」と吹いていては周囲からの顰蹙を買っているんだけど、どう考えたってホシマツリと谷さんをはじめとする厩舎スタッフさんたちの力ですね。同じ女性として谷あゆみさんにはこれからもずーっとがんばってもらいたいです(*^▽^*)

%E5%86%99%E7%9C%9F3.JPG

<<前へ 345678910111213
Copyright (C) OddsPark Banei Management Corp. All Rights Reserved.