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レース回顧(2/16~2/18)

2008年2月19日(火)

 16日(土)に行われたのは丹頂特別(4歳以上オープン混合)。ここは3番人気のヤマノミントが制し、9月以来の勝利を挙げました。
 第2障害は大方の予想どおりニシキダイジンが先頭でクリア。やや遅れてシンエイキンカイとタカラボーイが並んで下り、ヤマノミントは4番手から追撃態勢に入りました。残り30メートル付近でニシキダイジンの脚いろが鈍ると、シンエイキンカイとヤマノミントが並んだままこれを交わし、マッチレースの様相。しかし残り10メートルでわずかにヤマノミントが前に出ると、その差を保ったままゴールを果たしました。立て直したニシキダイジンが3着で入線。

 17日(日)はメインレースにたちばな賞(4歳以上牝馬オープン)が行われ、アンローズが悲願の帯広初勝利を果たしました。
 軽量エメラルドが先頭で障害を越え、2番手にトカチプリティー。アンローズは3番手からという展開。軽快に逃げていたエメラルドでしたが、残り20メートルを切っていきなりストップ。それでもリードを保っていたものの、残り5メートルでまたしても脚が止まり、ここで先頭に立ったのが終始歩き続けたアンローズ。西弘美騎手の右手綱を受けて必死に脚を伸ばすと、ついに先頭でゴールを果たしました。エメラルドはゴール線上で三たびストップし、その間に障害7番手で越えたフクイズミがいつものように突っ込み、2着で入線。スターエンジェルがフクイズミと並んで強襲して3着。ゴール寸前でスターエンジェルに交わされたトカチプリティーが4着で、終いの踏ん張りが利かなかったエメラルドは5着に敗退。

 この日の第7レースにはなきうさぎ特別(3歳A-2)が行われました。ここを制したのはライデンロックで、前走オープン特別3着の力を存分に見せつけました。
 ドラゴンスーパーとアカダケキングが競走除外となり8頭立て。第2障害はキタノメイゲツが先に登り切り、これにライデンロックが並びかけて障害を下りる展開。ライデンロックが一気に先頭を奪うと、そのままゴールへ一直線。後続を寄せつけず、楽々とゴールを果たしました。2着にキタノドリーマーが押し上げ、デビューから5連勝中だったウィナータカラは、3着に敗れました。

 18日(月)に行われたのはキタキツネ特別(4歳以上430万円未満)。ここはメダマが快勝。2着にユウシテンザンが入り、久田守厩舎のワンツーフィニッシュとなりました。
 第2障害をいともあっさりと越えたのはユウシテンザン。かなり遅れてメダマが続き、3番手からカネミセンショーという展開。先頭を行くユウシテンザンは悪くない手ごたえで脚を伸ばしますが、それを上回る脚いろでメダマが急追。残り20メートル付近で射程圏に捉えると、残り10メートルで先頭へ。そのまま突き抜けると、ユウシテンザンに2秒5差をつけて優勝しました。流れ込んだカネミセンショーが3着。

映像はこちら。またこれらを含め2カ月前までの映像は、すべてオッズパークにてご覧いただけます。

やっぱり馬が好き(第46回) 旋丸 巴

2008年2月15日(金)

ミサキスーパー引退式

 前回、「ミサキスーパー引退式については、来月の心だ~!」と記して、しかし、未だ来月になってないんだけど、まあ、そんな小さなミステイクは無視してちょんまげ。とにかく、今回はミサキスーパーの引退式について、なのである。

 引退制度の廃止で、蛍の光賞も引退馬打ち揃ってのお別れ会もなくなってしまった今季。重賞4勝、スーパーペガサスと共に一時代を築いたミサキスーパーも、本来なら誰にも見送られず、ひっそりと引退することになっていたのだけれど、そこに現れたファンの青年2人の奔走によって、同馬の引退式が行われるようになった、とは、前回記した通り。

 この2青年の提案を受けて、当日の準備を進めたのがオッズパークばんえいマネジメント。これに調騎会も全面的に協力して実現したのが、ミサキスーパー引退式だったのである。正に全員参加型引退式。及ばずながら、不肖・私も、引退式で読み上げられる「引退馬紹介」の原稿なんぞを執筆してお手伝いする栄誉に浴した。

 その拙作「引退馬紹介」を、ばんえいの名物アナウンサー井馬さんが浪々と読み上げる中、名馬ミサキスーパーはパドックに登場。

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 ばんえい競馬特有の豪華な馬着(馬服)に身を包んだミサキスーパーは、いくらか現役時代より小さくなったようにも見えたけれど、凛と耳を立て、実に精悍で立派。殊に、その瞳は、何もかもを見通してしまいそうなほど清冽で、ゾッとするほど美しかった。
本馬の調教師・鈴木邦哉師、主戦・鈴木勝堤騎手への花束贈呈などのセレモニーも終わって引退式も終了かと思いきや、この後は、ファンとの記念撮影が用意されていたから驚いた。

 カメラを持参の希望者全員が、ミサキスーパーの手綱を取っても記念撮影……なんて、ファンのひしめくJRAでは到底、出来ないこと。こういうところが、小規模のばんえい競馬の強味であり、魅力なんである。

     *     *     *

 そんな写真撮影を見守っていたのは他ならぬミサキスーパーの主戦・鈴木勝堤騎手。実は、勝堤さん、レース間に行われたこの引退式のために騎乗レースをやり繰りして、無理にも、この引退式に参加されたのである。

 「だって、本当に良く走ってくれた馬だから」と人懐っこい笑顔で笑う勝堤さんに、「ひとつだけ質問していいですか?」と尋ねてみたのは「小柄な、この馬が、どうしてここまで強くなれたか?」ということ。

 いつだったか『どうぶつ物奇想天外』というテレビ番組で、勝堤さんはミサキについて「この馬は、小さいけど出世すると思ったんだ。そう言ったら、みんなに笑われたけどね」と話されていたのを思い出したからである。

 「いいところ? うん、それは真面目で、いらないことをしない性格だね」

 従順な馬のことを、ばんえいの世界では「手触りの良い馬」という。ミサキスーパーは、その「手触りの良い馬」の代表格だったようで、レースでも調教でも人の指示を良く理解し、どこまでも真面目に力の限り走った。

 その生真面目のおかげで、スーパーペガサスと死闘を繰り広げ、一時代を築いたのだけれど、また、その性格故に、体に負担をかける結果となり、引退を余儀なくされた。

 「そんな馬のためだもん、引退式には、どうしたって参加しないと」と勝堤さん。

 蛇足ながら、鈴木勝堤騎手という方は、東北弁の口の悪いオジサンで……いえいえ、確かに口は悪いけど、しかし、こと競馬となると、さすが、と、うならされること、しばしば。何より感心させられるのは、この名手、競馬の話となると、必ず「この馬を、どう育てたらいいか」「この馬に合ったレースをするには、どうしたら良いか」というようなコメントをされるのである。一見、極く普通のコメントに聞こえるけれど、注意して聞くと、「馬」が中心の会話であることに気付くはず。それくらい、個々の馬を観察し尽くし、それぞれの馬に合わせた調教、騎乗をされている訳で……。いや、勿論、他の騎手さんだって、馬の個性を尊重されているけれど、その一点に対する執念が圧倒的で、これだからこそリーディング街道を独走されているのだな、と、得心させられるのである。

 さて、話はミサキスーパーに戻って、この引退式の数日後、同馬の調教師・鈴木邦哉先生と、ゆっくり話す機会があったから、ミサキスーパーについても色々なお話を聞いた。

 ミサキスーパーは、牧場時代、目立つ存在ではなかったという。そんな同馬に惚れこんだのが邦哉先生。

 「確かに体は小さかったけど、いい顔してたんだ」という先生。

 生産者である三井さんもまた、「この馬を競走馬にしてくれるなら」と、格安で、この馬を邦哉先生の知り合いの馬主さんに譲ってくれたというのである。

 邦哉先生の相馬眼、三井さんの心意気、馬主さんの理解、そして、勝堤さんの的確な調教と騎乗、これらが、ミサキの素質を大きく開花させた。

 いやいや、しかし、こういう名人達の心を動かしたのはミサキスーパーの真摯な性格だった訳で……。人馬共に、みんなみんな、凄かったのである、ミサキスーパー陣営は。

 そんなお話の後、邦哉先生は腕組みをしつつ中空を見つめて、しみじみ、おっしゃった。

 「ファンのためにも、やっぱり、いい馬を作らんとダメだな」

     *     *     *

 今は亡きライバル=スーパーペガサスに代わって、ミサキスーパーは種牡馬として活躍してくれるだろう。我々は、彼の素晴しい産駒が競馬場にやって来るのを待望しながら、また新たなヒーロー、ヒロインの誕生を夢見て、今日も競馬場の門を潜るのである。

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今週の見どころ(2/16~2/18)

 前開催を終えて(2月11日終了時点)の騎手リーディングは、125勝を挙げ鈴木勝堤騎手が依然トップを守っています。しかし大河原和雄騎手が123勝、藤本匠騎手も120勝と、上位3名が6勝以内にひしめく大混戦。今シーズンも今開催を含め残すところ3開催となりましたが、最後まで目が離せない白熱のリーディング争いが展開されそうです。

 2月16日(土)のメイン第11レースは丹頂特別(オープン混合)
 ここは、近2走のオープン混合、オープンでともに3着に健闘しているヤマノミントに注目します。その2走とも早め障害クリアからゴールまでしっかりとした足どりで歩きとおす安定したレースぶり。今回のメンバーの多くは前々走、前走の両方、またはいずれかで先着している相手だけに好勝負は必至です。
 登坂力が魅力のニシキダイジンは、オープン一線級相手では苦戦もここに入れば能力上位。自己条件(700万円条件)での実績からはここでも格負けしないホクショウダイヤコブライチ、障害がスムーズならシンエイキンカイも争覇圏でしょう。

 2月17日(日)のメイン第11レースは、たちばな賞(牝馬オープン)。クラス別定重量で争われる一戦で、オープンクラスはさらに本年度収得賞金150万円につき10キロ加増されます。
 メンバー的には、1月14日の重賞・ヒロインズカップのほぼ再戦。そのレースで1、2着のトカチプリティーフクイズミによる一騎打ちが濃厚でしょう。
 そのヒロインズカップは、逃げ粘るトカチプリティーを障害5番手からフクイズミが急襲。コンマ5秒差まで追いつめたところがゴールでした。当時はフクイズミのほうが10キロ重かったのが、今回は同重量740キロでの出走となるだけに、フクイズミに分があるかもしれません。
 上位2頭が障害に苦戦するようなら、最軽量690キロのエメラルドや、ヒロインズカップで少差4着のギャンブラークインの前残りも考えられます。

 この日の第7レースに3歳A2による、なきうさぎ特別が行われます。
 ここは上がり馬ウィナータカラに期待します。前走3歳A5戦は、先頭で挑んだ障害をふた腰でまとめると、そのまま後続の追い上げを封じる完勝劇。デビューから無傷の5連勝としました。今回は、A1戦(オープン)での好走歴があるライデンロックスーパーシャトル、前走3歳A3戦を快勝したスーパーオウショウらを相手に、その勢いがどこまで通用するかに注目したいところです。

 2月18日(月)のメイン第10レースはキタキツネ特別(430万円未満)です。
 なおこの日は全11レース制で、第1レースの発走時刻はふだんより30分繰り下がって11:30となりますのでご注意ください。
 ここには前開催の同条件戦・立春特別のメンバー中7頭が出走を予定しています。
 注目はヒカルヨシウメ。その前走は第2障害で体勢を崩し10着とまったくレースになりませんでした。しかしもともとは障害力で勝負するタイプ。4走前にはこのクラスで勝利しているように実力は確かで、今回は巻き返しに期待できるでしょう。
 前々走からの5キロ加増も問題にせずしっかり伸びて3着だったカネミセンショーは、ここ4戦連続して3着以内と安定感があります。昇級初戦でも逃げ粘って2着だったユウシテンザンや、障害がキレるようになってきた同5着タケノホウシュウも争覇圏。前走の5歳オープンで障害先頭から押し切ったメダマも侮れません。

レース回顧(2/9~2/11)

2008年2月12日(火)

 9日(土)に行われた北斗七星特別(4歳以上500万円未満)は、フクノカミカゼが優勝。2着に9番人気のプランドルドラゴンが入り、馬連単は万馬券となりました。
 第2障害はコトノカツマ、フクノカミカゼが並んで先頭クリア。やや遅れてプランドルドラゴン、タケトップクインが続く展開となりました。そこからジワジワとフクノカミカゼが脚を伸ばし、プランドルドラゴンも残り30メートル付近で2番手に浮上。両馬の差は半馬身ほどとなりましたが、残り10メートル付近から脚いろが一緒になり、そのままゴールしました。やや一杯になりながらも、コトノカツマが3着で入線しています。

 10日(日)はダイヤモンドダスト賞(5歳オープン)が行われ、メダマが勝利。前走ウインターカップ3着に続く好走で、好調ぶりを印象づけました。
 障害下でじっくりタメたメダマがこれを先頭で越えると、ツジノコウフク、ヒロノドラゴンも続けてクリア。3頭の差はまったく縮まらないまま残り5メートル。わずかにメダマの脚いろが鈍ったものの、セーフティーリードが功を奏し、そのまま1着入線。2着にツジノコウフクで、3着ヒロノドラゴン。

 11日(祝・月)のメインレースは然別賞(4歳以上オープン)。ここはミサイルテンリュウが制し、シーズンのクライマックスへ向けて存在感をアピールしました。
 さすがに障害巧者らしく、第2障害を先頭で越えたのはミサイルテンリュウで、一気に後続を突き放す展開。2番手にナリタボブサップが続き、以下スーパークリントン、トカチプリティー、フクイズミの順でクリア。先頭のミサイルテンリュウは徐々に差を詰められながらもなんとか歩を進め、いよいよゴールというその瞬間、ナリタボブサップ、そしてフクイズミが襲いかかり、横一線での入線。結果はミサイルテンリュウが先着し、0秒1差でフクイズミが2着。さらに0秒1差でナリタボブサップが3着となりました。

 この日の第10レースにはつばき特別(3歳オープン)が行われました。この一戦はオレワスゴイが優勝。世代トップの実力を見せつけました。
 ひと腰で楽に障害を越えたオレワスゴイは、残り30メートル付近でさらに加速。2番手クリアのニシキボスもこれに呼応するように脚を伸ばし、いったんは差を詰めに掛かりましたが、残り10メートルからオレワスゴイも再加速。結局これが決め手となり、ニシキボスがさらに差を詰めに掛かったところがゴール。オレワスゴイ、ニシキボス、障害4番手から追い込んだライデンロックの順で決着しました。

映像はこちら。またこれらを含め2カ月前までの映像は、すべてオッズパークにてご覧いただけます。

馬券おやじは今日も行く(第44回) 古林英一

2008年2月 8日(金)

やあやあ、我こそは…

 久々に歴史ネタである。小生、昔から昔話が好きで、中学時代は歴史学者にもちょっと憧れたのである。中学高校の同級生に川合康という男がいた。こいつが戦国時代マニアで、こいつには敵わんと思って歴史学者の道は早々に諦めたのである。ちなみに、この川合君、神戸大学の史学科に進学し、本当に歴史学者になってしまった。現在、首都大学東京(都立大学)で歴史学の先生をやっている。ただし、現在の専門は中学時代にはまっていた戦国時代ではなくて平安・鎌倉時代のようだ。

 数年前、本屋で『源平合戦の虚像を剥ぐ─治承・寿永内乱史研究─』(講談社、1996年)という彼の著作を見つけ思わず買ってしまった。同書の裏見返しに載っていた彼の顔写真は中学・高校時代とまったく同じである。変わらない奴である。同書がテーマとしている時代は平安時代末期から鎌倉時代のはじめ、つまり平清盛とか源義経とかが活躍する時代である。

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 馬のことを知りたくて買った本ではなかったのだが、開いてみると、期せずして「馬に関する諸問題」と馬について1節が割かれている。第2章の「弓馬の道」の1節なのだが、この第2章は当時の武士の戦闘方式などについて論じられた部分である。馬好きにはぜひ一読をすすめたい。当たった、外しただけではなく、たまには馬の歴史も勉強したらいかがかな。

 さて、この「馬に関する諸問題」では鎌倉市の発掘で出土した馬の骨の分析結果から、当時の馬が現代のサラブレッドなどよりはるかに小さな馬であったことや、平家物語などに登場する当時の名馬がどのような馬であったかについて論じられている。

 発掘された馬の骨から推定された体高は109センチから140センチだったそうだ。また、川合君は平家物語その他の文献に出てくる有名な馬の体高の一覧表をつくっている。これによると、宇治川の先陣争いのところに出てくる佐々木高綱の乗馬「生食(いけづき-「食」は本当は二水に食なのだが、フォントがなかった(^^;))」が最も大きくて8寸(生食は5尺2寸という別の文献もあるようだ)である。ちなみにこの「8寸」というのは4尺8寸のことで、馬の体高を表現するのにふつうは「4尺」は省略し、5尺を超える馬を大馬というのだそうだ。1尺は約30センチだから、5尺2寸だと158センチ程度である。

 「やあやあ我こそは…」と武士が戦場で戦うとき、150センチそこそこの馬が、人間の体重+鎧+武器+馬具で90キロは超える重量を背負っているのである。何ともご苦労様なことである。

 さて、わがばんえい競馬である。150センチそこそこ(馬体重は350キロくらいか)の馬が90キロ以上を背負って戦場をとことこ走っていたことを思えば、体重1トンの馬が橇と人間あわせて700キロを曳くくらい、案外たいしたことではないのかもしれない。

 ついでにいうと、かつてばんえいに体重制がしかれていた頃、最上級馬である甲級馬は800キロ以上となっていた。今よりもずいぶん小さい。それでも今と同じくらいの重量をひいていたのである。いやあ、馬力はほんとにあなどれませんなあ。

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