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馬券おやじは今日も行く(第44回) 古林英一

やあやあ、我こそは…

 久々に歴史ネタである。小生、昔から昔話が好きで、中学時代は歴史学者にもちょっと憧れたのである。中学高校の同級生に川合康という男がいた。こいつが戦国時代マニアで、こいつには敵わんと思って歴史学者の道は早々に諦めたのである。ちなみに、この川合君、神戸大学の史学科に進学し、本当に歴史学者になってしまった。現在、首都大学東京(都立大学)で歴史学の先生をやっている。ただし、現在の専門は中学時代にはまっていた戦国時代ではなくて平安・鎌倉時代のようだ。

 数年前、本屋で『源平合戦の虚像を剥ぐ─治承・寿永内乱史研究─』(講談社、1996年)という彼の著作を見つけ思わず買ってしまった。同書の裏見返しに載っていた彼の顔写真は中学・高校時代とまったく同じである。変わらない奴である。同書がテーマとしている時代は平安時代末期から鎌倉時代のはじめ、つまり平清盛とか源義経とかが活躍する時代である。

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 馬のことを知りたくて買った本ではなかったのだが、開いてみると、期せずして「馬に関する諸問題」と馬について1節が割かれている。第2章の「弓馬の道」の1節なのだが、この第2章は当時の武士の戦闘方式などについて論じられた部分である。馬好きにはぜひ一読をすすめたい。当たった、外しただけではなく、たまには馬の歴史も勉強したらいかがかな。

 さて、この「馬に関する諸問題」では鎌倉市の発掘で出土した馬の骨の分析結果から、当時の馬が現代のサラブレッドなどよりはるかに小さな馬であったことや、平家物語などに登場する当時の名馬がどのような馬であったかについて論じられている。

 発掘された馬の骨から推定された体高は109センチから140センチだったそうだ。また、川合君は平家物語その他の文献に出てくる有名な馬の体高の一覧表をつくっている。これによると、宇治川の先陣争いのところに出てくる佐々木高綱の乗馬「生食(いけづき-「食」は本当は二水に食なのだが、フォントがなかった(^^;))」が最も大きくて8寸(生食は5尺2寸という別の文献もあるようだ)である。ちなみにこの「8寸」というのは4尺8寸のことで、馬の体高を表現するのにふつうは「4尺」は省略し、5尺を超える馬を大馬というのだそうだ。1尺は約30センチだから、5尺2寸だと158センチ程度である。

 「やあやあ我こそは…」と武士が戦場で戦うとき、150センチそこそこの馬が、人間の体重+鎧+武器+馬具で90キロは超える重量を背負っているのである。何ともご苦労様なことである。

 さて、わがばんえい競馬である。150センチそこそこ(馬体重は350キロくらいか)の馬が90キロ以上を背負って戦場をとことこ走っていたことを思えば、体重1トンの馬が橇と人間あわせて700キロを曳くくらい、案外たいしたことではないのかもしれない。

 ついでにいうと、かつてばんえいに体重制がしかれていた頃、最上級馬である甲級馬は800キロ以上となっていた。今よりもずいぶん小さい。それでも今と同じくらいの重量をひいていたのである。いやあ、馬力はほんとにあなどれませんなあ。

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