祝!アンローズ
アンローズがついに帯広で初勝利をあげました。伝え聞くところでは、今年度限りで引退し、近々引退式も予定されているとのこと。引退直前になってやっと帯広で勝ちました。
アンローズがなぜ帯広で勝てないのか? もしかすると冬場が苦手なのかという説もありました。アンローズは現在までに通算32勝をあげていますが、このうち18勝が夏から秋にかけての岩見沢開催でした。2007年度から帯広で周年開催となったので、これで帯広でも勝てるんじゃないかと思われましたが、あえなく8歳時は未勝利に終わってしまいました。どうも、冬場苦手説よりも、帯広の第2障害が苦手というコース適性説の方が正しかったようです。
アンローズといえば美形で有名な馬でもありました。馬でも人でもオッサンは美人が好きなので、当然のことながら小生も大好きでありました。小生、岩見沢競馬場に行く機会が多かったせいもあって、アンローズの晴れ姿を何度か目の前で見たのですが、一番の思い出といえば、2002年8月4日のクインカップでしょうか。
このレース、小生は当時NHK北海道の看板番組「ほくほくテレビ」を担当していた目加田頼子アナウンサーとご一緒したのであります。このとき口取りに彼女も参加しました。アンローズと同様、目加田さんも大柄な美人です。華やかな美人同士で、なかなかいい組み合わせでありました。このときの写真をアップしようかと思ったのですが、もしかするとNHKは肖像権云々とかいいそうなので残念ながら断念します(^^;)
せっかくなので、ここでアンローズの足跡を記しておくことにいたしましょう。
生産者は数々の名馬を生み出した帯広の三井宏悦氏で、馬主も三井氏。2001年5月27日旭川競馬場の新馬戦でデビューしますがこのときは4着におわります。デビュー時の体重は882kgですから、小さくはないですが、特に大きかったわけでもないですね。旭川開催は2戦して4着、10着、続く北見開催で5着、3着のあと、7月16日の5戦目で待望の初勝利をあげました。そして岩見沢でおこなわれた白菊賞と星雲賞を勝ちました。その後、旭川、北見、帯広と転戦しますが、年を越えて2月17日のフリージア特別でシンザンタイガーの3着が最高でした。
2002年度は、上述のクインカップ、オークス、ダービーを勝ち、菊花賞も2着と大活躍し、26戦10勝の素晴らしい成績で、収得賞金は12,122,000円にもなりました。
古馬の壁に阻まれたということでしょうが、翌2003年度は24戦したものの、4歳限定戦で2勝、3・4歳限定戦で1勝の計3勝をあげるにとどまります。
5歳になった2004年度は、岩見沢記念でスーパーペガサスを降して優勝、北見記念も勝ち、まさに女王誕生の年となりました。この頃になると、馬体重も1,100kg程度になり、ビッグウエイトカップにも出場しています。翌2005年度にはサダエリコを降し岩見沢記念を連覇し、ばんえい記念にも出走しましたが、残念ながら競走中止となってしまいました。
7歳となった2006年度はまさに夏の女王の面目躍如といった年となりました。6月25日の復帰初戦を勝利で飾ると、岩見沢では7戦5勝2着1回という圧倒的な強さを見せ、ばんえいグランプリと、岩見沢記念3連覇を達成します。続く北見開催は3戦2勝。トモエパワーを降し北見記念を勝ちます。ばんえい記念にも出走しますが9頭立ての8着と惨敗してしまいました。
そして8歳となった2007年度からは帯広での周年開催。ばんえい記念後休養にはいり、7月22日の北斗賞で復帰しますが4着。その後12月16日の師走特別でホクトキングの2着となり、帯広では2003年12月のヒロインズカップ以来久々の連対を果たしました。このときは勝馬とのタイム差はわずか1秒3。あわや帯広初勝利かと思わせるレースでした。そして2月17日フクイズミの猛追をかわしついに帯広初勝利を飾ったのでした。
さて、この帯広初勝利でアンローズはこっそりもうひとつの記録を達成したのであります。それは帯広競馬場ですべての着順(さらに競走中止)を記録したのです。岩見沢では42戦していますが、10着と競走中止がありません。24戦した北見では競走中止はありますが9着と10着がありません。旭川では21戦し、2着、5着、6着、9着、そして競走中止がありません。
最後にこれまでのアンローズの成績をまとめておきます。岩見沢だけで全収得賞金の半分を稼いでるんですねえ。まさに「夏の女王」です。