
JRA桜花賞が終わりました。優勝は…という話はここではしません。しかし毎年のことながらこの時期、阪神の桜はキレイですね。聞けば東京ではもう桜は散り始めているとか。
こちら北国・岩手では、桜の花はまだ固いつぼみの中で外の様子をうかがっています。それでもだいぶつぼみはふくらんでおり、ここ数日の寒の戻りがやわらげば、季節は一気に歩みを早めるのではないでしょうか。
桜といえば、実は水沢競馬場は隠れた桜の名所となっています。桜があるのはコースを挟んでスタンドの反対側。北上川堤防との間に2列、一部は3列になって、約150本のソメイヨシノが向正面いっぱいに続いています。
走路とは少し離れていますので、桜舞い散る中をサラブレッドが疾走、というわけにはいかないのですが、それでも内馬場にある公園から観戦すると、いっぱいに咲き誇る桜を背景に馬群が駆け抜けるというアングルを楽しむことができます。
ここが桜の名所として観光案内されないのは、通常この場所が立ち入り禁止になっているから。競馬場の敷地内であり、ましてレース時には人がいれば馬が驚いてしまうことも考えられるので当然なのですが、他の県内お花見スポットにも見劣りしないほど圧巻の桜並木が遠くからしか眺められないのはもったいない。
そこで岩手県競馬組合も粋な計らいをしまして、一昨年からは期間限定で桜並木の開放を行っています。もちろん傍らでは競走馬たちが真剣勝負を繰り広げていますのでカラオケや酒宴はご遠慮願っていますが、そのかわり県馬術連盟や愛馬の会などが中心となって乗馬体験や馬車運行などが催され、市民の穴場的お花見スポットとなっています。(※)
ところで、関東以南のみなさまは桜というとどんなイメージでしょうか。全国的には、年度変わりの出会いや別れの時期に結びついた印象が多いようですね。実際、TVCMでも桜の木の下に新1年生というのを毎年流しますし、歌の世界でもそうです。
しかしここ岩手では、桜といえば4月末。しかも何年かに一度は決まって「咲いた桜の花に雪が積もる」というシーンを鑑賞することが出来ます。小さな島国と言われる日本ですが、本当に多様な気候がみられるものですね。
そういえば北海道に暮らす作家・倉本聰氏の著作の中で、「例えば南海上から日本へ接近する台風をテレビは克明に伝える。しかし台風が東京を過ぎるとテレビは突然明るさを取り戻し、こっち(北海道)を直撃しつつあっても『台風は北へ去りました』などと云う。台風が来るたびに、いつも疎外された気分を味わう」という一文を読んだことがあります。確かに現代はテレビだけでなく、いろんなことが東京中心に動いています。しかし少なくとも私たち“地方”競馬のファンは、中央以外に目を向けている人間のはず。インターネットによって中央と地方の距離が縮まっている時代でもありますし、地方の良さ、ローカルの力を主張していきましょう。
※本年度の水沢競馬場桜並木開放については、この原稿を書いている段階では詳細が決定していません。ご来場の際は岩手県競馬組合の発表をご確認下さい。
(文/テシオ・佐藤到)
みなさんはじめまして。テシオのよこてんこと、横川です。前回は当誌の編集長が自己紹介をしまして、今回は私の番ということになりました。
さて、私は生まれも育ちも盛岡で・・・と言いたい所なんですが、実は生まれは南国・高知。その後福島・京都と移り住んで、そして現在、みちのく岩手は盛岡で暮らしています。
よく「なんで高知生まれなのに盛岡で競馬の仕事をしてるんですか?」と聞かれるんですけど、その時に高知で生まれて福島、京都と・・・という話をすると、相手が競馬好きな方ならたいてい「ああ!」と納得して下さいます。そう。みんな競馬場のある街なんですよね。
ギャンブルと名のつくものにはいろいろ手を出してみるけれど、結局、競馬が一番好きなのは、やっぱり生まれた時から『競馬場のある街』の空気の中で暮らしてきたせいなのかもしれません。
え、本当の理由はって?それはまあ、秘密という事にしておきましょう。
自分が初めて競馬場に足を踏み入れた日の事、今でもはっきりと覚えています。
最寄り駅から競馬場まで歩いていく間からもう興奮しっぱなし。競馬場の建物が見えたと言えば騒ぎ、パドックだスタンドだと、右を向いては「へぇ〜」左を向いては「へぇ〜」、もう見るものが何もかも珍しいという状態でした。
でも、不思議な事に、その時競馬場で初めて見た生のパドック・生のレースの様子もなんだかはっきり覚えてるんですよね。
その時の私は、素人なりにパドックで「いい!」と思った馬を1頭選び、そこから1番人気以外の人気上位馬に(ああ、昔から穴党なんだこれが・・・最初から道を誤っている)流すという作戦を採りました。
しかし、レースでは当たり前のように1番人気が勝ち、私が狙った馬は10着。勝ち馬はその後オープンまで行った馬ですから、本当は逆らっちゃいけない馬でしたね。
でもまあ、私が買った馬は結局一頭も掲示板に残れないという惨敗でしたけど、それから10何年も経った今でも、そのレースの事は鮮やかに思い出します。こうして書いているだけでも、パドックを周回する私の狙い馬、そのひづめの音が耳に鮮やかに甦ってきます。初めての生のレースは、それだけ私に大きな刺激を残してくれたわけです。
今こうしてオッズパークという新しい舞台に立つと、初めて競馬をした日の新鮮な気分を思い出します。この記事を読んでいただいているみなさんにも同じように、新鮮なドキドキ・ワクワクを感じていただいて、そしてもし、初めてオッズパークにやってきた日がみなさんの忘れられない日になったなら・・・。そんなお手伝いができるよう、がんばります。よろしくお願いします。
初めまして。
今回からオッズパークで岩手競馬のブログを担当することになった「テシオ」編集長・松尾康司です。よろしくお願いします。
おそらく「テシオ」という雑誌を知らない方も多いと思いますので、まずはその紹介から。
創刊は1997年7月。当時(現在も?)、中央競馬の情報は日刊紙、雑誌、そしてテレビ、ラジオ等で日常的に手にすることができましたが、地方競馬は圧倒的に情報量不足。仮に地方競馬を知ろうとした場合、かなりの労力を必要としました。
中央競馬には数々の名馬、名騎手がいますが、じゃあ地方競馬にはいないかというと決してそうではない。ただ、競馬ファンがそれを知る手段が少なかったのではないか…。
はからずも「テシオ」創刊から2年も経たずして岩手のメイセイオペラが、GI・フェブラリーステークスを制したことでも証明しましたが、地方馬ゆえ日頃、スポットの当たらない馬たち、騎手、そして競馬サークルを紹介できないものか――と思い立ち"みちのくレース岩手競馬のすべてが分かる"「テシオ」を創刊しました。
「テシオ」とは偉大なるホースマン、フェデリコ・テシオ氏から厚かましくも頂戴し、命名したもの。彼は1900年代、ヨーロッパの主流から見れば"辺境の地"イタリアからネアルコ、リボーなど歴史的名馬を世界に送り出しました。
その後、ネアルコの子孫たちはさらに繁栄を続け、現在活躍するサラブレッドの90%以上がネアルコの流れを汲むと言われています。
岩手競馬も日本全体から見れば"北の辺境の地"ですが、そこから大きな波を起こせないか。そんな気概を抱いて「テシオ」と命名しました。
そして岩手は1千年以上も昔から馬産地として名を馳せ、馬と深くかかわりをもってきた地域でもあります。
また日本ではテシオ=手塩の言葉もあり、「手塩にかけて」この雑誌を育てていきたい…の意味も込めました(半分冗談ですが)。
私が岩手競馬にかかわり始め、早25年が過ぎましたが、その間にもスイフトセイダイ、トウケイニセイ、メイセイオペラ、トーホウエンペラーなど数々の名馬に出会ってきました。そして今後もすばらしい馬たちに出会うと確信しています。
このブログではレースはもちろんのこと、馬のこと、馬にかかわるホースマン、周辺ネタなど、あらゆる話題を取り上げていきますので楽しみにして下さい。
最後にブログを担当するスタッフを紹介したいと思います。まず私「テシオ」編集長・松尾康司。「テシオ」スタッフであり、裏の編集長ともっぱらの噂、"よこてん"こと横川典視。「テシオ」のメインカメラマン兼、現在はライターの世界にも進出中の"馬にも乗れるカメラマン"佐藤到。
以上の3人で頑張っていきますので、よろしくお願い致します。