
先週に引き続き、カメラマンOさんのお話を。
「カメラマン」と呼ばせてもらいましたが、Oさんは競馬場の記念写真屋さん。名刺には「馬の写真師」との肩書きがあります。そんなOさんの使用機材は、35ミリ一眼レフには標準ズームから500mmの超望遠レンズまで。さらに中判と言われる大きなフィルムを使うタイプの645判と67判のカメラをシーンによって使い分けています。毎週たくさんの機材をワゴンに乗せて、東北道をひた走って来るのですね。大きな額に合わせて写真を引き伸ばすこともあるので、現在のところデジタルカメラは使わないとのことです。
私のような報道系のカメラマンは、ある程度は自分が良いと思った写真を発表できるのですが、Oさんの場合は写真を買っていただく馬主さんに気に入ってもらえてナンボ。全身がきちっと写っているのはもちろんのこと、人によって写真の好みが違うので、なるべく多くの方に満足してもらえるよう撮影シーンや写し方を工夫するのが大変なのだそうです。そういえば、関係者が優勝馬の引き綱を持っての口取り写真では、レース直後で興奮冷めやらない馬の姿勢と、人物全員の表情が両方良いタイミングでシャッターを切らねばならず、苦心しているのを私もよく目にしています。
同じカメラマンといえど、ジャンルが異なればいろいろと違いがあるものです。しかしOさんには、私が岩手競馬の撮影を始めた頃、撮影ポジションやレース前後の流れなど、様々なことを教えていただきました。先日も「あ〜漬け物食い過ぎて具合わりぃ〜」とおっしゃりながら撮影していましたが、これからもよろしくお願いしますね。
競馬界で「鉄人」というと、川崎の7000勝ジョッキー、佐々木竹見元騎手や、岩手であれば千田知幸騎手(現調教師)らが思い浮かびますが、裏方に徹する人々の中にも彼らに負けず劣らず、鉄人と呼ばれるのに相応しい人たちがいるはずです。
その一人がK.O.さん(本人希望によりイニシャルで)。私と同業のカメラマンですが、Oさんは優勝馬の口取り写真をはじめとする馬主向け記念写真用の撮影をなさっています。盛岡・水沢の競馬場で競馬のある日は、1レースから必ず撮影ポジションに入っていますので、本場で観戦したことのあるファンならば、(あまり目立ちませんが)間違いなく見たことがあるハズです。しかしこの方が山形県から毎週々々通っていることを知る人は少ないのではないでしょうか。
Oさんの実家は、上山競馬場で記念撮影をしていた写真館の親類で、昭和48年からはOさんのお父上が岩手で撮影を始めました。このときOさんは中学生。ところがわずか4年後の昭和53年に父上が病に伏し、当時高校3年生だったOさんは内定していた就職先を蹴って父の跡を継ぎ、岩手に通うようになったのだそうです。
以来28年間、岩手競馬の全てのレースを撮り続けているというのですからスゴイとしか言いようがありません。土曜の朝は、途中で何かあっても1レースに遅れないよう朝早くに出発し、月曜は夜遅くに帰宅する。これを毎週繰り返すのは並大抵のことではないでしょう。まして仕事を始めた昭和50年代には山形自動車道がなかったのですから、上山からの道のりは、今以上に遠かったはずです。
しかし当のOさんは、毎日「あ〜ぁ、もう疲れた。眠てぇ〜」とか言いながらユルユルと仕事をなさっています。
見るからに頑張っている人ももちろん偉いのですが、こんなふうに表に出さずに努力している人は、尊敬に値すると思うのです。
いや〜、暑くなってきました。夏ですね。
とはいえ、みちのく岩手の梅雨明けはまだまだ先ですが、とりあえずは夏。です。
よく「東北は雪が多くて大変。よくあんなところに住むね」という“都会人”の方がいますよね。でもその分、夏は体温を超えるほど暑くなる事もないし、南の方は南の方で毎年どこかで台風の被害があったりなんかして、私としては全国どこでも良いところもあれば悪いところもある、結局は同じだなあと思うのですが。
<<九州沖縄方面の大雨被害にあわれた方々には、心よりお見舞い申し上げます>>
というわけで夏本番の皮切りに、来週は盛岡競馬場でマーキュリーカップがあります。このレースは岩手で4つある統一グレードレースの第1弾。過去にはあのメイセイオペラが中央・他地区からの遠征馬をぶっちぎって優勝し、全国制覇へ名乗りをあげたレースでもあります。しかし、その98年以外の8回はすべてJRA馬に勝ちをさらわれており、岩手贔屓、地方贔屓の私としてはちと面白くない結果でもあるのです。
今年も中央勢は強力なグレードホースを揃えてきていますが、なんとか地方馬にも頑張って欲しいですね。
それから開催場が第4回を境に、水沢から盛岡に移っているのもマーキュリーカップの歴史上、見逃せない点。確かにコース幅が広くコーナーは緩く、スタート後とゴール前に長い直線があるオーロは、出走各馬の本当の力が問われるという点で統一グレードの舞台としてふさわしいもの。(詳しくは岩手競馬HPスペシャルサイトへどうぞ)しかし、「ひとつぐらいは水沢に」との声があるのもわかります。ここからダイレクトに繋がるGI、GIIの上位レースもありませんし、ここはいかにも地方らしい水沢競馬場を舞台にして、地方色いっぱいにレースの雰囲気をプロデュースするというのも楽しいかもしれません。
テシオブログ木曜日は、知ってる人は知っている、知らない人にもどうでもいいかもしれない、佐藤到の担当曜日です。
先週はMr.Pink内田利雄騎手のヘルメットの、“身”の部分に描かれたイラストをご紹介しましたが、では“ガワ”である枠色の部分はどうなっているのでしょう?
実は私、競馬を始めたときは各色のヘルメットが用意されていると思っていたのですが、“身”部分は共通で各騎手の自前です。これは頭部保護のためにウレタン(?)が充填された非常に軽量な品物で、持ち上げてみると思った以上に軽く、ちょっと驚くほどです。ジョッキーたちは他人のと間違えないようこれに名前を入れていて、フルネームをきちんと書き込んでいる人もいれば略称・愛称を入れている方もいます。なんとなく面白かったのは、前面中央に縦書きで「TO」と書かれたメット。これは陶文峰騎手の所有物でした。
そして赤や青やピンクという各枠の色は、ヘルメットに被せるカバーで表しています。このカバーは競馬場側が用意するもので、当然8つの色があり、さらに各色大・小のサイズが揃っています。材質は薄いナイロン製で、私などはこれがヘルメットから外されクシャッとなっている姿を見ると、小学校時代の「プールキャップ」を思い出してしまうんですよ。
騎手達はレース前に各自のヘルメットに枠色のカバーを被せ、付属のヒモを固く縛ってしっかりと固定します。写真で結び目がわかるでしょうか? そしてレース後は検量所ですぐに外され、競馬場従業員のオバチャンが回収して洗濯へとまわされるようになっています。
ヘルメットに限らず、レースを終えた人馬は逃げ馬でない限り全身泥々(ダート競馬では砂々?)で、レースの後にはヘルメットやステッキ、ブーツなど、自前の用具を騎手達がお手入れしている姿が見られます。大事な商売道具だけあって、どの騎手もなかなか丁寧。私はときどき「カメラの扱いが荒い」と言われますが、商売道具はもっと大切にしないといけませんね。
(文・写真/佐藤到)
既に色々なところで報道されていますし、近日発売になるテシオ最新号でもカラーの特集ページが組まれていますが、やっぱり私も取り上げたいので…。
先週24日、元宇都宮競馬所属の3000勝ジョッキー、内田利雄騎手の岩手騎乗が今年も始まりました。思えば昨年のちょうど同じ時期、地方競馬初のフリージョッキーを目指し活動を始めた内田騎手が、その第一歩を踏み出したのがここ岩手での短期所属という形。それは交渉や手続き上の問題など様々あった結果なのでしょうが、初めに岩手に来てくれて、また岩手が最初に受け入れたということを、岩手のファンも関係者も非常に喜ばしく思ったものです。
さて7レースのパドックに姿を現した内田騎手。かの有名な『100万ドルの流し目』は健在でした。「おーい、今年も頼むぞー」の声が飛び暖かい雰囲気で迎えたパドックのファンらに向かって、にこやかな目線でぐるりと一回り。カメラが向けられた場所には特に重点的に視線を注ぎます。これはファンばかりでなく、私たちプロカメラマンにも向けてくれるんですね。それも日本一と言われるファンサービス精神の一環。内田さん曰く、「あんまりたくさんカメラがあると、どこを見ていいか分からなくて困っちゃうんですよ」なのだそうですが、カメラマンにとって非常に有り難い方であります。
これもご存知の方はご存知だと思いますが、内田騎手愛用のヘルメット(枠色のカバーを被せる下の、メット本体の部分)には、「ミスターピンク」のイラストが描かれています。これは内田騎手のファンで、イラストレーターをなさっている方が描いてくれたそうですが、今年はこれがひとつ増えていました。本年バージョンは派手な虹色の部分がカバーの下からちらっと見えているので、パドックで「おや、あれは何?」と思った方もいるのではないでしょうか。
内田利雄騎手は先週の3日間だけで既に3勝もあげてしまいました。炸裂するベテランの技に、岩手の騎手らも意地を見せようと発奮しているのがそのレースぶりから窺えます。どんなスポーツでもそうですが、外からの刺激があると試合が面白くなり、またプレイヤーもひとつ成長するきっかけになるのではないでしょうか。内田騎手はこうして全国の競馬場を巡りながら、地方競馬全体の充実に貢献しているということになりますね。まだ所属の叶っていない北海道や九州などの地区でも、早く騎乗できれば良いと思います。
ただ個人的には、毎年1度か2度は岩手に来て欲しいというのが本音ですが。
(文・写真/佐藤到)