いやぁぁぁぁ暑いですね!本州一寒いはずの盛岡も夏はけっこう暑いです。北東北の岩手でこれですから、南の方々はもっと暑い思いをしているでしょう。でも先日、競馬とは別のカメラマンの仕事で東京から来た人たちと一緒だったのですが、予想以上の暑さに見舞われ、「もっと過ごしやすいと思っていたのに…」と言ってバテ気味でした。
そんな真夏の盛岡ですが、南のほうと違うのは夜風が涼しいことでしょうかね。東京からのニュースで聞くような、夜になっても蒸し暑いということはほとんどありません。まぁ都会はヒートアイランド現象が起こっていますから本来の気温じゃないのでしょうが、こちらの夜風は本当に気持ちがいいです。ほら、いまもカーテンを揺らして風がすーっと……だといいのですが、今夜はほとんど風が吹かないですね。我が家(アパート)はエアコンがないので、日中、西日がガンガン当たって加熱された部屋の中は風が無いと熱気が抜けず、今夜は寝苦しくなりそうです。ま、北国の夏なんてキツイのはほんの1〜2週間。もう真っ赤なアキアカネ(赤とんぼ)も何度か見かけましたし、すぐに秋がやってきますよ。
そう思って今年もエアコン購入は見送るのでした。
ところで今年の岩手競馬、お盆の特別開催は曜日をずらしただけで例年の5日間連続などはやりませんでしたね。ちょっと寂しい気もしますが、おかげでここ数年見に行くことがなかった「船っこ流し」に行くことが出来ました。船っこ流しは毎年8月16日に行われる行事で、お盆のあいだ里帰りしていた祖先の霊を送るため龍をかたどった船に火を点けて北上川に流します。というと普通の灯籠流しに近い物を思い浮かべるでしょうが、こちらは自動車ぐらいの大きさの船をに花火や爆竹を満載して点火するものですから迫力満点。夕暮れの街に爆発音が響き渡る、なかなか豪快なお祭りなのです。
7月29日、小雨が降る中おこなわれた8レースにエメラルユーキという馬がいまして、通常通りパドックを周回した後、阿部英俊騎手が騎乗して馬場へと向かいました。ところがこのとき、たまたま左側の手綱がハミの近くから切れてしまい、阿部騎手が右の手綱だけで必死に制御しようとしたものの、ラチに接触して騎手を落とし放馬してしまいました。
人馬とも大事には至らず良かったのですが、エメラルユーキはトラックを半周ほど走り、今度はUターンしてコースを逆走。スタンド側まで来るとレース後の馬が引き上げる出口のところから馬場を出て、職員の制止もきかずそのままの勢いで厩舎地区の方へ走って行ってしまいました。
今は水沢の厩舎から参戦しているエメラルユーキですが、実は昨年までは、盛岡の小笠原義巳厩舎にいました。このとき小笠原厩舎にいたのは、昨シーズン、エメラルユーキを担当していたN君。N君は、イマドキの若者らしいこなれた感じがなく、寡黙でまじめな青年で、馬の仕事がしたいがために単身、岩手競馬の世界に飛び込んできた人物。私と彼とは乗馬練習を一緒に受けた時に話をするようになったのですが、「自分はユーキに馬というものを教えてもらった」と良く言っていました。しかし残念ながらとある事情により7月を最後に厩舎を退職し、実家へ帰ることがこのとき既に決まっていました。
そんなN君が厩舎の番をしていた午後。残り少ない競馬場で過ごす時間。そのときなぜか表に馬の気配を感じて出てみると、そこには、いるはずのないユーキが…!
放馬でパニックになったエメラルユーキが、記憶の断片に従って自分がもといた寝床への道を辿っただけなのかもしれません。でも、競馬場をあとにするかつての担当者に、別れの挨拶をしにきた…ようにも思えて、ちょっと泣ける話ですよね。
さあ今週はいよいよ不来方賞。GI3着という素晴らしい実績を手にしたオウシュウクラウンも、この歴史ある地元重賞をパスすることなく参戦してきます。全国区になったオウシュウクラウンと、地元で抜けた存在となっているブラックショコラ、サイレントエクセルらが再び相まみえ、誰に軍配があがるのか…
と、その前に。オッズパークを通して今年度から岩手に興味を持っていただいたファンの皆様は、この「ふらいほう」とやらが何なのか解らない方が多いでしょう。
これは正しくは「こずかた」と読み、盛岡地方の古い呼び名とされています。かつてこの地に羅刹という鬼が現れ、里を荒らし回ったので、困った人々が三ッ石の神様(現・盛岡市名須川町の三ツ石神社)にお願いしました。すると神様は鬼を捕らえ、二度とこの地に来ないという約束の手形を神社の境内にある岩に残させました。…という伝説があり、この「二度と来ない」が「不来方」という名の由来とされています。
さらに、岩に押したという手形が「岩手」という県名のいわれであり、この巨岩は現在でも神社の境内にそびえ立っていて、ちょっとした観光名所になっています。また、鬼が退治されたことを喜んだ里人たちが神社で祝いの踊りを踊ったのが、盛岡周辺に伝わる「さんさ踊り」の起源なのだそうです。
ちょうど8月1日から、盛岡市では市内中心部の中央通を会場に「盛岡さんさ祭り」が開催されていまして、踊り手、太鼓、笛の行列が通りを埋め尽くし踊りまくっています。なんでも東北5大祭りに数えられるのだそうで、特に、太鼓が伴奏ではなく、祭りの主役としてかなりの人数が太鼓を叩きながら踊るので、なかなかの迫力ですよ。
先週に引き続き、カメラマンOさんのお話を。
「カメラマン」と呼ばせてもらいましたが、Oさんは競馬場の記念写真屋さん。名刺には「馬の写真師」との肩書きがあります。そんなOさんの使用機材は、35ミリ一眼レフには標準ズームから500mmの超望遠レンズまで。さらに中判と言われる大きなフィルムを使うタイプの645判と67判のカメラをシーンによって使い分けています。毎週たくさんの機材をワゴンに乗せて、東北道をひた走って来るのですね。大きな額に合わせて写真を引き伸ばすこともあるので、現在のところデジタルカメラは使わないとのことです。
私のような報道系のカメラマンは、ある程度は自分が良いと思った写真を発表できるのですが、Oさんの場合は写真を買っていただく馬主さんに気に入ってもらえてナンボ。全身がきちっと写っているのはもちろんのこと、人によって写真の好みが違うので、なるべく多くの方に満足してもらえるよう撮影シーンや写し方を工夫するのが大変なのだそうです。そういえば、関係者が優勝馬の引き綱を持っての口取り写真では、レース直後で興奮冷めやらない馬の姿勢と、人物全員の表情が両方良いタイミングでシャッターを切らねばならず、苦心しているのを私もよく目にしています。
同じカメラマンといえど、ジャンルが異なればいろいろと違いがあるものです。しかしOさんには、私が岩手競馬の撮影を始めた頃、撮影ポジションやレース前後の流れなど、様々なことを教えていただきました。先日も「あ〜漬け物食い過ぎて具合わりぃ〜」とおっしゃりながら撮影していましたが、これからもよろしくお願いしますね。
競馬界で「鉄人」というと、川崎の7000勝ジョッキー、佐々木竹見元騎手や、岩手であれば千田知幸騎手(現調教師)らが思い浮かびますが、裏方に徹する人々の中にも彼らに負けず劣らず、鉄人と呼ばれるのに相応しい人たちがいるはずです。
その一人がK.O.さん(本人希望によりイニシャルで)。私と同業のカメラマンですが、Oさんは優勝馬の口取り写真をはじめとする馬主向け記念写真用の撮影をなさっています。盛岡・水沢の競馬場で競馬のある日は、1レースから必ず撮影ポジションに入っていますので、本場で観戦したことのあるファンならば、(あまり目立ちませんが)間違いなく見たことがあるハズです。しかしこの方が山形県から毎週々々通っていることを知る人は少ないのではないでしょうか。
Oさんの実家は、上山競馬場で記念撮影をしていた写真館の親類で、昭和48年からはOさんのお父上が岩手で撮影を始めました。このときOさんは中学生。ところがわずか4年後の昭和53年に父上が病に伏し、当時高校3年生だったOさんは内定していた就職先を蹴って父の跡を継ぎ、岩手に通うようになったのだそうです。
以来28年間、岩手競馬の全てのレースを撮り続けているというのですからスゴイとしか言いようがありません。土曜の朝は、途中で何かあっても1レースに遅れないよう朝早くに出発し、月曜は夜遅くに帰宅する。これを毎週繰り返すのは並大抵のことではないでしょう。まして仕事を始めた昭和50年代には山形自動車道がなかったのですから、上山からの道のりは、今以上に遠かったはずです。
しかし当のOさんは、毎日「あ〜ぁ、もう疲れた。眠てぇ〜」とか言いながらユルユルと仕事をなさっています。
見るからに頑張っている人ももちろん偉いのですが、こんなふうに表に出さずに努力している人は、尊敬に値すると思うのです。