馬耕まつり 第二弾
「帯広競馬場を馬文化の発信基地に!」というのが、我らが「ばんえい競馬応援団」=「とかち馬文化を支える会」の合言葉。
その崇高な志が、ついに実現されたかと思うと、もう嬉しくて、ちっとも当たらない馬券の悔しさなんか、どこかに飛んで行ってしまったくらい。
私を、こんなに感激せしめたのは、11月10日・11日の両日に開催された「馬耕まつり」。支える会が主体となって作った実行委員会が主催した、これなるお祭り、実は、一人の支える会理事さんの呟きによって誕生したイベントなのである。
「昔の農機具を見つけたから買ってきたんさ。あれ、競馬場で馬に曳かせたら、ばんえいのPRにならんかい?」
元々、ばんえい競馬は、馬による耕作、即ち、馬耕がルーツの競技。ばんえい競馬の起源を知り、昔日の農業を体感する、これ、誠に意義のあることであって……なんて小難しい講釈は後から考えたもの。理事さんの呟きを聞いた瞬間、「それ、面白いから、やりましょう!」と、馬のことなら猪突猛進の私が、諸手をあげて賛成した。
さて、そんなシンプルな発想から始まった馬耕まつりが、しかし、企画するうちに段々と大規模になり、なおかつ、当初の実施予定の9月23~25日には、馬インフルエンザの影響で、肝心の馬の持ち込みが出来ないという非常事態まで発生。それでも、9月には何とか様々な農機具を駆使して、楽しい「馬耕まつり」を開催したけれど、そんな「馬のいない馬耕まつり」で満足するようなヤワな人々ではないのである、支える会のメンバーは。
という訳で、今度こそは実馬を使ってリベンジ! と、意気込んで開催したのが、今回の「馬耕まつり第二弾」。お祭りのメインは、何と言っても、開催のきっかけとなった「馬耕デモンストレーション」。ディスクハロー(土を砕いて畑を平らにならす機械)、プラウ(土を掘り起こす機械)、それに昭和30年代に活躍した保道車(車輪にゴムを巻いた馬車)曳いた馬達がエキサイティングゾーンを行進すると、寒風吹く中、たくさんの観客がスタンドから出て興味深げに見物。
プラウによる馬耕のデモンストレーション
ただし、単なる見世物で終わらないのが「支える会流」。デモンストレーションの途中で一旦、馬を止め、馬や農機具に触ってもらい、かつての馬耕を体感してもらったから、観客も大喜び。馬に触って歓喜の声をあげる子供や、馬と記念写真を撮るファン、「懐かしいね」と農機具に見入る年配の男性など多数。暖かい空気が競馬場を包んだのである。ほのぼの。
いや、しかし、今回の馬耕まつりには、もうひとつメイン・イベントがあって、それが流鏑馬。
十勝はスポーツ流鏑馬のメッカであり、帯広の隣町・芽室町では、毎年、全国大会が行われている。ということで、この伝統馬術を、是非、競馬場で披露しようと、11日にはレースの合間を使って、エキサイティングゾーンで流鏑馬を実演。きらびやかな和装の騎馬が疾走する勇壮なショーに観客は息を飲み、射抜かれた的がはじけ飛ぶたびに、スタンドからはやんややんやの歓声が沸き起こった。
勿論、こうした華やかなショーだけが馬耕まつりではなくて、スタンド南側では、常時、引き馬や馬車が活躍。馬が持ち込めなかった1回目の馬耕まつりの恨みを晴らすかのように延べ14頭もの馬を用意し、ファンに、子供に、存分に馬に触れ合い、遊んでもらったから、その賑やかなことは想像に難くない、でしょ?
そんな中にあって、馬耕デモンストレーションと同じくらい私を感動せしめたことがあったから、最後に一言。
今回、馬車で観客を歓待した馬の中に極小のポニーが1頭。軽2輪の馬車を曳いて大人気を博したのだけど、その隣では、御馴染みのリッキーがバスほどの大型馬車を曳いている。
リッキー馬車とポニー馬車
巨大なばん馬と世界最小級のポニー。同じ馬なのに、この違い。こんな珍しい取り合わせが簡単に実現するのも、バラエティー豊かな馬産が存在する十勝ならでは。これそこ、広範な馬文化の全国への発信なんである、と再び感慨を深くした私。
と言いながら、しかし、痛恨だったこともあって、こうして感動しまくるうちに馬耕まつりは夢のように過ぎて、気がつけば同時開催の帯広商工会議所主催「ばん馬祭り」を楽しむ暇は皆無。同お祭りのお笑いショーや人間ばんばがゆっくり見られなかったのは仕方ないとしても、商工会が販売していた「ばん馬関係新商品」、これは食べたかった! ばんばお焼きなんぞというものは、友人が買ったものを写真で撮ったけれど、私は一口も食べられず終い!
食べたかった! ばんばお焼き
馬文化発信の崇高な志に「満足」。でも、「満腹」には程遠い晩秋の2日間だったのでした。うひゃ~、お腹減った~!
なんと、「ちーずいんぱくと!」