
小野寺三男厩舎所属のムーンロードは2006年金沢デビュー。一時、佐賀を経て今年の開幕週から岩手競馬に出走し、菊池康明騎手を背にこれまで4勝と善戦している。
ムーンロードというと、直訳すれば月の道。太陽が星座の星々を背景に動いてゆく天球上の道筋を『黄道』というのに対し、月の道筋は『白道』と呼ばれる。しかし白道に当たる英単語は moon’s path だそうで、残念ながらムーンロードとは言わないようである。
黄道という言葉は『黄道12宮』つまり星占いの12星座で聞いたことがある方も多いでだろう。黄道12宮は黄道上を太陽が1年で一回りするときに通過する12の星座を占術のシンボルとして利用したもので、生まれたときに太陽が位置する星座がその人の星座(太陽宮)となるのはご存知のとおり。例えば冬の星座の代表格である牡牛座や双子座の人は6月7月あたりの生まれということに、私などは少し違和感を覚えてしまうことがあるが、しかし生まれの星座は輝く太陽と一緒に昼間の空に上っているわけだから、いわゆる季節の星座として夜空に見られる星座のイメージとは正反対で当然なのである。
一方、白道○○宮という言葉は聞いたことがないが、これは白道が18.6年の周期でそのルートが変化するためであろう。黄道も僅かながら変化はしているものの、その周期は2万5千年以上ととんでもなく長いので、西洋占星術の起源となる古代バビロニア時代から現在まで大きくは動いていない。
ところが東洋には『宿曜経』という“月の星占い”があるのだそうだ。これは紀元前のインドで文殊菩薩(!)が作り、仏教と共に中国に伝来して日本へはかの弘法大師空海が持ち込んだと言われている。こちらはなんと27もしくは28の“宿”があり、月の位置が一晩ごとに変化するのに対応して誕生日1日ごとに宿が変わってゆくという、結構めまぐるしい占術である。
占星術というと、よく「人間の性格がたった12に分類されるハズがない」「同じ日に生まれた人間は性格が同じということになるではないか」という声を聞く。しかし、ちかごろ西洋占星術に凝り出した知人によると、太陽・月・惑星などが成す角度(同じ誕生日でも年が違うと異なる)や、生まれた瞬間に東の地平線から上ってきている星座(上昇宮・生まれた場所=経度で異なる)などによって全く違ったものになるのだそうで、ひとくちに星占いと言ってもなかなか奥深い世界のようだ。そもそも占星術は天文学と一体として発達しており、近代、アイザック・ニュートンが登場するあたりまでは科学の一部門として認められていたのだから奥深いのも当然なのかもしれない。
さて、件のムーンロードは占星術的にはどうなのであろう?ムーンロードは2004年4月17日の門別生まれ。さきほどの知人に見てもらったところ、生まれた時間が分からないので詳しくは言えないが、という注釈付きで
行動と思考が一致するタイプで、感情が表に現れやすい
悪く言えば気まぐれ自分勝手で調子に乗りやすいが、
褒めれば伸びるタイプ
と鑑定された。関係者のみなさん、参考になっただろうか?
(文/写真・佐藤到)
大盛況の南部杯が終わった翌日、私は機上の人となり、奈良へと向かっていました。いまは時間もお金も無い時期なのですが(金が無いのはいつもだな…)、親族の用事があってどうしても外せず、仕方なく早期予約割引の航空券を手配したのでした。私は国内旅行で飛行機を使うことがこれまであまり無かったのですが、早期割引って安いんですね。いかに安く行こうかと色々な交通機関やルートを検討していて、新幹線よりずっとお得だと知りました。さらに安価な夜行バスと迷いましたが、体力的負担と時間の有効利用を考えると、やはり空路をとるのが正解でしょう。なるほど、全国の競馬場を飛び回っているカメラマンやライターさんたちはこういうのを利用しているんですね。まぁ私の財布にはお得と言ってもかなりの負担でしたので、そうそう使うことは無いでしょうが…
いわて花巻空港から関空へ。そしてJBCを目前に盛り上がる園田競馬場を横目に、連絡バスでまっすぐ奈良県へと入りました。
ほどなく気が付いたのですが、住宅地の雰囲気が見慣れた東北の街とは違います。それは東北では少ない瓦屋根のせいなのですが、県境を越えて奈良に入ると、それまでの大阪ともまたずいぶん違って見えるんですよ。奈良の街の景色はどことなく重厚感を感じます。私が奈良に古都のイメージを持っていることや、向かったのが県庁所在地の奈良市ではなく南部の方だったせいもあるかもしれませんが、しかし少し観察してみると、それは折り重なる黒い屋根瓦と、漆喰で白や黒に塗られた壁から来ているようです。それが歴史的建物や古い民家だけでなく、普通の家でそういうデザインになっている家屋が圧倒的に多いんですね。新興住宅地らしき地区を除けば、新築の家でも周囲の雰囲気を守って建てているようです。
これは相当大変なことですよ。新しく家を建てるなら、今風の洒落た家にしたいと思う人が多いと思います。実際、近年の流行に影響され、田んぼのそばに南仏プロバンス風の集落が出現なんていう場所も日本中で多く見られるのではないでしょうか。しかし奈良の住人は街の調和を優先し、昔ながらの外観を建築家にオーダーしているんですよね。
同じことは、武家屋敷で有名な秋田県の角館でも感じたことがあります。こういう街の住民の方々は、自分たちの街を相当大切に思っているに違いありません。一方で、盛岡も含めた全国の多くの街では、高層マンションやショッピングセンター、再開発や道路拡幅などで、急速に「その街らしさ」が失われていっています。街並みや景色の価値を改めて考えさせられた、今回の旅でした。
次に私が奈良を訪れるのはずっと先のことになると思います。しかし素晴らしい古都の景色が、いつまでも守られることを願っています。
(文/写真・佐藤到)
先日このブログでカメラが故障した話を書きました。結局それは9万3千円という非常に痛い請求書を残して完治したのですが、身の回りのトラブルは実はこれだけにとどまっておりません。
私の家にはパソコンが3台あります。1台は家用のiBookで主に家内が使い、1台は私が仕事で持ち歩くWindowsなのですが、このノートPCには持病があり、たまにメモリが壊れるので、それでは仕事にならんとこの夏、もう1台安めのデスクトップ機を購入して都合3台となっていたのです。ところが最近、ノート2台が立て続けに起動しなくなり、Winの方は増設したメモリを外すことで直ったのですがiBookは未だに眠ったまま。。。仕事では少し使いにくいので完全に趣味で持っているMacchintoshですが、修理代をかけて復活させるかどうか考え中です。
さらに考えてみると、ここ3〜4ヶ月の間には炊飯器も電源が入らず買い換えたし、FAXやHDD-DVDビデオデッキも不調をきたしてハラハラした覚えがあります。ここまで次々と電気製品が壊れると、あまりのツキのなさにただの偶然ではないのでは?とさえ思わずにはいられません。
人にこの話をすると、たいていは静電気体質を疑われるか、あるいは何かに憑かれているんじゃないの?ということになります。話がオカルトめいた方向にいくと即、マユツバとみる向きもあるでしょうが、私は「科学で証明できないものは存在しない」というよりも、「科学はすべてを証明できるほど万能ではない」と考えた方がロマンがあって好きなタチなので、オカルトも否定はしません。とはいえ、私には霊感なんて全然ないし、ましてぼんやりとした人影を見たとか、夜中に体が動かなくなったとかいうことも一度もないのですが……
しかしそう考えてみると、以前テレビ番組で見た森公美子さんの話が脳裏をよぎります。森さんは私と同じ宮城県出身の声楽家ですが、むかしから霊感が強いのだそうで、亡くなった友人が幽霊となって遊びに来たエピソードは有名です。古典的イメージでいくと幽霊というものは沈痛な面持ちで恨めしや〜とか言うものだと思うのですが、このご友人、やけに明るく元気にお話をした上、「私ずーっと合気道やってで集中力あっから、ほらすっかり見えるでしょ。足のない幽霊っているでしょ?あれは集中力がたんねぇんだ!」とご教示なさったとか…。それは余談ですが、同じ番組内で、幽霊というものは電気系統だから電気製品をすごく使うという話が出ていました。
霊は電気製品をコントロールしやすい…。まさかね…、とは思いながらも、先日取材先のパワーストーンショップでお土産に頂いた、破魔と浄化の力があるという石を携帯のストラップに取り付けた私でした。。。。
(文/写真・佐藤到)
さあ!いよいよ来週は南部杯。みちのくレース岩手競馬唯一の(に、今年からなってしまいました)GI競走を目前にして、気分はいやがおうにも盛り上がって参ります!!
と、その前に。今年の南部杯ポスターには、南部家の家紋である『向い鶴』が描かれていますね。この紋、よくよく見ると向かって左の鶴は嘴が閉じているのに対し、右は開いているのにお気づきでしたでしょうか?私はこれまで全く気が付きませんでしたが、これはいわゆる“阿吽”を表しているのだそうです。ということはこれがもし両方閉じていたら、鶴が対になっているデザインの意味が半減してしまいますね。ところがそう思って観察すると、口を閉じた鶴が描かれている場面にもたまに出会います。みなさんも向い鶴を見かけたら、その真偽を確認してみて下さい。
そもそもなぜ、南部家は鶴なのか?一説には室町時代に南部一族が秋田を攻めた際、二羽の鶴が陣中に飛来し、その後、戦に勝利したというエピソードが伝えられています。これには伏線があって、先陣を担った南部光経が戦勝祈願に家臣を出羽の霊場・月山と湯殿山へ使わしたところ、ほどなく夢の中で月山から二羽の鶴が飛んで来るのを見たのだそうです。その鶴が現実に戦場に現れ、一躍勇気づけられたのだとか。
またそのときの夢には続きがあり、9つの星が天空から落ちてきてそれを懐に入れたのだそうです。いかにも縁起の良さそうなシーンですが、この「9つの星」は秋田9万石と、陰陽道などで用いられる「九曜」をかけていると思われます。そしてこの星は、家紋の鶴の胸にもしっかりと輝いているんですね。これもワタクシ初めて知りました。
(文/写真・佐藤到)
またまた競馬に無関係な話題から入りますが、お付き合い下さい。
盛岡競馬場で南部杯が行われる前日の日曜日、日本モータースポーツ界最大のイベントが今年も開催されます。それはフォーミュラワン世界選手権日本グランプリ。F1日本GPと言ったほうが通りが良いかもしれません。
今年、日本のモータースポーツファンの期待を一身に集めるのは、日本人2世ドライバー中嶋一貴選手。彼は日本人初のレギュラーF1ドライバー・中嶋悟氏の長男としても知られています。中嶋悟は最高位4位と表彰台には手が届かなかったものの、ロータス・ホンダ所属時代にはあのアイルトン・セナのチームメイトを務め、また『雨のナカジマ』と呼ばれて難しいコンディションでの走りが光る選手でした。カズキは同じく2世ドライバーのニコ・ロズベルグ選手(こちらの父は元世界王者のケケ・ロズベルグ。ケケが活躍していた頃、日本ではまだF1をテレビ中継していなかったので、彼の現役時代を知っているという人は相当のツウですね)とタッグを組み、名門チーム・ウイリアムズで果敢に戦っています。
彼らに共通しているのは、2世ドライバーと言われることに抵抗を感じていること。中嶋一貴選手に至っては、父のネームヴァリューでサポートを得られるであろうホンダを自らの意志で離れ、トヨタ系のチームで頭角を現し、ついにトヨタエンジンを搭載するウイリアムズに世界最高カテゴリーのシートを獲得しました。
昨年の最終戦から参戦している彼ですが、実質上は今年がルーキーイヤー。ところが開幕戦で8位入賞!その後も爆発的な見せ場はないものの確実な走りを続け、モナコGPでは日本人初の入賞を記録するなど、地道にその評価を高めています。
来る12日は凱旋帰国となりますが、ここまで良い流れで来ているだけに地元グランプリでどんな走りを見せてくれるか楽しみです。
ところで2世というとスポーツ選手だけでなく、タレント、俳優、代議士などなど、いろんなところでそう呼ばれる人がいます。中にはこの肩書きを積極的に利用している人もいれば、反発している方もいるでしょう。しかし見る側からすれば、「君のお父さん(お母さん)の活躍を覚えているよ」という気持ちはかなり大きく、それだけで親近感を感じたり応援しようという気持ちが起きたりするものです。
これが競馬というスポーツにおいては、血統の重要性と人間よりも遙かに早い世代交代のおかげで『あの馬の子供』が登場する機会が非常に多くなります。それほど年季の入ったファンでなくとも、3〜4年ファンを続けていれば2世代にわたる競走馬が走るのを目にすることが出来るでしょう。これは人ならぬアスリートを応援している私たちの特権と言えるかも知れませんね。
さて今度の連休。日曜日にはナカジマが表彰台に、月曜にはミスハクギンやメイセイオペラの仔が先頭でゴールするのを見れたら最高!!ですよね。