松尾康司 1958年青森県出身。「テシオ」編集長 。思い出の馬は伝説の名馬トウケイニセイ。横川典視 1969年高知県出身。『いわて競馬マガジン テシオ』編集記者として活動中。東北の馬産地との繋がりも深い。
松尾康司 1958年青森県出身。「テシオ」編集長 。思い出の馬は伝説の名馬トウケイニセイ。横川典視 1969年高知県出身。『いわて競馬マガジン テシオ』編集記者として活動中。東北の馬産地との繋がりも深い。 先日は北京オリンピックの話題に触れましたので、今度はこっちを書くべきでしょうね。
9月14日に北京で行われたパラリンピック陸上円盤投げで、岩手県九戸郡洋野町種市の大井利江選手(60)が見事な銅メダルに輝きました。大井さんはアテネ大会銀メダルに続く連続の表彰台。今回メダルの色はひとつ下がりましたが、この大会から障害程度のクラス分けが変更になったそうで、より障害の軽い選手と戦って得た、価値の高いメダルとなりました。種市といえばテレトラックがあって岩手競馬ファンにも馴染みの深いまち。拍手!!!!!
しかしあれですね。健常者の方のときはテレビのどの局を回してもオリンピック・オリンピックで、日本人選手の獲得メダル数は何個!とやっていたのに、パラリンピックとなると、NHK教育テレビで毎晩1時間の枠しかないんですね。昼間の情報番組なんかでは報道していたのでしょうか?
そもそもオリンピックとパラリンピックは同じ夢の舞台、同等の大会のハズ。たとえそれは建前だとしても、これほど扱いに差があって良いの??
しかしそういう私も、本大会期間中はテレビの前に座れる時間があれば「どっかのチャンネルでオリンピックやってないかな?」とリモコンに手を伸ばしていたのに、次はパラリンピックが始まったからといって「テレビでやらね〜のかよ!」とぼやきながらネットで情報収集する、というわけでもありません。それどころか岩手県民のメダリストが誕生したことですら、このところ地方紙やローカルニュースを見ていなかったこともあり、この原稿を書くに当たって初めて知ったという始末。これじゃいけませんねぇ……
何故こんなにも、注目度が違うのか?選手は健常者と同じように努力しているのに、です。馴染みのない競技だったり、障害の種類や程度、運動機能によってクラスが細かく分けられていて複雑だからでしょうか?それも少しはあるかもしれませんね。
それとも単純に、プロあるいはプロに近い待遇で鍛錬を積んだ本職の選手が、ハイレベルなパフォーマンスを発揮するところが見たいものなのでしょうか??
でもなぁ。それだと私の好きなアレも否定されちゃうんですよ。ほら、『環境や設備、資金などの制約があるから単純な力比較では中央にかなわないけど、こっちにはこっちの良いところがあるんだよ』っていつも言ってるアレが。。。。
(文・佐藤到)
フリーランスで仕事をしている者にとって、常につきまとう恐ろしい問題があります。それは仕事道具が壊れること。仕事道具というと、流しの板前なら包丁、ゴルゴ13ならライフル、タレントやアナウンサーなら身体そのものということになりますが、我々カメラマンはもちろんカメラをはじめとする撮影機材一式となります。
本来、フリーの人間は道具の故障に備えて、バックアップ用の機材と修理費用の蓄えを常に準備しているべきなのですが、私のような生活するのでやっとやっとの零細カメラマンはそこまでの余裕もなく、頼むから壊れないでくれよと祈りながら仕事を続けることになります。ところが相手がキカイである以上、その日が突然やってくるのを避けることはできません。ましてや雨や砂埃という相当に厳しい環境で働かせているのですから…
昨年暮れ、このブログでレンズ故障の話を書きました。あれから9ヶ月。今度はカメラボディ本体が逝ってしまいました。その症状は撮影した画像に、まるで格子の向こうを写したように無数の黒い縦線が入るというもの。競走馬を写せば、写真判定のスリット写真かと思ってしまいます。私以上にカメラに詳しいよこてん氏も見たことがないという奇妙な状態ですが、画像処理のコンピューターが一定の法則で計算間違い(?)をしていると考えれば、デジタルカメラでは有り得そうなトラブルです。
ところで、私はこのカメラを既に問題のある状態で使っていまして、それはシャッター関係の故障でした。こちらは高速でシャッターを切ると、画面の一部が黒く何も写らなくなるというものでしたが、症状の出るシャッタースピードが4000分の1秒以上という、晴天の競馬場でも使わない速度だったので、気にせず放置していました。
さて、今回の故障でキヤノンのサービスセンターにカメラを送った際、私も慌てていたのかシャッターの問題の方は伝えるのを忘れて預けてしまったのですが、しかしキヤノンの修理職人さんはさすがにそれを見逃しませんでした。結果、シャッターユニットとコンピューター、加えてレンズマウントやフロントパネルまで交換することになり、ほとんどオーバーホール級の重修理。そして先ほど、電話で修理見積りの連絡が来ました。
87,000円…
う〜ん、死にそう…
びっくりするような金額ですが、それでもプロ仕様デジタル一眼レフカメラは元の値段がじゅうぶんに高いので、「新しいの買った方が」とはなりません。予備の機材も十分ではないので、修理するより他ないんですよね。
考えてみると、キシンやテンメイ(馬じゃないほうですよ)のような超有名カメラマンも我々も、カメラは各メーカーの上位モデルとなりほぼ同じクラスの物を使っている訳です。しかもあちらは壊れる前にどんどん新しいのに買い換えるのでしょうね。いや、買い換えるどころか、メーカーの人が「先生!これ使って下さい」と新製品を持ってくるのか…
底辺の者ほど苦しいという現代社会の構図は、ここでも当てはまるのですね。。。。
(文/写真・佐藤到)
北京オリンピックが終わりましたね。今頃…と思われるでしょうが、書きそびれてタイミングを逃してしまったネタがあったので少々強引に書きたいと思います。
それは、岩手県からオリンピック選手が出た!というハナシ。他県では「は?五輪選手の1人や2人ぐらい普通では?」と思う方もいるかも知れません。しかしこの岩手県、不思議なほどスポーツでは有名選手が出ないのです。ところが今回の五輪では、なんと2人も岩手県人が出ました!ひとりは女子サッカーなでしこジャパンのディフェンダー・岩清水梓選手、もうひとりが女子ホッケーのフォワード・小沢みさき選手です。
小沢選手は岩手郡岩手町の沼宮内高校出身。アイスホッケーでないほうのホッケーはチームがあることさえ珍しい、あまり盛んとは言えないスポーツですよね。岩手町は「ホッケーの町」を宣言するほどホッケーが人気で、駅前にスティックを構えている石像が立っていたりします。余談になりますが、岩手町の近隣からは先頃カーリング・ミックスダブルス世界選手権の日本代表選手も誕生しており、地味なスポーツにも真剣に取り組むことができる土壌があるのかもしれませんね。素晴らしいことだと思います。
そして岩清水選手は、私が現在住んでいる岩手郡滝沢村の出身!予選リーグの後半からは、村内放送(都会にお住まいの方には分からないかもしれませんが、宅地の一角や田んぼの中にスピーカーが立てられていて、イベントや災害情報の他、午後0時と5時にメロディーが流れたりします)で応援集会が告知され、村営体育館に村人達が集まってスクリーンに声援を送りました。テレビではよく見る光景ですが、岩手でこんなことが行われるとは思いませんでした。
以前にも書きましたが、これまで岩手出身のメダリストは冬季の三ヶ田礼一さんだけ。サッカーの日本代表でも小笠原満男選手しか招集されていません。(のハズです。間違っていたらゴメンナサイ)よく東北人は大人しいので人と勝負して上を目指すアスリートには向かない、と言われますが、本当でしょうか?隣県からは伊調姉妹や泉浩選手、福原愛選手が出ているのですが。どうも岩手の子供達は、小さい頃に何かのスポーツを一生懸命やっていても、高校生や社会人になるころには辞めてしまうことが多いようです。その道に自分の全てを賭けてみよう、という気持ちになりにくい環境なんでしょうかね。
今回のオリンピックでは残念ながら岩手にメダルを持ち帰ることは叶いませんでしたが、多くの県民がオリンピックを今までより身近に感じられたと思います。こういう中にいれば、何かのスポーツをやっている子供が、自分の進む道の先にはこんな夢舞台があるんだという意識を持てるかも知れません。
次のオリンピックやそのほかの世界大会にも、岩手の選手が途切れなく出場しているといいですね。そしてどんなマイナーな競技でも、岩手のメディアが大きく取り上げてくれることを期待します。
写真は水沢競馬場のスタンド。ここは他の多くの競馬場と同様コースに面する方向は開放になっており、風が吹けば客席に吹き込みます。寒さの厳しい岩手ですから、冬場はお客さんに少しでも暖をとってもらおうとここにシャッターが降りるようになっているのですが……って今8月ですよ!ガムテでべったり貼ってしまったから、毎年貼ったり剥がしたりするのが面倒になってしまったのでしょうか!?
一方、こちらはもっと深刻。
場所は装鞍所に面した馬場管理室の窓です。「廃止を招く」「守ろうみんなの職場」というストレートな言葉に切迫感がありますね。十年以上前からある「強い馬つくろう岩手の名にかけて」というスローガンも今でも数カ所でみることができますが、現在はもっと現実的で切実なこっちのポスターの方が重要度を増しているようです。
でもなぁ、強い馬が現れることがみんなの職場を守る一番の近道なんだろうけど…しかしそうも言ってられない現状なのでしょうね。
(文/写真・佐藤到)
岩手で行われる3つのグレードレースのうち、2つ目が終わりました。JRAの強豪を真正面からねじ伏せたのは、船橋のプライドキム。クラスターカップ史上2頭目の地方競馬所属勝馬となりました。
レース評などは各所で語られるでしょうからここでは書きませんが、じつは私、プライドキムを目にしたのは今回が2度目。前回は川崎で行われた2004年の全日本2歳優駿のときで、当時中央所属だったプライドキムは、4馬身差の圧勝劇で2歳チャンピオンの座についたのでした。といっても、本当のところ私の遠征目的は翌日の報知オールスターカップのほう。こちらはウツミジョーダン&小林俊彦騎手が、南関馬を蹴散らし見事勝利したレースだったのですが、せっかくだからと予定を1日早めて川崎入りしGIレースを撮影していたのです。
そのときの勝馬が長いスランプを経て地方馬として復活したわけですが、まさか南関所属となって初めての遠征で岩手にやってきて、私の目の前で再びグレードウイナーに輝くとは! そういえばレース前の装鞍所で、プライドキムが私の方をじっと見つめていたっけなぁ……「お、久しぶりだね。今日は頑張ってきっと勝つから単勝馬券でも買っておいてよ。」……おっとっと、妄想モードに入ってしまいました。
ティーンエイジャー川島正太郎騎手の笑顔と、プライドキムの瞳が印象に残る今年のクラスターカップでありました。