
全国地方競馬ファンのみなさま、初めまして。フリーカメラマンの佐藤到でございます。
私が競馬の写真を撮るようになったのは1997年、勤めていた写真店を退職しフリーとなった駆け出しの私に、岩手競馬マガジン『テシオ』が創刊になるということで松尾編集長から声をかけていただいたのが始まりでした。以来、生業の中心として岩手競馬の写真を撮り続けて10年目になります。今でこそ毎週々々競馬場に出没しコース脇や発売窓口周辺をうろうろしておりますが、実はわたくし、この仕事を始めるまで競馬というものを見たことがありませんでした。
私がカメラと出会ったのは中学の頃でした。またその一方で幼い頃から生き物が大好きだった私は、次第に動物の写真に惹かれるようになり、いつしかアフリカのサバンナや極地で、野生動物の写真を撮りたいと夢見るようになりました。ところが生来思い切りが悪く、また山にこもって何日もシャッターチャンスを待つような根性にも欠ける私。これまで多く撮影したのは、人里近くに出没するカモシカや、餌付けされたハクチョウなどの冬鳥といったところ。いつしかサバンナの夢は胸の奥に仕舞い込まれていました。ところが運命とは不思議なもので、こんな私のもとに、野生ではないものの競走馬という美しい動物を撮影する機会が飛び込んできたのです。もちろん、二つ返事で私は撮影のオファーを受けたのでした。
こうして私は、それまでほぼ未体験だった競馬場という空間に踏み込むこととなります。
それまで大衆の例にもれず、競馬に対しては「鉄火場的ちょっとコワイおじさんたちがいるぞーなイメージ」しか持っていなかった私ですが、いちどホンモノの競馬を見て、疾走する大型動物の迫力と美しさ、それを操って勝負を演じる騎手のカッコよさに、いっぺんでハマってしまいました。
ところで10年前というと、岩手では新盛岡競馬場が開場して2シーズン目。岩手の怪物トウケイニセイの走りを生で見た経験はなく、かわってメイセイオペラが頭角を現した年になります。これを考えると、もう少し早く競馬に興味を持っていれば伝説のトウケイニセイをこの手でフィルムに収めることが出来たのに、と何時になっても残念に思います。それにメイセイオペラが全国区で活躍した際にも、もう少し腕があがっていて、もうちょっといい写真を残せたのではないかと… うーん、実に悔しいことです。
さて、今でこそ『テシオ』ではカメラマン兼ライターとして、一部の文章を書かせてもらっておりますが、昔から作文は大の苦手で、その上前述のとおり競馬のキャリアもソコソコ。おまけに観察力や記憶力もイマイチな私ですので、競馬の知識でいえば熱心なファンのほうがよっぽど詳しい方が多くいらっしゃると思います。
私としては、スルドイ予想やレース考察は編集長とよこてん氏にお任せして、カメラマンの目にうつった競馬や、競馬に限らず馬の話題、あるいはもっと広げて岩手のいろいろなネタを、全国のみなさんにお届けしていきたいと思っています。おつきあい、よろしくお願いします。
みなさんはじめまして。テシオのよこてんこと、横川です。前回は当誌の編集長が自己紹介をしまして、今回は私の番ということになりました。
さて、私は生まれも育ちも盛岡で・・・と言いたい所なんですが、実は生まれは南国・高知。その後福島・京都と移り住んで、そして現在、みちのく岩手は盛岡で暮らしています。
よく「なんで高知生まれなのに盛岡で競馬の仕事をしてるんですか?」と聞かれるんですけど、その時に高知で生まれて福島、京都と・・・という話をすると、相手が競馬好きな方ならたいてい「ああ!」と納得して下さいます。そう。みんな競馬場のある街なんですよね。
ギャンブルと名のつくものにはいろいろ手を出してみるけれど、結局、競馬が一番好きなのは、やっぱり生まれた時から『競馬場のある街』の空気の中で暮らしてきたせいなのかもしれません。
え、本当の理由はって?それはまあ、秘密という事にしておきましょう。
自分が初めて競馬場に足を踏み入れた日の事、今でもはっきりと覚えています。
最寄り駅から競馬場まで歩いていく間からもう興奮しっぱなし。競馬場の建物が見えたと言えば騒ぎ、パドックだスタンドだと、右を向いては「へぇ〜」左を向いては「へぇ〜」、もう見るものが何もかも珍しいという状態でした。
でも、不思議な事に、その時競馬場で初めて見た生のパドック・生のレースの様子もなんだかはっきり覚えてるんですよね。
その時の私は、素人なりにパドックで「いい!」と思った馬を1頭選び、そこから1番人気以外の人気上位馬に(ああ、昔から穴党なんだこれが・・・最初から道を誤っている)流すという作戦を採りました。
しかし、レースでは当たり前のように1番人気が勝ち、私が狙った馬は10着。勝ち馬はその後オープンまで行った馬ですから、本当は逆らっちゃいけない馬でしたね。
でもまあ、私が買った馬は結局一頭も掲示板に残れないという惨敗でしたけど、それから10何年も経った今でも、そのレースの事は鮮やかに思い出します。こうして書いているだけでも、パドックを周回する私の狙い馬、そのひづめの音が耳に鮮やかに甦ってきます。初めての生のレースは、それだけ私に大きな刺激を残してくれたわけです。
今こうしてオッズパークという新しい舞台に立つと、初めて競馬をした日の新鮮な気分を思い出します。この記事を読んでいただいているみなさんにも同じように、新鮮なドキドキ・ワクワクを感じていただいて、そしてもし、初めてオッズパークにやってきた日がみなさんの忘れられない日になったなら・・・。そんなお手伝いができるよう、がんばります。よろしくお願いします。
初めまして。
今回からオッズパークで岩手競馬のブログを担当することになった「テシオ」編集長・松尾康司です。よろしくお願いします。
おそらく「テシオ」という雑誌を知らない方も多いと思いますので、まずはその紹介から。
創刊は1997年7月。当時(現在も?)、中央競馬の情報は日刊紙、雑誌、そしてテレビ、ラジオ等で日常的に手にすることができましたが、地方競馬は圧倒的に情報量不足。仮に地方競馬を知ろうとした場合、かなりの労力を必要としました。
中央競馬には数々の名馬、名騎手がいますが、じゃあ地方競馬にはいないかというと決してそうではない。ただ、競馬ファンがそれを知る手段が少なかったのではないか…。
はからずも「テシオ」創刊から2年も経たずして岩手のメイセイオペラが、GI・フェブラリーステークスを制したことでも証明しましたが、地方馬ゆえ日頃、スポットの当たらない馬たち、騎手、そして競馬サークルを紹介できないものか――と思い立ち"みちのくレース岩手競馬のすべてが分かる"「テシオ」を創刊しました。
「テシオ」とは偉大なるホースマン、フェデリコ・テシオ氏から厚かましくも頂戴し、命名したもの。彼は1900年代、ヨーロッパの主流から見れば"辺境の地"イタリアからネアルコ、リボーなど歴史的名馬を世界に送り出しました。
その後、ネアルコの子孫たちはさらに繁栄を続け、現在活躍するサラブレッドの90%以上がネアルコの流れを汲むと言われています。
岩手競馬も日本全体から見れば"北の辺境の地"ですが、そこから大きな波を起こせないか。そんな気概を抱いて「テシオ」と命名しました。
そして岩手は1千年以上も昔から馬産地として名を馳せ、馬と深くかかわりをもってきた地域でもあります。
また日本ではテシオ=手塩の言葉もあり、「手塩にかけて」この雑誌を育てていきたい…の意味も込めました(半分冗談ですが)。
私が岩手競馬にかかわり始め、早25年が過ぎましたが、その間にもスイフトセイダイ、トウケイニセイ、メイセイオペラ、トーホウエンペラーなど数々の名馬に出会ってきました。そして今後もすばらしい馬たちに出会うと確信しています。
このブログではレースはもちろんのこと、馬のこと、馬にかかわるホースマン、周辺ネタなど、あらゆる話題を取り上げていきますので楽しみにして下さい。
最後にブログを担当するスタッフを紹介したいと思います。まず私「テシオ」編集長・松尾康司。「テシオ」スタッフであり、裏の編集長ともっぱらの噂、"よこてん"こと横川典視。「テシオ」のメインカメラマン兼、現在はライターの世界にも進出中の"馬にも乗れるカメラマン"佐藤到。
以上の3人で頑張っていきますので、よろしくお願い致します。