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ばんえい名馬ファイル(11) スーパーペガサス

2011年3月22日(火)

史上初のばんえい記念4連覇 スーパーペガサス

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Photo●OPBM

 ばんえい記念の歴代勝ち馬を見ると、93年のマルゼンバージ以降は、いずれの馬もばんえい記念を複数回勝利している。このことは、1トンのソリを曳くばんえい記念が、いかに特殊なレースであるかを示してもいる。昨年ばんえい記念初制覇となったニシキダイジンも、今年、もしくは来年以降にこの記録を継続できるかどうか。

 そうした中で、達成されそうでなかなか達成されなかった記録が「ばんえい記念3連覇」だ。スーパーペガサス以前にばんえい記念(旧農林水産大臣賞典)を3勝した馬は、キヨヒメ、キンタロー、フクイチと3頭いたが、3年連続での制覇はなかなか達成されることがなかった。しかしスーパーペガサスは、その3連覇という壁を打ち破ったばかりか、4連覇を達成。ばんえい史上に残る屈指の名馬、最強馬といっていいだろう。

 スーパーペガサスは98年5月3日にデビュー。当時は、その後に調教師になる大友栄人騎手が手綱をとっていた。初勝利を挙げたのは7戦目の岩見沢開催で、その後も掲示板を外さない堅実な走りを見せていたものの、結局デビューの年はその1勝のみに終わった。

 99年1月付けで大友栄人騎手が調教師免許を取得すると、主戦を任されたのは岩本利春騎手。年明けの初戦でようやく2勝目を挙げると、それからは快進撃。3歳一冠目のばんえい大賞典で重賞初制覇を果たした。

 本格化したのは01年の5歳時。10月の旭王冠賞で重賞2勝目を挙げると、年明けのチャンピオンカップも制した。初めて挑戦したばんえい記念では、先頭で障害を越えると、最後はサカノタイソンに差し切られたものの、2着と健闘した。

 02年度は上げ潮に乗って、シーズン最初の重賞・北斗賞からばんえい記念まで重賞5勝。これは、89年に重賞体系が整備されて以降の1シーズン重賞最多勝記録となった。

 そして03年度のシーズンも重賞5勝を挙げ、ばんえい記念連覇を果たした。

 04年度には、それまで逃していたばんえいグランプリと帯広記念のタイトルを獲得。これで古馬の主要重賞を総ナメにし、さらには史上初のばんえい記念3連覇という快挙を達成することとなった。

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04年度(05年)ばんえい記念。ミサキスーパー(4)との一騎打ちを制した

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 4連覇を目指した05年度は、脚元との戦いでもあった。秋の北見開催は一度も実戦をつかえず、地面に脚をつけられないほどの時期もあったという。そしてようやく間に合ったばんえい記念で4連覇を果たすとともに、史上7頭目の獲得賞金1億円馬ともなった。

 ばんえい記念5連覇の偉業も期待された06年シーズンだが、以前から不安を抱えていた脚元が完治せず、結局は06年5月28日のオープン戦(6着)が最後のレースとなった。

 その後も復帰に向けて懸命の治療が続けられたものの引退が決定。ファンからは引退式を望む声が多数寄せられたが、07年5月1日、デビュー時の管理調教師であり、大友栄人調教師の父でもある大友榮司元調教師の牧場で、蹄葉炎悪化のため最後を迎えることとなった。


2歳時の主戦騎手で、3歳以降は調教師としてスーパーペガサスを管理:大友栄人調教師
最初のばんえい記念でサカノタイソンに負けたときは、展開もあったし、力負けだとは思っていません。あれで1000キロでも勝てそうな手ごたえを感じました。ばんえい記念は、馬場が軽いときも重いときもあったけど、よく走ってくれたと思います。脚元があそこまで悪くなる前に引退させてあげればよかったかなという思いもあります。馬自身が体を気にせずに力を出すので、それで脚元に負担がかかっていたんだと思います。

騎手(当時)として、03、04年のばんえい記念連覇に導く:岩本利春調教師
レースの前半に行きすぎる感じはありましたが、スピードがあったし、乗りやすい馬でした。最初のころは、あそこまでの馬になるとは誰も思っていませんでした。最初のばんえい記念でサカノタイソンに負けましたが、来年は勝てるだろうという手ごたえはありました。思い出のレースは、最初に勝った旭王冠賞ですね。種牡馬としての期待もありましたが、産駒が残せないのは残念です。

05、06年のばんえい記念を勝利に導き、4連覇を達成:藤野俊一騎手
行く気が強い馬なので、いかになだめながらレースができるかということを考えていました。何度でもあきらめずに障害に挑んでいくようなところが、この馬のいいところです。さまざまな重量と、馬場に対応できて、力とスピードを兼ね備えていました。先行もできるし、自分から息も入れるし、自分でレースがつくれる馬でした。産駒が残せなかったのが一番残念ですね。

文/斎藤修


スーパーペガサス
1996年5月3日生 半血 牡 栗毛
父 半血・ヒカルテンリユウ
母 半血・アサヒシヤルダン
母の父 ベルジ・マルゼンストロングホース
北海道帯広市 三井宏悦氏生産
競走成績/155戦42勝(1998~2006年)
収得賞金/100,739,000円
重賞勝ち鞍/99年ばんえい大賞典(北見)、01年旭王冠賞(旭川)、02年チャンピオンカップ(帯広)、北斗賞(旭川)、北見記念(北見)、岩見沢記念(岩見沢)、03年チャンピオンカップ(帯広)、ばんえい記念(帯広)、旭王冠賞(旭川)、北斗賞(岩見沢)、岩見沢記念(岩見沢)、北見記念(北見)、04年ばんえい記念(帯広)、北斗賞(旭川)、ばんえいグランプリ(岩見沢)、05年帯広記念(帯広)、ばんえい記念(帯広)、旭王冠賞(旭川)、ばんえいグランプリ(岩見沢)、06年ばんえい記念(帯広)


「ハロン」2007年秋号より一部抜粋

ばんえい名馬ファイル(10) サカノタイソン

2011年2月28日(月)

不滅の連勝記録 サカノタイソン

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Photo●OPBM

 ばんえい競馬では、平地の競馬と比較して、絶対本命馬があっさりと敗れるという場面がそうめずらしいことではない。それはやはり一番の勝負どころである第2障害の存在が大きい。抜けた実力の馬でも、第2障害でひとつ歯車が狂って障害を越えられなければ、挽回不可能な差となってしまうからだ。

 それゆえ、ばんえい競馬では連戦連勝というのはなかなかに難しい。現役馬でいえばカネサブラックの安定感は誰もが認めるところだろうが、それにしても2着、3着に敗れることも少なくなく、条件クラスでの6連勝が最高だ。

 近年、ばんえいの連勝記録で注目を集めた馬にウィニングがいる。ばん馬としてはデビューがかなり遅く、4歳(1996年)の春。その4歳時、デビュー6戦目から10連勝を達成。これは当時のばんえい競馬の連勝記録だった。

 そのウィニングの記録をあっさりと、しかも大幅に更新する馬が現れた。それがサカノタイソン。

 サカノタイソンは、ウィニングと同じ1996年の2歳時にデビュー。ばん馬としてはゆったりとした間隔で使われ、年末までに無傷の7連勝。ウィニングの10連勝の記録を更新するかに思えたが、明け3歳となった初戦で2着に敗れ、連勝記録はストップした。

 しかし、冬季休催を挟んで4月の3歳シーズンから破竹の連勝が始まった。ウィニングの記録を更新したばかりか、その記録をじつに19連勝にまで伸ばした。

 その19連勝のなかには、4歳時の銀河賞、明けて5歳1月のポプラ賞などの重賞もあり、さらには古馬一線級と対戦したチャンピオンカップまで連勝街道を突っ走ったのだから驚きだった。

 ごく最近では、残念ながら先日死亡してしまったものの、マルミシュンキも連勝で注目を集めた馬だった。デビューから6連勝し、7戦目となったナナカマド賞(特別)で7着と初の敗戦。そこから再び連勝を続けたが、サカノタイソンの記録には遠く及ばず、11連勝で記録は途切れた。

 サカノタイソンとマルミシュンキには共通点があった。どちらも馬主が所有する施設、いわば"外厩"でも調教を積んでいたということ。それゆえ、両馬ともにばん馬にしてはかなり間隔をあけて使われることが多かった。つまりは、そうしてレースを選んで使わなければ、ばんえい競馬で連戦連勝というのは困難なことなのであろう。

 サカノタイソンの話に戻る。チャンピオンカップを制して連勝を19にまで伸ばしたサカノタイソンは、そのレースで4歳シーズン(明け5歳)を終える。どこまで連勝を伸ばすか期待されたものの、5歳シーズンの初戦(1999年6月)となったオープン戦であっさりと4着に敗れ、連勝記録はストップした。

 しかしそこまでは2着を一度挟んでいるだけで、デビューからチャンピオンカップ制覇まで27戦連続連対という記録も打ち立てたことになる。

 サカノタイソンに対しては当初、スピード馬とする見方も少なくなかった。しかしばんえい記念連覇を達成したことで、パワーも兼ね備えていることも示して見せた。

 ばんえい記念初挑戦は2001年。明けて7歳の2月だった。このときは、ばんえい記念史上初となる3連覇の期待がかかったシマヅショウリキが1番人気。早めに第2障害をクリアしたシマヅショウリキだったが、そこで力を使い果たしてしまったか、見せ場はそこまで。サカノタイソンと、9歳にしてばんえい記念初挑戦となったグレイトジャイナーの一騎打ちとなり、サカノタイソンがわずかの差でグレイトジャイナーを振り切った。

 このときサカノタイソンの手綱をとったのは、乗替りで初騎乗となった大河原和雄騎手。大河原騎手にとっても、ばんえい記念はこれが初制覇。サカノタイソンの主戦だった藤本匠騎手は、対するグレイトジャイナーの主戦でもあり、苦渋の選択が悔しい結果となった。

 しかし翌年、ばんえい記念連覇を果たしたときのサカノタイソンのソリの上には藤本匠騎手がいた。障害先頭は、これがばんえい記念初挑戦、6歳のスーパーペガサス。サカノタイソンが続いて坂を下ると、勢いそのままにスーパーペガサスを交わし、押し切って連覇達成。わずか1秒6差で2着に敗れたスーパーペガサスだが、その翌年からばんえい記念4連覇の金字塔を打ち立てることになる。

 19連勝。デビューから27戦連続連対。これらに加え、サカノタイソンにはデビューから43戦連続で単勝1番人気という記録もある。いずれもが、おそらくばんえい競馬では今後も破られることのない不滅の記録であろう。

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サカノタイソン引退セレモニー

 余談になるが、サカノタイソンはとにかくデカい馬でもあった。体高はオープン馬の中でも飛びぬけて大きく、青毛の黒光りする馬体も相まって、ひときわ威容を誇っていた。サラブレッドでも特に強い馬のことを"怪物"と表現することがあるが、サカノタイソンはその成績だけでなく、存在そのものが、まさに怪物だった。

文/斎藤修

(馬齢は、現在と同じ新年齢で表記)

サカノタイソン
1994年4月6日生 ペル系 牡 青毛
父 ペル・武潮
母 半血・サホロクイン
母の父 ベルジ・ジアンデユマレイ
北海道上川郡風連町 太田輝雄氏生産
競走成績/73戦50勝(1996~2002年)
収得賞金/66,355,000円
主な勝鞍/98年銀河賞(北見)、99年ポプラ賞(帯広)、チャンピオンカップ(帯広)、00年帯広記念(帯広)、01年ばんえい記念(帯広)、02年ばんえい記念(帯広)

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ばんえい名馬ファイル(9) シマヅショウリキ

2011年1月18日(火)

若くして頂点に シマヅショウリキ

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96年ばんえい菊花賞   Photo●OPBM

 近年のばんえい記念(97年までは農林水産大臣賞典)の勝ち馬一覧を見ると、2度以上制している馬がいかに多いかに気づく。特に1997年のフクイチ以降は、2010年が初勝利だったニシキダイジンを別とすれば、いずれの馬も2年以上連続でばんえい記念の勝ち馬となっている。ごく限られた一部の馬しか勝つことができない、1トンという酷量を曳くばんえい記念は、ある意味でそうした特殊なレースなのだろう。

 シマヅショウリキも、高重量戦でこそ力を発揮する馬だった。それゆえか、2歳シーズンは24戦して5勝と、ごくごく平凡な成績しか残していない。

 しかし3歳シーズンを迎えて一変。6戦3勝、2着2回と好成績で迎えたのが、重賞初挑戦となった3歳一冠目のばんえい大賞典(96年7月)。牡馬ではもっとも軽い670キロ、トップハンデの馬とは30キロ差という軽ハンデ生かしての重賞制覇となった。

 定量のばんえいダービー(96年10月)は、この世代で早くからトップの存在と目されていたキタノビッグエースの4着。そして同じく定量のばんえい菊花賞(96年11月)でもキタノビッグエースが断然の人気になったが、シマヅショウリキは、その世代ナンバー1ホースに14秒3もの大差をつけて圧勝。一躍注目の存在となった。

 シマヅショウリキは、4歳シーズンにも3・4歳限定のポプラ賞(97年12月)を1番人気にこたえて堂々の勝利。その勝利によって出走権を得たチャンピオンカップ(98年2月)には、前年(3着)に続いて2度目の挑戦となった。

 この年のチャンピオンカップは、ばんえい記念が終了したあと、シーズン最後の重賞として行われた一戦。シマヅショウリキは軽ハンデながら、ばんえい記念の1、2着馬、フクイチ、ダイヤキャップという、当時の高重量戦では無敵を誇っていた2頭を相手に勝利し、古馬の一戦級が相手でも互角に勝負できるまでに成長した姿をアピールした。

 シマヅショウリキが最も輝いたのは、5歳シーズンに明け6歳で初挑戦となった、ばんえい記念(99年2月)だろう。

 このときは、すでにばんえい記念3勝を挙げているフクイチの引退レース。そのフクイチには、ばんえい記念3連覇に加え通算4勝という、いずれも史上初(当時)となる大記録がかかっていた。

 当時のばんえい競馬では、オープン馬といえども定年があり、フクイチにとっては最後の1年と覚悟して臨んだシーズン。岩見沢記念は4着、旭王冠賞は7着に敗れたものの、1月の帯広記念を圧勝し、まだまだ力は衰えていないことを示し、断然人気で臨んだ最後のばんえい記念だった。

 しかし4歳年下のシマヅショウリキが圧倒的な強さで世代交代をアピールする結果となった。

 初めて経験する1トンという酷量にもかかわらず、シマヅショウリキは先頭で第2障害をクリア。2番手のフクイチが障害を越えたとき、すでにシマヅショウリキは直線の半ばまで達していた。フクイチも懸命に追い上げたが、シマヅショウリキは17秒4という決定的な差をつけ、ばんえい記念初挑戦での勝利となった。

 6歳シーズンのシマヅショウリキは高重量戦で圧倒的な強さを発揮した。岩見沢記念(99年9月)は、同期のライバル・キタノビッグエースに、なんと27秒7もの大差をつけて圧勝。トップハンデで臨んだ帯広記念(00年1月)こそサカノタイソンの2着に敗れたものの、ばんえい記念(00年2月)では2着のサロマオーカンに9秒4差をつける完勝で、連覇を果たした。

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99年岩見沢記念   Photo●OPBM

 しかしこの年がシマヅショウリキのピークだった。7歳シーズンは、好走すれども勝ち切れないレースが続き、帯広記念(01年1月)こそ得意の高重量でサカノタイソンとの一騎打ちを制したものの、これが結果的に現役最後の勝利となった。

 7歳、8歳になってピークを迎えることが多いと言われるばんえい競馬にあって、シマヅショウリキは6歳シーズンをピークに、その後は引退レースとなる9歳シーズン(明け10歳)の03年1月までは苦しいレースが続いた。それは、やはり5歳シーズンという若い時期に、1トンという酷量が課せられるばんえい記念を制した反動であったのかもしれない。

 ばんえい記念をもっとも若くして制したのは、79年10月のキヨヒメ、88年11月のニユーフロンテヤ、翌89年12月のイエヤスが、いずれもに5歳。しかしこれは年が明ける前にばんえい競馬の開催が終了していた頃のことで、そういう意味では、明けて6歳、いわば5歳シーズンにばんえい記念を制したシマヅショウリキも、もっとも若くして同レースの覇者になった1頭といえる。

 5歳シーズンにばんえい記念を制したのは、歴代でもわずか5頭。シマヅショウリキが最後となっている。

 1トンのソリを曳くばんえい記念というレースが、いかに過酷なレースであるかを示す記録でもある。

文/斎藤修

(馬齢は、現在と同じ新年齢で表記)

シマヅショウリキ
1993年4月27日生 半血 牡 青毛
父 半血・ヒカルタイシヨオ
母 半血・クインダイヤ
母の父 半血・トヨサカイ
北海道中川郡池田町 金岡恒司氏生産
通算成績/154戦32勝(1995~2003年)
収得賞金/82,860,000円
重賞勝鞍/96年ばんえい大賞典(岩見沢)、ばんえい菊花賞(北見)、97年ポプラ賞(帯広)、98年チャンピオンカップ(帯広)、99年ばんえい記念(帯広)、北斗賞(北見)、岩見沢記念(岩見沢)、00年ばんえい記念(帯広)、01年帯広記念(帯広)

ばんえい名馬ファイル(8) フクイチ

2010年12月21日(火)

平成の最強馬 フクイチ

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Photo●OPBM

 『キンタローを超えるのは君だ、フクイチ!!』。熱心なフクイチファンの横断幕がパドックを飾る、平成9年1月26日の帯広競馬場。この日はメインレースに農林水産大臣賞典(現・ばんえい記念)が組まれているせいか、朝から大勢訪れているファンの表情にもピンと張りつめたものが感じられる。

 前年度ゴール10メートル前で一杯となり、マルゼンバージの2着に敗れたフクイチ。金山明彦騎手騎乗の旭王冠賞馬ダイヤキャップ。人気は2頭の一騎討ち模様だ。

 厳冬の1月とはいえ、ヒーティング効果十分で馬場水分は2.5%。砂塵こそ舞わないが、時計のかかる馬場状態になった。

 前年度、フクイチとともに涙を飲んだ西弘美騎手は、横断幕を見ながら「今年は負けられない」と決意を新たにした。今期のフクイチは12月22日に行われた帯広記念1着、明けて1月12日のチャンピオンカップ2着と重賞を好走し、高重量戦では向かうところ敵なしの強さだった。自分のペースで競馬ができさえすれば勝算は十分にあるはずである。

 4分36秒9。フクイチの快勝だった。スタートこそ7頭横一線で進んだが1トンの重量である、勝負は第2障害で決まった。1番手で障害を降りたのはダイヤキャップ、続いて中団を進んでいたフクイチが2馬身差で2番手と大方の予想どおり2頭のマッチレースになった。必死で逃げるダイヤキャップを直線一気に差し切った先に栄光のゴールがあった。

 その瞬間、ばんえい界に不滅の記録が生まれた。西弘美、西康幸ともにばんえい競馬の騎手だが、同一馬フクイチで史上初の農林水産大臣賞典兄弟制覇となったのだ。ばんえいの騎手を志す者が誰でも一度は夢見る大臣賞典ジョッキーに平成7年に弟康幸が、兄弘美は9年、そしてこの翌年の10年と、フクイチでゴールを駆け抜けたのだ。

 フクイチのデビューは平成3年旭川競馬場だった。橋本豊厩舎(引退)所属で見事能力テストを一発合格したが、3歳時は22戦1勝、4歳時は23戦4勝と地味な馬だった。同期デビューが華々しく活躍する陰で一部の関係者からは「障害では絶対に止まらない馬」と評価されてはいたが、重賞レースに駒を進めることもなく無冠で5歳を迎える。

 その巧みな障害力を生かし、初の重賞を制したのは北見競馬場で行われた5歳限定戦の第1回銀河賞だった。この年は25戦10勝の活躍で、翌年6歳で早くも農林水産大臣賞典挑戦を関係者が決意するのに十分な強さだった。

 「やはりいちばん嬉しかったのは弟が優勝した平成7年の大臣賞の時ですね。そのあと、僕も2年連続で勝たせてもらいましたが、弟の時が相手も強く、いちばんきつかったからね。僕がコンビを組んだ時はもうバリバリのオープン馬でしたが、転厩の多い馬でしたから当然そのたびに騎手も替わりましたし、調教方法も変わったはずなんですが、やはり若馬の頃に無理させずに上手に仕上げたのがのちにこれだけの成績を残す馬になったんでしょうね。欲を言わせてもらえば、平成8年のレースでゴール前止まらなければ名実ともにキンタローを超えて史上最強馬になったんですが。残念です」と西弘美騎手が語ってくれた。過去に大臣賞を三度制覇したのはキヨヒメ、キンタロー、そしてフクイチの3頭だが(※1)、共通しているのは3頭とも3、4歳時は無冠に終わっていることである。偶然とはいえひじょうに興味深いものがある。

 獲得賞金こそキンタローに及ばなかったが、兄弟ジョッキーを農林水産大臣賞典ジョッキーに輝かせたフクイチ。平成8年・9年度のばんえい代表馬である。

文/小寺雄司

(馬齢は当時の旧年齢で表記)
※1:その後スーパーペガサスが4勝、トモエパワーが3勝。

フクイチ
1989年4月2日生 ペル系 牡 芦毛
父 半血・マツノコトブキ
母 ペル・富久娘
母の父 ペル・ムジーク
北海道中川郡本別町 今野貞夫氏生産
競走成績/177戦30勝(1991~99年)
収得賞金/111,481,000円
主な勝鞍/93年銀河賞(北見)、95年農林水産大臣賞典(帯広)、96年帯広記念(帯広)、チャンピオンカップ(帯広)、97年農林水産大臣賞典(帯広)、98年ばんえい記念(帯広)、99年帯広記念(帯広)


月刊「ハロン」2000年4月号より再掲

ばんえい名馬ファイル(7) ヨウテイクイン

2010年11月17日(水)

華麗なる一族 ヨウテイクイン

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Photo●OPBM

 雪の馬場を、彩りも鮮やかな馬服を着た馬たちのパレードが続く。

 帯広競馬場で毎年恒例になっているばん馬の引退式である。今季で競走生活を終える競走馬たちが、最後の勇姿をファンにお披露目するのである。1億円馬のフクイチも、一度も特別レースに縁のなかった馬たちも、この日は五十音順でのパレードである。「重賞競走に一度も出走できずに終わりますが、無事是名馬という言葉があるように故障もせずに本当によく走ってくれたよ」と、ある調教師の言葉が印象に残った。

 ばん馬を愛するファンと最後の別れのセレモニーであり、全国的にもひじょうに珍しく、当日は道内外のファンでスタンドは満杯である。

 数々の名勝負を演じた馬たちにねぎらいの声が飛ぶ。だが、この引退式を前に繁殖牝馬となった名馬がいる。平成7・8年度のばんえいグランプリを連覇し、数々の名勝負でファンを魅了した牝馬ヨウテイクインである。
 スピードの女王と呼ばれたヨウテイクインは、昭和59年度の農林水産大臣賞典馬ハイスピードを父に、母は"ばんえい界の華麗なる一族"と呼ばれる名馬たちを数多く輩出しているトツカワ、叔父に1億円馬のタカラフジ、農林水産大臣賞典馬ニューフロンテヤ、兄に重賞10勝のダイヤテンリュウと、文句なしの良血である。

 エリートだけにデビュー前から注目されていたが、北見で行われた能力試験では1着合格。デビュー戦では2着馬のアジアテンリュウ以下に大差をつけ、圧倒的な強さで楽勝劇を演じ名血ぶりを見せつけた。

 牝馬ながら885キロの鹿毛の馬体を持ち、父譲りのスピードと障害の巧みさは、3歳牝馬の重賞・白菊賞、黒ユリ賞の二冠を制し3歳牝馬ナンバー1となる。

 デビュー当時885キロだった馬体も、最終計量では936キロと成長し、牝馬には難しいといわれる4歳秋の重賞・ばんえい菊花賞では牡馬のコーネルトップやダイヤキャップを相手に牝馬3頭目の菊花賞馬に輝き、5歳時にはヒロインズカップ、クインカップ、銀河賞と、3年連続の重賞ウィナーとなった。『1着ヨウテイクイン(6歳)、2着コトブキクイン(4歳)、3着ニセコクイン(7歳)』。確定放送のあと、スタンドが沸いた。

 トツカワ産駒の3姉妹が1~3着を独占したのだ。同一レースに3姉妹が出走を決めた時から話題ではあったが、それが現実となったのである。改めて"華麗なる一族"の証を見せつけたばんえい史上に残るレディースカップであった。

 前週、そのレディースカップで3姉妹の先頭を切りゴールしたヨウテイクインだけに、当然ファン投票で出走馬が選ばれるばんえいグランプリに出走を決めた。

 第7回ばんえいグランプリ当日、岩見沢は朝から雨。スピードが身上のヨウテイクインには恵みの雨であった。1番人気の10歳馬マルゼンバージには、高重量戦は実績があるが時計の速い競馬を苦手としているだけに、今日だけは降ってほしくなかった雨である。

 雨が勝敗を決めた。人気投票で選ばれただけに、のちの1億円馬フクイチ、快速コーネルトップと実力馬が揃ったが、ヨウテイクインのスピードは雨を味方にし、フクイチなどは追走もままならない。マルゼンバージだけが必死で追うが、2分16秒7の好タイムでゴールしたヨウテイクインの2着が精一杯の結果だった。

 「デビュー前から調教してきた馬ですが、引退の前年まで重賞レースを勝ってきましたからね。兄ダイヤテンリュウの10回優勝に並びました。1億円馬の望みもあったんですが、9歳の春に体調を崩し、シルバーカップでは4分49秒8。シマヅショウリキの勝ちタイムが2分19秒1ですから、馬主さんと調教師の大友先生(※1)が話し合って引退式の前に繁殖に上げたんです。ヨウテイクインほどの牝馬はもう出ないと思ってますよ。でも今年はトツカワ産駒の末っ子のカゲプリンスがデビューしましたからね。姉と同じ北見で1勝していますし、スピード馬ですから楽しみですよ」

 普段は寡黙な1000勝ジョッキー(※2)千葉均騎手が熱く語ってくれた。

 現在のヨウテイクインは、その名を貰った羊蹄山の麓で数年後デビューするであろう仔のために、優しい母の顔と堂々たる母の体型になっていると聞く。

文/小寺雄司

(馬齢は当時の旧年齢で表記)
※1:大友榮司調教師・当時。
※2:1999年当時。

ヨウテイクイン
1990年5月7日生 半血 牝 鹿毛
父 半血・ハイスピード
母 半血・トツカワ
母の父 ベルジ・ジアンデュマレイ
北海道虻田郡ニセコ町 堀忠一氏生産
競走成績/138戦34勝(1992~98年)
収得賞金/82,940,000円
主な勝鞍/92年白菊賞(岩見沢)、黒ユリ賞(帯広)、93年ばんえい菊花賞(北見)、94年ヒロインズカップ(旭川)、クインカップ(岩見沢)、銀河賞(北見)、95年ばんえいグランプリ(岩見沢)、96年ばんえいグランプリ(岩見沢)、97年チャンピオンカップ(帯広)、北見記念(北見)


月刊「ハロン」1999年10月号より再掲

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