NAR『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』、『競馬総合チャンネル』などで地方競馬を中心に記事を執筆。グリーンチャンネル『アタック!地方競馬』『地方競馬中継』解説。1964年生まれ。
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NARグランプリ2022・年度代表馬となったイグナイターの父エスポワールシチーをはじめ、ホッコータルマエ、コパノリッキーなど、近年では日本のダートでチャンピオン級の活躍をした種牡馬の産駒が地方競馬を中心に活躍しているが、ダート血統の裾野が広がったぶん、ダート系マイナー種牡馬の活躍も興味深い。
1月22日の花吹雪賞(佐賀)を勝ったエイシンレミーの父エーシンモアオバーは、重賞初制覇が2012年、6歳時の名古屋グランプリJpnIIだが、このとき鞍上だった岡部誠騎手も、これがダートグレード初制覇となり、涙の勝利騎手インタビューが印象的だった。エーシンモアオバーは、その名古屋グランプリJpnIIと白山大賞典JpIIIで連覇を果たし、ダート長距離の逃げ馬として活躍した。
種牡馬となったエーシンモアオバーの産駒は2017年生まれが初年度産駒で、これまで血統登録された産駒は現3歳まで4世代でわずかに5頭。その数少ない産駒からエイシンレミーは重賞勝ち馬となった。母がエイシンベティー、生産が栄進牧場で、"エイシン(エーシン)"の平井一族の自家生産馬として育てられたからこその重賞勝利といえるだろう。

花吹雪賞を制したエイシンレミー(写真:佐賀県競馬組合)
中央から兵庫に移籍し、5連勝で今年1月3日の新春賞(園田)を制したアキュートガールも、父ワンダーアキュートの産駒としてここまで唯一の重賞勝ち馬。
ワンダーアキュートは中央でもダートグレード3勝を挙げているが、地方では6歳時のJBCクラシックJpnI(川崎)でGI/JpnI初制覇、7歳時に日本テレビ盃JpnII、8歳時に帝王賞JpnI、さらに9歳時にはかしわ記念JpnIを制するなど、息長く一線級で活躍した。
その父カリズマティックはアメリカからの輸入で、日本では平地のグレードを勝った産駒がワンダーアキュートのみだっただけに、ワンダーアキュート自身も種牡馬としてはあまり注目されることがなく、2017年の初年度産駒から現3歳世代まで、血統登録された産駒は53頭となっている。
昨年の湾岸スターカップなど名古屋で重賞4勝を挙げているブンブンマルは、ナムラタイタン産駒の唯一の重賞勝ち馬。
ナムラタイタンは、中央在籍時の重賞勝ちは武蔵野ステークスGIIIだけだが、岩手に移籍して1400mの岩鷲賞から2500mの北上川大賞典まで距離を問わず、約3年間で重賞12勝と、圧倒的な活躍を見せた。
2018年に生まれたブンブンマルが初年度産駒で、今年3歳の世代までで血統登録された産駒は33頭。2月23日に行われた、たんぽぽ賞(佐賀)で1番人気に支持されたゴーツウキリシマはブンブンマルの全妹で、これが勝てばナムラタイタン産駒として2頭目の重賞勝ち馬になるところだったが、残念ながら3着だった。
ナムラタイタンの父はダート種牡馬として大活躍したサウスヴィグラスだが、活躍した産駒には牝馬が多く、ナムラタイタンはここまでのところ唯一といえる後継種牡馬だった。しかし今年、ジャパンダートダービーJpnIを制してNARグランプリ2017の年度代表馬となったヒガシウィルウィンが浦河・イーストスタッドで種牡馬入り。その産駒の活躍にも期待だ。
また父ガルボは芝での活躍だったが、その産駒、ガルボマンボが昨年、高知二冠に加え、高知県知事賞を制するなど大活躍。今年2月にもだるま夕日賞を制した。
2017年生まれが初年度産駒で、今年3歳の世代までで血統登録された産駒は29頭という中から、ガルボマンボは今のところ唯一の重賞勝ち馬となっている。
同じく父シルポートは芝での活躍だったが、産駒のハクサンアマゾネスは、昨年まで金沢で重賞14勝という活躍。同産駒では、同じく金沢のハクサンフラワーが2018年に金沢プリンセスカップを勝っている。
マイナー種牡馬の活躍ということでは、少し古い話にはなるが、ほとんど注目されていないところから種付けが殺到するようになったエイシンサンディが忘れられない。
1993年生まれのエイシンサンディは、中央に入厩したものの不出走のまま引退。それでも種牡馬になれたのは、92年生まれの初年度産駒から大活躍したサンデーサイレンス産駒だったからと思われる。
エイシンサンディは96年の種付初年度には45頭と交配したが、その後、97年19頭、98年15頭、99年7頭と徐々に種付頭数が減った。しかしその初年度産駒のミツアキサイレンス(笠松)が、3歳になった2000年に兵庫チャンピオンシップ(当時GIII)を制すると、その直後から種付けの希望が殺到。なんと163頭と交配する人気種牡馬になった。
ミツアキサイレンスは、その後も佐賀記念GIII連覇に名古屋グランプリGIIを制するなど活躍。父のエイシンサンディは、種付頭数が増えたことによって、黒船賞JpnIII・3連覇などダートグレード9勝のセイクリムズンをはじめ、チューリップ賞GIIIを制したエイシンテンダー、北海道2歳優駿GIIIを制したエイティジャガー、プリンシパルSを制して日本ダービーに出走(9着)したベンチャーナインなどを出すに至った。
自身は不出走だった種牡馬が、たった1頭の産駒の活躍によって、復活どころか人気種牡馬として活躍するまでになった。
近年、地方競馬ではデビュー間もない新人騎手の活躍が全国的に目立っているが、昨年12 月にデビューして、いきなりトップジョッキーに匹敵するペースで勝ちまくっているのが、ばんえいの今井千尋騎手だ。
ばんえい競馬では売上が落ち込んだ2010年以降、新人騎手のデビューが途絶える時期もあった。しかし近年では売上も右肩上がりとなって、2019年以降は21年を除いて毎年新人騎手がデビューし、昨年12月には3名の新人がデビューした。そのひとりが今井騎手。
12月10日にデビューした今井騎手は、3戦目となった翌11日第9レースで初勝利。12日に2勝目を挙げると、19日には1日2勝、28日には1日3勝と勝ち星を重ね、そのデビュー月には43戦10勝という成績を残した。
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12月11日、初勝利を挙げた今井千尋騎手(写真:ばんえい十勝)
その勢いは1月になっても衰えず、8日には1日4勝という記録も達成。この1月は、23日までに早くも16勝を挙げている。年が明けたばかりでリーディングというのもどうかと思うが、今井騎手は鈴木恵介騎手に2勝差をつけ、なんと2023年ばんえいリーディングのトップに立っている。
すごいのが、その勝率・連対率だ。今年ここまで74戦16勝、2着12回で、勝率21.6%、連対率37.8%はいずれもダントツ。勝率で2位が鈴木騎手で16.1%、連対率で2位が西謙一騎手で26.7%(6戦0勝、2着2回で連対率33.3%の林康文騎手は除く)だから、いかに今井騎手の数字が抜けているかがわかる。
冒頭でも触れたとおり、近年、地方競馬全体でデビューしたばかりの騎手の活躍が目立つが、もとは縦社会。かつて競馬の世界では、よほどの才能があるか、もしくはよほど何かに恵まれるでもない限り、デビューしたばかりの騎手が、トップジョッキーと同じように勝ちまくるということはほとんどなかった。
たとえばここ数年、ばんえいリーディングを争っている鈴木恵介騎手、阿部武臣騎手なども、デビューして何年かは目立たない存在だった。
ともにデビューは1998年(以下、勝利数はいずれも暦年でのもの)。そのデビュー年こそ減量の恩恵もあって、鈴木騎手28勝、阿部騎手35勝とそれなりの勝ち星を挙げたが、99年〜06年までの年間勝利数を順に記すと、鈴木騎手が38,16,17,23,25,55,71,107、阿部騎手が18,3,5,11,10,14,25,35。
鈴木騎手は年間10勝前後が続いて、はじめて100勝を超えてばんえいリーディングのトップ10に入ったのが9年目のこと。阿部騎手に至っては2年目以降、騎乗数自体が少なく、年間10勝前後という年が続いた。通算500勝到達は、鈴木騎手がデビューから10年、阿部騎手は14年もかかっている。
それゆえ、2020年12月にデビューした金田利貴騎手が、21年にいきなり94勝を挙げたときは、ばんえい競馬も時代が変わったと思わせるものだった。そして今井騎手は、それ以上のペースで勝ち星を重ねている。
果たして、今井騎手の勝率20%超という、ベテランのトップジョッキーのさらに上をいく快進撃はどこまで続くのだろうか。これにはデビューしたばかりのご祝儀的な騎乗依頼もあるだろうし、何より新人の10kg減に加え、女性騎手の10kg減という、計20kg減量の恩恵は大きい。平地の競馬では、新人の女性騎手は4kg減となるが、ばんえい競馬における20kg減は、平地の4kg以上に恩恵が大きいように感じる。加えて、この冬の異常なスピード馬場は、20kg減との相乗効果でさらに有利になっているかもしれない。
ばんえい競馬では通算50勝で10kgの減量がなくなる。今井騎手はこのペースで勝っていくと、今シーズン中(3月まで)に減量がなくなるかもしれない(女性騎手の10kg減は残る)。さすがに10kgの減量がなくなれば今のようなペースで勝ち続けることは難しいかもしれないが、それでもリーディング上位の争いにからんでいけるのかどうか、注目したい。
コロナの世になってから3年近く。遠方への移動の制限もなくなり、競馬場は入場人員の上限が設定されていることもあるが、ひとまず多くのファンが入場できるようになった。
我々の取材に関しても、まだ一部制限している競馬場はあるものの、多くの競馬場で以前と近いかたちで取材ができるようになってきた。
園田競馬場には、今年9月15日の西日本ダービーが、コロナ以降では初めての訪問だった。そして12月21日、兵庫ゴールドトロフィーが今年2度目の取材。
コロナ禍では、ありがたいことに多くの競馬場でむしろ売り上げが伸び、ネットでのLIVE配信なども盛んになって、おそらく新規ファンも増えたことだろう。しかし競馬場では無観客開催が続いたことなどで失われつつあるものも少なくない。それは古き良き競馬場の風景。
園田競馬場では、入場門を入って右側にある食堂街が、すべてシャッターを下ろしてしまった。ちなみに、そのだ・ひめじ競馬の公式サイトにある、園田競馬場の場内施設案内図には、まだ「食堂」という表記が残っているのだが。
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シャッター街となってしまった入場門を入って右にある食堂
いちばん手前にあったのが『ポニー』というお店。店内には騎手のサインや、昔の重賞の口取り写真などが飾ってあった。ここで食べた記憶は、そばめし。10年以上前だったか、そばめしが全国的なブームになったことがあり、冷凍食品としてスーパーなどに並んだこともあった。たしかそのブームが去ったあと、ここでそばめしを食べたのだが、店員のおばちゃんが言うには「そばめしは関西では昔から普通にあった」という関西のソウルフード。そしていつも食後にはコーヒーをサービスしてくれた。
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『ポニー』のそばめし、500円(2014年9月)
この食堂街の一番奥にあったのが『三木屋』。あまり目立たない場所なので、カウンターに座っているお客さんの多くは常連さん。このお店で出色だったのが、プルコギライス。これがワインコイン、500円で食べられるのはありがたかった。
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『三木屋』のプルコギライス、500円(2016年9月)
これら、おそらく昭和の時代から営業していたと思われるお店が相次いで閉店したのは、コロナだけが要因ではない。店主や店員さんがみな高齢となり、跡を継ぐ人もなく、引退という感じで閉店したお店は、園田競馬場に限らず全国の競馬場で、少なくない。
園田競馬場には、パドック奥にも食堂街がある。こちらはシャッターが降りているところもあるが、半分くらいは元気に営業している。
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向かって左、コースから一番遠いところにあるのが、園田競馬場名物、タコ天で有名な『明石屋』。隣に『日高』という表記があるが、このお店は食堂街の真ん中あたりの広い店舗に移動して営業している。そしてホルモン専門の『西ホルモン』。
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さらにその右にあるのが『園田屋』で、いちばん右のコースにもっとも近いところにあるのが、わりと最近(といっても10年くらいは経っていると思われる)オープンした『串勝や』。
園田競馬場で、定食やら麺類から、おでんなど酒のアテになるようなものまで、さまざまな食を提供しているのが『園田屋』だ。
ここで僕がよく食べたのは、焼きそば定食。
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『園田屋』の焼きそば定食、750円(2018年7月)
炭水化物の二乗ということでは、関東では「ありえない」という人もいるが、ラーメンライスは普通にあるので、それと変わりないと思えばいいのではないか。僕は学生のころ、家でスパゲティ+ご飯とか食べてたし。ちなみに関西では、焼きそば定食というメニューがわりと普通にどこでもあって、お好み焼き定食というのもある。
久しぶりにその焼きそば定食が食べたくなって、この日、いざ園田屋へと入ったのだが、なんと。メニューから焼きそばが消えていた。ショック。そういうわけで、食べたのが親子丼。ここの親子丼は、玉子には完全には火を通さず、そして青ネギを使っているのが特徴。
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『園田屋』の親子丼、700円(2022年12月)
さて、この園田屋さんはいつから営業しているのか、聞いてみた。すると......
「90年」と。
ん?1990年から?と思ったが、そんな最近のわけがない。なんと!90年前から、3代に渡って受け継がれているのだそうだ。ああ、びっくり。
仮にちょうど90年前とすると、1932年は昭和7年。園田競馬場の歴史を地方競馬全国協会発行『地方競馬史 第一巻』で調べてみると、戦前の地方競馬規則のもと、旧・園田競馬場が兵庫県川辺郡園田村(当時)に開場したのが昭和5年(1930年)とある。「90年」というのは、おそらく「ちょうど90年」ということではないだろうから、園田屋は、旧・園田競馬場の開場とほとんど時を同じくして営業を始めていたことになる。
当時、庶民の食べ物として親子丼というメニューがあったかどうかわからないが、とにかく90年の歴史を重ねた親子丼かと思うと感慨深い。
さて、園田競馬場で忘れてはならないのが、吉田勝彦アナウンサーだ。
実況を引退されてほとんど表に出ることはなくなったが、実は今でも開催日には毎日、実況席に"出勤"して競馬を見守っておられる。
この日も吉田さんはお元気にしておられた。
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吉田さんの実況最後の日となったのが、2020年1月9日。その日の第6レースが最後の実況となり、その後、そのたんショップの前で行われたサイン会はたいへんな行列となって、並ぶ人数が制限されるほどだった。引退セレモニーには、小牧太騎手や岩田康誠騎手も来た。
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マスコミのカメラもズラリと並んだ吉田勝彦さんのサイン会(2020年1月9日)
中国ではすでに新型コロナウイルスが発生していたが、大型客船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客から感染者が確認されたのは1月下旬のことだから、まだまだ日本ではコロナはほとんど知られていない存在だった。
しかしその後、コロナが日本にも上陸してあっという間に広がり、各地の競馬場が無観客開催となったのが2月下旬のこと。
1月9日が最後の実況となったのは、その翌週から姫路開催となり、「園田で実況を終えたい」という吉田さんの思いからだった。
7年半ぶりに姫路競馬が再開したのは、まさにその2020年。姫路がなければおそらく1月9日という年初の慌ただしい時期での引退とはなっていなかったはずで、仮にそれが年度替りの3月までということであれば、すでにコロナの無観客開催となっていて、引退セレモニーなどは不可能だった。
「最後の実況に日には、たくさんのお客さんに来てもらって、ほんとうによかった」と吉田さんが、懐かしく思い出すように語ってくれた。
そんなあれやこれやを思い出すと、吉田さんの引退のタイミングというのは、ほんとうに幸運だった。と、しみじみ思う。
ばんえい競馬のトップジョッキーとして活躍してきた松田道明騎手が調教師試験に合格(12月1日付免許)、11月28日がラストライドとなった。
重賞での最終騎乗となったのは、前日27日のドリームエイジカップで、コウシュハレガシーに騎乗して5着。最終日となった28日の第7レースではダイヤディープで勝利を挙げた。
そして最後の騎乗となったのが最終レース。3番手で第2障害を越え、一旦は前に迫る見せ場があったが、5着でゴール。1990年4月のデビューから、通算21,673戦2,630勝という成績を残した。
その最後の騎乗のゴール後には、騎手たちからの胴上げとなり、その様子はばんえい十勝の公式YouTubeの動画で見ることができる。
引退セレモニーなどは、本人の意向により残念ながら行われれず、引退に際してのコメントは、ばんえい十勝の公式サイトに掲載されている。
松田道明騎手といえば、思い出されるのはカネサブラックだ。ばんえい記念2勝を含め重賞21勝は、その後オレノココロに更新されるまで、ばんえい競馬の重賞最多勝記録だった。
松田騎手がカネサブラックの主戦となったのは、2007年5歳時の9月から。その後は一度も他の騎手に手綱を譲ることがなく、松田騎手では重賞18勝。カネサブラックが古馬路線の中心勢力となってからのほとんどの時期のパートナーであった。
2011年、1度目のばんえい記念制覇が、松田騎手にとっても初めてのばんえい記念制覇でもあった。
翌2012年のばんえい記念は、残念ながら馬インフルエンザの影響で出走できず。前哨戦とも言える帯広記念を勝っていただけに、もし出走できたらと思わざるをえない。
そして2度目のばんえい記念制覇は2013年で、これがカネサブラックの引退レースでもあった。第2障害を先頭で越え、何度か止まりながらも単独先頭をキープ。しかしゴール前10mで一杯に。松田騎手は体がうしろに倒れそうなほどバイキ(手綱を大きく引いて反動をつけること)しても、カネサブラックは前脚を突っ張って動かず。いよいよギンガリュウセイが迫ってきたとき、カネサブラックはそれに気づいたのか、最後の力を振り絞って歩き出し、先頭でのゴールとなった。
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2013年3月24日、引退レースとして臨んだばんえい記念を制したカネサブラック。松田道明騎手の渾身のバイキでゴールを目指す
この年のばんえい記念の1着賞金は300万円。バブル期の1989年以降、ばんえい記念の1着賞金は長らく1000万円で続いてきたが、売上の減少にともない2003年以降、賞金も徐々に減少。この年はばんえい記念の賞金がもっとも落ち込んだ年でもあった。
その後、2017年に再び1000万円に復活するのだが、カネサブラックはばんえい競馬のどん底の時期を王者として支えた存在でもあった。
松田騎手はその後、2016年にもフジダイビクトリーでばんえい記念を制した。
ばんえい競馬は2006年度に売上げの減少による廃止の危機があり、しかし翌07年年度からは帯広市の単独開催で存続。その後も経営的には苦戦を続け、先行き不透明なことから引退する騎手はいても、あらたにデビューする騎手が出てこないという時期があった。
2011年1月には、赤塚健仁騎手、島津新騎手、西将太騎手など4名の騎手がデビューし、2012年1月には舘澤直央騎手(引退)がデビューしたが、その後はしばらく新人騎手のデビューが途絶えた。
8年近くの空白があって新人騎手となったのが、2019年12月にデビューした林康文騎手。カニ漁師からの転身で、38歳でのデビューということでも話題になった。
2020年12月には金田利貴騎手が続き、そして今年12月には、今井千尋騎手、小野木隆幸騎手、中村太陽騎手と、3名の騎手が新たにデビューすることになった。
ここ10年ほど、地方競馬全体で売上が回復を遂げたなかで、ばんえい競馬も順調に売上を伸ばしてきた。そして今年、多くの地方競馬主催者で、売上の伸びが頭打ちになったかという状況にありながら、ばんえい競馬は今年度10月末現在、総売得額で前年同期比115.3%、1日平均で同114.0%と、いまなお伸びを見せている。
とはいえ、厩務員不足や、後継者不足による重種馬の生産頭数の減少など、ばんえい競馬をとりまく環境は、まだまだ憂慮すべきことは少なくない。
それでも新人ジョッキーが増えることでの騎手の世代交代は明るい話題といえる。
22年目を迎えるJBC開催が近づいた。今年は、2014年以来、8年ぶり3度目となる盛岡開催。
現在の地方競馬で、スプリント、クラシックの基本距離である1200m、2000mのレースができるのは、大井と盛岡だけ。船橋にも両距離の設定はあるが、コース形態の関係から1200mでは重賞などの主要競走が行われておらず、2000mは近年ほとんど実施されることがなくなった。
その盛岡競馬場が移転・オープンしたのが1996年。施設面でも充実していたことから、第1回の大井に続いて、第2回(2002年)のJBC開催場となった。そのときの入場者は14,287名。2度目の盛岡開催となった2014年の10,331名と比べるとかなり多い。当時はまだ馬券のネット発売があまり一般的ではなく、売上の大部分を本場および場外発売施設が占めている時代だった。
中央競馬では、ダート競馬がまだまだ芝に対して格下に見られていた時代。オープンクラスの馬で、デビューからずっとダートを使われてきたという馬は少なかった。中央の2・3歳戦はオープンクラスのダートのレースがごくわずかだったという番組的な事情もある。
JBCスプリントを制したスターリングローズは、デビューこそダートだったが、3歳春には毎日杯や青葉賞に出走するなどクラシック戦線を目指した。JBCには南部杯7着からの参戦で、1200mは芝も含めて未経験の距離だった。
JBCクラシックを制したアドマイヤドンは、皐月賞7着、日本ダービー6着、そして菊花賞4着からの参戦。2歳時には朝日杯フューチュリティステークスを制しており、芝・ダート双方でのGI制覇で話題となった。アドマイヤドンはその後、JBCクラシック3連覇を果たすなど、ダートで不動の地位を築いた。
当時は盛岡のダービーグランプリが中央との交流GIとして行われており、この年の勝ち馬は、のちにダートのチャンピオン種牡馬となるゴールドアリュール。この馬も日本ダービー5着という実績があり、その後、ジャパンダートダービーからダービーグランプリを連勝。芝でもそこそこの実績を残した馬の中で、ダート適性の高い馬が、ダートのチャンピオンとなる時代だった。
コースも含めた施設面で充実していた盛岡競馬場だが、2度目にJBCが行われたのは2014年。干支が一回りもするほど期間が空いてしまったのにはわけがある。
ひとつは財政難。地方競馬専用の競馬場としては唯一、芝コースも完備された豪華施設の盛岡競馬場の移転が計画されたのはバブル期。しかしその後、地方競馬全体で売上が下がり続け、岩手競馬は盛岡競馬場建設の借金の返済も重なり、累積赤字に苦しむことになった。そして2006年度に岩手競馬は廃止の方向に動き出した。しかし、年度末ギリギリの07年3月中旬、県議会の採決でわずか1票差で存続。首の皮一枚で岩手競馬の歴史が継続された。
もうひとつは東日本大震災。存続が決まったとはいえ、苦しい経営は変わらず、さらに追い打ちをかけるように起こったのが、2011年の震災だった。水沢競馬場はスタンドなどに被害があったが、内陸部にある盛岡競馬場はほとんど被害がなかった。とはいえ競馬を開催できるような社会情勢ではなく、そもそも苦しい財政状況ながら、売上の中から震災復興に資金を拠出することで、競馬が再開されたのは5月中旬のことだった。
それから3年が経過。2014年のJBC盛岡開催は、震災復興の象徴のひとつとして行われた。地方競馬全体の売上でも2011年を底に売上が上昇に転じ、明るい未来が見えてきた時期だった。
そして今年、3回目となるJBC盛岡開催は、地方競馬全体の売上が好調に推移してきたこともあり、賞金が大幅アップした。
第1回のJBCは、地方競馬初の1着賞金1億円(JBCクラシック)として始まり、JBCスプリントも8000万円。しかしJBCレディスクラシックが加わった2011年からは、クラシックは8000万円、スプリントは6000万円に減額となり、レディスクラシックは4000万円(13年から4100万円)で続けられてきた。それが今年、クラシック1億円、スプリント8000万円という当初の高額賞金が復活。レディスクラシックも6000万円となった。
日本の競馬では、レースの賞金は1着賞金で言われることが多いが、欧米では総賞金として表されるのが一般的。総賞金で言うなら、JBCクラシック1億7000万円、スプリント1億3600万円、レディスクラシック1億200万円となる。
また同日盛岡競馬場で行われる重賞、3歳以上芝のOROカップは1着3000万円(昨年1000万円)、2歳馬による芝のジュニアグランプリは同2000万円(昨年400万円)と、ダートグレード並みの賞金に大幅アップしての実施となる。
今回のJBC当日は、地方競馬の1日1競馬場の賞金としては、おそらく過去最高額で争われる、記念すべきJBC開催となる。