NAR『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』、『競馬総合チャンネル』などで地方競馬を中心に記事を執筆。グリーンチャンネル『アタック!地方競馬』『地方競馬中継』解説。1964年生まれ。
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中央競馬では、阪神ジュベナイルフィリーズをソダシが勝って、白毛馬による初のGI勝利となった。
父母どちらかからの遺伝である芦毛と違い、白毛は突然変異によって出現するが、ソダシは祖母のシラユキヒメから3代に渡って続く白毛。そのシラユキヒメからは、ソダシの母ブチコを含め不出走だった馬も含めて10頭もの白毛が産まれていて、これはもう突然変異とは言えなくなっている。
かつて「白毛は体質的に弱い」と言われたことがあったような気がするが、これはシラユキヒメが5歳になってのデビューで、結局勝利を挙げられなかったからかもしれない。
ところがソダシのおばにあたるユキチャンが地方・川崎に移籍後に、牝馬限定戦とはいえダートグレードで2勝を挙げ、ソダシがデビューから無敗のまま2歳牝馬チャンピオンとなるに至っては、白毛だから弱いということは言えなくなった。
ばんえい競馬でも2012年に初めて白毛馬がデビューした。その名は、ハクバビューティー。父・キタノコウテイ、母・第二富士姫はともに鹿毛だった。
ただ2歳5月のデビュー時の馬体重は676キロ。ばん馬としてはやはり小さい。700キロ台でデビューする馬はよくいるが、600キロ台となるとさすがにめずらしい。
そのデビュー戦は、勝ち馬から93秒4も遅れ、10頭立て9着でゴール。ただその勝ち馬は、のちにナナカマド賞とイレネー記念を制したショウチシマシタだったから相手が悪かったともいえる。3戦目に2着があったが、その後も勝利には遠く、7月のデビュー6戦目にようやく馬体重が700キロを超えた(704キロ)ものの、3着。それを最後に引退した。
母となったハクバビューティーは、2014年に産んだ初仔の牡馬が白毛に出た。ハクバボーイと名付けられ、2016年5月にデビューした。

2014年のばんえいカレンダーに掲載されたハクバビューティーとハクバボーイ
ハクバボーイは、14戦目となった11月に待望の初勝利を挙げた。ばんえい競馬では、記念すべき白毛馬による初勝利。しかし明けて3歳3月のレースを最後に引退。競走馬としては1シーズン限り、24戦1勝、2着3回という成績だった。現在は大分県の観光牧場(農家レストラン)で元気なようだ。
その後2年空いて産まれたのが現3歳の牝馬・コウシュハハイジーだが、残念ながら(?)白毛ではなく栗毛に出た。そのコウシュハハイジーは、2月の黒ユリ賞で8着、つい先日、12月6日のばんえいオークスにも出走(9着)するなど、活躍を見せている。
そして現2歳も牝馬で、エーシンビュウティという馬名で登録されている。が、これも残念ながら(?)栗毛。12月17日現在で未出走となっている。
ハクバビューティーからはまた白毛の産駒が出るのかどうか。そして3歳のコウシュハハイジー、2歳のエーシンビュウティがいずれ母となったとき、白毛の仔が産まれてくるのかどうか。
ばんえい競馬でも白毛の系統が広がりを見せるのか、期待したい。
11月29日に行われたばんえい競馬の重賞、ドリームエイジカップは4、5、6、7歳および8歳以上の各馬齢から収得賞金上位2頭ずつが出走して争うという馬齢別の対抗戦。サラブレッドと比べて現役生活の長いばんえい競馬ならではの重賞だ。
断然人気に支持されたのは、ばんえい競馬における重賞最多勝記録を更新し続けている(ここまで24勝)オレノココロだったが、勝ったのはアオノブラック、2着にメムロボブサップが入り、もっとも若い4歳馬のワンツーとなった。
シーズン最初に行われるばんえい十勝オッズパーク杯や、このドリームエイジカップのように、基礎重量が700キロ台で古馬重賞としてはわりと負担重量の軽い重賞では、若い世代が台頭することもめずらしくはないが、これまでほとんどの古馬重賞のタイトルを分け合ってきたオレノココロ、コウシュハウンカイという10歳2強の牙城が崩れつつある。
今シーズン、ばんえい十勝オッズパーク杯こそコウシュハウンカイ、オレノココロのワンツーだったものの、続く北斗賞、旭川記念、ばんえいグランプリは6歳のミノルシャープが重賞3連勝で一気に台頭。岩見沢記念はコウシュハウンカイが巻き返したが、北見記念はこれまた6歳のメジロゴーリキが10歳2強を抑えて制した。このときのメジロゴーリキは最低人気。とはいえ昨シーズン5歳時から古馬重賞で2着2回、3着3回と能力の高さを示していて、いよいよ今季後半の高重量戦で結果を出した。
そしてオレノココロの今シーズンは、2着3着の善戦までで、重賞での勝ち星はない。
昨シーズン(今年3月)のばんえい記念で2着だったセンゴクエース(8歳)、3着だったホクショウマサル(9歳)らは今シーズンの活躍が期待されたが、そのばんえい記念の影響が残り重賞では苦戦が続いている。さらに7歳世代はやや谷間となっており、それだけに6歳世代の台頭が目立っている状況だ。
競馬を将来的に盛り上げていくには世代交代は必然。現在のばんえい競馬には、馬齢による定年はないが、これまでばんえいの古馬戦線を牽引してきた2強は年が明けると11歳。コウシュハウンカイはばんえい記念を最後に引退、種牡馬となることが予定されている。ばんえい記念4勝目を狙うオレノココロは、その後どうするのかはまだ伝えられていないが、引退する可能性が高い。
となれば、それらに代わるスター候補に期待したいところ。今シーズン、このあとさらに重い重量となる正月の帯広記念、そしてシーズンを締めくくるばんえい記念で一気に世代交代が進むことになるのかどうか注目となる。
かなりかなり日にちが経ってしまったが、10月4日に行われたダービーグランプリは、地元岩手のフレッチャビアンカが、1番人気の浦和・ティーズダンクに4馬身差をつけての快勝となった。
単騎で逃げた地元のグランコージーが直線でも先頭で見せ場をつくったが、4コーナーを回るところでまだ3馬身ほど差があった2番手で並んだ3頭の追い比べから突き抜けたのがフレッチャビアンカだった。ラチ沿ぴったりを回って抜け出したところなどは、さすがに今年岩手のリーディングを争う高松亮騎手の見事な騎乗だった。
さて、ダービーグランプリ今昔の前編(こちら)は、中央との交流になった最初の年、1996年まで触れた。
1998年のダービーグランプリで断然の注目となっていたのは、名古屋・名古屋優駿(GIII)、旭川・グランシャリオカップ(GIII)、中山・ユニコーンステークス(GIII)、大井・スーパーダートダービー(GII)と、当時行われていた3歳馬のダートグレードで破竹の4連勝としていたウイングアローだった。
そして迎えたダービーグランプリは、ウイングアローのダートグレード5連勝を見届けるレース、と思われていた。しかしその日の盛岡競馬場は雪が降り続き、第5レースまでで打ち切り(ダービーグランプリは第10レース)。当時、大井で行われていた交流GIIのスーパーダートダービーが10月30日という日程的な兼ね合いもあったのだろうが、山の上にある盛岡競馬場で11月23日という開催では雪のリスクもあった。
3週後に延期となった舞台は水沢競馬場。当時、ユニコーンステークス→スーパーダートダービー→ダービーグランプリが3歳ダート三冠となっており、ウイングアローは三冠馬に与えられる2000万円のボーナスは確実と思われた。しかし、早め2番手から直線で抜け出したナリタホマレをとらえきれず、3/4馬身差で2着。勝ったナリタホマレの鞍上マイケル・ロバーツ騎手は、前日の朝日杯3歳ステークス(当時)をアドマイヤコジーンで制しており、2日続けてのGI勝利となった。
3歳ダート三冠は逃したウイングアローだが、5歳になった2000年にはフェブラリーステークスとジャパンカップダートを制し、古馬になってまぎれもないダートのチャンピオンとなった。
中央との交流になって以降のダービーグランプリで地方馬が勝つことはなかったが、前出ウイングアローをはじめ、その勝ち馬からは、ダート・チャンピオン級の馬が何頭も出た。
2000年のレギュラーメンバーは、翌年の川崎記念、さらに第1回JBCクラシックの勝ち馬となった。
2002年のゴールドアリュールは、第4回を迎えていたジャパンダートダービーから3歳ダートGIを連勝。その年末には東京大賞典を勝ち、年が明けてフェブラリーステークスも制した。そして種牡馬となったゴールドアリュールは、ご存知のとおり日本のダート血統を塗り替えた。エスポワールシチー、スマートファルコン、コパノリッキーら、ダートGI/JpnIを制した産駒がすでに種牡馬として活躍をはじめている。地方馬ではララベルがJBCレディスクラシックを制した。さらに現役にはゴールドドリーム、クリソベリル、サンライズノヴァがいる。
2003年のユートピアは、その後04、05年とマイルチャンピオンシップ南部杯を連覇。そして06年、はじめての海外遠征となったゴドルフィンマイルを制し、モハメド殿下率いるゴドルフィンに400万ドルでトレードされた。その後アメリカでG3を制し、種牡馬としてアメリカ、のちにトルコでも繋養された。
2005年のカネヒキリもジャパンダートダービーからの連勝。6歳時、屈腱炎による2年以上のブランクから復帰2戦目でのジャパンCダート制覇は"奇跡の復活"と言われ、続く東京大賞典、川崎記念も勝ってGI/JpnIを3連勝。ダートGI/JpnIで計7勝を挙げた。種牡馬としては、産駒のミツバが川崎記念父仔制覇を果たしている。
しかし中央との交流だったのは2006年まで。累積赤字が嵩み、その年度末には岩手競馬の存廃が論議された。一旦は廃止が決定されたが、最終的に議員の多数決1票差で存続となった。2007年のダービーグランプリは馬インフルエンザのため岩手限定となり、08、09年は休止された。
それでも2010年には地方全国交流として復活(1着賞金800万円)。その年の勝ち馬ロックハンドスターは、岩手三冠馬ともなった。その後、11年カミノヌヴォー、12年ロッソコルサと地元馬が制したが、13〜16年は南関東所属馬が4年連続で制した。
2017年からは地方競馬で『3歳秋のチャンピオンシップ』のシリーズがスタート。ダービーグランプリは、そのファイナルとして1着賞金も1000万円に増額され、注目度が高まった。雪が降る中で行われたその年のダービーグランプリは、のちに北海道で不動のチャンピオンとなるスーパーステション。翌18年は、6年ぶりに地元岩手のチャイヤプーンが制し、3歳秋のチャンピオンシップのボーナスも獲得した。
地方全国交流として復活して以降、その2018年までは11月下旬の水沢開催(18年は延期されて12月)だったが、19年からは大幅に開催時期が繰り上げられ、10月上旬の盛岡開催となっている。これは地方の3歳の代表馬をJBCクラシックへの参戦を促そうというもの。ダービーグランプリ優勝馬が、その年のJBCに出走した場合、JBC出走奨励金として200万円が支給される。
そして今年は1着賞金がさらに1500万円へと増額。その舞台で、冒頭のとおり、地元のフレッチャビアンカが勝ったという価値は大きい。フレッチャビアンカは北海道でデビューして船橋を経由し、岩手転入後は6戦5勝、2着1回と充実ぶりを見せた。
かつて岩手競馬からは、メイセイオペラ、トーホウエンペラーがGI馬となって全国区で活躍したが、また強い岩手の時代が来ることを期待したい。
10月4日に盛岡で行われるダービーグランプリ。1986年に第1回が行われ、途中休止もあって今年が第33回。3歳最強馬決定戦であることはずっと変わらないが、その立ち位置は時代とともに変化してきた。
地方競馬の中でも交流がほとんど行われていなかった当時、全国の地方競馬からダービー馬を集めて対戦させようというという企画。「ダービー」+「グランプリ」というレース名からして画期的だった。
そして1着賞金は2000万円。1986年当時、岩手では古馬の主要重賞、みちのく大賞典や桐花賞が1000万円で、当時岩手のダービー的位置づけだった不来方賞は800万円(87年から1000万円)。大井の東京ダービーでも3400万円。南関東以外で2000万円という賞金は破格だった。
ただし、出走できるのは地方競馬の生え抜きのみ。中央からの移籍馬には出走資格がない。中央不出走でも、一度中央に登録された経歴がある馬も出走することができなかった。
当時、地方競馬では南関東のレベルが圧倒的に高く、第1回から第3回までは大井所属馬が3連勝。しかも第1回のトミアルコ、第2回のスタードールは、ともに牝馬。第3回では牡馬のアエロプラーヌが勝ったが、必ずしも南関東のチャンピオン級というわけではなく、同世代で上位を争う中の1頭というレベルだった。
そして時代が平成に変わった1989年の第4回、ついに地元岩手所属馬に勝利がもたらされた。勝ったのはスイフトセイダイ。クビ差2着は佐賀のギオンアトラス。3着にも岩手のグレートホープが入った。ただし、この年は南関東からの遠征がなかった。
だからといって決してレベルが低かったわけではない。その後スイフトセイダイは全国にも打って出た。一時的に大井に移籍する形でその年の東京大賞典(当時は南関東限定の重賞で2800m)に出走し、名牝ロジータの2着。さらに翌年秋にも大井に移籍し、再び東京大賞典に挑戦したが、今度はダイコウガルダンにクビ差、及ばなかった。5歳秋には中山・オールカマーに挑戦して5着。当時札幌(地方)で行われていたブリーダーズゴールドカップにも遠征、大差で圧勝したのは中央のカミノクレッセだったが、スイフトセイダイはここでも2着に健闘した。
1992年、第7回のダービーグランプリは、1着賞金が5000万円に跳ね上がった(同年の東京ダービーは6800万円)。勝ったのは単勝12.8倍の伏兵、笠松のトミシノポルンガ。直線を向いてもまだ後方だったが、末脚一閃。並ぶまもなく前を行く馬たちを差し切ってみせた。鞍上の安藤勝己騎手は、これが地方通算2000勝のメモリアルともなった。
トミシノポルンガは5歳時、重賞に格上げされた第1回平安ステークスで3着に好走し、中京芝2000mのテレビ愛知オープンを勝利。また1995年の第10回ダービーグランプリを制した笠松のルイボスゴールドは、翌96年の阪神大賞典に出走。名勝負として語り継がれるナリタブライアン、マヤノトップガンの一騎打ちから離されはしたものの3着と健闘。地方の馬でもトップクラスの馬たちは中央で通用する時代だった。
中央・地方の交流が一気に進み、『交流元年』と言われたのが1995年。地方デビュー馬にしか出走資格がなかったダービーグランプリも、翌96年には中央との全国交流となった。
その1996年は、現在のオーロパーク・盛岡競馬場がオープンした年でもある。それまで水沢競馬場で行われていたダービーグランプリは、この年から舞台を新・盛岡競馬場に移した。まさしく中央・地方のダート3歳チャンピオン決定戦となった最初の年、勝ったのは、サンデーサイレンス2世代目の産駒として皐月賞を制していたイシノサンデーだった。
芝と比較してダート競馬がまだかなり格下に見られていた当時、中央のクラシックホースが地方に遠征してくること自体がめずらしかった。しかもその鞍上にあったのは、船橋の石崎隆之騎手。
中央のクラシックホースが、南関東のトップジョッキーで、盛岡のダービーグランプリを勝つ。日本の競馬をとりまく状況が急速に変化を遂げる時代だった。(つづく)
地方競馬の各地に根ざした重賞レース名について紹介する第4回(最終回)は、ホッカイドウ競馬とばんえい競馬(過去の回はこちら、第1回、第2回、第3回)。
ホッカイドウ競馬でその地の象徴といえば、赤レンガ記念。『赤レンガ』とは北海道庁旧本庁舎のこと。1888(明治21)年に建てられたレンガづくりの建物は、1969(昭和44)年に国の重要文化財に指定され、見た目のとおり『赤れんが庁舎』と呼ばれ親しまれている。
日本中央競馬会理事長賞という名称で1964(昭和39)年に始まった重賞だが、赤レンガ記念となったのは1988(昭和63)年から。今年が第57回で、ホッカイドウ競馬では道営記念(今年で第63回)に次いで、歴史を重ねた伝統のレースとなっている。
当初は函館や札幌(JRAではなく道営の開催)で行われ、赤レンガ記念となってからも、旭川、帯広、岩見沢、門別で行われたこともあるが、札幌を代表する観光スポットでもあり、門別単独開催となる2010年以前は札幌競馬場で行われることが多かった。
なお札幌観光協会のウェブサイトによると、北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)はリニューアル工事のため2019年10月1日から2022年度まで休館となっている。
旭岳賞の『旭岳』は、旭川市と同じ上川支庁にある火山。旭川の近くということでは、旭川競馬場がある当時に始まったのかとも思ったが、まだ今年で第6回。門別単独開催となったあとに新設された。標高2291mの旭岳は、北海道ではもっとも高い山。そういう意味では北海道のひとつの象徴ともいえる。
そして今年新設されたのが、ウポポイオータムスプリント。今シーズンのホッカイドウ競馬の開催日程が発表されて初めて見た時は、『ウポポイ』って何?と思った。
ウポポイとは、アイヌ文化の復興・発展のため今年オープンした『民族共生象徴空間』の愛称で、一般投票によって決められたもの。新型コロナウィルス感染拡大防止のため開業が延期されていたが、7月12日にオープンしている。
場所は白老町で、新千歳空港から車で約40分。門別競馬場からもそれほど遠くないだけに、道外から門別競馬場に行くという方は、訪れてみてはいかがだろうか。
最後は、ばんえい競馬。
ばんえい競馬の象徴といえば、年に一度1トンのソリで争われるばんえい記念だが、レース名としてばんえい競馬の歴史を伝えるのは、旭川記念、岩見沢記念、北見記念、帯広記念という4つの重賞。
ばんえい競馬は2007年度から帯広競馬場での単独開催となったが、それ以前は旭川、岩見沢、北見、そして帯広の各競馬場を移動しながら行われていた。
その4市の持ち回りで開催されていた時代、それぞれの競馬場を代表する古馬重賞が、それぞれの"記念"レースだった。それゆえもっとも歴史の浅い北見記念でも、今年度の回次が41回という伝統の重賞だ。
ちなみに4市で行われていた当時、旭川記念だけは4歳馬限定の重賞で、古馬重賞は旭王冠賞だった。それが帯広での単独開催となった2007年度からは"記念"レースとして統一する形で旭川記念が古馬重賞となり、旭王冠賞というレース名は廃止された。
現在でも4つの記念レースは、古馬の主要重賞として「4市記念重賞」などと呼ぶ人もいる。
3・4歳混合の重賞・はまなす賞の『ハマナス(浜茄子)』は北海道の花。またWikipediaによると石狩市をはじめ北海道の3市9町の花ともなっている。
個人的なことだが、はまなすといえば、「知床の岬に はまなすの咲くころ」という歌詞で始まる『知床旅情』という歌を思い出す。俳優の故・森繁久彌の作詞・作曲によるもので、のちの1970年代初期に加藤登紀子の歌で大ヒットした。
2歳シーズン三冠の一冠目、ナナカマド賞の『ナナカマド』は、Wikipediaによると旭川市をはじめ北海道の9市17町の木とされている。
ばんえい競馬で忘れてはならないのが、イレネー記念の『イレネー』。日本でも世界でも、顕著な活躍馬の馬名をレース名にしたものはめずらしくないが、ばんえい競馬におけるイレネーは特別なもの。競走歴はなく、1908(明治41)年にフランスから輸入された種雄馬(重種馬では種牡馬ではなく種雄馬という)。家畜改良センター十勝牧場のウェブサイトによると、イレネーは18年間で579頭の産駒を出し、そのうち196頭が種牡馬になった。またその直系の子孫を合わせると、イレネーの系統からは559頭もが種雄馬になったという。
日本の重種馬の改良に偉大な功績を残したことで、帯広競馬場の入口にはイレネーの銅像が建立されている。