NAR『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』、『競馬総合チャンネル』などで地方競馬を中心に記事を執筆。グリーンチャンネル『アタック!地方競馬』『地方競馬中継』解説。1964年生まれ。
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今年も今週の佐賀・九州ダービー栄城賞からダービーシリーズが始まる。ダービーシリーズのレース名で、その土地にちなんだ何かの名称がレース名になっているのは、この栄城賞だけ。ほかはいずれも「地名」+「ダービー」もしくは「優駿」というレース名になっている。
栄城(えいじょう)賞は以前から佐賀の"ダービー"という位置づけで、今年で第62回を迎える伝統のレース。2000年までは単に『栄城賞』だったが、2001年からは九州競馬として連携し、一冠目が荒尾競馬場(2011年限りで廃止)の『九州皐月賞荒尾ダービー』、二冠目が佐賀の『九州ダービー栄城賞』となって以来、この名称になった。
『栄城』とは、佐賀城の別称。栄城賞のステップ競走となっている鯱の門特選の『鯱の門』は本丸の表門で、国の重要文化財となっている。
ちなみに佐賀西高校・野球部のユニフォームの胸にも大きく『EIJO』と書かれている。佐賀西高の前身が佐賀藩校・弘道館で、現在も佐賀城敷地内にあるとのこと。ホームページのバナーには『栄城 佐賀県立佐賀西高等学校』とある。
話を栄城賞に戻して、2009年の勝ち馬は牝馬のギオンゴールド。その額には扇型の流星があり、中島英峰アナウンサーが『栄の国の扇の舞姫』と実況したのが印象的だった。
地方競馬には、このようにその地域に根ざしたレース名も少なくなく、またそれがいかにも地方競馬らしい。
逆に最近ではカタカナのレース名も増えてきて、スプリングカップ、クイーン賞やクイーンカップ、ジュニアカップやジュニアグランプリなどは、たしかにそのレースの特徴を表していてわかりやすいが、どこの競馬場にもありそうな、いわば無味乾燥な印象でもある。
せっかくの機会なので、あくまでも個人的な印象として、地方競馬らしい重賞のレース名について紹介してみたい。最初が佐賀の栄城賞となったので、南から順に......。
高知を象徴するのは、今年で第43回となる建依別(たけよりわけ)賞だろう。
建依別は、古事記の神話に出てくる土佐の古い呼び名で、土佐を支配していた神でもあるらしい。
高校野球の強豪として知られる高知商業高校の校歌に「建依別の ますら男は」という歌詞が出てくるので、ちょっと古い高校野球ファンなら耳にしたことがあるのではないだろうか。
高知ではもうひとつ、大高坂(おおたかさ)賞。高知競馬が福山競馬と連携した2011年度、福山競馬場の重賞として新設されたのが大高坂賞で、高知競馬の重賞として新設されたのが久松城賞。
高知城が築かれた場所が大高坂山で、久松城は福山城の別称。まさに高知と福山の交換(交歓)レースとして行われていた。ところが2013年3月限りで福山競馬は廃止。大高坂賞は2014年1月の第3回から、もともとの地名の由来である高知競馬で行われるようになって現在に至り、一方の久松城賞はわずか2回だけで廃止となってしまった。
園田・姫路の重賞には、摂津、播磨、六甲など、よく知られる地名が多いが、印象的なのは『白鷺賞』だろう。説明するまでもないかもしれないが、その真っ白な容姿から姫路城は白鷺城とも呼ばれている。
白鷺賞で興味深いのは、姫路競馬場でしか行われていないこと。かつてのホッカイドウ競馬や、岩手競馬もそうだが、ひとつの主催者に複数の競馬場がある場合、開催日程によって重賞の開催場が変わることもめずらしくない。
もうひとつ姫路城にちなむ姫山菊花賞は、姫路競馬場が休止となったあとも引き続き園田競馬場で行われてきたが、白鷺賞は姫路競馬場の休止とともに、2005年3月の第48回を最後に行われなくなった。しかし今年1月の姫路競馬場再開に合わせ、14年の空白を経て、第49回として白鷺賞が復活した。
さらに兵庫で触れておきたいのが『菊水賞』。兵庫県神戸市兵庫区菊水町という住所があるが、『菊水』は、南北朝時代以前に播磨や摂津で活躍した(暴れまくった?)楠木正成の家紋・旗印でもある。そもそも菊水町の地名自体が楠木正成から来ているのかもしれない。このあたり、詳しい方がいたら教えていただきたい。(つづく)
ばんえい十勝の苦難を支えたオッズパーク
4月24日、2020年度のばんえい競馬が無事に開幕した。ばんえいに限らず無観客ではあるものの、今は競馬が開催できること自体がありがたい。
それにしてもその開幕初日の売上には驚いた。1日の売上5億9233万8900円、メイン第10レースの売上1億1935万7400円は、帯広単独開催後の、1日、1レースのいずれもレコードだった。
メインのスプリングカップにはホクショウマサルを含めばんえい記念出走馬が5頭いたほか、昨年の3歳三冠馬メムロボブサップや、近走不振だが6歳世代最強と言われるメジロゴーリキなど、世代ごとのオールスターキャストが揃ったということもあったのかもしれない。1日の売上は従来のレコード(4億2725万円余り、2019年12月30日)を1億6千万円余りも上回った。
2007年度から帯広単独開催となったばんえい競馬では、『ばんえい十勝オッズパーク杯』がシーズン最初に行われる重賞として定着している。
なぜ"オッズパーク杯"なのか。帯広単独開催となってから13年も経過し、当時のことをあまりご存知でない方もいるのではないだろうか。
当時は地方競馬でいくつも競馬場が廃止になっていた時代。それまで帯広、旭川、岩見沢、北見の4競馬場で開催されていたばんえい競馬も、2006年度の開催中に存廃が取りざたされるようになった。
旭川競馬場では、その年の開催が6月12日に終了すると、間もなくばんえい用のコースの撤去が始まった。旭川市はこの時点で撤退を決めていたものと思われる。
ばんえい競馬が廃止されたときに経済的に影響が多いのは、重種馬生産の中心、十勝・帯広だ。帯広市は、北見市もしくは岩見沢市と2市で開催を続ける道を探った。
当初、岩見沢市との2市開催が実現しそうなところまでいったが、11月になって岩見沢市も撤退を表明。残す可能性は帯広市が単独で続けられるかどうかだった。
新聞には「ばんえい競馬廃止へ」という見出しが出るようになった。

(写真提供:小久保友香さん)
どこかの競馬の廃止が検討され始めると、それが決定したわけでもないのに、地元新聞には決まって廃止へと誘導するかのような記事が掲載されるようになる。
実際、その流れで廃止されてしまった競馬場もある。しかし廃止濃厚という雰囲気になっても生き残ったのが、笠松、岩手、そしてばんえい競馬だ。
売上が下がり続けているばんえい競馬を、帯広市が単独で支え続けるのは難しいのではないかと思われた。
平地の競馬なら、たとえいくつかの競馬場が廃止になっても、競馬そのものは続く。しかしばんえい競馬は世界でも北海道だけのもの。廃止となれば、ばんえい競馬そのものがなくなってしまう。
厩舎関係者や十勝の人々、マスコミ関係者など、存続を訴える運動は全国に広がった。
そこに救世主として手を上げたのが、オッズパークの親会社であるソフトバンクプレイヤーズ(現・SBプレイヤーズ株式会社)だった。
主催は帯広市だが、主催業務の一部を受託することで支援するというもの。2006年12月、急転直下の出来事だった。日本の競馬で民間企業が競馬の主催業務に直接関わるというのは初めてのこと。
そして『オッズパークばんえいマネジメント(OPBM)株式会社』が設立され、2007年4月、新生・ばんえい十勝がスタートすることとなった。
こうした経緯があり、2007年度にシーズン最初の重賞として新設されたのが、『ばんえい十勝オッズパーク杯』だった。
しかしながら、新生・ばんえい十勝の経営は厳しいものだった。
ばんえい競馬は、2007年度の年間総売得額が129億円余り、1日平均では8616万円余り。年を追うごとにその売上はじわじわと下がり、2011年度には年間で103億円余り、1日平均で6728万円余りにまで落ち込んだ。
オッズパークばんえいマネジメントは、2012年度限りでばんえい十勝の業務から撤退することとなった。
売上は2011年度を底に徐々に回復したが、それは地方競馬全体の流れでもあった。
2011年度、馬券の売上全体に占める電話・ネット投票の割合は、地方競馬全体で35.5%、ばんえい競馬では38.0%。
それまでネット投票といえばパソコンがほとんど。しかし携帯電話が徐々にスマホにとって代わり、それを国民のほとんどが所有するに至り、誰でもがネット投票に手軽に参加できるようになった。
2019年度、電話・ネット投票が売上全体に占める割合は、地方競馬全体で78.0%、ばんえい競馬ではじつに85.1%までになった。
これによって地方競馬のファンが全国に広がり、地方競馬の売上はV字回復した。
2011年度には前述のとおり1日平均で6728万円余りだったばんえい競馬の売上は、2019年度にはついに2億円を突破。年間総売得額でも、どん底だった2011年度の3倍以上、310億円余りになった。
ばんえい競馬が帯広市単独開催となったあと、ばんえい競馬が一番厳しかった時代を支えたのがオッズパーク。その象徴として、シーズン最初に実施されている重賞が、『ばんえい十勝オッズパーク杯』ということになる。
高知の鷹野宏史騎手が中央に移籍し、いよいよ明日、中央での初騎乗を迎える。
中央での騎乗経験がない地方騎手の合格は初めてとのことだが、中央馬との対戦で、あとちょっとのところで勝てそうだったのが、マルカイッキュウで出走した98年の金沢・白山大賞典GIIIだった。
3〜4コーナーから直線で競り合いとなったのは、この年ドバイワールドカップにも出走したキョウトシチーで、わずかにクビ差及ばずの惜しい2着だった。
鷹野騎手は、高知最大のレース、高知県知事賞で6勝を挙げているが、そのうちマルカイッキュウで98、99年(当時は1月に行われていた)に連覇を果たしている。
当然マルカイッキュウは鷹野騎手にとって一番の思い出の馬。引退後は、なんとご自身で引き取り、高知競馬場で誘導馬に乗っている奥様と一緒に大事に面倒を見ておられた。
実は2002年の夏にぼくが高知競馬場を訪れたとき、奥様から「乗ってみませんか」と声をかけていただき、海岸でマルカイッキュウに乗せていただいた。
恥ずかしながら、そのときの写真がコレ。もう6年近くも前のことになる。
さて、JRAの騎手となった鷹野騎手だが、初騎乗は土曜日中山の第3レース。これも含め、土曜日は6鞍、日曜日には3鞍の騎乗予定となっている。
昨年大晦日に足を怪我して休んでいたため、今年になって実戦に騎乗したのは、壮行レースとなった2月24日の高知第3レースの1鞍のみ(10頭立て10着)。
実質、この土曜日の中央デビューが復帰戦となる。
さすがにすでに中央で実績がある内田博幸騎手とは違い、人気になりそうな馬はあまりいないが、とにかくひとつでも多く勝てるよう、がんばってほしい。
張り切って予想したばんえいオープンの師走特別だが、本命にしたフクイズミはまったくお呼びでない展開だった。上り調子のミサイルテンリュウが楽に障害をクリアしたのに対してフクイズミは前回のようにひと腰では上がれなかった。さすがにあのタイミングでは、第2障害を降りてからゴールまでが4場の中でもっとも短い帯広コースでは厳しかった。まあミサイルテンリュウを本命にしていたとしてもさすがにホクショウファイトまでは買えなかったが。
というわけで実は土曜日から帯広競馬場に来ている。
その土曜日には到着早々、準メインの前に騎手、調教師、それから馬主さんたちがスタンド前に整列。「みなさまのご協力のおかげで存続が決まりました」というお礼の挨拶があった。
あらためて、来年度もばんえい競馬が続くことになってよかった。
競馬場では会う人ごとに「いや〜、一時はどうなると思ったけど、続くことになってほんとによかった」というのが挨拶がわりとなっていた。
今日(17日)には旭川で北海道市営競馬組合を構成する4市の正副管理者(ようするに4市の市長さんですな)会議が行われていて、今年度の残りの日程をどうするのか、そして来年度の開催はどうするのか、開催をやめる3市は帯広市に対してどんな形で協力していくのか、などが話し合われていることと思う。
とにかく競馬では民間が運営に本格参入するのは初めてなだけに、これからの調整は容易ではないだろう。
賞金だけはこれまでより厳しくなるのだろうが、それ以外の面では厩舎関係者にとってよりよい競馬ができればと思うし、また我々ファンにとっても今まで以上に楽しめるばんえい競馬が見られればと願う。
ばんえい競馬が存亡の危機に立たされている。
新聞などでは「廃止」という見出しとともに、今の帯広開催で最後かという記事が目立つが、まだこれで最後と決まったわけではない。
旭川、北見、岩見沢はすでに撤退を表明し、厳しい状況ではあるものの、まだ帯広での単独開催の道は残されている。
赤字を出さないやり方があれば、十分に存続の可能性はあるのだ。
署名運動など、さまざまなところで存続へ向けた運動が起きているが、ぼくも微力ながら「つづけよう!ばんえい競馬」というホームページを立ち上げ、赤字を出さないための方策をみなさんから提案していただいている。
ぜひとも、ご協力いただければと思う。
もちろん一番の協力方法は、オッズパークでたくさんばんえい競馬に投票していただくことだが。