昨年度、佐賀競馬場が移転開設50周年を迎えて以降、さまざまに行われている取り組みの弾けっぷりが、なかなかにイイ。
『うまてなし。』というプロモーション映像(PV)については、昨年2月にこのコラムで紹介した。
素晴らしいと思った感想に間違いはなく、今年2月、そのPVが「第60回 JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール」で「デジタル部門の受賞作品(メダリスト)」に選定され、表彰も行われたというから、やっぱりスゴかった。
その後、そのPVはさらに進化を遂げ、『うまてなしDX』も公開されている。
これらのPVがすばらしいのは、競馬開催を支える裏方を思いっきりクローズアップしていることだろう。
一般的に競馬場をプロモーションするような映像では、レースや馬や騎手などを主役にすることが普通だが、『うまてなし。』『うまてなしDX』では、普段はファンが見ることがない裏の裏まで紹介しているので興味深く見ることができる。
今年2月11・12日には、ウマ娘プリティーダービーとのコラボイベントも行われ、たいへんな入場があったとX(Twitter)で伝えられていた。
さて、個人的なことにはなるが、9月10日に行われた西日本ダービーの取材で、コロナ以降はじめて、久しぶりに佐賀競馬場を訪れた。
その際、『うまてなしDX』にも登場している、さがのうまこさんに初めてお会いすることができた。
噂には聞いていたが、実写版(?)さがのうまこさんは、なかなかにセクシーだった。
さがのうまことパッカルくん
さがのうまこを"着ぐるみ"と言っていいのかは微妙だが、着ぐるみの"中の人"という存在に触れることがタブーとなったのは、ふなっしーの登場以来だろうか。いや、もっと以前のディズニーのキャラクターからだろうか。
普通の着ぐるみであれば、"中の人"が代わってもほとんどわからないが、中も外もなく、顔以外ほとんどそのまんまのさがのうまこさんの場合、なにかの都合で"中の人"が代わらざるをえなくなった場合、いつも見ている人にはすぐにわかってしまうのではないだろうか、などといらん心配をしてしまった。
そのときは潔く(?)、『二代目さがのうまこ』とかになるのだろうか。
そして最近、さがけいばのニュースでちょっと驚かされたのが、『Chooooose Luck PROJECT!!』というアイドルオーディションだ。
競馬場のイメージキャラクターなどは、既存のタレントさんと契約したりするのが普通だが、このプロジェクトでは、「応募時点で他のプロダクションに所属・契約していない」、いわば素人さんを対象に、歌やダンスの実技審査までやって、合格者にはその後、ダンスレッスンなどもあるという。かなり本格的なアイドル育成プロジェクトとなっている。
果たしてさがけいばからどんなアイドルが誕生するのか、こちらも楽しみではある。
間近に迫った大井・門別でのJBC開催当日の11月3日、佐賀競馬場では『ジャパン!爆ウマ!畜産!』が実施される(PDF)。
(J)ジャパン、(B)爆ウマ、(C)畜産で、『JBC』となるらしい。
JBC(ジャパン爆ウマ畜産)大食いチャレンジや、佐賀牛ロースステーキの試食会、佐賀牛ステーキなど豪華賞品の当たるJBC(ジャパン爆ウマ畜産)グルメ抽選会、JBC(ジャパン爆ウマ畜産)飲食コーナーなど、近くに住んでいれば、ぜひとも行ってみたいイベントだ。
そして佐賀競馬場では1年後、いよいよ初めてのJBC開催となる。アイドルオーディションも、JBCに向けてのことと思われる。1年後のJBCまで、さがけいばはどんな弾け方をするのか。願わくば、想像を超えるような弾け方をしてほしい。
ダービーグランプリがいよいよ間近に迫った。第36回にして、最後となるダービーグランプリだ。
地方競馬の全国からダービー馬を集め、「ダービー馬によるダービー」という、交流レースが少なかった当時としては画期的な企画だった。
元号は2つ遡って昭和61年(1986年)、第1回が行われた。いわゆる"バブル景気"はその年末から始まり、景気上昇とともに競馬の売上も上昇していくのだが、創設時にそんなことは誰も予想はしていなかったはず。そう考えると偶然とはいえ絶好のタイミングだった。
1着賞金は2000万円。この年、岩手の主要古馬重賞、みちのく大賞典や桐花賞が1000万円だったことを考えれば、破格の高額賞金だったといっていい。その後、前述のとおりバブルとともに競馬の売上も上昇し、90年には3000万円、92年の第7回には5000万円となった。92年の大井競馬の賞金を見ると、東京ダービー、東京大賞典(当時は南関東限定)が6800万円だから、地方全体でもトップレベルの賞金だった。
こうして盛り上がりを見せたダービーグランプリだが、時代の流れとともに数奇な運命を辿ってきた。
中央と地方の"交流元年"と言われたのが95年のこと。翌96年にダービーグランプリは中央と交流のGIとなり、1着賞金は6000万円。
交流初年のダービーグランプリには、なんと皐月賞馬イシノサンデーが出走してきた。中央の重賞と変わらない賞金とはいえ、中央の現役バリバリGI馬が地方のダートに出走してくるなど、当時は"事件"といえた。しかも、鞍上は、当時地方で不動の全国リーディングだった船橋の石崎隆之騎手。
今でこそ、中央の有力馬に地方のトップジョッキーが乗ることも珍しくないが、交流が始まった当初、中央馬には中央の騎手、地方馬にはその所属場(または同地区)の騎手が騎乗するのが通例。中央馬に地方の騎手が乗ることを認めていない競馬場もあった。
ダービー馬ではないものの、皐月賞馬と地方ナンバーワン・ジョッキーのコンビは、単勝2.3倍の人気にこたえて勝った。
しかし地方競馬の売上には陰りが見えてきていて、2001年、第1回JBCが始まるという年に、大分県・中津競馬から地方競馬は廃止が相次いだ。
06年度、膨大な累積赤字を抱えた岩手競馬も県知事から一旦は廃止の意向が表明された。しかし、競馬組合議会の最後の最後の採決で、わずか1票差で存続。
存続とはなったものの、当然のことながら緊縮財政での再出発。07年、第22回のダービーグランプリは1着賞金600万円。史上始めて地元馬限定として行われた。
そして08、09年は休止。10年には地方全国交流として復活したが、1着賞金は800万円。「ダービー馬によるダービー」という当初の理念とは程遠い状況ではあった。
それでも17年に始まった"3歳秋のチャンピオンシップ"では、ダービーグランプリがその最終戦となり、1着賞金は1000万円ではあるものの、勝ち馬にはシリーズの実績に応じてボーナス賞金が設定された。
その後、コロナ禍の無観客開催を経て、ネットでの売上が上昇したことで、ダービーグランプリの1着賞金は、20年1500万円、21年2000万円と上昇。
さらに2500万円となった昨年は、東京ダービー馬カイルを含め、南関東から大挙7頭が遠征。東海三冠馬タニノタビト、北海道二冠馬シルトプレ、地元二冠馬グットクレンジングなどが出走し、「ダービー馬によるダービー」が名実ともに復活。勝ったのは、北海優駿馬シルトプレだった。
そして1着賞金が3000万円となった今年、ダート競馬の体系整備によって、地方だけの交流であるダービーグランプリは、その役目を終えることとなった。
その最後という年に、中央相手のジャパンダートダービーも圧勝し、無敗のまま南関東三冠を制したミックファイアが参戦。
北海道三冠馬となったベルピットは、北海優駿を制したあと「あの馬(ミックファイア)にも負けないと思います」と角川秀樹調教師が自信を見せていたのを思い出す。その三冠馬同士の対決が、いよいよ実現する。
のみならず、地方馬として初めてアメリカに遠征し、サンタアニタダービーで僅差の2着、そしてケンタッキーダービーにも出走(12着)したマンダリンヒーローも参戦。地方競馬からダートの本場、アメリカの"ダービー"にもつながった最初の年となった。
神様が仕組んだとしか思えない、ダービーグランプリのクライマックスだ。
今年の地方競馬の3歳世代は、各地で傑出した活躍馬が目立った。
ジャパンダートダービーJpnIを制したミックファイアは、現状の南関東三冠体系最後の三冠馬となった。
8月27日の黒潮菊花賞ではユメノホノオが高知三冠に、続いて29日の王冠賞ではベルピットが北海道三冠馬となった。
ほかにも、現在は脚部不安で休養中だが、名古屋のセブンカラーズはデビューから無敗のまま東海ダービー制覇。金沢のショウガタップリは、大井・黒潮盃で初の敗戦を喫してしまったが、地元金沢では11戦11勝で、石川ダービーなど重賞6勝。兵庫ダービーを制した牝馬スマイルミーシャは、その後古馬B1特別を制して8戦7勝、敗けたのは菊水賞の2着だけ。
秋になって、西日本ダービー(9月10日・佐賀)やダービーグランプリ(10月1日・盛岡)で、各地を代表する3歳馬の直接対決があるのかどうか、楽しみなところ。
そのなかで、高知三冠を達成したユメノホノオの収得賞金が7196万円にもなっていることにはちょっと驚いた。三冠だけで3200万円もの賞金を稼いだ。
スペルマロンが高知所属馬として高知所属時に史上初めて1億円の賞金を獲得したことが話題となったのは、一昨年10月のこと。ユメノホノオがデビューしたのは昨年7月で、それから1年1カ月で7000万円超の賞金を稼いだことでは、近年、いかに高知競馬の賞金が高額になっているかがわかる。
ユメノホノオは、2009年のグランシング以来、14年ぶり4頭目の高知三冠となったが、歴代4頭の高知三冠の賞金を比較すると、以下のとおり。左から順に、黒潮皐月賞/高知優駿/黒潮菊花賞の1着賞金、【 】内はその合計で、単位は万円。
1998 カイヨウジパング 250/300/300【850】
2000 オオギリセイコー 200/300/300【800】
2009 グランシング 27/27/27【81】
2023 ユメノホノオ 800/1600/800【3200】
地方競馬の売上はバブル直後の1991年に戦後のピークを記録し、そこから徐々に減少。2011年にはピーク時の約1/3ほどまでに落ち込んだ。高知競馬の浮き沈みは地方競馬全体よりもさらに極端で、上記3歳三冠の賞金を見ると、2009年は2000年の1/10となり、そこから14年が経過して2023年には、じつに40倍という賞金に跳ね上がった。2000年と2023年の比較でも4倍となっている。
高知競馬の売上がもっとも落ち込んだのは2008年度で、1日平均4042万円余り、年間で約38億8千万円。JRA-PATで地方競馬の馬券発売が始まった2012年頃から飛躍的に売上を伸ばし、2022年度には1日平均8億6796万円余り、年間で約946億円となった。どん底だった2008年との比較では、年間でじつに約24倍となった。
あらためて、高知競馬の現在の売上や賞金はすごいと思うが、もっとすごいと思うのは、どん底だった時期に、その売上とその賞金で、今に競馬を繋いできたこと。
かつて地方競馬は全国30場で行われていたが、2001年、大分県の中津競馬廃止以降、売上の減少などで地方競馬は相次いで廃止となり、現在は15場となっている。
そうした状況でも高知競馬が継続できた要因のひとつとして、売上が低迷した時期には積極的に他地区に遠征して賞金を稼いだということがある。ただそれにしても、他地区に遠征して勝負になるような、ある程度のレベルの馬がいなければできないこと。当時の売上、賞金体系で、それなりのレベルの馬を高知に入れた馬主と、それを育て上げた厩舎関係者の努力があればこそ。
地方競馬は今年の2歳戦から全国的にレース体系が大幅に見直され、新たな時代に向かう。現在まで、高知所属馬でダートグレード競走を制したのは、1998年、第1回として行われた黒船賞のリバーセキトバが唯一。
あらたなダート体系のもと、高知競馬から四半世紀以上ぶりに、ダートグレード勝ち馬が出てくることを期待したい。
その金ナイターの現地はいつ以来だろう。
コロナで規制がいろいろあったときにも、一応取材ができるようになってからは何度か園田競馬場には来ていたが、その金ナイターはコロナ前以来。それもいつのことだかもう記憶がない。
その金ナイター開催での重賞は、摂津盃、園田チャレンジカップ、そして今回の兵庫サマークイーン賞くらいしかないので、そもそも取材で来る機会も限られるのだが。
15時羽田発で伊丹空港。モノレールから蛍池で阪急宝塚線。十三で阪急神戸線に乗り換えて園田駅。園田駅高架下のショッピングモールはずっと工事中で、今年秋には再開するようだが。無料バスで園田競馬場着は17時頃。まだ明るく、お客さんはそれほど多くはないが、ナイター開催らしくだんだんと増えてくる。
その金ナイターが始まったのは2012年のことだから、もう11年も経った。
いまや地方競馬ではナイター開催をやっていない競馬場のほうが少ないが、園田競馬場でナイター開催を始めるにあたっては困難をきわめた。
計画は、大井や川崎など南関東でナイター開催が始まったころからあったと聞く。しかし競馬場周辺は住宅地。地域住民や自治会との折衝で、ナイター開催の計画は何度も跳ね返されてきた。
しかし21世紀になって社会が競馬に対してだんだんと優しくなってきたこともあり、さまざまに条件を譲歩して、ようやくその金ナイターが実現した。
その条件とは、金曜日のみ。さらに終了後、ファンが歩いて最寄り駅まで帰ることを避け、必ず送迎バス利用を徹底するなどだ。令和の時代になっても、競馬ファンは何かしら犯罪を起こすのではないかと思われている存在なのだ。残念ながら。
だから、その金ナイターの日は、夕刻以降、帰りの足は必ずバスを使うようにという場内アナウンスが繰り返される。
メインレースひとつ前のパドックで19時。だんだんと日が暮れてきて、メイン前に腹ごしらえ。さて何を食べようか。向かったのは、まぐろ専門の『一八(いちはち)』。たしかその金ナイターが始まるタイミングで入った店舗ではなかったか。
よし!と決めたのは、まぐろカツ丼。500円也。そのほか、鉄火丼、まぐろピリ辛ユッケ丼、まぐろカレーライス、まぐろカレーうどんなど、ぜんぶ500円のワンコイン。唯一、まぐろほほ肉ステーキ丼だけは600円。値上げ値上げの今日このごろ、ここのメニューは一度も値上げをしてないのではないか。
が、しかし。常連さんで満席。それではと、まぐろカツ丼お持ち帰りで、とお願いしたら、「今日は全部売り切れ。カレーしか残ってないんです」
では、まぐろカレーライスで、とお願いしたのがこれ。
普通、こうした持ち帰り容器のカレーは、ご飯の領域が大半を占め、カレールーがご飯に対して少なすぎるだろ、というのが常だが、ここはしっかり容器の半分の領域にご飯を丘のように盛ってくれて、カレールーもたっぷり。ご飯に対してカレーが足りなくなるということもない。
写真にしてしまうと何の変哲もないカレーライスだが、しかし。ひと口含むと、まぎれもなくカレーに魚を感じる。ほぐしたマグロの身がカレーの海を泳いでいる。ひと口ひと口、マグロを感じるカレーだ。
こちらもその金ナイター開始のときに開店したと記憶する、串かつの『串勝や』もカウンターはほぼお客さんで埋まっていた。
たとえ満席でお店に入れなくても、たとえ売切れで食べたいものにありつけなくても、コロナによる制限がなくなって、競馬場にたくさんファンが来ている光景には安心する。
そして兵庫サマークイーン賞。出した結論はこちら。
ハクサンアマゾネスが強いのはわかっている。が、そこから買ったのでは配当は期待できない。しかも、初めての他場遠征という不安もある。
ならば、今回休み明けでも、前回佐賀まで遠征して勝っているジュランビルでどうだ。オッズはそこそこ、いや、かなりつくところもある。
単勝3000円と、馬連複1000円ずつ、印をつけた馬に流す。計8000円。と、決めた。
そして本馬場入場。そのとき、居合わせたOちゃんと仕事上の込み入った話をはじめ、気がつけば出走馬たちは待避所で輪乗りの映像。締切前の軽快な音楽も流れていた。
慌ててオッズパークのアプリで投票。
が、が、が、しかし。入力途中で、プルルルルルルルルルと、むなしく響く締切の合図。
レースはスローで流れ、ジュランビルは好位3番手の内。直線を向いて、満を持してという感じでハクサンアマゾネスが抜け出してきた。そして......
(ジュランビルよ、来ないでくれぇぇぇ)と、自分が本命にした馬に来ないでくれと願うことほど悲しいことはない。
そして。
来たよ、2着に、粘ってしまったよ、2着に。。。。。
馬連、的中。
ただし。
買えていれば、だが。
馬連オッズは、11.4倍。
単勝3000円は、ハズれたが、馬連1000円の流しで、11,400円。儲かったはずの3400円がないことになった。
それは残念だが、いや、むしろハクサンアマゾネスが勝ってくれてよかった、と思うことにした。
もし、もし、もし、という仮定ではあるのだが。ハクサンアマゾネスがどこにもなければ、ジュランビル1着で、2着はクリノメガミエース。
ジュランビルの単勝16.8倍を3000円に、馬連複はなんと!万馬券で、136.1倍が1000円。なんと!計186,500円の払い戻しになるところだったのだ、だ、だ。
それを思えば、やっぱりハクサンアマゾネスがちゃんと勝ってくれてよかったよ。
そしてさらに、あとで思ったのは。もらえたはずのオッズパークのポイント還元10%もなくなってしまったのは、やっぱり残念だった。
『全日本的なダート競走の体系整備』によって、今年で最後になる地方競馬のダービーシリーズには、全8レースのうち4つの"ダービー"に足を運ぶことができた。東海ダービー、東京ダービー、北海優駿、そして6月28日の石川ダービー。
コロナで社会生活がさまざまに制限された時期には競馬場に行くことも難しくなり、競馬場によっては取材も制限された。石川ダービーには、コロナによる無観客開催が始まった2020年はさすがに行くことができなかったが、2021年からは3年連続で現地取材することができた。
2021年5月25日、第5回石川ダービー。コロナの蔓延がはじまってから1年とちょっと。まだまだコロナは拡大していた時期で、往復の北陸新幹線はガラガラ。そして多くの競馬場がそうだったように、ファンの入場は再開していたが、かなり人数を制限してのものだった。「密を避ける」ということが呪文のように言われ、ひとりおきに座るようにスタンドのベンチに貼られたバツ印のテープは今も残されたままだ。
5月下旬といえども暑いほどの陽気だったが、石川ダービーのパドックでポツリポツリと雨が降り出した。返し馬をおえたあたりで、怪談などでよく言われる「辺り一変にわかにかき曇り...」という状況になり、吹く風が急に冷たくなった。そしてゲートインのあたりでは突然の横殴りの雨。まさにゲリラ。直線、アイバンホー、ビルボードクィーンという人気を集めた2頭が、3番手以下を離しての一騎打ち。しかし小柄なビルボードクィーンは強風に煽られ大きく外によれ、アイバンホーがクビ差で勝利。北日本新聞杯からの二冠制覇となった。
ときは緊急事態宣言のさなか。駅の回転寿司は19時閉店。その15分ほど前に滑り込み、軽く寿司をつまんで新幹線で帰宅。飲食店が時短営業だったのも、ずいぶん前のことのように感じる。
2022年6月21日、第6回石川ダービー。コロナはまだ収まってなかったものの、新幹線にも飲食店にも少しずつ客が戻ってきた。
その年の石川ダービーは、単勝1.3倍という断然人気に支持された牝馬のスーパーバンタムが3コーナーで先頭に立って後続を寄せ付けず、2着に3馬身差をつける完勝。スーパーバンタムはその後、園田に遠征して西日本ダービーも制する活躍を見せた。
それにしても競馬場にお客さんが入るようになったとはいえ、当時まだ制限はされていて、場内売りがほとんどという地方競馬の専門紙はよく生き残ったものと思う。しかしながらコロナ前と同じというわけにはいかず、金沢ではコロナの無観客開催が始まった2020年3月、それまであった3紙、『カナザワ』『キンキ』『ホープ』が合理化を目的として新会社を設立し、新聞制作が一本化された。また3紙とは独立して発行していていた『ホクリク』は2022年末で残念ながら休刊となった。
コロナは存在し続けるものの、それによる制限がほとんどなくなった今年の石川ダービー。金沢へと向かう北陸新幹線は、平日の昼頃という時刻にもかかわらずほぼ満席。コロナ制限の期間中はほとんど見ることのなかった、外国人観光客もちらほら。金沢駅の改札を出ると外国人で溢れていた。が、そんな外国人観光客とは無縁の無料送迎バスで金沢競馬場へ。
今回は、石川ダービーの取材以外にもうひとつ、どうしても叶えたい目的があった。それは、金沢競馬場内のあるものを食べること。
地方競馬は、コロナの無観客開催や人数を制限していた時期に、閉店してしまった食堂や売店がいくつもある。それは、昭和の時代に競馬場に入ったお店の方々が高齢となり、後継者もいないところにたまたまコロナ禍がきたというタイミングも少なからずあったと思われる。しかしながら、徐々にお客さんが戻ってきているタイミングで、若い人が空き店舗で新たに始めたお店もある。
金沢競馬場の『馬笑屋(ばしょうや)』さんもそのひとつ。そこで「店主のおすすめ!」と書かれているジャンボチキンフライと、タルタルチキンフライ丼が、盛岡競馬場のジャンボ焼鳥のように、金沢競馬場の名物になるようにがんばっているらしいのだ。
そのジャンボチキンフライがこれ。なんとこれで300円! なのだが、じつはこれ、昨年10月の白山大賞典のときに食べたもの。次は、タルタルチキンフライ丼と思っていたのだが、しかし。いまだありつけていない。今回も、競馬場に到着したのが午後3時すぎという時刻では、チキンフライは最後の1個。それも、1串ではなく1ピース。すでにご飯もなくなってしまったと。
というわけで目標のひとつは達成できず。石川ダービーは、断然人気となったショウガタップリが危なげなく勝ってデビューから10連勝。吉原寛人騎手は今年7回目となった石川ダービーで4勝目とした。
さらに、吉原騎手は今年のダービーシリーズでは全8戦のうち5戦に騎乗し、高知のユメノホノオに続いて2勝目。コロナによる制限中は、騎手にとっても所属場以外での騎乗がかなり制限されていた。吉原騎手を全国の競馬場であたり前のように見るようになったことでも、3年にも及んだコロナの制限から開放され、日常が戻ってきたことを思わせた。