デビュー以来、ガールズケイリンとナショナルチームを両立してきた太田りゆ選手(埼玉112期)。東京オリンピックの延期が決まり3月からガールズケイリンに復帰。
7月にはいわき平競輪場で行われるガールズケイリンフェスティバルへ走ることが決まりました。久々にガールズケイリンを走った感触や今後の意気込みをお伺いしました。
山口:3月の久留米で約半年ぶりのガールズケイリンのレースでしたが、走った感覚はいかがでしたか?
太田:3月の世界選手権の後は、ほとんど練習ができない状態で久留米のレースに入ったんですが、まずは優勝できて良かったです。
ずっと何年も東京オリンピックのためにナショナルチームと両立をしてきましたが、3月までの私の国際大会の成績では、代表選手に選ばれるのは難しいなと自分ではなんとなくわかっていました。なので気持ちは落ちており、うまく立て直せない状態でのレース参加だったんです。メンタル面で落ちていたので気持ちのコントロールが難しかったですが、寛子さん(石井寛子選手・東京104期)を相手に優勝できたのは大きな自信になりました。「もう一度がんばろう」と前向きになれました。
山口:決勝では先行した南円佳選手(鹿児島116期)の後ろという好位置でしたね。
太田:あの位置を取れてしかも優勝ができたのは、とても価値があるレースでした。
世界選手権が終わりオリンピック代表選手に選ばれないと思った段階で、ガールズケイリンの斡旋を入れて欲しいとお願いしていたんです。日本でのレース経験が浅いし、勝負所での詰めが甘くレーステクニックも欠けていると思ったので、もっと走りたかったからです。
私はデビューをしてからすぐにナショナルチームをメインにしており、ガールズケイリンのレースには、選出されたビッグレースやその前後の開催を中心に、わずかなレースしか走っていませんでした。1着を目指すレースを心掛けていても、どうしても「競技に支障が出るから怪我をしてはいけない」と思っていた部分が、振り返るとあります。
なので、位置を厳しく取りにいくような攻めた走りなど、やりたいこともなかなかできずにいたんです。どうしても自分のスピードだけを頼るレースになっていました。
久留米の決勝で寛子さんと走った時もそうですし、その後の玉野でもいろんなパターンの攻めができたと思います。
山口:確かに3月からの太田選手の走りは今までのイメージとは違いますね。位置を取りに行く動きなどもありましたね。
太田:そうですね。たぶん積極的に位置を取りに行く動きを見せたのは、ガールズケイリンでは初めてだったと思います。ただ競技では位置取りを重視してレースを組み立てることが得意なんですよ。なので最近になってレーススタイルが変わったのではなく、「自分らしいレース」になった、という感じです。
山口:競技の経験がガールズケイリンに活かされていますね。
太田:はい。競技は「勝つために何でもやる」という精神でやっていたので、その思いを、最近のガールズケイリンのレースでは実践できています。自分らしく走れていると思います。
山口:位置取り以外にも、国際大会での競技経験がガールズケイリンに活かされるのはどういう部分でしょうか?
太田:ルールが違う所が多いので、どこがどう活かされるかというのは答えるのが難しいです。コースもガールズケイリンはあらかじめ車番が決まっていますが、国際大会でのレースは抽選でコースが決まります。
他にも、「重注(重大走行注意)」などガールズケイリンにはありますが、競技ではその違反をした段階で即「着なし」になります。なので全く違うものとして走っています。
山口:はっきり切り替えて走っているんですね。
太田:はい。今はガールズケイリンに気持ちを切り替えて走っていますし、競技がメインになる時はそちらに切り替えて。両方うまくできるように心掛けています。
山口:先日オリンピック代表選手が内定し、太田選手はリザーブ(補欠)と拝見しました。今後は練習環境などは変わるんですか?
太田:特に今までと変わりはありません。もし万が一、小林優香選手(福岡106期)に何かアクシデントがあった場合や、今の世界情勢の問題、新型コロナウイルスの影響で日本よりポイント上位の国がオリンピックに参加できなくなった場合は、スプリントランキング8位の日本のリザーブが一番最初に繰り上がるんです(7位までがオリンピックに出られるルールのため繰り上がりの一番手にいるのは日本)。
今回のルールでは、スプリントとケイリンのどちらかのランキングで上位ならば、同じ人が2種目出られることになっているので、優香ちゃんと私、二人での出場もあり得ます。
もしものことがあるかもしれないので、私は出るつもりで今も変わらずトレーニングを重ねています。
山口:東京の次、パリオリンピックも目指してナショナルチームでは引き続き練習されるんですか?
太田:はい。SNSでも表明したんですが次のパリを目指します。自転車を始めてからまだ3年なんですが、200mを10秒台で走れるくらいタイムも縮められました。東京オリンピックでは補欠ですが、パリを見据えてこれからもナショナルチームでも頑張りたいですし、ガールズケイリンでもたくさん走ってレースの経験を積みたいです。強くなってガールズケイリンでも競技でも結果を出したいですね。
山口:斡旋が、今のところ7月いわき平でのガールズケイリンフェスティバルが入っていますが、今後もコンスタントに走っていくんですか?
太田:今のところは月に一度はガールズケイリンを走れるように、斡旋をお願いしています。オリンピックが近付いてきたらまた走らないかもしれませんが、今のところはそのようなスケジュールですね。
山口:練習環境もまだ伊豆のままですか?
太田:はい、特に変わりなく伊豆で練習しています。
山口:今のガールズケイリンの目標は何ですか?
太田:もちろんガールズケイリンフェスティバルの優勝も目標です!もう一つ、まだ結果がわからないのですが、もし選出されていればオールスター競輪でのガールズドリームレース、アルテミス賞レースを頑張りたいです。
もともと8月に開催予定だったオリンピックが延期になったので私が選ばれない場合もあり、その時は仕方ないですけど(苦笑)。いずれにしても8月のレースは良いレースをできたら良いなと思います。
山口:ガールズケイリンフェスティバルのメンバーは動けるタイプの選手が多いですが、どんなレースをしたいですか?
太田:先ほども話したように、自分で位置を取りに行くレースも今までやらなかっただけでできるので、そういう攻めたレースをしたいです。
自分ではタテ脚よりも自在に戦うタイプだと思っているので、強い選手をマークしたり何でもやっていきたいですね。今までだったら後方で捲りに構えるレースが基本でしたが、「太田りゆはそれだけじゃないよ」というのをお客様には知っていただけると良いですね。
山口:久留米や玉野で一緒に走った他のガールズ選手には「自在なレースもするんだね」など、聞かれましたか?
太田:はい。久留米2走目に前を取りに行ったんですが、その時に「(太田選手が)前を取るのは予想外。データになかったからどんな組み立てをするのかわからずに難しかった」と言われました。
玉野の決勝では同期の梅川風子選手(東京112期)の後ろをマークしながら追い込むレースをしてみました。他のガールズ選手からしたら「何ができるのか、どんな動きを作戦として持っているのか」が未知だと思います。
山口:そうですよね。今まで見てきた太田選手のレースとは違う動きを実際のレースでされるんですもんね。
太田:はい。なので、その自在性をいかせるように走りたいです。
山口:今の強化ポイントは何ですか?
太田:スピードや瞬発力はナショナルチームでかなりトレーニングを積んでいると思います。なのでガールズケイリンを走っていないからこそ経験が浅い、レースの展開や位置取りの強化をしていきたいです。それは後々、競技にも活きてくると思うんです。
山口:ガールズケイリンフェスティバルが行われるいわき平競輪場の印象はいかがでしょうか?
太田:今まで2回走っていて思うのは、特に走りにくくはなかったです。3月は体調面で万全ではなかった開催なので印象は良くないですが、バンク自体のイメージは悪くないと思います。
2018年8月・アルテミス賞レースで走った時は、ハワイアンの雰囲気がとても良くて素敵だなと思いました(笑)。お客さんが入るかどうかはまだ未定ですが、お客さんがたくさん内側から声援を送ってくださると嬉しいし力になりますよね。
山口:競技では室内のバンクが中心と伺いましたが、外のバンクはいかがですか?
太田:室内との違いなど違和感があるかもしれないと、皆さん思われるみたいですが、外での練習もかなりしているので問題ないです。海外合宿などは外のバンクで猛烈な風の中で練習をしたりもあります。あまりガールズケイリンのレースで風の抵抗や強風で大変だったことはないですね。
山口:ありがとうございます。では最後にオッズパーク会員の方へガールズケイリンフェスティバルへ向けての意気込みをお願いします。
太田:東京オリンピックの代表選考では補欠ということが決まり、たくさんの方が私の気持ちが折れてしまったんじゃないかと心配をしてくださいました。
でも自分自身ではかなり良い形で前進していると思うので、これからも良い競走を心掛けたいです。新たな気持ちで太田りゆは頑張っているんだ、と見てもらえて、応援していただけたら嬉しいです。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
ガールズケイリン1期生としてデビュー後、先行にこだわってトップで戦い続けていた加瀬加奈子選手(新潟102期)。2018年7月には産休に入り、約1年後の2019年7月にガールズケイリンに復帰。更に同年11月には出産後、初の優勝を手にしました。
優勝者を優先して選ばれる7月のいわき平競輪場での『ガールズケイリンフェスティバル』には約3年ぶりのビッグレース選出です。産休から復帰しての近況やガールズケイリンフェスティバルへ向けての意気込みをお伺いしました。
山口:産休から約1年での復帰でしたが、その前後での違いは何か感じますか?
加瀬:ガールズケイリンに関しては肝が据わりましたね。出産の痛みに比べると他の痛みや緊張、プレッシャーなどは何ともないなと思うようになりました。他のガールズ選手など、レース前になると「緊張しているな」というのはわかるんですが、私はそれがなくなりました。
山口:以前は「人気に応えなければ」や「勝たなければ」などプレッシャーは感じていたんですか。
加瀬:ありましたね。競輪学校(現・養成所)の時は、レース前に他の子同様に私も何度も何度もトイレに行っていたんです。そういうのがなくなりました。
山口:緊張がなくなるくらいの経験が、出産なんですね。
加瀬:出産が本当に痛すぎて、他のことがどうでも良くなるなと。やっぱりそれまでは人並みにオッズでプレッシャーを感じたり、お客さんの声、特に厳しい声には過剰に反応したりしましたが、それも過剰には気にならなくなりました。
前は「勝たなければいけない、勝つためにはどうしたら良いか」そういうことばかりを常に考えていたので、今はそれを考える余裕もなく育児をしなければならないですし、家族のこともあります。
だから逆にレースを走るのが純粋に楽しいです!仕事として楽しんでできていますね。
山口:そうですか!そんな変化もあるんですね。
加瀬:独身だった時は100%ガールズケイリンに集中していたんです。レース、トレーニング、体のケア、その他、すべて全力で取り組んで常に「勝つためにどうしたらいいか」を考えていました。そんなに集中していたので、負けた時は「あとは何を強化したら良いんだろう、何が足りないんだろう。サプリとかプロテインとかもっと良いものがあるんだろうか」と突き詰め過ぎていたように思えます。
今は育児をしているので、体のケアを全くせずにレースに行くこともあり、旦那や母が娘を面倒みられない時、保育園を休まないといけない時は練習もできない。練習量は実際に半減していますからね。「こんな状態ではトップ選手たちに勝てる訳がないだろうな」と思って走っています。
山口:では楽しめて走れているのが、優勝などにも繋がっているんでしょうか。
加瀬:いや、そうではないです。練習量が減っても優勝が出来た開催は、全部【裏開催】(インタビュアー注:ビッグレースの付近で開催されるレースのこと。ビッグレース参加メンバーは走らない)なんです。開催に行った先でオッズパーク杯ガールズグランプリやグランプリトライアルレース、ガールズケイリンコレクションなどを宿舎のテレビで見ていました。
強い選手たちがいないから私が優勝できたんでしょうね。だからガールズケイリンフェスティバルへ選出されたのも「裏開催を優勝したから出られた人」です。
山口:優勝なのはどの開催も変わらないと思いますが・・・。ご自身ではそう思っているんですね。では次のガールズケイリンフェスティバルが勝負なんですか?
加瀬:そうでもないですね。ビッグレースだから育児の時間を削って練習する!という訳にはいかないですし、トレーニング量を増やしたり、ケアをしっかりするために栄養を取って休養、などもできないです。
今まで通りの状態で入りますから、もし優勝できたらラッキーと思っています。もちろん全力で走るのは変わりません。
山口:復帰後に初めて優勝した2019年11月の向日町は、決勝逃げ切りでしたけど、そこはどう感じたんですか?
加瀬:正直に言うと、自分のレースが終わったら真っ先に帰りたかったです。今は無観客なので表彰式などもありませんが、11月は男子の最終レースが終わった後にバンク内で表彰式がありました。それを待っている時間すらももどかしく、すぐに帰って娘の顔を見たかったです。優勝の嬉しさよりもそちらが先に思い浮かびました。
0歳児を実家にあずけてレースに参加している身としては、いくら実母が面倒を見てくれていると言っても心配が大きかったです。
産休、育休が合わせて1年程だったんですが、そんなに早く復帰できたのも、家族と「レースが終わったらすぐに帰宅する」という約束をしたからなんです。
なので、前検日当日に行くと間に合わず前の日の夜に宿泊しての参加、最終の飛行機や新幹線では帰宅ができないようなミッドナイトの開催などは欠場を出していました。
山口:そうだったんですね。
加瀬:はい。例えば佐世保のミッドナイトなどは私の住んでいる新潟にはレースが終わってその日に帰れません。走りたいのはやまやまですが欠場しました。
家族も「後泊してのんびりしてるくらいなら娘の面倒をみなさいよ」という雰囲気だったんです。当然ですよね。母親ですから。それを約束に早くレースを走れるよう復帰したんです。
山口:加瀬選手が復帰されると聞いた時に、約1年で復帰は早いと思ったんですが、ご家族の協力とお約束があったからなんですね。
加瀬:それもあるし、私自身の年齢も考えて早めの復帰でした。娘を産んだのが38歳の時で、2年後3年後の40歳、41歳で復帰すると考えたら「そんなにレースから離れていて、ちゃんと戻れるか?」と不安でした。
例えば私が、今産休をとっている元砂(元砂七夕美選手・奈良108期)の年齢ならゆっくり復帰をしても大丈夫だと思います。20代中盤ですから。
でも私はそうではなかった。毎年新人選手もどんどんデビューしてくる中、復帰が遅くなればなるほどしんどい。練習もしっかりして万全の状態で復帰できるように時期を待ったとしても、産休前まで体力やスピードが回復するとは言い切れないなと。早く戻ってレース感覚を取り戻すしかないと思ったんです。
山口:復帰するにしても、体力面では戻すのは大変だったのでは?
加瀬:いや・・・、かなり大変でしたね!最初は新潟同期・練習仲間の田中麻衣美や藤原亜衣里についていけないくらい弱かったです。先行しても簡単に捲られる。「私すごい弱くなっちゃった、こんな状態で本当に復帰できるかな」と不安でしたが、それだけ出産のダメージは大きかったんだとそこでも改めて感じました。
復帰して1年経つ今になってようやく体力や筋力も戻ってきて、先行して逃げ切れるくらいの状態です。
山口:体力の万全に戻らない中レースを走るのは本当に大変だったと思いますが、頑張れた原動力はなんですか?
加瀬:守るべきものができたからですね。家で待ってる人がいると思うと頑張れました。
山口:それを聞いて思い出したのが、デビュー当時の森美紀さん(102期・引退)。「息子の学費を稼ぐために頑張る」と仰っていたのがとても印象に残っているんですが、そんな心境なんでしょうか。
加瀬:あそこまで具体的ではないですけど、気持ちは一緒ですね(笑)。
例えば娘が大きくなって「ピアノがやりたい」「自転車がやりたい」と言った時、「ピアノや自転車はお金がかかるから、やらせてあげられない」とは言いたくないです。
やらせてあげたいと思うからある程度の収入はないとだめだなと思います。
私自身もそうしてもらったから余計そう思うんでしょうね。私が行った高校は中越高校というスポーツが盛んな学校で、更に大学も順天堂大学というどちらも私立の学校でした。
自分の夢が決まってくるとお金がかかる部分はどうしても出てきます。その時に応援してあげられるようにも稼がないとと思うし、強い母親でいたいです。
山口:今の最大のモチベーションは娘さんなんですね。
加瀬:はい。娘が中心ですが、家族も私がレースに行っている時は見てくれるので、その分も頑張りたいです。
家族にとっては私が無事に帰ることが一番だと思うので、怪我をしないようには気を付けてレースをしています。それこそ風をきって先行をするのが一番前でレースができるので怪我のリスクは少ないですしね。
山口:確かに。そうなると先行が一番ですよね。
加瀬:メンバー次第ではありますけど、ごちゃつきそうな展開なら自分が先頭をきってレースを動かすようにはしています。
山口:6月初旬の福井も、まさに3日間先行でしたね。
加瀬:そうですね。決勝は、私の理想としては柳原(柳原真緒選手・福井114期)と先行勝負をしたかったんですが、彼女も地元で優勝が欲しかったんでしょう。
「40歳の私を先行させて、若いのが捲るのか」と思いましたけど(笑)、でもそれを言う間もなく、レース後はすぐに帰路につきました。
山口:ガールズケイリンフェスティバルがあるいわき平は5月末に走っていますが、感じはどうでしたか?
加瀬:みんな強かった、という印象だけでした(笑)。直線も長いと言われますが、地元の弥彦も直線が長いので気にならないです。
山口:メンバーはいかがでしょうか。
加瀬:みんな私の上をいく選手ばかりです。背中を見てしがみついていきたいです。
山口:ガールズ1期生(102期)としては小林莉子選手(東京)と2人だけですね。
加瀬:そうですね。本当なら中川諒子(熊本)とかも強いけど怪我をしていて、つい先日復帰したばかりです。彼女とはガールズケイリンが始まる時に一緒に新潟のクラブスピリッツで練習をしていたから、強さも知っています。
中村由香里(東京)とかも同年代で強いから、本当は一緒に走れたら良いんですけど、「裏開催を優勝した私が出て、彼女たちが出られないんだ」とは思いますが、でも莉子もいるし頑張りたいですね。
ただ莉子は若いんで(笑)。1期生だけど10歳以上違うから同期な感じはあんまりしないです(笑)。
山口:お客様のご声援が今は無い状態ですが、いかがですか?
加瀬:もの寂しいのはありますね。ただ出産後はあまり声援も聞こえない、リラックスして集中できているのでそこまで気にはならないです。
私は40歳だし、ずっと「男道」をコンセプトに男勝りでやってきました。アイドル的な「●●ちゃん、かわいい!頑張って!」という声援は当初からないし、きっとこれからもないでしょう。
ただ車券を買って握りしめて「加瀬は先行で頑張ってくれるんだよな」とつぶやく、期待してくれるお客さんが一人でもいてくれたらありがたいし、そういうお客さんに評価されれば良いなと思っています。
山口:今の目標は何ですか?
加瀬:新潟の選手に恩返しをしたいです。それには勝つことが一番だと思うんです。
私は妊娠中にも競輪場にパワーマックスやワットバイク(自転車型の練習機械)に乗りに行っていたんです。男女問わず他の選手はレースを走っていて、私は産休中。なのに「妊娠中でレースを休んでいる加瀬が練習にくるな、邪魔なんだよ」という選手は一人もいませんでした。そう思ってもおかしくないのに。むしろ「先に乗っていいよ」と譲ってくれたりしました。
支部長の川村昭弘さん(新潟81期)も「練習に来るのは良いけど、一人ではするなよ」と心配してくれました。亜衣里や麻衣美も「今日は休もうと思っていたけど加瀬ちゃんが行くなら、仕方ないな、付き合うよ」と一人にはしないように、何かあった時のために一緒にいてくれました。大事に思ってくれているのを感じたんです。
山口:そうですか。きっと皆さん、出産してもすぐに加瀬選手が復帰すると思っていたんでしょうね。
加瀬:そうだと思います。諸橋さん(諸橋愛選手・新潟79期)も同門なんですが、復帰してすぐの時、私は軽い練習だけで帰っていたんです。それでも「できることからゆっくりやっていけば良いよ」とたくさんアドバイスをくれました。見捨てないでみんなが大切にしてくれたのが本当に嬉しかったんです。
ようやく産休前まで戻ってきた感じがあるので、グランプリを走れるくらいまでいけたら一番良いですけど、そこには届かないにしても大きいステージで勝つのが一番だし、そこで「ここまで戻ってこられたのも新潟のみんなのお蔭です」とお礼を言いたいです。
山口:とても素敵な目標です!私事ですが、妹が出産を経験しているので大変なのを見てきました。普通の人でも大変なのにそれをガールズケイリンの選手が出産して復帰してレースでも勝って、というのは本当に凄いと思います。
加瀬:本当ですね。自分でもそう思います(笑)。町中で細くて若い女性が、子供を3人連れているのを見ると「凄い、あんなに出産は大変なのに3人も産んだんだ!」と尊敬します。
山口:そうですね。感じ方が違いますね(笑)。今回は貴重なお話ありがとうございました。では最後にオッズパーク会員の方へメッセージをお願いします。
加瀬:力を出し切るレースでデビュー以来ずっと走ってきたので、この先もそういうレースを見せていきたいです。それで代謝になったら弱かっただけ、仕方ないと思えるし、今後もそういうレースしかできないです。それでも良いよと見てくれる方はいるので、応援してください。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
3月に、福井競輪場のウィナーズカップ最終日に行われた『ガールズケイリンコレクション2020・福井ステージ』を優勝した児玉碧衣選手(福岡108期)。
その時の振り返りと、今後への意気込み、そして現在の練習状況や目標などをお伺いしました。
(このインタビューは4月19日に取材したものです。)
山口:『ガールズケイリンコレクション2020・福井ステージ』優勝おめでとうございます。
児玉:ありがとうございます。
山口:前検日はどのような気持ちで入りましたか?
児玉:1月にガールズケイリンコレクショントライアルレースで負けてしまい、5月のコレクションには出られないのがわかっていましたし、入る前までの賞金ランキングでも下の方だったので、年末のオッズパーク杯ガールズグランプリに出るには今のままだと厳しい状態でした。
「この3月のコレクションを優勝しないとグランプリは難しい、優勝しないといけない、絶対優勝したい」という強い気持ちがありましたね。
山口:私も現地でインタビュアーをしていて、走る前の特別選手紹介の時にも「優勝しないと」ということを仰っていました。また優勝後も5月のガールズケイリンコレクションが出られないということを仰っていましたが、そこは強く意識されていたんですね。
児玉:はい、そうですね。今年はここまで、賞金争いが去年よりも熾烈だと思います。このコレクションを走る前の段階で、私の成績は岐阜のトライアルレース決勝で7着を1回、後はすべて1着で完全優勝も何度もしていたけど、賞金ランキングトップの選手とはかなり差がひらいていました。
それに加えて5月のコレクションが出られないので精神的にも辛く、自分の中で「どうしよう、今のままじゃ厳しい」という状態でした。でもその気持ちでレースを走りたくなかったのでここで優勝するぞという強い気持ちをもっていましたね。
2020年前半で、ある程度賞金ランキングで上位にいられたら、後半はガールズグランプリに向けて集中したり、少し余裕を持てると思いますし、後半になって賞金ランキングの差が詰まってきた場合でも、コレクションを1本優勝していれば精神的にも楽になると去年感じました。
そういう1年を通して総合的な面、後は5月が出られないなら尚更、今回のコレクションは優勝したい気持ちが強かったです。
山口:プレッシャーもあったと思いますが、それを「自分に言い聞かせているのかな」と感じたんですがどうですか?
児玉:めちゃくちゃ自分に言い聞かせていましたね(笑)。もうこれ優勝しないと今年はグランプリ出られないぞ、と言い聞かせていました。
山口:焦らず走れましたか?
児玉:福井に向けてものすごく練習をしたんです。それでしっかり自信をつけて前検日に入りました。普段は、前検日はあまり緊張しないんですが、さっきも言った「ここで優勝したらグランプリ出場が厳しくなる」という自分へのプレッシャーもあったので、今回の前検日はかなり緊張していました。
緊張しすぎると体が硬くなって消極的になってしまい、本来の力が発揮できなくなることが以前は多かったのでレース直前には「負けたら負けたで仕方ない。自分の力を発揮して最大限やろう」と気持ちを切り替えて臨めました。
山口:レースを振り返ります。梅川風子選手(東京112期)が正攻法からそのまま先行体制になりましたが、展開はどう想定していましたか?
児玉:今回のコレクションを走る選手で、直前に調子を上げていたのは梅川さんだと思っていて、実は注目をしていました。上がりタイムも良かったですし。だから、得意パターンの捲りでくるかなと思っていたので、まず前を取るのが想定外でしたね。
全員のあの位置だと梅川さんが逃がされる形になりそうだと思い、その時点で梅川さんの事は捲りきれると思ったので、他の選手の動きに注意を向けました。
もし梅川選手が捲りだった時、私の捲りが合わされてしまう、もしくは内に詰まってしまうのが一番の負けパターンだと怖かったんです。でも梅川さんが先行になりそうで、そのパターンはなくなりました。
後は真備さん(高木真備選手・東京106期)が途中で車間あけてるな、くらいでかなり落ち着いて走れました。
山口:最終バックストレッチでは前とかなり遠かったように思いましたが、その辺りはいかがでしたか?
児玉:真備さんがかなり車間をあけていたのがわかったので、真備さんの仕掛けを待ってから私が仕掛けても良いかなとも思いましたが、仮にそれで負けた場合すごく後悔すると思うんです。それなら仮に負けたとしても、自分のタイミングで仕掛けていって負ける方がまだ後悔はしないなと覚悟して仕掛けました。
真備さんに捲り合わされてもがき合う、もしくは私の後ろに貴子さん(石井貴子選手・千葉106期)がいたので、どちらかとの勝負かなと思っていました。
あのタイミングで仕掛けたのが、結果として正解でしたね。
山口:例え負けたとしても、という覚悟は勇気が必要だったと思います。
児玉:そうですね。でも真備さんの車間が1車身や2車身ではなく、それ以上あいていたように思ったのでそれが怖かったんです。勇気を持って仕掛けてその踏み出したスピードがとても良かったので、それで最後まで自分を信じて踏みましたね。
山口:今お話を聞いて意外だったのが、展開として先行した梅川選手の2番手から尾崎睦選手(神奈川108期)が先捲りをしました。でも児玉選手は、尾崎選手より高木選手を注意していたんですね。
児玉:そうですね。私はさっきも言いましたが、車間があいているのが怖いんですよね。去年、荒牧さん(荒牧聖未選手・栃木102期)にそういう負け方を何度かしているんですよ。
車間あけて牽制をされ捲りが届かずに着外など、何度か経験をしてその記憶があるので恐怖感があるんだと思います。【車間のあけすぎ注意】みたいな...(苦笑)
山口:なるほど!今までの経験があったんですね。
児玉:はい、他の選手の仕掛けを待つんじゃなく自分から仕掛けようと思っていきました。
山口:優勝したことで、ご自身の中では一安心ありましたか?
児玉:優勝はもちろん嬉しいんですが、賞金ランキングでは実はあまり差がひらいていないんですよ。開催も中止になっている部分もあり、各選手の斡旋に差があるので仕方ないんですけどね。なので、まだ中盤頑張らないといけないです。
山口:今のモチベーションとしては何を目標にしていますか?
児玉:次のビッグレースが7月いわき平でのガールズケイリンフェスティバル(サマーナイトフェスティバル)なので、そこで優勝したいです。
今までのビッグレース、コレクションで、3月、5月、8月(ガールズドリームレース)、競輪祭でのグランプリトライアルレースは全部優勝しているんですが、唯一ガールズケイリンフェスティバルだけ優勝できていないんです。なので、今年こそ、という気持ちです。
山口:いわき平は初めてガールズケイリンコレクションを優勝したバンクですよね。
児玉:そうなんです。初めて大きい舞台を優勝できたのが2018年8月いわき平・オールスター競輪でのガールズドリームレースだったので、今年は私にとって良いバンクでガールズケイリンフェスティバルをやるなぁと思っていたんです。なので、そこでも優勝して賞金ランキングで上位にいき、余裕を持ってガールズグランプリを走れるようにしたいです。今走れるレースをしっかり勝って、賞金を上積みしていきたいです。
山口:今、新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から開催が全国的に中止になっています。練習はどのような状態ですか?
児玉:いつまでこのような状態が続くかもわからないので、やれることは限られていますがそれを頑張るしかないですね。室内でのトレーニングやその他でもできることを見つけてやっています。
山口:モチベーションの維持はどうしていますか?
児玉:競輪場によって開催をやる、やらない、の判断は難しいと思います。でも私は5月のコレクションに出られない分、走れるところはしっかりと優勝していきたいので、それをモチベーションにやっています。一本一本集中して頑張ります。今年全体を見てだと、先ほどのガールズケイリンフェスティバル優勝と、ガールズグランプリ3連覇を目標にしています。
山口:3連覇は年頭から意識しているんですか?
児玉:はい、しています。昨年のグランプリはあまりすっきりした終わり方ではなかったんです。アクシデントがあり私も審議の対象だったので、結果が出た時も「1着だ、連覇ができて嬉しい」よりも「失格じゃなくて良かった」というほっとした気持ちでした。なので、今年は「勝ったぞ!」という気持ちを味わいたいなと思うんです。
山口:なるほど、ありがとうございます。では最後にオッズパーク会員の方へメッセージをお願いします。
児玉:いつも応援ありがとうございます。今、大変な時期ですが自分のできることを精いっぱいして、走れる開催の時は精いっぱい走って優勝したいです。
またこの後、7月ガールズケイリンフェスティバルそしてガールズグランプリと続けて優勝、3連覇できるように頑張っていきます。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
2019年11月に行われた競輪祭でタイトルホルダーになった松浦悠士選手(広島98期) 2020年は競輪界の最高ランクとされるS級S班に属し、更にパワーアップしたレースを見せています。今年最初のGI、全日本選抜競輪では松浦選手とのタッグで清水裕友選手(山口105期)が優勝。そして次のGII、ウィナーズカップでは自身初となるGIIを制覇。「このまま全部勝ちたい」と話す松浦が選手に、ウィナーズカップの振り返りと次に迎える日本選手権競輪への意気込みを伺いました。
(このインタビューは4月14日に取材したものです。4月24日に日本選手権競輪は開催中止が発表されました。)
星野:ウィナーズカップ優勝おめでとうございます。
松浦:ありがとうございます。
星野:全日本選抜競輪の決勝戦でケガをされてから、復帰2場所目の開催で優勝でした。改めて振り返っていかがですか?
松浦:初日の感触は良かったんですが、ケガの影響もあってか日に日に疲れているような感覚がありました。1つ前に走った松山記念の時も同じだったんですが、松山は気温も暖かくバンクも軽かったので、コンディションに救われた所もありました。ですが、福井のウィナーズカップは気温も低くバンクも重かったので、その分影響が出たかなと思っています。決勝戦の時も結果は優勝出来ましたけど、自分の状態を考えるとラインに助けられました。
星野:普段の開催中の状態はどうなんですか?
松浦:普段は4日間、調子は変わらないんです。もし初日と2日目が悪かったとしても最終日までには修正して望めるんですが、復帰してから、初日が100%だとしたら、2日目は95%、3日目が90%といった感じでした。取材などで状態を聞かれると「問題ないです」と答えるレベルなんですけど、自分の中で自信に繋がらない微妙な感じでしたね。
星野:その中で優勝というのは松浦選手の普段からの力もありますし、先程もおっしゃっていましたが、ラインに助けられたということに繋がるんですね。
松浦:そうですね。清水のかかりも良かったですし、3番手の柏野さん(柏野智典選手・岡山88期)も横に動いてくれたからだと思います。高橋君(高橋晋也選手・福島115期)が追い込んで来る姿が見えた時は、横にも縦にも動く準備は出来ていたんですが、スピードが良かったので横に動いて牽制しても止まらないと思い、最後は縦に踏みました。
星野:この優勝で2020年のここまでのグレードレースは中国地区の選手が優勝していますね。
松浦:今、中国地区と四国地区は本当に雰囲気が良いんです。その雰囲気があったから今の自分があると思っています。決勝戦で連携した清水の背中も本当に頼もしかったですし、残りのグレードレースもなるべく多く中国・四国地区で獲ってGPに行きたいですね。
星野:松浦選手自身はラインの先頭の時と誰かに前を任せてのレースがあります。どのように使い分けているんですか?
松浦:これは清水に限らず他の選手もですが、メンバーを見て自分が前で戦いたいと思ったら、相手にそう話します。たとえ結果が良くなくても、前を任せる事を選んだのは自分なので納得できますよね。それに、前を走る選手に先行だけを求めているわけでもないですし、流れもあるのでレースの中で力をだしきってくれればそれでいいと思っています。
星野:どの位置を走っても、近況の松浦選手を見ていると、S級S班の重圧なんて言いますが、全く感じませんね。
松浦:そうですね。今まではやるべき事をちゃんとしてレースに臨んでいると言うこともあり、緊張せずに気軽に走っていました。だから、プレッシャーがかかるのは逆に良いのかもしれませんね。勝たないといけない思いも強くなりました。
星野:さて、5月には日本選手権競輪(通称 ダービー)がやってきます。そこに向けてはいかがですか?
松浦:状況が状況なので、開催があるのかどうか不安な所もあります。でも、それはみんな同じ条件だし、その中でいかに周りより早くスイッチを入れられるか、どれだけ開催に向けて状態をMAXに持っていけるかが大切になってくると思います。自分の場合は、「ここに向けて」というより、常に向上するためには、強くなるためにはどうすればいいかを考えているので、ダービーだからと言って特別何かをするって事はないですね。ただ、レースに行くときの気持ちは違います。記念競輪だと、どんなレースをしようとか、こんな勝ち方をしたいなっていうのがあるんです。ワクワクする感じですかね。ただ、ダービーやその他のGIとなると勝ち方はどうあれ、優勝したいという気持ちが強くなります。GIでもワクワク感を持って走れる位になればいいなと思いますけど。
星野:そのダービーにはナショナルチームも参加しますね。
松浦:今年はここまで清水君と特別競輪は制して来ているんですが、流れは変わってきそうですね。全日本選抜の決勝戦でも、僕たちのラインを簡単には出させないようにと、周りが対策を考えて来ていました。簡単にはレースが組み立てにくくなっています。難しいところですが、今のところ僕たちが有利に運んで来ているのでアドバンテージはあると思います。
星野:ウィナーズカップでは万全ではなかったとのお話でしたが、ダービーまでにご自身の状態はどうなりそうですか?
松浦:復帰戦を迎えるときに、ケガの影響がどう出るのだろうかとか、治るのだろうかという不安がありました。今も正直、完治していませんし、やりたいトレーニングも100%は出来ていません。早く治って欲しいと思う反面、この状態の中でやれることを考えている自分もいるので、ウィナーズカップの優勝は自信に繋がりましたね。まだ、日にちもありますし、今 出来る中でしっかりやって行こうと思っています。
星野:先日、SNSで拝見したんですが、開催前に必ず食べる物があるんですね。
松浦:そうなんです。2つあるんですが、1つはレースに行く前、必ず整体に行くので、その近くの「瓦そば」。そして、移動中の新幹線で「むさしのお弁当」を食べます。これがレース前のルーティーンになっていますね。お弁当ってあまり食べる機会がないじゃないですか。レースに向かう時のピリピリした気持ちを少しでもワクワクさせようといつも食べています。
星野:遠足に行くときのような感覚ですか?
松浦:近いものがあるかもしれませんね(笑)
星野:では、ダービーに向けてオッズパークの会員の皆さんへメッセージをお願いします。
松浦:開催が中止になったり無観客も続いていますが、画面越しでも、またSNSでも応援していただいている気持ちは伝わってきます。選手はみんな、大変な状況の中で走っています。声援がないのは寂しいですが、僕も画面越しに少しでも楽しんでいただけるように全力で走りますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 星野めぐみ(ほしのめぐみ)
大阪府出身。タレント、アナウンサー、競輪キャスターとして活躍中。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
久留米競輪場で開催された国際自転車トラック競技支援競輪(GIII)を優勝した菅田壱道選手(宮城91期)。2018年の大宮記念以来2年ぶりの記念制覇でした。自力選手としての思い、番手をまわるにあたっての課題、尊敬する先輩との絆をお話ししていただきました。
森松:国際自転車トラック競技支援競輪優勝おめでとうございます。
菅田:ありがとうございます。
森松:3回目の記念制覇、お気持ちはいかがでしたか?
菅田:3回目なのでそこまでめちゃくちゃ嬉しい!という気持ちまではなかったですけど、後輩のがんばりがあって獲れたので違う嬉しさがありました。
森松:一昨年の大宮以来2年ぶりとなりますが、ご自身ではこの期間はどう感じていますか?
菅田:記念の決勝には安定してのれていて、その中でチャンスがきたらという準備はしていたのでそんなに長くは感じなかったですね。
森松:ご家族から何か言葉はありましたか?
菅田:今年はGIを目標にしていて、この記念を獲れたことで「やれるぞ!」という第一歩になったので「良かったね」と言ってもらえました。
森松:昨年からの食事制限は今も続けているのですか?
菅田:はい。筋肉の質、血液の質を高めるために指導を受けながら続けています。
森松;奥様の協力あってこそ続けられることですね。
菅田:妻には家族の料理とは別で作ってもらっているので、本当に感謝しています。たまに隣で焼きそばとか食べているのを見たら「うまそうだなぁ」と思いますね(笑)
森松:我慢するのはしんどくはないですか?
菅田:我慢・・・というほどではないです。食事制限を始めてから体質が変わって調子が良くて、風邪もひかなくなりました。だからわざわざ元の食事に戻す必要はないかなと思っています。元々白米が好きなので米食べたい!と思う時はありますけどね(笑)
森松:それが今の好調さに表れているわけですね。改めて3日間を振り返っていただきたいのですが、開催中全て番手戦というのはいかがでしたか?
菅田:全部番手は初めてでした。初日は後輩の櫻井選手(宮城100期・櫻井正孝選手)がいたので番手かなとは思っていました。2日目は早坂先輩(宮城90期・早坂秀悟選手)と一緒だったので前でも後でもどちらでもと思っていたのですが話し合って番手になりました。決勝は櫻井選手といろんな話をしていたのに、いざレースになったら唯一話してなかった作戦だったので「あれ?」って(笑)でも良いタイミングで駆けてくれて良かったです。
森松:自力での優勝と、番手戦での優勝、気持ちの面で違うところはありましたか?
菅田:3日間番手をまわって、自力のほうが楽!と思いましたね。脚力面の話ではなくて番手は考えることが多いです。内を締める、外に持っていく、ゴールまで考えることが多くて疲れました(笑)自力同士並んでも、できないなりに番手の仕事はしようと思って臨んだので。
森松:先ほど作戦というお話がありましたが、菅田選手は自力の時は作戦を立てるほうですか?
菅田:自分はあまり立てないですね。レースの中でチャンスは何度も来ないので、それを逃さないようにしています。考えすぎると捉われてしまうので。
森松:番手として、今後の課題は見つかりましたか?
菅田:そうですね。佐藤選手(福島78期・佐藤慎太郎選手)にアドバイスをもらいました。あのタイミングの番手発進は仕方ないと言われましたが、まだ今後できることはあるんじゃないかとも思うのでそこはしっかりやっていきたいです。
森松:佐藤慎太郎選手のグランプリ制覇はどう見ていましたか?
菅田:去年の初めから佐藤選手は成績が良くて、もしかしたらグランプリいけるんじゃないのという話はしていたので、そこに貢献したいと思っていました。勉強のために佐藤選手のレースを見ているのですが、追走するだけではなくて、あのスピード域で外を差し込みながら追走しているすごい技術に驚かされます。番手の仕事もして、キレもあって、追い込みとして完成されているので本当にすごいです。
森松:菅田選手も2020年始まってから好調に見えますが、ご自身ではどうでしょう?
菅田:調子が良くても決勝に乗れない時もあれば、久留米のときのようにそんなに調子は良くないのにラインのおかげで勝てる時もある。だから常に調子は良いように保っておきたいですね。
森松:ラインがあるのは競輪の面白いところですね。菅田選手は何かしら位置を取って仕掛けるイメージがあるのですが、レースで意識していることがあれば教えてください。
菅田:自分は、先輩ができないことをする人が前をまわるべきという考えがあります。先輩ができることをするだけでは前をまわる意味がないと思います。
森松:それはなにかきっかけがあったのですか?
菅田:昔成績が低迷していた時に佐藤選手に「俺の後ろまわっていいよ」と言われたことがあって。「流れ込むだけなら俺が前行くよ、前まわるならちゃんと仕掛けろよ」っていう佐藤選手なりの喝だったんですね。奮い立ちましたね、いつもより早く仕掛けてやろう!って思いました。結果ブロックされて結果には繋がらなかったのですが、仕掛けることができたのは大きかったです。レース終わってから「だいぶ腹立ちましたけど、ありがとうございました」っていいました(笑)
森松:その佐藤選手と5月の日本選手権競輪で一緒に走ることになるかと思うのですが。
菅田:そうですね。ただ今この状況ではモチベーションを保つのが難しいのは正直なところです。みんなと集まって練習ができないもどかしさもあります。期間が開いたのでトレーニングできるはずが、なかなか状況的に難しい。ただ今日(インタビュー当日)バンクに行ったらたまたま阿部選手(宮城100期・阿部力也選手)がいて、一緒にもがきあいができたので良かったです。
森松:なんとか気持ちを高めていけるようにという感じですね。では最後にオッズパーク会員の方々にメッセージをお願いします。
菅田:毎年勝負の年と言ってるような気もしますが、今年はグレードレースで結果を残すことを目標としています。昨年佐藤選手や新田選手(福島90期・新田祐大選手)がグランプリを走っているのを自宅のテレビで見ていました。佐藤選手が優勝した嬉しさはもちろんありましたが、自分がそこにいなかった悔しさがあるので、今年は気持ちを高めて頑張っていきたいと思います。
森松:これからのレースを楽しみにしています。ありがとうございました。
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※インタビュー / 森松さやか
大阪府出身。岸和田競輪初心者ガイダンスコーナーアシスタント、競輪キャスターとして活躍中。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社