今年最初のGI、全日本選抜競輪を制した87期の平原康多(ひらはら こうた)選手(埼玉)。激戦となったレースを振り返っていただきました。
赤見:全日本選抜優勝、おめでとうございます。
平原:ありがとうございます。GIを目標に常にやっているので、とにかく嬉しいです。武田(豊樹)さんが後ろだったし、関東地区の大会だったので、すごく責任を持って走りました。
赤見:具体的にレースを振り返っていただきたいのですが、インの2番手からの位置取りになりました。イメージ通りだったんですか?
平原:レース前は何パターンか考えていて、速くなった時にどこまで引くかとかシミュレーションしていたんですけど、やっぱり相手が稲垣(裕之)さんでしたし、何度も何度も追い上げて来て、番手を取るまでに時間が掛かってしまいました。それで新田(祐大)くんがまくるタイミングになってしまって、自分が発進するのが少し遅れてしまったので、「やばい、やばい」ってずっと思っていました(苦笑)。
赤見:焦っているようには全然見えなかったですけど。
平原:焦るというか、余裕を持ってレースをしたことはないですよ。この時も自分が踏む前に新田くんに行かれてしまったので、「ちょっとやばいな」と思いました。自分としては、取り切ったらすぐ行く、ラインでなんとかするっていう風に作戦を立てていたので、踏み込んではいたので何とか追いつけましたけど。競輪の競走は想像していないことが起こるので難しいですね。
赤見:それでもきっちり差し切りました。
平原:そこは力以上の物が出たんじゃないですかね。ゴール後は自然にガッツポーズしていたんですけど、まさか自分が獲れるとはそこまで意識していなくて、とにかく自分の役割をしっかり果たしたいと思って必死だったので、その中で勝てて嬉しかったです。
赤見:しかもラインを組んだ武田選手とワンツーでした。
平原:2日目3日目は武田さんが1着でワンツー、という形だったんですけど、決勝戦では自分が勝つことができました。武田選手とワンツーというのは、何度やっても嬉しいですね。 ただ今回は、ラインで3着まで取り込むことができなかったので、その辺は諸橋(愛)さんだったり、神山(拓弥)くんであったり、申し訳ない気持ちもありますけど。
赤見:競輪にはそのラインの面白さがありますよね。
平原:結局は個人勝負なんですけど、やっぱりラインがあってレースのプロセスがあるので、責任を持って各々が走っていますから。その中での勝負ということで、独特の面白さがありますよね。
赤見:ラインを組むことが多い選手とは、普段から信頼関係を築いているんですか?
平原:そうですね。武田さんとはプライベートでも何度もお酒を酌み交わして、競輪の話をよくするし、どういう想いでっていうのをお互いにわかってやっているので、だからレースで意思疎通もすごくしっかりできていると思います。ただやっぱり、レースはもう思ったようにはならないので、集中力だったり経験だったり、いろんな要素があると思います。作戦は何パターンか考えますけど、それでもまず考えた通りにはならないですよね。
赤見:今年は早々にGIを勝って、年末のグランプリの権利を獲得しました。
平原:それね、すごくよく言われるんですけど、自分の一番の目標がグランプリではなく日本選手権競輪なので、しっかり日本選手権競輪を獲る、獲りたいっていうのが自分が選手になった時からの一番の目標なんですよ。やっぱり日本選手権競輪は特別感がありますね。一番の目標はグランプリという選手も多いですし、賞金面で見ればグランプリなんですけど、自分はなんか日本選手権競輪かなって思います。
赤見:好スタートを切った今年とは対照的に、去年は厳しい年だったと仰っていましたが、振り返っていただけますか?
平原:試行錯誤したことが、裏目裏目に出たんですよね。いろいろ試していい風に出ることもあるんですけど、去年やったことはその時は本当に上手くいかなかった。一つじゃなくていろいろやったんですけど。今となればすごくいい経験になったし、今に活きていると思います。ただ、落車も多かったですし、大ケガはなかったですけど、悪循環になってしまいました。いろいろなことが重なってまったく結果に結びつかなかったですね。特に前半から中盤にかけては。
赤見:どうモチベーションを保ったんですか?
平原:そういう経験は初めてではなかったので、体がボロボロでも「諦めない」って気持ちがしっかりしていれば、何度でも這い上がれるって思いながらやってます。
赤見:心が折れそうにはならないですか?
平原:さすがにありますけどね(苦笑)。根本が、競輪や自転車が好きなので、やっぱり楽しいって気持ちがなくならない限り、大丈夫だなって思います。
赤見:長年トップ選手として活躍し続ける秘訣は何ですか?
平原:自分ではトップ選手とは思っていないです。自分でトップって思った瞬間、成長が止まって選手として終わるなって思うので。常に挑戦していきたいですし、どんどん成長していきたいです。自分は常にまだまだと思っています。
赤見:平原選手は高校時代に世界戦に出場するほど自転車競技で活躍し、競輪に舞台を移してからもデビュー戦を勝ってすぐに頭角を現しました。とても順調に見えますが、ご自身ではいかがですか?
平原:世界戦はいっただけという感じでした。「自分、めちゃくちゃ弱っちいな」と思って帰って来ただけで。競輪でデビューしてからも、初勝利はすぐ挙げられましたけど、簡単に壁にぶち当たりましたから。デビューから三、四年後くらいに、普通に壁にぶち当たって、そこから上には行けないなって思いましたね。
赤見:壁というのは?
平原:もう本当に上位の選手が強くてどうしようもないなと。自分がいくら努力しても強いなって感じました。自分自身で限界みたいなのを感じていたんですけど、ふるさとダービーを獲った年くらい(2006年)から変わって来ました。その何か月か前から、東京の後閑信一選手にいろいろ教わったんです。今でも可愛がってもらっているんですけど、それがきっかけになって自分の限界を破れたというか、ものの見方が変わりました。
赤見:どんなことを教わったんですか?
平原:すべてですね。もちろん自転車のことをまず教わったんですけど、後閑選手は人間的に本当に素晴らしい方で、人としても学ぶことあって。自分はいろんな面で未熟だなと感じることができて、その辺からいろいろ変わることができましたね。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
平原:日本選手権競輪を目指して選手をやっていますので、5月の日本選手権競輪をしっかり狙っていきたいです。今年だけではなく、優勝することを目標にやっていきます。まだ今年始まったばっかりですし、一つでも多くGIの優勝戦線に絡んでいけるよう努力します。
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※インタビュー / 赤見千尋
ガールズケイリンの初年度世代である、102期の荒牧聖未(あらまき さとみ)選手(栃木)。2015年に負った大きなケガを乗り越えて、再び輝きを取り戻しました。3月20日のガールズケイリンコレクション高松ステージへ向けて意気込みをお聞きしました。
赤見:競輪選手を目指したきっかけはお父様(荒牧友一選手)の影響が大きかったんですか?
荒牧:そうですね。そこは大きかったと思います。(競技用の)自転車に乗ったことはなかったですけど、小さい頃から父の姿をテレビで見て応援していたので、競輪は身近な存在でした。わたしは小学生の頃からアイスホッケーをやっていて、ずっと真剣に打ち込んで来たんですけど、大学時代に自分の中で完結してしまって。それでアイスホッケーを辞めたんですけど、特に何をするって決めていなくて二、三か月何もしていない時期があったんです。ちょうどその時に新聞で『ガールズケイリン復活』という記事を見て、「これだ!!」って思って。それまでは競輪選手になるなんてまったく思っていなかったんですけど、スイッチが入ったみたいに迷いはなかったですね。でも父は大反対だったんですよ。大変さや過酷さを身を持って知ってますから。母がすごく応援してくれて、どうにか父を説得して。許してくれてからは、父が自転車を用意してくれました。
赤見:自転車に乗ってみていかがでしたか?
荒牧:最初に競輪場を回った時には怖さもありましたけど、「これは面白い!」って思いました。アイスホッケーは団体競技でチームプレーが大事なんですけど、競輪は個人競技で、自分がやった分が直に結果に繋がるというところが面白いと思いました。
赤見:競輪学校ではガールズケイリン復活初年度の生徒ということで、先生方も手探りだったみたいですね。
荒牧:それはあったと思います。想い出はたくさんありますが、すごく大変だったのでもう戻りたくないですね(笑)。時間時間ですべてが決められていることがキツかったですし肉体的にも大変で...。でも、やったことないことばかりだったので、新鮮な気持ちで過ごすことができました。
赤見:そしてデビュー戦ですけれども、2012年7月1日の平塚で、3着という結果でした。
荒牧:お客さんの前で走るということで、相当緊張しました。たくさん声援をいただいて嬉しかったですし、お金を賭けて下さっているということを実感しましたね。初勝利は8月の京王閣だったんですけど、もう本当にものすごく嬉しかったです!勝てたこともですし、思った通りのレースができたことが嬉しかったです。
赤見:デビューから順調に勝ち星を重ね、ガールズケイリンを引っ張って来たわけですが、2015年8月に右肩脱臼という大ケガを負ってしまいました。
荒牧:あれは相当大きなできごとでした。もうとにかく痛さがすごくて...。これが本当に治るのかな?って思いましたし、ちゃんと復帰できるか不安で相当落ち込みました。まずはしっかりと治すことを第一に、そこから練習を始めていこうという風に考えて。この時は2ヵ月で復帰できたんですけど、その後も落車が続いたんですよ。せっかくがんばって復帰できたのに、またすぐケガをしてしまって...。かなり落ち込みましたね。心が折れそうになる瞬間もありましたけど、家族やファンの方の応援が支えになって、「また絶対に戻るぞ」と思い続けられました。
赤見:2016年の2月に再び復帰を果たすわけですが、この時はなんと完全優勝で復帰戦を飾りました!
荒牧:初日は久々に緊張しました。しっかりケガを治してからしっかり乗り込んで来たので、結果が出せて本当によかったです。復帰できたこと、勝利できたことも嬉しかったですし、その上完全優勝までできたので本当に嬉しかったですね。
赤見:さらに2016年の夏には、12連勝を飾って4場所連続の完全優勝を果たしました。これは相当インパクトがありました!
荒牧:あの時は気持ちの面も体の面も、すべてが噛み合ったんですよ。自分自身で自信もありましたし。年明けの玉野(1月2日~4日)で完全優勝をすることができて、去年からすごくいい状態をキープできています。
赤見:3月20日に行われる、ガールズケイリンコレクション高松ステージへの出場も決まりました。
荒牧:出場するからには結果を出したいです!もちろん目の前のレース一つ一つ大事ですけど、大きなレースへの出場が決まるとモチベーションも上がりますし、改めて「がんばろう!」という気持ちが強くなりますね。思いっきり攻めのレースをして、しっかり力を出し切りたいと思います。
赤見:荒牧選手は102期ですけれども、現在は110期までデビューしました。選手が増えたことでレースの流れなど変わって来ましたか?
荒牧:最初の頃から比べるとだいぶ変わりましたね。スピードも上がってますし、途中から動くことも増えました。選手の層が厚くなってレースは難しくなりましたけど、その分面白さも増しています。トップスピードの中でみんなで競い合うのは本当に面白いですね。現状自分の課題は、トップスピードの維持と、切れを良くすること、レースの流れをもっとうまく読むことです。そこを改善できるよう毎日の練習でしっかり乗り込んでいます。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
荒牧:いつも応援していただき、ありがとうございます。常に一戦一戦結果を出すことを目標にやっています。ガールズケイリンコレクション高松ステージが近づいてますし、5月4日のガールズケイリンコレクション京王閣ステージの出場も決まりました。スピードあるレースをしていきますので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
2015年のデビューから、着実に力をつけて来た108期の細田愛未(ほそだ まなみ)選手(埼玉)。昨年末に初の完全優勝を果たし、今年はさらなる飛躍を目指します。
赤見:まず競輪選手を目指したきっかけから教えて下さい。
細田:もともとは小さい頃からトライアスロンをしていたんです。父も姉も兄もやっていたので、自然のなりゆきで(笑)。小学校1年から大会に出ていたんですけど、中学2年くらいでタイムが伸びなくて、悩んだ時期があって。トライアスロンの中でランニングがすごく苦手で、水泳と自転車で上位にいても最後のランニングで抜かれてしまうんですよ。そんな時に両親がガールズ競輪が始まったっていうテレビを見て、それをきっかけにトライアスロンを続けるか自転車やるか考えて。競輪ならばそれで生活していけるので、競輪選手を目指しました。
赤見:そこから、どんな経緯で競輪学校へ?
細田:まだ中学生だったので、先に高校進学のことを考えました。最初は家の近くの高校に行こうかなと思っていたんですけど、大宮競輪に見学に行ったときに、川越工業高校の自転車部の顧問の先生が来ていて、「ちゃんとやりたいならおいで」って言ってくれたんです。
赤見:川越工業高校といえば、平原康多選手をはじめたくさんの競輪選手を輩出している自転車競技の名門校ですね。
細田:そうです。かなりの強豪ですよね。でも女子部員は入れ違いで卒業してしまって、入学した時からずっとわたし一人でした。練習も男子選手に混じってやっていたんですけど、女子一人ってことを考える余裕もないくらいずっと自転車に乗っていました(笑)。
赤見:濃密な時間だったんですね。
細田:合宿とか大会とかにもたくさん連れて行ってもらいましたし、本当にあっという間の時間でしたね。文化祭と大会が重なって出られなかったこともありますが、自転車漬けで過ごした青春時代です(笑)。
赤見:高校を卒業後に競輪学校に入学するわけですね。
細田:毎朝の錬成や、乗り込みはキツかったですけど、同期にも恵まれて割と楽しく過ごすことができました。それまで自転車をやってきたアドバンテージはありましたけど、学校に入ったらみんな一緒なので、気持ちを切り替えて一(いち)からスタートという気持ちでいました。
赤見:そしてデビュー戦は2015年7月の松戸で4着でした。振り返っていかがですか?
細田:めちゃくちゃ緊張しました!気づいたら終わっていた感じで...。山原(さくら)選手と一緒だったんですけど、もうずっと併せられちゃってまったくレースができなかったんです。正直、「これからどうしよう...」って、ちょっと途方にくれました。でも3日目に勝つことができて、これで次もやっていけるかなという気持ちになって。この時は親も見に来てくれていて、目の前で勝てて本当に嬉しかったです。
赤見:初優勝はそこから約8か月後、2016年3月の京王閣でした。
細田:実は、デビューしてから「勝ちたい勝ちたい」っていう気持ちが強すぎて、ずるいレースをしていたんです。誰かの後ろにいて最後差せばいいや、みたいな。でも師匠からそれじゃダメだって言われて、意識を変えようとしていて。「まず自分で前に出てから、誰が後ろから来るのか、という風に考えろ」っていう師匠の言葉を実践しようとしていたんですけど、頭ではわかっていてもなかなか体がついてこなかったんです。でもこの時のレースで優勝して、師匠の言っていたことがちゃんと理解できたかなと思いました。
赤見:さらに7月の川崎では、女王・梶田舞選手を破って勝利しました。これは大きかったんじゃないですか?
細田:梶田さんはもちろん、出場選手がすごかったですから、自分が一番びっくりしました(笑)。がむしゃらに走ったのであんまり覚えていないんですけど、展開もよかったですし、とにかく嬉しかったです。
赤見:ここまで通算153勝を挙げていますが、川崎がベストレースですか?
細田:う~ん、あのレースはやっぱり展開がハマったっていうのが大きいので、ベストレースとは言えないですね。ベストレースというか、力を出し切ったと思えるのは10月の佐世保の決勝です。奥井(迪)選手が連勝していて、なんとか止めたいと思って思いっきりいきました。結果的には7着に負けてしまったんですけど、力は出し切れたかなと。こういうレースを続けていきたいですね。
赤見:年末の松山では初めての完全優勝も果たしましたね。
細田:気持ちよかったです!!去年最後のレースだったので、絶対に勝ちたいと思っていました。いい形で終わることができて清々しい気持ちでしたし、最高の締め括りができましたね。去年はガールズグランプリに同期の児玉(碧衣)選手と尾崎(睦)選手が出場して、すごく刺激になりました。今年は自分も出場できるようにがんばります!
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
細田:はい。いつも応援していただき、ありがとうございます。見せ場が作れるよう積極的にレースしていきますので、これからもよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
競輪学校卒業記念レースで完全優勝し、注目の新人としてデビューした、110期の土屋珠里(つちや じゅり)選手(栃木)。その期待通り、初出走初勝利を挙げて華々しくデビューしましたが、その後ケガによって休養を余儀なくされました。2年目の今年は、どんな気持ちで挑むのでしょうか。
赤見:まずは競輪選手を目指したきっかけから教えて下さい。
土屋:学生時代は陸上をやっていたんですけど、高校3年生の時に進路で迷っていて。ちょうどその頃にガールズが始まったっていうのをテレビで見て、カッコいいなと思いました。父からも「自転車競技は合っているんじゃないか」って後押しされて。それで、やってみようかなと。ただ、どうやって選手になればいいのかわからなくて、最初は選手会に電話したりして、いろいろ調べました。父もいろいろ伝手(つて)を探してくれて、知り合いの知り合い?の方が競輪選手を紹介してくれて、そこから師匠の宮原貴之選手を紹介してもらったんです。
赤見:戸惑いはなかったですか?
土屋:最初は師匠っていう関係がよくわからなくて。師匠って何?って感じでした(笑)。「厳しい世界だけど、やっていける?」と言われて、「がんばります!」と。すごく優しい方で、いろいろ詳しく教えていただきました。ただ、競輪学校の試験まで期間がなかったですし、自転車に乗ったこともなかったので、最初はけっこうキツかったです。
赤見:適性試験で見事競輪学校に合格したわけですが、学校生活はいかがでしたか?
土屋:自転車経験がとにかく少なかったので、練習はキツかったです。でもその分、どんどんタイムが出るようになるのが楽しかったですね。あとは、練習もそうですけど、毎日が時間に追われる生活だったので、そこもしんどかったです。それでも、1年で選手になれるわけですから、とても充実した時間でした。
赤見:わたしが体験で競輪学校に行った時は、最後まで残ってご飯を食べていましたね。
土屋:体の増量をしたくて、無理してたくさん食べていました。学校のご飯はバランスよく考えられているし、美味しく作ってくれているんですけど、それでも毎食毎食たくさん食べるのは大変でしたね。お陰でだいぶ体を作ることができました。
赤見:その甲斐あって、競輪学校の卒業記念レースは1着1着1着の完全優勝でした!
土屋:卒業レースに向けて調子が上がっていたし、もちろん優勝を狙っていたんですけど、実際に優勝できた時はびっくりしました(笑)。自分だけでなくみんなが優勝を狙っていたし、まさか本当に優勝できると思っていなかったので。でも、ものすごく嬉しかったです!初めのうちは自転車経験が少なくて、自分がどのくらいできるかわからなかったんですけど、だんだんと力がついていくのがわかって、本当に充実した時間でした。
赤見:しかも、その勢いのまま、デビュー戦を勝利で飾りましたね!
土屋:デビュー勝ちはしたくてもなかなかできないことですし、本当に嬉しかったです。実際のレースは学校とはやっぱり展開とかも全然違いますし、先輩たちはいろいろな経験をしてきているので微妙な駆け引きなどもいっぱいあって。体だけではなく、頭も使わないといけないですから、難しいことも多いですね。学校だとずっと同じメンバーで戦うのでだんだん動きがわかってくるんですけど、レースではいろいろな動きをする選手がいるので、そういうこともどんどん研究していかないといけないなと思いました。
赤見:そんな中、デビュー2節目の前橋で落車し、左肩大結節骨折というケガを負ってしまいました。
土屋:やっとデビューできて、これから!という時だったのでショックも大きかったです。それに、自分の走行技術の足りなさを痛感しましたし、落ち着いてレースができていませんでした。たくさんの方のお金がかかっているし、他の選手も巻き込んでしまって、本当に申し訳ない気持ちでした。
赤見:手術ではなく、自然治癒で治したそうですね。
土屋:剥離骨折に近いような状態でしたし、同じところを骨折した先輩からも自然治癒の方がいいとアドバイスをいただいたので。ただ、治るまでじっと待つ時間は辛かったです。デビューしたばかりでしたし、同期はどんどん経験を積んで成長していくので。でも、周りに迷惑をかけたくないと思って、しっかり治してしっかりトレーニングしてから戻ろうと思っていました。
赤見:7月の終わりに落車して、復帰が11月の初めでしたが、どんな経緯で過ごしたんですか?
土屋:1か月入院して、その後リハビリをしました。しばらく自転車に乗っていなかったので、そこからしっかりと練習したくて1か月半乗り込みの時間を作ったんです。焦る気持ちもありましたけど、同期や師匠が励ましてくれて、前向きにがんばることができました。
赤見:復帰戦は怖くなかったですか?
土屋:怖いというのはなかったですけど、緊張はしました。3日間無事に終えることができて安心しましたし、また新たな気持ちでがんばろうと。12月の玉野で復帰後初勝利できてホッとしました。自分の思い通りのレースとまではいかなかったけど、体もだんだん良くなっていたので。
赤見:そして同じく12月には、地元の宇都宮で初勝利を挙げました。
土屋:勝利はどこでも嬉しいですけど、やっぱり地元は特別ですね。選手だけではなく、普段からお世話になっている職員の方々もいますし、周りの方々もすごく喜んでくれて。この勝利がきっかけになって、今すごくいい状態なんです。
赤見:では、今年の目標をお願いします。
土屋:今はまだまだですけど、いつかは自分の思うようなレースをして、ガールズグランプリに出場したいです!わたしは梶田舞選手と地元が一緒で、近くで練習など見させてもらっているんですけど、やっぱりものすごい練習量なんですよ。グランプリ勝つのも納得です。そういうすごい方が近くにいるのは本当に有り難いですし刺激になります。今は全然敵わないですけど、少しでも近づけるようがんばります!
赤見:最後に、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
土屋:まだまだ力不足なんですけど、これからもっと魅力ある走りができるようがんばりますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
KEIRINグランプリ2016で見事優勝を果たし、年間MVPに輝いた村上義弘選手(京都)。長年第一線で活躍を続ける村上選手に、現在の想いを語っていただきました。
赤見:2016年は年末の大一番KEIRINグランプリを制覇し、見事MVPに輝きましたね。
村上:MVPは初めての受賞だったので、この年になってやっと獲れましたから、すごく嬉しかったです。KEIRINグランプリは2度目の優勝ですが、何度勝っても本当に嬉しいですね。選手みんなが目標にしているレースですし、僕自身子供の頃から憧れていた夢の舞台ですから、出場することも嬉しいのに、そこで勝つことができて本当に夢のようでした。
赤見:レースを具体的に振り返っていただきたいのですが、スタートして前を伺うような位置取りでした。
村上:グランプリは普段の勝ち上がり戦の決勝と違って、早い段階でメンバーが決まるので、いろいろなパターンでシミュレーションしていました。僕自身はスタートしてから後方から行こうかなと思っていたんですけど、ラインを組んだ稲垣(裕之選手)が、「前の方から行きたいです」って言ってきて。最近の稲垣は選手として本当に充実していますから、その判断を信じて前に行きました。
赤見:新田(祐大)選手が早い段階で仕掛け、平原(康多)選手も仕掛ける展開になりました。
村上:そうですね、そこは予想外というか、自分が思っていた以上に早くレースが動き出して、イメージよりかなり早めに稲垣が先頭になりました。そこは本当に瞬時の判断だったと思いますが、稲垣が動いたのでここは思い切って行こうと。ただ、本当に早かったですから、もう1回動きがあるかなと思っていました。もしまた動きがあったとしても、稲垣は持久力がありますから、十分挽回できるなと考えていました。
結果的には残り2周で稲垣が前に出て、そこから自分のペースで運んで。最後2回後ろを振り返ったのは、全体の動きを見たんです。誰を意識していたというのはないですけど、平原選手は本当に強いですし、浅井(康太)選手はクレバーですし、新田選手はスピードが飛び抜けていますからね。全体の流れを確認して、平原選手が来ていたのでブロックしつつ、稲垣がもう一度踏み直せるか確認したらだいぶ苦しそうだったので併せに行きました。
赤見:最後の直線はどんな気持ちでしたか?
村上:ほぼ無心ですね。レース前から、『とにかくゴールまで力を惜しむことなく全力で踏み込みたい』と思っていたので。ゴールした瞬間は武田(豊樹)選手のスピードがよかったので、武田選手かなとも思ったんですけど、なんとか勝てて嬉しかったです。
赤見:レース前のインタビューでは、あまり納得のいかない年だったと仰っていましたけれども。
村上:本当にね、キツイ一年だったんですよ。なんていうか...言葉にするのが難しいんですけど、僕が後輩の成長を願う気持ちと、後輩たちが僕を支えようという気持ちがお互いに強すぎて、上手くいかないことが多かったんですよね。後輩たちの気持ちを考えると胸が痛くなります...。そうやって一緒にたくさん失敗して、いろいろな経験をして、試行錯誤していました。
赤見:去年は稲垣選手の初GI制覇もあり、村上選手のGP制覇もあり、さらに絆が深まったんじゃないですか?
村上:本当にその通りですね。稲垣が寛仁親王杯を勝ったのは、僕自身もすごく嬉しくて。自分も同じレースで近くで勝つところを見られて嬉しかったし、あのレースが、自分たちがこれまで積み重ねてやってきたことを肯定してくれたというか、気持ちが吹っ切れました。
僕は40代に入っているし、体力的なことだけでいえば落ちてきているわけですよ。その分若い選手が育ってくれることは嬉しいんですけど、逆に自分の立ち位置がぼやけて来ていたんです。ただがむしゃらに頑張ればいいという期間は過ぎたというか。ただグランプリに関しては、ただただがむしゃらに頑張りたいっていう、自分の原点に立ち戻りたかったので、そこで思い切ったレースができて、なおかつ優勝できたことは本当に嬉しかったですね。
赤見:競輪独特の世界観であり、素敵な絆ですね。
村上:他にも公営競技はありますけど、ラインの概念があるのは競輪だけですからね。もちろん勝負の世界なので着順がつくし、自分が勝つために最大限努力しているんですけど、ラインを組んで連携するっていうのは、ただその時のレースだけではなくて、それまで積み重ねてきた信頼関係が大事ですから。
赤見:素朴な疑問なんですけど、ラインを組んだ選手が動いたら間髪入れず一緒に動くわけじゃないですか。それは0.01秒とかの世界だと思うんですけど、どうやってゴーサインを感じ取るんですか?
村上:そこが信頼関係にも絡んで来るんですよ。普段からその選手のレースもよく見ているし、癖や状態も把握しておかないと。そして、迷わないことです。一瞬でも迷ったら遅れますから。相手の選手を信頼して、迷わない。こうやって改めて説明すると、競輪て本当に独特ですよね。でもそれが面白さの一つだと思います。
赤見:今年は1番車で、チャンピオンユニフォームを背負っての戦いになります。
村上:やっぱり注目されますし、責任は重いと思っています。前回背負った年は落車も多かったですし、自分の中ではブレたつもりはないけれど、結果的には責任を果たせなかったと感じていて。だからこそ今年は自分らしく、自分のスタイルを貫いたその先に結果がついてくると信じて頑張ります。
赤見:長く第一線で活躍し続けられる、そのモチベーションは何ですか?
村上:これはもう本当に、たくさんの方々が支えてくれるお陰です。自分ひとりだったら、楽になっちゃいたいなっていう気持ちも出てきますよ。でも、ファンの方々や仲間たちと喜びを共有したいんでね、それでまた頑張ろうって思えます。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
村上:生理的に体力が落ちていることは感じていますが、まだ使いきれていない部分があると思うんです。最後の最後まで自分の体を燃やし尽くせるよう努力します。しっかりとレースをしていきますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋