社会人ソフトボールからガールズケイリンに転向した、104期の奈良岡彩子(ならおか さいこ)選手(青森)。デビューから5年目を迎え、さらなる高みを目指します。
赤見:奈良岡選手は競輪選手になる前、社会人ソフトボールの強豪、ルネサス高崎(現ビックカメラ女子ソフトボール高崎)で外野手としてプレーしていたそうですね。日本代表の監督を長らく務めた宇津木妙子監督のもと、日本のエースとしてオリンピックで大活躍した上野由岐子投手などそうそうたるメンバーがチームメイトだったという。
奈良岡:そうなんです。小学校3年からソフトボールを始めて、中学はバドミントンをしていたんですけど、高校でまたソフトをやっていたんです。高校自体は強豪校ってわけではなかったんですけど、社会人に行くとき、なぜか強いチームに入ることができました(笑)。ただ、チームに入ってからレベルの違いを痛感して...。チームは強いんですけど、自分はただいるだけっていう感じでレギュラーも取れなかったし、試合も何試合かしか出られなかったんです。
赤見:どういう経緯で競輪に?
奈良岡:社会人で3年やって、ソフトを辞める決心をしました。ただ、その時は競輪選手にっていうのはまったく考えていなかったんですよね。故郷の青森に帰る前に、お世話になったトレーナーさんに今後について相談したいなと思って、話を聞きに行ったんです。その方はプロ野球選手も担当しているすごい方で、自分の中ではトレーナーになりたいなと思っていたので。相談していたら、いつの間にか競輪の話になってて、まだ21歳だったし、このまま引退するのはもったいないから、競輪やってみないか?って。ちょうどガールズが始まる時で、すごく勧められたので、「やってみようかな」という感じでした。
赤見:ソフトからいきなり自転車というのは、戸惑いはなかったですか?
奈良岡:それが、時間的に目まぐるしすぎて、あんまりそういうことは考えなかったんです。だって、相談した次の日が競輪学校102期(ガールズ1期)の願書の締め切りで。もうバッタバタでした。受けるだけ受けてみて、でも多分受からないだろうと思っていたら受かっちゃって(笑)。1次は適性で受けたんですけど、2次試験は自転車に乗るので、そこから師匠を紹介してもらって1,2か月みっちり乗り込んで。なんとか合格することができました。
赤見:無事に競輪学校に入学するわけですが、102期としては卒業できず、次の104期に編入となりました。
奈良岡:当時はかなり落ち込みました。もう辞めたい、逃げたいって思いましたけど、結局は自分のせいですからね。実は師匠に、「辞めます」って言おうとしていたんですよ。師匠の家に行って、「これからどうしたいんだ?」って聞かれて、でもなぜかその時「やります!」って言っていたんですよね(笑)。12月までやって、みんなと一緒に卒業できなかったのは悔しいですが、今になってみるとよかったかなって思うんです。
赤見:というと?
奈良岡:さっきも言ったように、わたしは全然自転車の経験がなかったですから、もし102期ですんなり卒業していたら、今の成績はないんじゃないかって思うんです。もしかしたら、今頃辞めていたかもしれないし。だから、2年間学校でみっちり学べたことは、すごくいい経験だったと思います。104期の仲間も、本当にいい人たちばかりですぐに馴染めましたから。
赤見:104期には、梶田舞選手、石井寛子選手、山原さくら選手といったグランプリ常連の選手も多いですよね。
奈良岡:その3人は本当にすごいですよ。学校時代からすごくて、だけどもしかしたら食らいついて行けるんじゃないかって思っていたけど、いざデビューしたら全然違いました。向こうはバンバン勝って行って、わたしは全然勝てなくて...。
赤見:5月にデビューして、初勝利は9月、初優勝は翌年の4月でした。
奈良岡:同期の中でも初勝利は遅かったですね。だってデビューしてみて、わたしは一生勝てないで終わるんじゃないかっていうくらい、力の差を感じたんですよ。初勝利は地元青森だったんですけど、「え?勝ったの?」という感じで半信半疑でした。でも地元だったので、たくさんの方に声をかけてもらって、本当に嬉しかったです。
決勝に関しては、3着とかでギリギリ乗っていましたけど、ペースも違うし全然勝てる気がしませんでした。それが、だんだんとレースを重ねて経験を積んでいって、ペースにも慣れた頃に優勝することができました。
赤見:デビューから今年で5年目になりますけれども、自分自身変わった部分はありますか?
奈良岡:昔は先行にこだわっていましたし、自力でっていう気持ちが強かったんですよね。でもそれでは今の自分の力では勝てないことを痛感して、じゃあどうすればいいんだ?っていう風に考えるようになりました。それに、選手の人数が増えて、一年を通して下の成績の人はクビになってしまうルールができたので、みんなの本気度が変わった気がします。わたしもですけど、長く続けたいし、絶対クビになりたくないので。
選手の人数も増えましたし、レベルも上がっています。その中で、今は安定して力を出せているのかなと。ここまであっという間でしたけど、経験を積んだことで自分なりに成長できていると思っています。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
奈良岡:数字にはこだわっていませんが、落車なく1年無事にレースしたいというのが目標です。オッズパークの皆さんとは、イベントなどでお会いする機会もありますし、いつも応援していただいてとても嬉しいです。少しでも車券に貢献できるようがんばりますので、もしよかったら応援してください。よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
ガールズ1期生としてデビューし、創成期からガールズケイリンをけん引してきた加瀬加奈子(かせ かなこ)選手(新潟)。2度の大きなケガを乗り越え、再び頂点を目指します!
赤見:加瀬選手といえば、102期(ガールズ1期)としてデビューし、ガールズケイリン創成期から活躍を続けていましたけれども、2015年12月にレース中の落車により大ケガをされました。すでに無事復帰を果たしましたが、相当大きなケガだったそうですね。
加瀬:はい。急性硬膜下血腫といって、脳に影響のあるケガでした。死にそうだったというか、「よく生きてたね」って言われるレベルで。自分では次の日から普通だと思っていたんですけど、何十回もトイレに行ったり、5回くらい同じことで師匠に電話したり...。脳のひだが委縮して伸びてしまっている状態だったそうなんです。
赤見:それほどのケガだったとは...。でも3月にすぐ復帰していますよね?
加瀬:骨折とかではないので、体は動くじゃないですか。だから、トレーナーさんについてもらって、フラフラになりながらもトレーニングしてました。気持ちはすごく複雑で、何でわたしが...とか、悔しさとか悲しさが強かったですけど、辞めたいっていうことは一度も思わなかったですね。選手に復帰できるのであればやりたいって思いました。
赤見:恐怖心はなかったですか?
加瀬:それが、落ちた時のこと全然覚えてないんですよ。だから恐怖心はまったくないです。母親にはすごく心配もかけましたけど、もともとあっけらかんとした人なので、「自分で選んだ仕事だからね」って言ってました。ただ、他の選手の違反行為があってわたしが落車してケガをしたので、違反した選手は1か月のあっせん停止なのに、その後も数か月間にわたり苦しんでいるわたしの姿を見るのは辛かったみたいです。
赤見:3月に復帰して、すぐまた休んでますよね?
加瀬:それがね、競輪ではなく今度は競技中に落車したんですよ。日本選手権だったんですけど、また違反行為されて落車して、今度は外傷性くも膜下出血でした。ただこの時のこともまったく覚えてないんですけど(笑)。
赤見:この時も6月に復帰と、かなり早かったですね。
加瀬:もちろん、態勢が整ったから復帰したんですけど、今のガールズはルール上長期的に休めないシステムになっているんですよ。みなし点ていうのがあって、それが42点になるとクビの対象になっちゃうんです。去年は前半のレース数が足りなくて40点もらっちゃったので、そんなに休んでいられないなと。
赤見:復帰してから、走り自体はいかがですか?
加瀬:成績にも出てますけど、最初はもどかしかったです。今までできたことができなかったり、思うように走れなくて...。本当に悔しかったですね。ただ、トレーナーさんから「あれだけの大ケガして、明日いきなり強くなりたい!っていっても無理だから。徐々に取り戻そう」って言われて、本当にその通りだなって思いました。そこからは、「復活できるってことを見せてやろう!」って気持ちでコツコツやってます。
赤見:心が折れそうな時はなかったですか?
加瀬:そりゃありますよ。精神的にはけっこう落ちたりもしました。そういう時、周りの人たちが支えてくれて。母は大らかな人なんで、「生きてるんだから大丈夫」って言ってたし、師匠も「お前は強いんだから大丈夫だ」って背中を押してくれました。それに、ガールズの選手だったりファンの方だったり。本当にたくさんの方々に支えてもらいました。
赤見:加瀬さんは長岡市役所を辞めてガールズケイリンの世界に入ってきたそうですが、安定した仕事から激動のプロ生活を選んだこと、後悔したことはないですか?
加瀬:ないですね。市役所での仕事は第5保健課といって、おじいちゃんやおばあちゃんに体操を教えることだったんですけど、その仕事も好きでした。平行してトライアスロンをやっていたんですけど、「バイクの加瀬」って言われるくらい自転車が得意で。周りに進められて競輪に転向しました。まだガールズができる前で、弥彦村が立ち上げたクラブスピリッツっていう育成プログラムに参加するために市役所を辞めたんです。30歳だったし、第二の人生を始めるなら今だなって。大好きな自転車でお金が稼げるならって、迷いはありませんでした。
赤見:実際に競輪選手になってからはいかがですか?
加瀬:ガールズ1期ということで、学校の先生たちも手探りでしたし、デビューした時もまだ少ない人数で戦っていました。ただ、面識のない方から「がんばれ!」って言ってもらったり、出待ちしてくれるファンの方やプレゼントを下さる方もいて、芸能人みたいだなって思いました(笑)。それに、勝っても負けてもヤジられるんですよね。「お前は2着でいいんだよ!」とか、「なんで負けたんだ!死んじまえ!!」とか。散々言われて強烈でしたけど、人様がお金を賭けている、ということを痛感しました。
赤見:では、今年の目標と、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
加瀬:今年の目標は完全復活です!タイトルを獲って年末のGPに出て、そこも優勝したいです。そのために一年がんばります!他の選手もみんな一生懸命がんばっていて、誰が勝ってもおかしくないので、ぜひいろいろなパターンで車券を買って楽しんでいただければと思います。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA