2015年にデビューした108期の高橋朋恵(たかはしともえ)選手(長崎)。選手を目指したきっかけから、現在までの心境を語っていただきました。
赤見:競輪選手になろうと思ったきっかけは、どんなことだったんですか?
高橋:きっかけは高校2年生の時に、ガールズの1期生が競輪学校で訓練を受けているというテレビを見たことです。自分も中高と陸上をやっていて体を動かすことが好きですし、そういう体を使った仕事がしたいなと思っていたので。陸上でも実業団とかありますけど、ほんの一握りの人しか進めないし、そこまで強い選手じゃないので無理かなと考えていた時で、ガールズはさまざまな業種から転向している方がいて、わたしも挑戦したいと思いました。
赤見:そこからどう動いたんですか?
両親に話したら、母はずっと反対してました。危ないんじゃないかって。父はしたいことしたらいいんじゃないかっていうスタンスで、佐世保競輪場で記念レースをやっている時に、父と一緒に見に行ったんです。その時にファンサービスで選手がファンへユニフォームを投げるというパフォーマンスがあって、たまたまなんですけど支部長さんのユニフォームをゲットすることができたんです。その時は、「これはもう行かなくちゃ!」と思って、その日のうちに事務所に押しかけました。ユニフォームにサインを書いてもらうという口実で(笑)、事務所に行って、「選手になりたいです、何もしたことないんですけど」って言いました。
赤見:みんなびっくりしてたんじゃないですか?
高橋:びっくりしてました。佐世保はまだ女子選手がいなかったですし、アマチュアでもそんな風に入って来る子がいなかったみたいで(笑)。とりあえず、「まぁいいけど」みたいな感じで愛好会に入れていただきました。本当に選手になるとは誰も思ってなかったと思います(笑)
赤見:ずいぶん積極的に動きましたね。
高橋:そうですね。高校が進学校だったのでほとんどの人が進路や目標が決まっていたんですよ。自分だけ何も目標がなくて、毎日を過ごしていた時だったので、ガールズのドキュメンタリーを見て、「これだ!これしかない」って思ったんです。
赤見:競輪学校を受けるまでの過程というのは?
高橋:愛好会に入って、師匠もつかない状態で練習してました。自分で選手の方にお願いして練習したり。夏に競輪学校でサマーキャンプに参加したんですけど、そこで佐々木昭彦さんがコーチをされていたんです。実はわたし競輪をよく知らなくて、優しいそうなおじさんだなって思ってて、よくしてもらったんですけど、まさか佐々木昭彦さんだとは(笑)。佐々木さんが実家が近くということで可愛がってもらったんですけど、自転車とかも実はお借りして乗ってたみたいで、師匠経由でいただいていたことも判明して。いろいろびっくりでした。ただ、高校生のうちは授業が終わって競輪場へ行って練習するっていうのを3か月くらいやったんですけど、競輪学校の試験に落ちちゃって、卒業して浪人して、1年しっかり練習して合格することができました。
赤見:その一年は長かったですか?
高橋:長かったというか、とにかく練習練習で早く受かりたかったです。周りは進学とか就職してて、春休みとか夏休みとかあって、帰省で帰って来た時とかに大学生特有の楽しい感じが羨ましい時もありましたけど。両親からは、「3回目はないよ。最後のチャンスだからね」って言われてたので夢中でした。あと「携帯代を自分で払いなさい」って言われていたので、コンビニで週2日ですけど早朝から昼までバイトしてました。そういう生活を1年続けていて、合格した時はホッとしましたね。
赤見:佐世保では初の女性選手ということで、馴染むまでは大変なこともあったんじゃあいですか?
高橋:周りの選手は、師匠に限らずみなさん気にかけてくれて、「練習するぞ」とか声かけてくれて、本当に有り難かったです。ただ最初の頃は、控室とかも女性用はなかったので、自転車の倉庫の一角みたいなところに場所を用意してもらったり、師匠が決まってなかった頃は、控室の扉に張り付いて、選手の足音が聞こえたら出て行って、「後ろつかせてもらってもいいですか?」って声掛けさせてもらいました。わたしもどうしたらいいかわからなかったですけど、相手の方々も、自分の娘と同じ年くらいだったりする人もいるし、自転車を続けられるかどうかわからない小娘ですから、よく相手にしてくれたなと思います(笑)。
赤見:競輪学校の1年はいかがでしたか?
高橋:そこは長かったですね。最近も同期とそういう話をしてて、「あの時こうだったね~もうできないね」って(笑)。自転車のことしか考えない生活で、ご飯も作ってもらって、贅沢と言えば贅沢ですよね。本当に自転車のことだけに集中してましたし、すごく勉強になりました。
赤見:2015年、松戸のデビュー戦は2着でした。
高橋:学校時代、下から4番目くらいの成績だったので、まさか初日から連に絡めるなんて...と思いましたけど、ちょっとはやっていけるかなと思って嬉しかったです。松戸のナイターだったんですけど、照明とかがすごく綺麗で、お客さんもいっぱい入ってて、選手になったんだなって感動しました。
赤見:今年は3年目のシーズンになりますね。
高橋:自分では調子いいって思ってても、展開次第で結果が出せなかったり、安定して結果が出せないんですよ...。一時期ちょっと上がったときもあったんですけど、去年11月に落車してしまって、そこからちょっと不安定なのが続いているんです。体は大丈夫なのに、周りのちょっとした動きが気になったり、過敏になり過ぎているんですよね。レースなのでそんなこと言ってる場合じゃないし、よくないのはわかっているんですけど。
赤見:現在は試行錯誤中ということですかね。
高橋:そうですね。地元での練習はもちろんですけど、小林莉子選手によくしていただいて、立川や西武園に行って、小林さんと一緒に練習してもらうことも多いんです。成績が良くなった時に通い始めたジムが東京にあるので、そこに行って、東京で練習して、というサイクルで。小林選手の他にも、奥井迪選手や、増茂るるこ選手、同期の細田愛未ともよく練習してもらってて。そこでいい刺激を受けています。
赤見:では、今後の目標を教えて下さい。
高橋:予選で1着をしたことがないので、まずはそこでしっかり結果を出したいです。そして、ゆくゆくは優勝を目指します!
赤見:オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
高橋:なかなか安定した成績が出せず心苦しい時もあるんですけど、ネットで応援してるよとか叱咤激励していただき、力をもらっています。一生懸命走るので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
5月4日に開催される、ガールズケイリンコレクション2017京王閣ステージに出場が決まった106期の長澤彩(ながさわあや)選手(愛知県)。久しぶりのビッグレース出場へ向けて、意気込みをお聞きしました。
ガールズケイリンコレクション2017京王閣ステージへの出場が決まりました。今のお気持ちはいかがですか?
まだコレクションは2回目の出場なんですけど、成績で出場を決めることができてすごく嬉しいです。3連対率が安定しないと出場できないので、その枠に入れたことが本当に嬉しくて。メンバー的には毎回コレクションに出場している人たちばかりで、自分より強い人しかいないので、どうやって戦おうか考え中です。競輪は展開次第で大きく変わるので、こういう大きいレースで一発狙えるように考えながら練習しています。
そもそも選手を目指したきっかけなんですけれども、もともとはバレーボールをしていたそうですね。しかも、春高バレーも出場しているそうで!すごいですね。
一応出ましたけど(笑)、すごくはないです。練習は厳しかったですけどね。バレーボールは小学校から高校までやっていたんですけど、高校卒業後に実業団に行くか、美容系の方に行くか悩んで、それで結局美容師の専門学校に行ったんです。
実際に美容師さんをしていたんですよね?
そうですね。3年くらい働いていました。その頃、友達が自転車が好きで、わたしも趣味で自転車に乗るようになって。といってもオシャレな自転車を買って通勤とかで乗ってるだけだったですけど。その自転車を買ったショップがお客さんとか店員さんとかみんな仲良しで、いろんなイベントを開催して、自転車に乗ってどこどこへ行こうみたいなのに参加して。それで自転車がすごく楽しくなったんです。
そこからどんな経緯でガールズケイリンに?
アマチュアの大会に出た時、昔競輪場だった石川のバンクで走ったら楽しくて。それでガールズケイリンが始まるってことを聞いて、やってみたいと思いました。もともとスポーツをやっていて、プロ選手に憧れもあったので。しかも今まではバレーボールでチームプレーしかやってこなかったので、個人競技というのも興味があって飛び込みました。
具体的にはどう行動したんですか?
美容師は仕事の終わりが夜12時頃だったり、時間の拘束が長いんですよ。それで練習ができなくて、まずは仕事を辞めることを考えました。ただ、やっぱりお店のシフトや引継ぎとかの兼ね合いがあって、なかなか辞められなくて。
せっかく美容師になったのに、辞めて競輪選手へって、大きな決断ですね。
そうですね。専門学校にも2年行って、アシスタントで3年くらい働いて。美容師になったといっても、スタイリストになるには経験を積んでいかないといけないので、その途中だったので「もったいない」って言ってくれる方もいましたし、止められたりもしました。でも自分では迷いはなかったです。競輪は今じゃないと、20代のうちに挑戦しないとできないなと思ったことが大きいです。
なるほど。そして競輪学校へと進むわけですね。
仕事を辞めてすぐのタイミングで、とりあえず競輪学校を受けてみたんですけど、甘くなかったですね。その後一年ちゃんと競輪選手の方に指導してもらいながら、バイトを掛け持ちしながら過ごしました。それまで競輪の魅力ってちゃんとわかってなかったんですけど、競輪の特集とかいろいろ見て、どんどん気持ちも盛り上がっていって。106期に合格した時は嬉しかったです。
学校はどうでしたか?
わたしの性格では、一回社会に出ていてよかったなと思いました。それまで職業的にも夜型の生活をしていたので、規則正しい生活っていいな、気持ちいいなって思いました。それに、同期がみんな仲良くて、すごくいい雰囲気の中で集中できました。仲間のお陰で楽しく過ごせました。
デビュー後すぐに初勝利を挙げ、次の月には完全優勝。順調なスタートでしたね。
デビューするまではとにかく早く勝ちたいと思っていました。でもまさかデビュー開催で勝てると思っていなかったので、そこはびっくりしましたね。次の月に優勝もできたんですけど、ただ同期が強い子が多くて、どんどん優勝していく中で、自分は中途半端だなっていう感じはありました。
現状はいかがですか?
いろいろ試行錯誤して、いろんなことを試して来ました。正直調子を落とした時期もあったんですけど、今これをやればいいんだってことが確立されつつある感じです。だから試行錯誤してきてよかったなと、やっとここまでこれたなと思います。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
もっともっとガールズケイリンを盛り上げられる存在になりたいので、一生懸命がんばります!応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
ウィナーズカップ初代チャンピオンに輝いた、99期の郡司浩平(ぐんじこうへい)選手(神奈川)。初めてのGII勝ちについて、たっぷりと語っていただきました。
ウィナーズカップ優勝、おめでとうございます!
ありがとうございます。最初は全然優勝したっていう実感がなかったんですけど、周りの方から「おめでとう」って言ってもらって、やっと今実感が沸いてきたかなという感じです。
具体的にレースを振り返っていただきたいんですが、レース前のイメージというのは?
決勝は中村(浩士)さんと南関東2車でラインを組んだんですけど、もう相手は自分より格上の選手ばかりだったので、自分はただぶつかるだけだと思って、思い切って行こうと。いつもよりリラックスした気持ちで挑めました。
早めに動く形になりましたが、あの辺りは?
車番的には最初の並びでいい位置は取れないなと思っていたので、早めに自分から動いて行って、そこからレースを作って好位置が取れればと思っていました。
稲垣裕之選手がけっこう来ましたけれども。
そうですね。本当は僕があの中では若手なので、先行するくらいの気持ちでいかないといけないかなとは思うんですけど、やっぱり稲垣さんの意欲はすごいですよね。それでも、今回は自分で思っている以上に落ち着いていたので、稲垣さんも強いですけど、乗り越えれば僕と中村さんにチャンスあるかなと思っていました。稲垣さんの番手だった稲川(翔)さんもすごく力のある選手なんですけど、そこだけなんとか乗り越えようと思って踏み込みました。最後は本当に無我夢中で、自分が優勝とはわからなかったんですけど、ゴールした時に横を見たら中村さんと一緒に並んでゴールできていたのでホッとしました。
見事、中村選手とワンツーを決めました。
それが一番最高の形なので、自分の優勝だけよりワンツーを決められたことが嬉しかったですね。決勝だけじゃなくて、準決勝では根田(空史)さんがかばってくれたお陰で3着に入れましたし。中村さんが支部長として一生懸命まとめようとしてくれていますし、今年に入ってから南関東のいい流れを作れているのかなと。
優勝後のインタビューでも仰っていましたが、南関東の絆、強いですね!
本当にその通りですね。僕が前を回らせてもらって、根田さんが奈良で(春日賞争覇戦を)勝ってくれたりとか、これまでの色んなことが積み重なって、その結果が今回に繋がっているんです。そういう面で、南関東の今までなかったラインの強さが見せられて嬉しいです。
その時期その時期でまとまりは違うんですね。
そうですね。今までちょっとまとまってなかったというか、他の地区でいうと、関東、中部、近畿だったりとか、強い絆、まとまり方をずっと見てきました。南関東勢が決勝に乗っても単騎で一人とかが多かったんですよね。
絆が強くなった要因というのはありますか?
これっていうことはないと思うんですけど、一人一人の意識、気持ちの持ち方だと思います。 最近だと上のレースに出る人がだいたい固まってきて、経験を積み重ねてきて。その結果を振り返って、もっとあそここうだったらな、ああだったらなって、南関東みんなでそういう話ができるようになったことが大きいと思います。
競輪のラインの概念って、本当に独特ですよね。
人と人なので、いい繋がりもあれば、そればかりでもないんですけど。最終的には個人の勝負でもあるし、そこは何とも言えないんですけどね。ただ、なかなかGII勝つのは難しいですけど、こうやってみんなのラインの繋がりがやっと固まってきて、結果が出せたことはすごく嬉しいです。
郡司選手は2011年デビューで26歳とお若いですけれども、どんどん結果を出していますね。
有り難いことに、ここまで順調に来られているのかなと思います。デビューしてすぐにS級に上がれるような素質はなかったけれど、チャレンジ1年走って、S級1年走って、一歩ずつ上がって来ることができて、自分の中では本当に順調すぎるくらいです。
最初はお父様(郡司盛夫)に憧れて競輪選手を目指したんですか?
一応、表向きはそういう形で言っています(笑)。それももちろんありますけど、憧れてというより、僕は子供の頃からずっと野球しかやってこなかったので、勉強とかやってこなくて(苦笑)。高校で野球部終わって燃え尽きた時に、『何かやることないかな』くらいの感じで、軽い気持ちで始めたんです。実際に始めてみて、大変さだったりプロの厳しさを感じて、そこから父を尊敬するようになりました。
お父様が師匠ということで、関係性は変わりました?
プロになる前は、親と子じゃなくて師匠と弟子という接し方に変えていったんですけど、今はプロになって、お互い尊重し合えるというか、仕事に対して共感できるものがあるので、 師匠は師匠ですけど、親子としての関係もいい関係ですね。
反抗したり、素直に受け取れないようなことはなかったですか?
めちゃくちゃありました(笑)。いくら親でも師匠は師匠なので、『はい、はい』しか言えなかったんですけど、心の中では『親父ふざけんな!』とか思ってましたね。けど、反抗しても確実に勝てないので、我慢しようと。今となってはそれもよかったのかなと思います。
目標とする選手はいますか?
村上義弘選手です。僕が始めた頃からずっと見てて、走りもそうですけど、あれだけファンを惹きつける走りって、本当にすごいと思います。ファンを喜ばせる走りをしたいっていう想いも込めて、村上選手が目標と言わせてもらってます。
今後の目標というのは?
今年はグランプリだけを見て始動し始めたので、次も、日本選手権競輪(ダービー)とかあるんですけど、すべてはその先のグランプリのためにと思って目標を立てています。今年はモチベーションが高いですね。選手になってからずっと目標にしてましたけど、今までは夢の舞台というか、遠目で見るような感じだったんです。でも、今は自分が走るんだっていう気持ちでやっています。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
はい、いつも応援していただき、ありがとうございます。大きいレースを勝つと、結果が出ていいサイクルになる反面、周りの選手から警戒されることも増えてくると思います。強い選手はそういうところを乗り超えて、高い舞台でずっと戦っているので、これからもずっと自分のスタイルを貫いてやっていきたいです。いつも通り、自分らしいレースで南関東を引っ張っていくので応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋
3月20日に行われたガールズケイリンコレクション高松ステージで、見事優勝を果たした106期の石井貴子(いしい たかこ)選手(千葉)。ガールズケイリンと競技の二足の草鞋を続ける実力者に、喜びの声をお聞きました。
高松での優勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。コレクションというのは特別レースの単発戦なので、普段の戦いとはちょっと違いますよね。練習はいつも通りにできましたし、今はレースもコンスタントに走っていますし、不安な要素は特になかったです。結果を出すことができて、すごく嬉しかったです。
レースは後方2番手から進める形になりました。イメージ通りでしたか?
6番車だったので、無理に前を取りに行くという感じではないなと思っていました。(最後方にいた)奥井さんが上がっていくタイミングでレースが動きましたけど、まだわたしは動かない、という感じでじっとしていました。最終周で内から上がっていったのは狙った通りでした。
スルスルという感じで上がっていきましたね。
見た目はそうですけど、自分的には細かい状況判断をしながら、けっこう忙しかったです。あそこが一番の勝負所だったと思います。(児玉)碧衣ちゃんの2番手にいて、最後は脚も溜まっていたし、内に(石井)寛子さんが来るならしっかり閉めて自分だけという風に思っていました。最後まで落ち着いて処理できたと思います。差せたのはわかったので、ゴールした後には勝ったことはわかりました。
かなり落ち着いたレースぶりに見えました。
余裕ではないですけど、落ち着いていたのは確かですね。去年のコレクションで上手くいかなかったのを反省して挑んだっていうのもありますし、今回の7人中、なんていうか一番プレッシャーを感じなくていい立場だったというか。みんな、けっこう大変だったんじゃないかな、と思うんです。グランプリから入ってきている人に関しては、あの場での走りがあっての今回、次の一発目ということで気負いがあったと思うし、その他の選手に関しても日ごろから人気になっているから「なんとかしたい!」っていう感じが強いのかなと。もちろんわたしもそうなんですけど、あの中の7人だと、グランプリも出てないし、自分のやることをやればいいなという気持ちで挑めました。
今年は早々にコレクション優勝を果たしましたが、去年は残念ながらグランプリ出場を逃しました。振り返ってみて、どんな一年でしたか?
去年の優勝回数自体は15回なので悪くはないし、競技と平行運用なので、タイトルレースを取らないとグランプリに乗れないということなので、普通だったんじゃないですかね。自分的にはまあそんなもんだろってドライな捉え方をしています。
一昨年にお話しを伺った時は、競技との両立が難しいと仰っていましたが、最近はいかがですか?
今も相変わらずではあります。ただガールズのレベルも年々上がってきて、今年に入ってから自分も月に2本走って、ガールズにしっかり熱心に出続けるっていうやり方をしているので、なおさら甘い世界ではないぞっていうのは感じていますね。競技とガールズという本来ならば2人分のことをやらないといけない中で、レベルを落とさないようにしないといけないし、挑戦し続けないといけないですから。そこは淡々と受け止めているというか、甘くないので真剣に、ふざけたことやっている場合じゃあないぞって自分に対して思っています。
今年に入って2度完全優勝もしていますし、コレクションも勝って絶好調ですね。
優勝回数は今までのシーズンに比べると多いので、こういう時もあるのかなっていう感じです。周りの見る目は一つのレースで変わりがちですけど、自分はずっと自分と向き合っているので、過小評価も過大評価もしないですけど、今も全然課題だらけなんです。ただ、次のレースで何をしなければいけないのか、どうしたらいいのかっていうことと向き合えている結果かなと思います。
では、今年の目標を教えて下さい。
去年グランプリに出てなくて、そこで走っている姿を見たいって言ってくれる方も多いので、そこに出て結果を出すことです!
5月のガールズコレクション京王閣ステージの出場も決まっていますね。
なんていうか、3月でさえ「何がなんでも勝たなきゃいけない」というような気負いはなく、もちろん勝ちたかったですけど、そこまでプレッシャーを感じずに挑めたので、さらに気持ちには余裕を持って挑めるんじゃないかなと思います。5月もしっかりいいレースができるように、自分のやるべきことをやるということだけ考えて挑みます。自分もそういう経験がありますけど、碧衣ちゃん以外は今も失敗しちゃったって引きずっている人も多いと思うので、なかなかそこから切り替えて5月に入っていくのって大変なことかもしれないですけど、自分は今の、去年の年末くらいからのペースを崩さないで、そのままの感じで入ります。
※ウイナーズカップ(GII)優勝者 郡司浩平選手と一緒に。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。ガールズのレベルも年々上がっていて、1期生2期生だけでやっていた時と比べたら、レースのバリエーションもかなり増えていると思います。それに、自分もそうですけど他の強力な自力選手のことも研究されて、当然ですけど、走りやすいようには走らせてもらえないので、しっかり対応できる脚をつけていきます。これからもがんばりますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
104期の田中まい選手(千葉)は、昨年行われたリオデジャネイロ・パラリンピックの自転車タンデムスプリント(視覚障がいの部)において、鹿沼由理恵(かぬまゆりえ)選手のパイロットとして出場し、見事銀メダルを獲得しました。世界の舞台に挑むまでの苦悩、そしてメダル獲得の喜びをお聞きしました。
赤見:リオ・パラリンピックでの銀メダル獲得、おめでとうございます!
田中:ありがとうございます。ここまで本当にいろいろなことがあって、悩んだことも多かったんですけど、鹿沼選手と一緒にがんばって来たので、自分がメダルをかけてもらった以上に鹿沼選手の首にかけてもらったことが嬉しかったですね。とても重かったですし、鹿沼選手と一緒に獲れてよかったです。
赤見:パラリンピックでメダル獲得というのは、相当なインパクトです!わたしもメダルを触らせていただき、めちゃくちゃ感動しました。
田中:そうですね。誰もが経験できることではないですし、自転車に興味がない方にも声をかけていただいて嬉しいです。自転車競技のいいアピールになったのかなと思います。
赤見:タンデムスプリントのパイロットというのは、具体的にはどんな役目なんですか?
田中:2人で自転車に乗るんですけど、わたしが前に乗って、主にハンドル操作を担当します。トラックは固定ギアなんですけど、ロードの場合はギアチェンジとブレーキ操作もしますね。後ろの方の命を預かることになるので信頼してもらわないといけないですし、周りの雰囲気やコースどりを言葉で伝えたりしながら、2人で息を合せてペダルを踏み込みます。
赤見:とても重要な役目ですね。鹿沼選手のパイロットになった経緯というのは?
田中:わたしは高校・大学と自転車競技をしていたんですけど、女子の自転車競技ってまだまだマイナーで、その中でも中距離を専門にしていた選手となると少なくて。鹿沼選手と同じくらいの身長ということもあって、パイロット候補としてわたしの名前が一番に上がったそうなんです。それで競輪学校にいる時に、監督と一緒に会いに来てくれたんですけど。正直、最初はかなり迷いました。
赤見:どんなところが引っ掛かったんですか?
田中:自分は学生時代、真剣に自転車競技をやってきたつもりだったんです。でも大学4年の時、インカレで日本一を目指していたのに全然成績が出なくて...。命を懸けるくらいの想いでやってきたのに、これでは「日本一になりたい」「世界を目指したい」なんて言えないなと思いました。自分の中では大きな挫折で、もう自転車を降りようとまで思ったんですけど、ガールズケイリンの選手としてもう一度がんばってみようと思い直して競輪学校に入って。ちょうどその頃にパイロットのお話しをいただいたんです。パイロットを務めるとなると、パラに向けてだけではなく、まず出場枠を取るところからずっと一緒にがんばることになりますから、競輪に集中できなくなってしまうわけですよ。ガールズの選手として上を目指したいという気持ちも強かったので、かなり悩んだんですけど、鹿沼さんがわたしのことを誉めてくれて、「一緒にやりたい」と言ってくれて。それで決意しました。
赤見:実際にやってみていかがでしたか?
田中:それがですねぇ...。「やります!」ってなったら、すぐにナショナルジャージを手渡されたんですよ。あんなに一生懸命がんばって、「いつか絶対に着たい」と夢見ていた日の丸のジャージを。もうね、ものすごく戸惑いました。最初の世界戦から日の丸を背負っていくわけで、自分の欲しかったものがポンと手に入って、ものすごく悔しかったんです。それに、ガールズのレースと競技の合宿が重なったりして、なかなか上手く両立ができなくて。ガールズでも全然勝てない時期が続いて、このままじゃいけないって思いましたし、やると決めたからには真剣に打ち込みたかったので、まずは出場枠を取ることを一区切りに大会に挑みました。そこで出場枠の1枠を取ることができたので、1年くらい競技から離れてガールズに集中していたんです。その間に鹿沼選手もいろいろな方をパイロットにして競技に出ていたんですけど、踏み方とか乗りやすさで改めてわたしを指名してくれて。「一緒にリオを目指したい」と言われて、こうなったらもうこちらも本気で向き合いたいと思って、5月から五ヶ月間ガールズをお休みしてリオを目指しました。
赤見:パラリンピックはいかがでしたか?
田中:オリンピックと同じ舞台で、自分がずっと目指していた場所だったので、「まさかここに立てるとは...」って鳥肌が立ちました。自分がパラの舞台に立つというのは想像していなかったですし、本当に貴重な経験をさせていただきました。
赤見:見事銀メダル獲得ということで、次の東京へという期待も大きいと思いますが。
田中:わたしも鹿沼選手もリオを目指して精いっぱいやって来たので、リオが終わってすぐに「次は東京ですね!」と言われて、正直戸惑いました。今はガールズに集中して、上を目指したいという気持ちが強いので、東京を目標に、というのは具体的には考えていないんです。ただ、わたしがパイロットをしたことで、ガールズの選手の中でも「自分もやってみたい」と言ってくれた人もいますし、タンデムの選手が増えてくれたら嬉しいですね。陸上や水泳が人気で、自転車は簡単に競技人口が増えるような競技ではないんですけど、自分も協力していけたらと思います。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
田中:2017年はいまいちなスタートになってしまったんですけど、自分には伸びしろしかないと思っているので、もっともっと上に行けるようがんばります。今はサマーナイトフェズティバルで決勝に勝ち上がることを目標にしています。強くなってたくさん1着を獲れる選手になりますので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA