デビューから2年が過ぎた108期の東口純(ひがしぐち じゅん)選手(石川県)。まだ優勝はないものの、決勝でも上位を連発し存在感を放っています。
赤見:東口選手は小中高校とバスケをしていたそうですが、高校からは自転車のBMXもされていたそうですね。BMXというのは珍しいと思うのですが、始めるきっかけというのは?
東口:わたしの地元の石川県小牧市って、BMXのフラットランドという競技が盛んなんですよ。普通に駅前とかでみんなやっていて。それで、中学校を卒業したくらいの時に通り掛かりながら見ていて、「いいな」と思って自分から声を掛けて始めました。
赤見:知らない方々に声を掛けるというのは勇気が必要だったんじゃないですか?
東口:そうですね。でもどこで自転車を買えばいいのかもわからなかったですし、始め方もわからないのでとりあえず聞いてみようと。実際にBMXをやってみて、すごく面白かったです。かなり難しいですけど、一つのことができた達成感がすごくて、それでのめり込みました。バスケは高校でもやっていたんですけど、高校ではBMXがメインという感じでした。
赤見:BMXのフラットランドというのは、どんな競技なんでしょうか?
東口:BMXっていうのは自転車のハンドルがくるくる回ったり、前輪だけで走ったりという感じで、その中でタイムを競うものや障害物を使うものなどがあるんですけど、フラットランドは平地で曲芸みたいなことをする競技です。怪我とかもありますけど、競輪よりは危なくないかなと(笑)。結局5年くらいやっていて、競輪学校に入る直前くらいまでやってました。
赤見:そこから競輪に進むきっかけというのは?
東口:自分の中でBMXが頭打ちというか伸び悩んでいる時、競輪と出会ったんです。高校の時にたまたま急きょ自転車部を作った時があって、人数合わせみたいな感じで入れられてしまって。その大会が競輪学校の横のサイクルスポーツセンターであったんです。高校でお世話になっていた先生と、今競輪学校で教官をしている先生が知り合いで、大会に行った時に面倒を見ていただいたんです。その時にガールズケイリンの話を聞いて、いいなと思いました。
赤見:どんなところに魅力を感じましたか?
東口:やっぱり職業にできるというのは大きかったです。BMXでは正直生活はできないので。先のことを考えて、やりたい仕事もないしと思ったら、好きな自転車を職業にしたいなと思いました。
赤見:悩んだりはしなかったですか?
東口:それはなかったですね。親には、自分で勝手に願書を出してから、「受けるから」って事後報告して(笑)。でもうっすらとは気づいていたみたいで、特に反対もなく「がんばれ」って言ってくれました。
赤見:BMXとはまったく違う競技だと思いますが、戸惑った部分はありますか?
東口:すべてが目に見えて、はっきりとタイムで順位がわかってしまうので、そこは厳しいなとは思いました。BMXは一つの技でもいろいろな見え方があって、はっきりと目に見える点数とかタイムがないんですよ。フィギュアスケートみたいに魅せる競技なので、そういう面では大きく違ったかなと。でも、もともと自転車が好きなので、どっちの自転車も楽しいですね。
赤見:自転車のどんなところが好きですか?
東口:自分で漕いだら漕いだ分だけ進むというのが面白いです。自分で扱えるというか、自分次第で動くので。自分が駆動力になっているので、そこがバイクや車とは違うところだと思います。
赤見:では、競輪選手になってからを振り返っていただきます。デビューは2015年の大垣で、5着2着6着でした。
東口:緊張はまったくしなかったんですけど、いつも見ていた現役の選手たちとのレースで、これまで学校でやっていた競走とは全然違うだろうなとは思っていました。正直走るまで現場のレースがどんな感じなのかまったくわからなかったです。自分が通用するのかどうかも。もしかしたら学校で脚力は全然上位じゃなかったけれど、どうにかして技術で通用するんじゃないかなと思う面もあったり。走ってみてとりあえず決勝に乗れたので、がんばれるかなと思いました。
赤見:初勝利は2か月後の弥彦でした。
東口:やっとという感じでしたけど、すごく嬉しかったです。
赤見:優勝はまだですが、2着が何度もありますね。
東口:そうなんですよ。あと1歩がめちゃくちゃ大きいのは自分の中でもわかっています。今はとりあえず常に2着でいられる選手になりたいです。そうすればいつか1着がついて来るかなと思うので。
赤見:今年8月にも児玉碧衣選手の2着がありました。
東口:久しぶりに決勝確定版に載れて嬉しかったです。しばらくずっと成績が悪かったので、少しホッとしました。
赤見:デビューから2年が経ちました。ここまで早かったですか?
東口:早かったですね。あっという間でした。成績が悪くて凹む時もありますけど、ひたすら練習するしかないので。自分の中で割り切って、楽しみながらやっています。本気で「やばい、強くならなきゃ」って思いながら練習したら余計凹むので、逆に気持ちを吹っ切って「楽しもう」と考える方がいいので。
赤見:メンタル強いですね。昔からそういう考えなんですか?
東口:けっこうそうですね。悩んでも無駄だなって思うので(笑)。楽しんでがんばりたいです。今、すごく楽しいですよ。時間はいっぱいあるんですけど、とにかく練習しかしていないのでほとんど休みはないですね。練習が楽しいんです。
赤見:今の楽しみというのは?
東口:競走に行くことです。普段練習していてたまに飽きるというか、「早く競走行きたいな」って思います。練習をするモチベーションは、応援してくれる人がいるということが一番大きい気がします
赤見:身長が152cmと小柄ですが、苦労や工夫していることはありますか?
東口:苦労はあんまりないかなとは思いますけど、正直体が大きい方が筋肉量とかも多いのでいいなとは思います。けど、小さくて良かったです。「アイツ、小さいのにやばい」みたいな(笑)。そういう方が面白いです。「なんか小さくない?」ってよく言われるんですけど、だからこそ強くなりたいです。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
東口:いつもたくさんの応援ありがとうございます。これからも優勝目指して一生懸命がんばります。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
8月に初優勝した110期の山本知佳(やまもと ともか)選手(和歌山県)。続く9月に2度目の優勝を果たし、今ノリにノッている選手です。現在の心境をお聞きしました。
赤見:8月に地元和歌山で初優勝、おめでとうございます!
山本:ありがとうございます。地元で優勝できたことはすごく嬉しかったです。レースは奥井(迪)さんがいたので先行されるって思っていたんですけど、ホーム過ぎても仕掛けていなくてスローペースになって。思っていたような展開ではなかったんですけど、上手く対応できたかなと思います。
赤見:ゴールの瞬間はどんなお気持ちでしたか?
山本:差せたとは思ったんですけど接戦だったので確信がなくて。喜んでいいのかちょっと迷いました(笑)。でもゴールして、お客さんからもたくさん声を掛けていただいて、優勝した実感が沸いて来ました。でも...、なんていうか、まさかあのメンバー相手に優勝できる思っていなかったので...。グランプリに出るような選手も何人もいる中で、どこまで上手く立ち回れるかなっていう気持ちで挑んだんです。なので優勝して自分でもびっくりでした(笑)。
赤見:大きい1勝でしたね。
山本:そうですね。今後こんなメンバーでやって勝てるのかっていう(笑)。でも、展開次第で脚力が埋められるということを実証できたので、少しは自信になりました。
赤見:さらに9月には西武園で2度目の優勝を果たしました。
山本:2回目の優勝がこんなに早く来るとは思ってなくて...。嬉しいよりびっくりでした。驚きの方が大きかったです。
赤見:そうなんですか?もう一段階上の強さを手に入れたのかなという印象だったんですけど。
山本:運が良かったというのは大きいと思います。脚力は上位の選手と比べたら全然劣っていると思っているので、そこを上手く立ち回ってっていうのが、少しずつできているのかなという風には思います。
赤見:デビューから1年ちょっと経ちました。ここまでを振り返っていかがですか?
山本:早かったですね。もう新人の子たちがデビューしているし。まだ自分が新人の気分でしたから。結果だけ見れば怖いくらい良い1年でした。落車は1件あって、自分のせいで引き起こしてしまった落車で、後ろの3人も巻き込んでしまって...。そのレースに関しては本当に苦しかったです。でもそれ以外は大きなケガもなく、落車もなく、順調に過ごすことが出来ました。たくさんの方々に期待もしていただいているし、プレッシャーも感じながら、そこまで気負わずに走っていければなと。
赤見:では、競輪選手を目指すきっかけを伺いたいのですが、中学校から大学まで、陸上の砲丸投げをしていたそうですね。なぜ競輪に興味を持ったんですか?
山本:きっかけは107期の中西大選手(和歌山県)が同じ大学の同じ部活の一つ上の先輩で、就職どうしようかなと悩んでいる時に、ガールズケイリンを教えてくれたんです。それまで陸上しかやってこなかったので、就職を考えた時に陸上を活かしたいと考えていて、プロや実業団というほどの実績もなかったので、教員として陸上に携わっていけたらいいかなと思って。体育大学だったので体育の中学・高校の免許を取りました。将来は学校の先生しているんだろうなと思っていた時に、そういう風に声を掛けてもらって揺れたんです。本当にやりたい職業に就こうとしているわけではないんじゃないかって。新しいことに挑戦できる機会だし、ずっと体を動かして来たのでがんばれるんじゃないかなと思いました。
赤見:そこからどう動いたんですか?
山本:興味を持ってから、まずレースを見に行ったんです。その時は大阪に住んでいたので岸和田に行きました。見た瞬間に「やりたい!」と思って。その1か月後には和歌山に引っ越したんです。まだ卒業前だったんですけど4年生で授業もなかったですし。和歌山で一人暮らしをしながらアマチュアの生活が始まって、実際に自転車に乗ってみると想像と全然違いました。
赤見:どう違ったんですか?
山本:スピードが出て楽しいとか、面白いという気持ちはあるんですけど、陸上とは違ったしんどさがありました。特に体の使い方を覚えるのには時間が掛かりましたね。でも初めてやるスポーツで、タイムもどんどん伸びて行くし、すごく楽しかったです。
赤見:そして競輪学校に見事合格、大変な1年間を過ごされました。
山本:厳しい部分もあったんですけど、生活にはけっこう慣れました。自由が制限されるので、もう行きたくはないですけど(笑)。同期が仲良くて、すごく助けられましたね。
赤見:デビューは2016年7月の京王閣。2日目に2着に入りました。
山本:デビュー戦は初日5着だったんですけど、自分的には「3着以内に入る!」という気持ちでいたので、「ああ...5着か...」って。難しいなと思いました。見ているのと、実際に自分が走るのとは全然違っていて。今振り返ると、レースがすごく下手なんですよ。行ったらダメな時に行っているし...。でもその初日の5着というのはいろいろ考えさせられたので、結果的には良かったのかもしれません。
赤見:すぐ同じ月に地元和歌山で初勝利を挙げました。
山本:決勝には乗れなかったんですけど、初勝利は嬉しかったです。後方だったんですけど、最後ゴール前で伸びることができて。地元のファンの方の声援がすごくて、その声が力になりました。
赤見:初勝利初優勝が地元ってなかなかできないことですよね。
山本:ようですよね。和歌山でいろいろな方に応援していただいてますし、地元だと5割増しくらいの力が出ているのかもしれないです(笑)。本当にありがたいですね。
赤見:今の目標というのは?
山本:最終的な目標はグランプリですけど、今はまだそこまでのレベルではないので、優勝の回数を重ねたいです。まずは予選の着順が安定していないので、そこを安定させることを考えて走っています。
赤見:具体的な課題はありますか?
山本:課題としては瞬発力なんですけど、レースの中での位置取りをもっと研究していきたいです。どんな展開になっても対応できるようになりたいですね。
赤見:デビューして1年が過ぎて、時間的には少し余裕はできましたか?
山本:まだまだですね。お休みの日は家で寝てます。プライベートが全然充実していなくて(笑)。でも他のバンクに出稽古に行く機会は増えました。今はとにかく競輪漬けの毎日です。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
山本:いつもたくさん応援していただき、ありがとうございます。その声が力になって、がんばることが出来ています。これからも、安心して車券を買ってもらえるような選手を目指してがんばりますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
8月に初優勝を果たした110期の亀川史華(かめかわ ふみか)選手(兵庫県)。父親は名選手だった亀川修一さんということで、デビュー前から注目を集めていました。初優勝の喜び、そしてお父さんとの絆を語っていただきました。
赤見:まずは8月4日、岸和田での初優勝おめでとうございます!
亀川:ありがとうございます。やっとスタートラインに立てたなという気持ちです。まずは優勝を目指して、そこから始まるのかなって思っていたので。目標でしたけど、ここがゴールじゃなくてスタートだと思っています。練習量も前以上に増えましたし、もっと強くなりたいという気持ちがどんどん湧き上がって来ています。
赤見:レースは理想的に運べましたか?
亀川:一応先行主体で組み立てているんですけど、岸和田の時は車番も良くて、車番の並びも良かったんです。今まで決勝戦は7番車だったり外目の枠が多くて、位置取りが難しかったんですけど、この時はいい位置を取れば、チャンスがあるんじゃないかって思っていました。もし誰も行かなければ主導権を取りに行こうと思っていたんですけど、けっこう速くレースが動いたので、これはと思って優勝を狙いに行くレースをしました。
赤見:道中はどんなことを考えていましたか?
亀川:梶田(舞)さんと山原(さくら)さんの先行争いになって、いつも自分が先行してたので本当はその主導権争いに参加したかったなという気持ちもあったんですけど、道中はけっこう冷静に、どっちが(主導権争いに)勝つかなって思って、しっかり見極めて、冷静に動けたかなと思います。ゴールした時は、もう絶対に優勝できる!と思っていたんですけど、本当に優勝したのはびっくりしました。周りの方々も喜んでくれたんですけど、みんなびっくりしてました(笑)。
赤見:去年のデビューから約1年、ご自身で変化や成長を感じるところはありますか?
亀川:いいことばかりではなかったんですけど、いろんなことが自分を成長させてくれたと思います。この1年はあっという間でしたね。もう1年経ったんだっていう感じです。
赤見:もともとは美容師やモデルをされていたそうですが、競輪選手を目指した経緯というのは?お父さんの亀川修一元選手の存在が大きいですか?
亀川:そうですね。その影響しかないです。正直、昔は競輪に対するイメージがあんまりよくなかったんですよ。競輪選手のお父さんというのもイヤで。なんか自分の父親が賭けの対象になっているというのが、子供の頃すごくショックだったんです。でも大人になって、自分が落ち込んでいる時に、父親なりに励まそうとしてくれた時があって。「一緒に自転車に乗らないか」ってサイクリングに誘ってくれたんです。23歳くらいの時なんですけど、その時に初めて間近で父親が自転車に乗っている姿を見て、その背中が忘れられなくて。今もその背中を追いかけているという感じですね。
赤見:まさかお父さんは、亀川選手が「競輪選手になりたい」って言うとは思わなかったんじゃないですか?
亀川:1ミリも思ってなかったと思います(笑)。もちろん猛反対でしたし、「誰でもなれるような職業じゃないし、パッと思いついてやってみたいというような程度でやれるものじゃない。プロの世界を舐めるな」って感じで怒ってました。かなり説得して、やっと自転車に乗せてもらえたのは半年後くらいでした。その時も賛成してくれたわけじゃなくて、自転車に乗らせて、しんどさを味あわせて、やめさせようっていう魂胆だったみたいです(笑)。
赤見:無事にデビューして、しかも優勝もして。お父さんも喜んでいるんじゃないですか?
亀川:すごく喜んでくれてます。でも「100点満点ではない」と言われました。昔は仲がすごく悪かったんですけど、今は競輪のお陰で絆が深まりましたね。最近は競輪のことで楽しく会話したり、練習をみてもらったり。いい関係になることができました。
赤見:お父さんが活躍された選手だったということで、プレッシャーはありませんか?
亀川:すごいプレッシャーでした。父親が強い選手だったので、今でもそうなんですけど、いい結果を残せば『さすが亀川さんの娘だ』って言われて、ダメだったら『2世はたいしたことない』って言われて。がんばっているのはわたしなのに、ちょっと悲しい時もありますね。特にデビューした辺りは葛藤がありましたし、そのプレッシャーに負けてしまいました。
赤見:どう乗り越えたんですか?
亀川:デビュー戦は失格してしまったんですけど、もう頭が真っ白で、ボロボロで帰って来て。父に怒られると思ったんですけど、「まぁこれが競輪だ」みたいな感じで励ましてくれて。3ヵ月くらいは引きずってしまって、誰かを落車させてしまうんじゃないかとか、誰かを傷つけてまで勝ちたいみたいなのはわたしには無理だって思って、レースも消極的になってしまったんです。でもその時に父が、「どうせ7着なんだったら、もう思い切り行って思いっきり負けてこい」って言ってくれて。それを初めて実践した時に、自分の中で壁が砕けたような感じになって。そこから積極的に動くようになりました。
赤見:いろいろな意味でお父さんの存在は大きいですね。
亀川:大きいですね。でも子供の頃の気持ちを考えたら、まさか自分が競輪選手になるなんて...、絶対に思わなかったです(笑)。でも今は競輪選手になって良かったです。父のことも、「こんな気持ちだったのかな」って想像するようになりました。レースにいく前とか、発走する時とか、お父さんはどんな気持ちだったんだろうって思ってます。今はいっぱい親孝行したいですね。
赤見:今の目標は何ですか?
亀川:目標って言われるとけっこう難しいんですけど、自分が結果を出したり、レースをしている姿を見て、誰かが感動してくれたらいいなという気持ちです。車券を当てて喜んでいる姿とか、そういう人が一人でも増えたら嬉しいです。それが、優勝なのか、コレクションとかグランプリを獲るということなのかはわからないんですけど。最終的には上のステージで戦いたいです。
赤見:現在の調子はいかがですか?
亀川:今はいい状態だと思います。練習量がまず増えました。もともと練習はしていたんですけど、さらに増えた感じです。体が強くなってきたのかなと。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
亀川:まだ力不足なところもあって、ご迷惑をお掛けすることも多いと思うんですけど、いつも一生懸命走って、全力で戦ってますので、これからの成長を見ていただけたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
この夏2度の優勝を果たした102期の篠崎新純(しのざき ますみ)選手(千葉県)。苦しい時期を乗り越えて、2年ぶりの優勝を手にしたお気持ちを伺いました。
赤見:この夏は絶好調で、2度の優勝本当におめでとうございます。特に8月の佐世保は完全優勝でしたね。
篠崎:ありがとうございます。優勝したのは2年ぶりくらいだったんですけど、いろいろと試行錯誤して自分に合ったトレーニング方法をみつけることができました。もちろん優勝できたことはすごく嬉しかったんですけど、佐世保はコレクションの裏開催だったんですよ。トップの選手が出ていない中での優勝なので、ここでゴールではなくて、まだまだ自分にはできることがあると思っています。調子は上がってきているけど、まだ途中だと思いますね。
赤見:2年間優勝から離れていた期間というのは、葛藤もあったんじゃないですか?
篠崎:そうですね。わたしは102期で1期生として入ったんですけど、ガールズは毎年新しい選手が入って来て、どんどんレベルアップしているんです。競技としてはレベルアップするのはとてもいいことなんですけど、その分勝つのが難しくなっていって。代謝制度が始まって、レースもどんどん厳しくなってます。前のように成績が上がらなくなって、もう優勝できないんじゃないかって弱気になった時もありました。それでも必死に練習をするわけですけど、トレーニングをしても、自分に合っていないものだと成績が下がってしまう。その頃は、「今は新しいことをしているので、成績に繋がらなくても仕方ない」と思いながら踏ん張りました。
赤見:苦しい時期を乗り越えて来たんですね。
篠崎:悩んでいる時、いろいろな方からアドバイスをいただいたんですよ。S級の強い選手からも教えていただいたんですけど、みんな言うことが違っていて。サドル上げた方がいい、下げた方がいいとか、ハンドルについても真逆のことを言われるし。もちろん、みなさんご自分の経験からよかれと思って言ってくれているんですけど、混乱してどうしていいのかわからなくなってしまって。でも今のトレーニング方法にたどり着いて、体的にもですけど、気持ち的にもいろいろなことが腑に落ちたんです。みんな体格が違うんだから、それぞれ合うことは違うんだって。悩んだからこそ今があるので、苦しい時期もいい経験になったんだと思います。
赤見:篠崎選手は高校生の頃から自転車競技で活躍されていましたが、自転車を始めたきっかけというのは?
篠崎:父がロードが好きだったんです。中学生の時、わたしは陸上部に入りたかったんですけど、学校に陸上部がなくて部活に入っていなくて。父は何かさせたかったみたいで、自転車を勧められました。最初は全然興味なかったんですけど、自転車は競技人口が少ないので、上を目指せるのではないかという思惑に乗せられた感じです(笑)。
赤見:お父さんの思惑通り、日本を代表する選手になったんですね。
篠崎:高校大学と打ち込んで、国内では成績を挙げることができました。本気でオリンピックを目指していたんですけど、でも出場枠を取ることさえできなかったです。世界との壁は大きいと感じました。当時はまだガールズがなかったですし、大学を卒業した時にいったんは自転車から離れたんです。でも3ヵ月くらいで結局戻ることになって。自転車屋さんで働きながら、実業団に入って上を目指すことにしました。
赤見:ガールズ復活と聞いた時はいかがでしたか?
篠崎:復活が決まる前に、エキシビジョンレースをしたんですけど、その時にも呼んでいただいて。本当の創成期の頃から携わらせていただきました。ただ、復活が決まった時にも「すぐガールズへ」という気持ちにはならなかったです。その時働いていた会社にすごくお世話になっていて、土日も大会を優先させていただいていたし、理解してもらって競技を続けて来たので。でも、やっぱりオリンピックを目指すには、働きながらよりも自転車1本でやった方が集中できるのではないかということで、競輪の世界に入る決心をしました。
赤見:ガールズ1期生である102期はかなり手探りだったそうですね。
篠崎:使用する自転車がカーボンに決まったのは卒業直前だし、試験合格のタイムも決まってなかったんですよ。目指すところがわからなかったのはキツかったですね。教官たちも本当に手探りで、大変だったと思います。いざデビューした時には、ものすごく緊張しました。 競技として自分自身の緊張感があるのはこれまでも経験していましたけど、お客さんの大切なお金が賭かっているという責任を感じました。
赤見:その後何度も優勝して活躍するわけですが、冒頭のお話しのようにここ2年は優勝から遠ざかっていたんですね。
篠崎:気持ちがへこむこともありましたけど、結局自分にはこれしかないという原点に戻りました。父に勧められて始めたことですけど、自転車が好きですし、この世界に入って本当に良かったと思っています。
赤見:今の目標を教えて下さい。
篠崎:自分はまだ上を目指せると思っているので、もっともっと練習して強い選手になりたいです。今は調子が上がっているので、ここからさらに上を目指します。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
篠崎:まだまだ成長途上ですが、一生懸命がんばるので応援していただけたら嬉しいです。それに、わたしだけじゃなくて、他の選手もみんながんばっています。今は層が厚くなって下の選手はなかなか成績が上げられないのですが、それでもみんな一生懸命上を目指してがんばっているので、応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
110期の荒川ひかり選手(茨城県)は、デビューから1年が経ち、決勝に乗る回数が増えて来ました。初優勝目指して奮闘する中、今の想いを語っていただきました。
赤見:まず競輪選手を目指したきっかけから教えて下さい。ずっと陸上をされていたそうですね。
荒川:そうです。高校の時の顧問の先生に、「競輪選手っぽい体だね」って言われたんですよ。お尻が大きくて、太ももがしっかりしていたので。それでちょっと気になって調べてみて、興味を持ったという感じです。
赤見:その時まで、進路はどうお考えだったんですか?
荒川:高校の時は興味を持ったというだけで、まだ具体的には考えていなかったんです。大学受験で1回失敗しまして、もう1年浪人して受験をしていたんですけど、その時に第一志望に合格できなくて...。妥協して第一志望じゃない大学に行くか、ずっと気になってた競輪に行くかということを考えて、競輪は今しかできないだろうなと思って決めました。
赤見:競輪を始めてみて、いかがでしたか?
荒川:実は4月1日に自転車を始めた初日に、落車して骨折しちゃったんです。本当に練習を始めた初日で、師匠とかに「初めまして」ってご挨拶をした30分後くらいにやってしまって。周回をしていたんですけど、「もっと前の選手の近くまで行った方が楽だ」って言われて、「もっと前に行かなくちゃって」思って。それまでに体力を使ってたというかいっぱいいっぱいだったんですけど、それで前の人に当たってしまって落車しました。
赤見:初日に骨折とは...よく挫けませんでしたね。
荒川:その時は、続けようとか辞めようとかはあんまり考えていなかったんですけど、よくよく考えるとそうですよね(笑)。その時は「治して早く乗らなきゃ」ということだけ考えてました。それに大学に行くルートも全部絶ってしまっていたので、もうこれしかないという感じでした。
母とも話したんですけど、「危ないからやめなさい」って言われるかと思ったら、「本当に骨折り損になるから、骨折ったからには続けないともったいない」って言われて(笑)。手術はしなかったんですけど、1か月半くらい休んでそこからまた練習しました。
赤見:競輪学校に入ってからはどうでしたか?
荒川:わたし、ずっとすごく髪の毛を長くしていたので、髪の毛を切るのが最初はちょっと抵抗がありました。お尻のところくらいまで伸ばしていたんです。学校に入る時は、ショートって言ってもかなり短いショートなので、初めて切る時は勇気がいりましたね。
赤見:学校時代はかなり短く切ることがルールですもんね。
荒川:トイレに入ると、おばさんに「こっちじゃないわよ」って言われるくらい(笑)。
美容師さんも「本当に切っていいの?」って言ってました。まぁ、髪を切ることは初めからわかっていたことではあるし、気持ちは切り替わった気がしました。
いざ短くしたら、自分では似合わないと思ってたんですけど、周りからは似合うって言われて。入学前のサマーキャンプで一緒だった人が同期にいっぱいいるんですけど、その時はまだ髪が長かったので、「短い方が似合うよ」ってみんなに言われて嬉しかったです。今も、「絶対ショートの方が似合うよ」って言われてます。新しい発見でした。
学校に入ってからは、時間が分単位で決められていたことが大変でしたね。最初は卒業できる気がしなかったんですけど、今思い返すと楽しいことばっかり思い出します。
赤見:デビュー戦は2016年7月の京王閣でしたが、2着3着2着という上々の滑り出しでしたね!
荒川:自分にしてはできすぎた感じでした。運もよかったです。学校の時からあんまり自力脚があるタイプではなかったので、この人につこうとかざっくりしたことは考えていたんですけど、どうやってその人の後ろについたのか覚えてないんです。とにかくすごく緊張してましたね。
赤見:そこから1年経ちましたが、現在の調子はいかがですか?
荒川:続けて決勝も乗れているし、今はいい状態だと思います。年始に落車してからあんまり良くなかったんですけど、最近やっと上がって来て。ただ、前に比べたら慣れては来たんですけど、レース前は今もすごく緊張してしまいます。場所によってはすごく上がってしまったり、お腹壊しちゃったりするんです...。1年後ならもっと慣れて、こんなに緊張しなくなるかなって思ってたんですけどね。でもこれもいい方に考えていて、緊張感がある方がいいのかなとも思っています。
赤見:大学受験の時は辛かったと思いますが、結果的にこの道に進んだこと、今はどうお考えですか?
荒川:大学も体育系の大学に行きたかったので、体を動かす仕事に就きたかったんです。その時の目標は叶えられなかったけれど、競輪に出会えてすごく良かったですね。今はこっちの道に来て本当に良かったと思ってます。
赤見:ちなみに、賞金で何か大きなもの買いました?
荒川:トレーニング器具なんですけど、ワットバイクを買って自宅に置いてます。35万円しました。ちょっと背伸びし過ぎちゃったかなとは思うんですけど、自分の体のためなので奮発しました。
赤見:では、目標を教えて下さい。
荒川:地元の開催で優勝することが目標です。まだ優勝もないんですけど、それがデビューからの目標なので。同期もけっこう優勝しているので、わたしも負けないようにがんばります。
赤見:オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
荒川:いつも応援ありがとうございます。これからも車券に貢献できるようなレースができるようがんばりますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA