第21回 馬の女神に愛された希世姫 佐藤希世子
新年1回目のジョッキーファイルは佐藤希世子騎手です。
--- 馬と出会ったきっかけを教えてください。
札幌の高校に入った春休みかな、道内を家族旅行してて、暗くなってきた時に、私がナイスタイミングで『あ、明かり見えた!』って旅館見つけたんだ。こんな田舎で明かりっていったら商店か旅館くらいだから。
素泊まりでいいから泊めてもらえませんか、って言ったら遅かったけどご飯出してくれて。お風呂入ってふと窓見たら『あれ、馬がいる』。聞いたら、繁殖牧場もやってるんだわ、って。春だから仔っこ馬見せてもらってね。
次の日、旅館の人が働いている育成場で乗馬用の馬に乗せてくれた時、あっこれだ、ってピンとくるものがあって。
もともと動物関係の方に進みたいっていうのはあったけど、馬は選択肢の中になかった。
その年の冬休みに、親に『牧場に電話して』って頼んだら『自分で行きたいもん自分で電話しなさいよ、OKもらったらあんた自力で行くんだからね、あっち汽車なんてないからね!』って。結局自分から、『旅館でも馬の仕事でも何でも手伝うんで、馬の世話の仕方勉強したいんで冬休み置いてください』って無謀にも行って。
そこの人は今でも家族と一緒。
高校卒業してから、静内にあるJBBA(日本軽種馬協会)の研修課程に入ったの。高校3年間牧場に行ってる間に考えたら、繁殖の方より乗る方が興味あったから進むなら育成かなって。それが、ヘルニアがひどくなってきて。病院通いながら我慢してたんだけど……だんだん悪くなって、4ヶ月くらいでやめて札幌帰ってきて、2〜3週間入院したんだよね。
--- もともとはサラブレッドだったのですね。怪我という挫折も経験されて……。
でも結局、馬が好きで……。退院してからたまたま乗馬クラブの看板見つけたんだけど、お金ないから乗れないし、ただ指くわえてずーっと馬見てたんだ。したら不審者に映ったんだろうね(笑)。『馬好きなの? 乗ってみる?』って。
『忙しい週末とかに作業手伝ってくれたら、1頭か2頭乗せてあげれるけど』って言われて、親の会社も手伝いながらずっとアルバイト。
だんだん日数多くなって、3年間くらいそこいて。最後6ヶ月くらいは正社員だったんだけど、だんだんと不景気のあおり受けて、冬だけ身内でやるから休んでもらえないだろうかって。
その間、見て歩いてたうちの一つが尾ヶ瀬厩舎の札幌部門の方だったと。
リッキーの引退レースに騎乗
--- そこでばんえいとの出会いですね。自分で馬を探しているうちに、厩舎を見つけたのでしょうか? 尾ヶ瀬トレーニングセンターは札幌市内ですが、広い畑の端にありますよね。
それもまたドラマがあるんだ(笑)。
私の家の近くにある公園で幌馬車やってるよ、って親に聞いて……行ってみっかなーって行ってみたら、真っ白でかわいい芦毛馬いたんだ。ヤマトってね。それの馬車をたった一人で馬車追いできたのが、うちの調教師(尾ヶ瀬富雄調教師)のお兄さんだったの。もっとおっかない顔してるんだけど(笑)。ちょこちょこその公園に遊びに行くようになって。
『弟のところ手伝いに行くんだ、良かったら来てごらん』って言われて行ったら、競馬場での開催が終わって、ばん馬が札幌で休養してたの。
尾ヶ瀬さん所行ってるうち、面白いからってバイトの中でも行く比率が高くなっていって。
昼から行ってたのが、朝から行くようになって。乗り馬を散歩してたのが、橇かけるの教えてもらって。
しめしめだよね(笑)。向こうも多分しめしめだったんだよね。
したら競馬場行ってみないか、って話で。
今は通年だけど、前までは季節労働者だったんだ。朝苦手だし、もたないかなーとか思いながら1年終わって……1年1年の雇用だったから、うちの親も帰ってくると思ってたんだよね。そしたらもう1年行かしてくれってね(笑)。行ったら2年目に怪我したもんね。
靭帯切って8ヶ月くらい休んでるんだわ。馬から落ちて、着地した時ひねっちゃって。
この世界なら誰でもあるから。みんな1箇所くらいは(怪我)してると思うよ。
--- そうでしたか。サラブレッドからばんえいの世界に入ったのは、その時の流れということになるのかな。
馬の仕事続けたかったから、いいタイミングだったっていうのもあったし。
今まで馬関係のことしてきた中で、人とのつながりによって、出会いがあって、それを経由してきてるんだよね。すべてが偶然で……。
--- 引き寄せた、と感じますか?
うん、人に恵まれるタイミングがすごく合ってると思うんだよね。
--- そして、ばんえいの世界に入りました。騎手になろうと思ったのは。
騎手になろうと決心したのが25の時。
ケガしたのが23の秋。(靭帯が)元に戻るまで3年かかるって言われたんだ。そろそろ3年っていうのがあったから……。
最初ははそんなになりたいって気持ちもなかったけど、20代後半になるとなかなか踏ん切りがつけられなくなってくると思って。
25の年に初めて受けて。で、2次試験で落ちて。2年目で合格。
--- ああ、20代後半って悩みますよね。それにしても2年目で合格とは優秀! 思い出の馬を教えてください。初勝利はタカラドーベルでしたが。
やっぱりねー、それだね。
初騎乗した馬で、2回目で初勝利なんだ。自分が攻め馬したことない馬、松田さん(道明騎手)に攻め馬さして、調教師が乗って『頭とらしてやる』って。この間前原和信先生にその話したら『そうだったかー』って忘れてた(笑)。で、頭取ったんだ。コンマ2秒差でね。
他に?……デビューした時のポスターに載せてる馬かな。マサフジって。
横に長いポスター見たことない? カウボーイの格好したやつ。あの年引退の年だったんだけど、自厩舎で1年目から担当してた馬で、おとなしかったから。
--- 希世子騎手はイベントやポスターに引っ張り出されて、広告塔として頑張られていますよね。
今年は勘弁してくれって言ったんだけどね。
広報に行った時、これはぜっっったいダメだからって……(笑)
今年の新しいポスターです
--- ある意味、女性騎手の使命ですよね。
成績の割には、いつでも必ず買ってくれる人とか、応援してくれる人……ヤジも応援のうちだけどさ、そういう人が未だに多いのはありがたいことだよね。
オッズパークの年賀状プレゼントもさ、『去年もそうでしたけど、今年もダントツでしたからよろしくお願いしますって』って。
100枚近くサイン書いてね。そうやってみんな応援してくれるんだなって。
--- さて、希世子騎手の弁当箱。重そうですがどれくらい…って重さ聞いたら体重ばれちゃうか。『希世姫』というラベルシールが貼ってあるそうですね。
体重は聞かれたら出してるけど……どれくらいだろ。弁当箱は20(kg)はあるよね。最近見ないからわかんない。検量側から見るものだから、逆側から見ないとわかんないからさ。
シールはね。他の人も同じようなの貼ってるんだけど、競馬場に言わなくても作ってくれるおじさんがいて。たまに剥がれてたら、3、4枚作ってくれるんだよね。ヘルメットにも貼ってあるんだ。書くよりこっちの方が剥がれないからいいかなと思ってさ。
最初希世子だったんだけど、弁当箱変えた時にガムテープで貼ってたら、ダメだ、俺作ってやるからって、希世姫が4枚か5枚くらい(笑)。
お世話になります(笑)。
--- 競馬場らしい、いいおじさんですね(笑)。弁当箱20kgですか、30くらいあるかと思っていました。痩せていますよね…(羨)
痩せてはいないけどね。なんかね、年々、ついてはいけないところに(肉が)ついてきてるんだよね。わかると思うけど(笑)。重力には逆らえてなくてね。いつからここにきたの! 上がって!って(笑)
まだね、仕事して筋肉ついてるからいいんだよ。
静内から乗馬クラブ移るときに、ちょっとした小作業しかしてなかったっけ、体重変わらないんだよ。なのに体型1.5倍位になったから。ジーパンなんかどれもこれも入んないって。パンパンで。
--- いや、痩せてますって…(羨) 筋肉になっているんですね。腕につきますか?
肩まわりかな?
流行りのスーツね。スポンちょっきり、ジャストサイズ! ラインきれいだしさ、いい感じと思って片腕通した時ね、パンパンでヤバいなと……思ったの。したら肩のところピリって……そーっと脱いで、『11号お願いします』って(笑)。
それ皆に話すと、『11号女、11号女』って(笑)。
インタビューに慣れていて、こちらが大変助けられました。それでも気さくな希世子騎手、インタビューというよりはおしゃべりをしてきた感じ。たくさん笑ってきました。
女性男性関係なく、当たり前のように「ばんえいの中で」を意識している考え方に心強くなります。
馬が好きという強い気持ちが、馬の神様に愛され、二物を与えたのだと思います。
勝負服姿の美しさの理由はこれなんだな、と思いました。
取材・文・写真/斎藤友香