今日は中山競馬場へ。
桜花賞は、テイエムプリキュアから買っていたので外れましたが、大好きなアンカツさんが勝って、嬉しかったな。
久し振りに、新谷さん(高崎時代の厩務員さんで、私の勝星の2/3を挙げさせてもらった、かなりの恩師です。)に会って、築地の美味しいお寿司をご馳走になりました。
アンカツさんを皮切りに、最近地方のジョッキーの中央での活躍が目覚しいですよね。元地方ジョッキーの端くれの私としても、とても嬉しい事です。
競馬をよく見ている方なら、もうおわかりだと思いますが、中央のジョッキーと地方のジョッキーの1番の違い、何だと思いますか?人それぞれ意見があると思いますが、私の見解は
「馬に負担をかけず、力を100%だすか。」というのが中央乗りで、
「いかに馬を動かすか。」というのが地方乗りの基本的な考え方ではないかな。この微妙な違いが、騎乗フォームにも出ていると思うんですよね。
中央のジョッキーは、みんな綺麗な姿勢で追う時もあまりブレない。それに対して、地方のジョッキーは追う時のアクションが大きい。どうしてそれで馬が走るの??と思うくらい、個性的な乗り方をしている方もいますよね。私は地方競馬の教育を受けているから、もちろん地方乗りの方が好きですが、どっちが優れているかというと・・正直わからない。
スピード勝負のアメリカンスタイルと、パワー重視のヨーロピアンスタイルの違いと同じ気がする。
だから、レースによって、騎乗馬によって、それぞれ合う、合わないが出てくるわけで。
それに、ジョッキー自身の個性もありますよね。
91勝というたいした事のない成績だった私ですが、豪腕と言われているジョッキーが勝てなかった馬で、勝った事が何度かあります。展開に恵まれた、という事もありますが、1番の勝因は
「何もしなかったから。」だと思っています。エバって言う事ではないんですけどね・・。
そういう馬達は、たいがい気性のキツイ牝馬で、プライドが高く、人に命令される事を嫌うタイプ。パドックで荒れ狂ってるような子ですね。私にとって、そういうタイプの馬が1番合っていたと思います。
逆に苦手だったのは、500キロ以上ある牡馬で、落ち着きがあり、何事にも動じないタイプ。
こんな感じで、たとえ成績の冴えないジョッキーでも、地方でも中央でも、必ず得意なタイプがいるはずです。そして、リーディングジョッキーにだって、乗りたくない馬はいる(と思う・・)。
そういう目線で見ると、大きいレースや有名競馬場以外でも、競馬を楽しめるんじゃあないかな。
余談ですが・・私はパドックや返し馬でわがまましている子を見つけると、つい可愛くって買ってしまう・・
それで今日も痛い目にあいました。
今日は親友のマルの誕生日。銀座にて、マルとちはるちゃんと私で、ささやかな誕生日パーティを開催。例によって、マルと私は飲み過ぎた訳ですが・・独身上州女3人組の会、とっても楽しかったな。
誕生日というと、必ず思い出す・・現役時代、私が誕生日を迎えるたびに、高崎競馬場の実況アナウンサーの方が、
「本日22歳の誕生日を迎えた赤見騎手。」とか、
「今週24歳になった赤見騎手。」
と紹介してくれていたけれど、25歳を過ぎてから、
「本日誕生日の赤見騎手。」
と年齢が省かれるようになった。
アナウンサーの方のお心遣い、ありがたいようでもあり、淋しくもありました・・
私はよく、「ピンク好きですよねぇ」と言われる。
自覚症状がないので、親友のマルに、「なんでかなぁ?」と聞くと、
「だってピンク好きじゃん!」との答え。
なるほど私の持ち物や部屋のインテリアはピンクばっかりだ・・
でもね、別に好きってわけじゃないんですよ。1番好きなのは白だし。
私がピンクを買うようになったのは、騎手になってからだ。正確に言うと、勝負服を決めてから。
プロフィールの写真に載っているように、私の勝負服はピンクと黒。よくエイシンのと間違えられたけど、
赤じゃないですから!
なぜ、好きでもないピンクと黒にしたかというと・・
私がまだデビューする前、群馬記念に武豊JKが乗りに来たんです。最初に書いたけど、私が騎手を目指すキッカケになった憧れの武さんを初めて生で見たわけです。
その時武さんが着ていた勝負服が、私の勝負服になったという、まぁ単純な話。
所属調教師さんが勝負服を決める場合もあるけれど、うちの先生は放任主義だったので自分で決められました。
調教時のヘルメットも、ピンクの人がいなかったのでピンクにして、その辺から競馬に関するものはピンクで揃えるようになった訳です。トレセン内用のスーパーカブをピンクに塗りたくった時は、
「頭がおかしいんじゃないか?」とまで言われる始末・・
しょうがないんですよ、凝り性なもんで。そんなこんなで今でもピンクを選ぶ癖が抜けない私です。
なぜこんな言い訳がましい事を長々と書いたかというと・・
実際の私に会うと、イメージと違う、とよく言われるから!
「お酒大好き!」というのも違うようで・・
まぁ、このブログでだんだんと、真面目なスポーツウーマン的な女性ジョッキー像から離れていく事になると思いますが、素の赤見千尋を楽しんで頂けたら嬉しいです。
群馬から都会に引っ越して来て、早1年。
桜の季節も2度目を迎え、いっちょ前に都会人気取りだった私ですが、本日都会の洗礼を受けました・・。
仕事が終わってご飯を食べ、家に帰るために駅に向かうと、何やら駅員さんが叫んでいる。
「踏み切り事故のため、上下線共ストップです!!」
え−?!と思ったけど、まぁ、タクシーで帰ればいっか・・と思い直し、タクシーのりばへ行ってみると、
人!人!!人!!!100m以上の大行列。田舎育ちの私にとって、タクシーは道で拾ったり待ったり
するものではなく、電話で呼ぶもの。こんな所で待ってはいられないわ・・と覚悟を決めて歩き出したの
でした。
時間は11時をまわり、暗い夜道に恐怖心を抱いていた私ですが、どうやら私と同じ運命の人達が数
百人はいるらしく、次から次に人が溢れて来て、運動会の行進のようでした。
でも何故か、みんな歩くのが早い!どんどん私を追い越して行ってしまう・・。私はといえば、途中で靴
が何度も脱げて、8cmのハイヒールを呪いながら、ゆっくりゆっくり歩いて行きました。たまに空車のタクシーがいると、10人くらいがいっせいに駆け出して争奪戦を繰り広げたりして、みんな元気だなぁ・・と感心したり、今日は馬券もはずれて散々な日だな・・と嘆いたりしながら、結局2時間のウォーキングとなりました。
1つの電車が止まると、何千何万という人達に影響が出る、都会の怖さを実感しました。
もしも災害があったら・・と考えると、もの凄く怖いですよね。もしものために、準備しておかなければいけないな。
ジンジン痛む足を引きずりながら、やっと辿り着いた我が家で食べたプリンは、とーっても美味しかったです。小さな幸せを噛み締め、布団に入ります。みなさん、おやすみなさい・・
はじめまして!赤見千尋です。
ご存知ない方の方が多いと思うので、まずは自己紹介をします。
2000年10月から、高崎競馬場が廃止になるまで、6年間ジョッキーやってました。
大雪のおかげで、高崎競馬場最後のレースを勝ち、宇都宮競馬場での自身の引退レースも勝ち、気持ち良く引退する事が出来ました。
今は競馬ジャーナリストを目指し、勉強中の身です。
初対面の方に会うと必ず、「なんでジョッキーになったんですか?」
という質問をされますね。これはもぉ、100%です。
何故、蕎麦屋の一人娘である私がジョッキーになったかというと・・
「私ではなく、馬が走るから!!」
高校2年の春、初めて見た競馬中継が、チョウカイキャロルが勝ったオークスでした。
当時、競馬といえば[オグリキャップ]と[武豊]しか知らなかった私にとって、1番人気のオグリローマン&武豊が惨敗した姿は衝撃的でした。
「武豊でも負けるんだ・・だったら、強い馬に乗れば私でも勝てるんだ!!!」
と、単純な私は思ってしまった訳です。
今考えると、「なんて世間知らずな小娘だ」とつくづく思いますが、当時の私はコギャル街道爆進中で、世の中に怖いものなどなかったので、いきなり乗馬クラブへ行き、「私、ジョッキーになります!」と宣言して、周りを唖然とさせたのでした。
まぁ、その後は色々努力を重ね、挫折を繰り返し、念願のジョッキーになった訳です。
熱しやすく冷めやすい、非常に飽きっぽい私ですが、競馬熱だけは10年以上冷める気配もない。それどころか競馬依存症にかかり、抜け出す事は一生不可能な状態です。
競馬にハマッた事がある方なら、この気持ち、わかってくれますよね?
いままでは、競馬を中から見てきましたが、引退して外から見るようになると、新たな発見がありますね。パドックで、私をなじっていたおじさん達の気持ちが、今は良くわかる!!
そんな訳でこのコラムでは、競馬をジョッキー目線で見たり、ファン目線で見たりしながら、競馬ジャーナリスト赤見千尋の成長記を綴っていきたいと思います。