NAR『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』、『競馬総合チャンネル』などで地方競馬を中心に記事を執筆。グリーンチャンネル『アタック!地方競馬』『地方競馬中継』解説。1964年生まれ。
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今年、新たな試みとして行われる「ダービーWeek」が近づいてきた。念のため日程を掲載しておく。
6/4(日) 九州ダービー 栄城賞(佐賀)
6/6(火) 札幌ダービー 北斗盃(札幌)
6/7(水) 東京ダービー(大井)
6/8(木) 兵庫ダービー(園田)
6/9(金) 東海ダービー(名古屋)
6/11(日) 岩手ダービー ダイヤモンドカップ(水沢)
ぼくは今のところ、九州ダービーと東京ダービーに行く予定だ。
レースはもちろんだが、中でもやはり佐賀競馬場で行われるオープニングイベントが楽しみ。わざわざ佐賀まで行くのは、このオープンニングイベントの取材のためといってもいいくらいだ。
あの関口房朗氏が来場するというから、何が起こるかわからない。
そして、ぜひとも食べてみたいのが、777個限定販売の「ゴールデンバーガー」(500円)だっ!!!
佐賀競馬場の開催日にワゴン車で販売している「からつバーガー」と、関口会長とのコラボレーションということらしい。
自慢じゃないが、ぼくは佐賀競馬場でこの「からつバーガー」を今までに2度食べている。プレーンのハンバーガーは230円だが、写真はもっとも高価な380円也の「スペシャルバーガー」。食べかけなのは、まことにまことに申し訳ない。
「からつバーガー」は、注文するとまずバンズを温めるところからはじまって、卵や肉もそのつど焼いているので10分ほど待たされるが、間違いなくできたてが食べられるのはうれしい。かなりのボリュームがあり、手作り(たぶん)の上に、新鮮なレタスもたっぷりなので、街中のハンバーガーチェーンのものなどと違ってヘルシーな感じがする。
で、佐賀ダービー当日に販売される「ゴールデンバーガー」だが、特別に高級神戸牛を使用し、なんと金粉入り。普段の「からつバーガー」は写真のような包装紙なのだが、これが関口会長の顔写真入りになるらしいというから、なんともシュールだ。
『佐賀ダービー栄城賞』当日、第1レース前に佐賀競馬場に着いてまずやることは、限定777個の「ゴールデンバーガー」を食べること。これに決まり。
仕事がら、たまにではあるが、地方競馬全主催者のホームページを順番にチェックしたりすることがある。
昨日は笠松競馬のところで「あっ」と目が止まった。
「坂口重政騎手引退について」
引退すること自体についてもだが、その伝えられ方が、あまりにもなにげなくされていることにちょっと寂しさを感じた。
地方競馬通算12,855戦1,812勝。
笠松にはきわめて近い年代に、安藤光彰・勝己兄弟、兵庫に移籍した川原正一騎手、昨年10月に2,000勝騎手の仲間入りを果たした濱口楠彦騎手がいる(いた)。坂口重政騎手を含めたこの5名は、いずれも1959年か60年の生まれ。これほど優秀な騎手がまとめて出た年代というのも珍しいのではないか。
地方騎手としてのひとつの大きな区切りである2,000勝には届かなかったものの、同世代のこれらのライバルと勝ち星を奪い合いながら残した成績としてはきわめて優秀なものだろう。
坂口重政騎手といえば、何と言ってもルイボスゴールドだ。
ルイボスゴールドは95年の3歳(旧4歳)時、金沢のサラブレッドチャレンジカップと、盛岡のダービーグランプリを連勝。普通の年ならNARグランプリの3歳最優秀馬に選ばれただろうが、この年は「交流元年」と言われた年で、幸か不幸か同じ3歳世代には中央の牝馬3冠すべてに出走したライデンリーダーがいた。
ダービーグランプリは翌96年から、サラブレッドチャレンジカップは99年から中央との全国交流となるのだが、ともに地方のみの交流だった時代、10月に行われていたサラブレッドチャレンジから11月のダービーグランプリへという路線は、地方の3歳チャンピオンを決める王道だった。
ぼくはたまたまこの年、両レースとも現地でレースを見ていたので、特に印象深い。
そしてこの両レースと同じくらい印象に残っているのが、96年の阪神大賞典だ。
GIIながら、歴代の名勝負として必ず投票などでベスト10に入る、ナリタブライアンとマヤノトップガンの、あのレースだ。
4コーナーでルイボスゴールドは好位に上がってきた。しかし直線では、前の2頭が後続をどんどん突き放し、3着争いははるか後方。テレビの画面にはまったく映ることがなかった。
しかしルイボスゴールドは、前の2頭から9馬身も離されはしたが、見事に3着。鞍上はもちろん、坂口重政騎手だった。
あれからもう10年もたった。
機会があれば、あのレースのこともご本人から聞いてみたいのだが。