仕事がら、たまにではあるが、地方競馬全主催者のホームページを順番にチェックしたりすることがある。
昨日は笠松競馬のところで「あっ」と目が止まった。
「坂口重政騎手引退について」
引退すること自体についてもだが、その伝えられ方が、あまりにもなにげなくされていることにちょっと寂しさを感じた。
地方競馬通算12,855戦1,812勝。
笠松にはきわめて近い年代に、安藤光彰・勝己兄弟、兵庫に移籍した川原正一騎手、昨年10月に2,000勝騎手の仲間入りを果たした濱口楠彦騎手がいる(いた)。坂口重政騎手を含めたこの5名は、いずれも1959年か60年の生まれ。これほど優秀な騎手がまとめて出た年代というのも珍しいのではないか。
地方騎手としてのひとつの大きな区切りである2,000勝には届かなかったものの、同世代のこれらのライバルと勝ち星を奪い合いながら残した成績としてはきわめて優秀なものだろう。
坂口重政騎手といえば、何と言ってもルイボスゴールドだ。
ルイボスゴールドは95年の3歳(旧4歳)時、金沢のサラブレッドチャレンジカップと、盛岡のダービーグランプリを連勝。普通の年ならNARグランプリの3歳最優秀馬に選ばれただろうが、この年は「交流元年」と言われた年で、幸か不幸か同じ3歳世代には中央の牝馬3冠すべてに出走したライデンリーダーがいた。
ダービーグランプリは翌96年から、サラブレッドチャレンジカップは99年から中央との全国交流となるのだが、ともに地方のみの交流だった時代、10月に行われていたサラブレッドチャレンジから11月のダービーグランプリへという路線は、地方の3歳チャンピオンを決める王道だった。
ぼくはたまたまこの年、両レースとも現地でレースを見ていたので、特に印象深い。
そしてこの両レースと同じくらい印象に残っているのが、96年の阪神大賞典だ。
GIIながら、歴代の名勝負として必ず投票などでベスト10に入る、ナリタブライアンとマヤノトップガンの、あのレースだ。
4コーナーでルイボスゴールドは好位に上がってきた。しかし直線では、前の2頭が後続をどんどん突き放し、3着争いははるか後方。テレビの画面にはまったく映ることがなかった。
しかしルイボスゴールドは、前の2頭から9馬身も離されはしたが、見事に3着。鞍上はもちろん、坂口重政騎手だった。
あれからもう10年もたった。
機会があれば、あのレースのこともご本人から聞いてみたいのだが。