3月下旬までしばしの冬休みに入っている岩手競馬なのですが、そのシーズンオフを利用して、高松亮騎手と高橋悠里騎手の2名が佐賀競馬場に遠征しています。先週までの時点で高松亮騎手が28戦3勝、高橋悠里騎手は15戦1勝の成績。
高松亮騎手の方は騎乗数が多いですし、佐賀も2度目とあって安定した内容といっていいでしょう。高橋悠里騎手の方は本格的な他地区での騎乗は初めて。騎乗数もそれほど多くないながらも次第に佐賀のレースに慣れてきたな、という印象です。
なにより、どちらの騎手も勝率だけで言えば地元以上の結果ですからね。よくがんばっていると思います。
この、冬の佐賀競馬での武者修行は05年から始まって今年が3度目。受け入れは減量のある騎手に限られる上、まるまる1ヶ月以上行ったきりという条件があるため誰でもいけるというものではありませんが、若手騎手たちにとってはあこがれの的のようです。
他場での短期所属制度を目指すのはハードルが高いし、馬と一緒の遠征というのもなかなかチャンスがないですから、腕を磨きたい若手騎手にとっては佐賀遠征は一番身近な「他所の釜の飯を喰ってくる」機会。実際、佐賀に行ってきた騎手たちは皆、仕事の内容の違いに驚きかつ苦労しつつも、異口同音に「また行きたい」と言っていたものです。
現地佐賀の皆さんもいろいろな都合をやりくりして受け入れて下さっている事でしょう。来シーズンの冬は減量騎手が少なくなりますが、この遠征、ぜひ続けてほしいですね。
あ、ふと思いつきましたが、来シーズンよりデビューすると思われる菅原俊吏騎手の減量はどういう扱いになるのでしょう?俊吏騎手はオーストラリアで騎手経験があり、全くの新人では無いんですよね。よく似た経歴だったJRAの横山義一元騎手の場合、JRAデビュー戦では減量がありませんでしたから、やはりそれと同じ事になるのでしょうか。
高松亮・高橋悠里両騎手の佐賀遠征も今週末と次週で終了となります。今週は、今の時点で決定している土・日分だけでも高松亮騎手が13鞍、高橋悠里騎手が8鞍の騎乗があり、勝ち星追加に大きな期待がかかります。
私もできれば佐賀まで行って現地で応援したかったのですが、残念ながらそれは果たせずじまいになりそう。その替わりといってはなんですが、岩手での佐賀競馬場外発売やオッズパークで両騎手の馬券を購入して応援したいと思います。皆様もぜひ。
ご無沙汰しておりましたカメラマンの佐藤です。シーズンオフ期間のこのブログですが、既に他の2人が投稿しておりますように週1回更新・3人のローテーションで進行していくことになりました。よろしくお願いします。
少し前の話になりますが、元旦には恒例となった「チャグチャグ馬コの初詣」を見に行きました。チャグチャグ馬コといえば6月に行われる有名な行事ですが、そのスタート地点にあたる滝沢村の蒼前神社では、毎年1月1日に人馬が6月の本番と同じ衣装で初詣を行います。これは数年前から行われており、当初は通常初夏に目にする光景が雪景色の中に出現して違和感を覚えましたが、今では年始めの絵になるひとコマとしてすっかり定着しました。
イベントでは神社前でミニパレードも行われ、毎年、カメラマン達の格好の被写体になっていますが、今年は路面に雪が無かったためか少し足を伸ばして下の写真のところまで行進を行いました。そう、ポスターなどでおなじみの、岩手山をバックにしたあの超有名な風景です。しかし普通は黒くそびえているはずの岩手山がこの日は白く輝いて、初めて目にする景色になりました。これでいつもの冬だったら手前の里山や家の屋根にも雪があてもっと良かったのに…しかしこの行進ルートの延長自体、路面凍結がなかったから出来たことだと思いますので、珍しいシーンを撮影できただけでも良しとしなければならないでしょう。
そんな幸運もありましたが、この冬は暖冬(この言葉も耳にしすぎて飽き飽きするほどですが)のあおりから各地でイベントの縮小や中止が相次いでいるようです。札幌や小岩井の雪祭りも雪像の数を減らすとか、サイズを2/3にするなどの策が講じられたとか。今年見に行こうかと考えていた金ヶ崎町の全国犬ぞりフェスティバルも中止になってしまいました。金ヶ崎町というと水沢競馬場のある奥州市の隣に位置しますが、そりのコースを確保できないくらい雪が無いんですね。選手や関係者の方々はさぞがっかりしていることでしょう。
ところで先日、ネット上をうろついていたら、こんなイベントが行われているのを見つけました。スイスのサンモリッツ湖で開催されている、その名も「ホワイト・ターフ」。なんと凍結した湖の上にトラックをつくり、雪と氷の中で競馬をやっています。これ、私は初めて知りましたが有名なものなんでしょうか?公式ホームページが英語と独語なのでよく分かりませんが、欧州一流の馬や騎手が出ているらしいです。
そしてその競技がまたすごくて、普通に乗り役が騎乗するレースの他、一人乗りの馬橇で行う繋駕競走や、さらにはスキーを履いた人を馬が曳いてレースをしている写真が載っています。レース名がドイツ語で読めないのですが、輓馬からおもりをとって騎手にスキーを履かせた状態とでも言いましょうか。もちろん相当スピードが出ると思いますし、これで“馬群ひとかたまりになって3コーナーから4コーナーへ”なんて、完全にスタントマンの世界ですよ!仮に速歩競走だとしてもけっこう怖くないですかこれ??
そういえば車のレースでもアンドロス・トロフィーというのがありましたっけ。こちらは欧州各地のリゾートスキー場を舞台にモンスターマシンがヨーイドン! タイムトライアル方式ではなく、狭いコースを横向きにドリフトしながらガチンコバトルが繰り広げられるというなかなかクレイジーなレースなのですが、あちらでは冬期間のモータースポーツイベントとしてすっかり定着しているらしいです。
アンドロスといいホワイト・ターフといい、いやはや、やはりヨーロッパのスポーツ文化には奥深いものがありますね。日本ではおじいちゃんが幼い孫の手をひいて自動車レースを見に行く…なんてことはなかなかありませんが、あちらではよくある光景だとか。これも文化として人々の間に根付いているからでしょう。
一方、日本の競馬はといいますとギャンブラーの悪いイメージがまとわりつくのが現状ですが、日本各地の競馬場が長く歴史を積み重ねて行けば、文化として皆の間に根付くときが来るのでしょうか。
(文/写真・佐藤 到)
1月31日、川崎競馬場で行われた今年最初のG?「第56回川崎記念」(川崎競馬場 2100m)の取材に行ってきた。このレースには岩手からオウシュウクラウン、テンショウボスの明け4歳馬2頭が挑戦した。
前者オウシュウクラウンは大晦日12月31日のファン投票・桐花賞を快勝して見事復活。一方のテンショウボスは桐花賞で3コーナーから早めにまくりをかけ、一発勝負に出たものの0・2秒差4着に敗退。しかし、続くトウケイニセイ記念で待望の重賞タイトルを獲得し、上昇ムードは明白。また今後の岩手競馬を占う意味でも興味尽きない一戦となった。
本題に入る前に両馬の臨戦過程を若干お伝えしたい。岩手競馬は先月1月15日をもってひとまず2ヶ月半の休養に入ったが、その後もオウシュウクラウンは盛岡競馬場、テンショウボスも水沢競馬場で調教を継続できた。本来なら15日以降、両競馬場の馬場が閉鎖されてしまうのだが、G?の晴れ舞台に向かうのであれば…と岩手県競馬組合も全面協力。通常開催どおりコースにハロー掛けを行い、加えて暖冬にも味方されて両馬とも順調に攻め馬を消化。1月20日にまずオウシュウクラウンを盛岡で積み、続いて水沢に寄ってテンショウボスをピックアップして2頭で仲良く川崎競馬場へ移動した。
幸い長距離輸送の疲れもなく、オウシュウクラウンは長坂厩務員、テンショウボスは阿部英俊騎手とのコンビで翌日21日から川崎競馬場で調教を再開。またオウシュウクラウンは主戦の小林俊彦騎手が九州(M&Kジョッキーズシリーズ)遠征から途中、川崎へ立ち寄って最終追い切りを敢行。半マイル(4ハロン)50秒9の好タイムを馬なりでマーク。またテンショウボスの方も阿部騎手を背に、一杯に追って半マイル50秒ジャストを出して好調さをアピールした。
さて当日。オウシュウクラウンは前走比マイナス2キロの499キロ、テンショウボスも増減なしの528キロ。とほぼベストの状態で出走にこぎつけ、パドックでも落ち着いて周回していた。
ところが予期せぬアクシデントが発生した。本馬場入場後、返し馬に向かったオウシュウクラウンが、あろうことか暴走。小林騎手は必死に抑えようとしたが、歯止めが利かず馬場を2周半も全速力で走り続けてしまった。場内に馬体検査のアナウンスが流れ、数分後に競走除外の発表があったが、それはオウシュウクラウンではなくゴールデンイースト。オウシュウクラウンはいわゆる放馬した状態と同じとなりながら、ギリギリ(おそらく)のところで出走に支障なしと判断されて出走となったようだ。
とは言っても全速力で走った直後のレースではさすがにオウシュウクラウンも堪えた。一周目スタンド前では折り合いがつかず、向正面で早々と失速。なんとかゴールにはたどり着いたが、1着ヴァーミリアンから離されること18秒!ブービーのゲットザサミットからでも12秒3の大差しんがりで入線した。
一番心配したのは鼻出血とか故障だったが、幸い大事には到らなかった。最初から電光掲示板に載れればいいのでは…というのが正直な気持ちだったので、仮に返し馬で暴走しなくても勝ち負けできるとは思っていなかった。それでもレースで力を出し切れずに終わった今回の川崎記念は陣営にとっても不本意だったに違いない。
一方のテンショウボスは11着。岩手勢には非常に残念な結果となってしまったが、これに懲りず是非、もう一度チャレンジして欲しい。そう願っている。