8日メインの「岩鷲(がんじゅ)賞」の歴史は現行の岩手競馬では最も古く、創設は3歳重賞・不来方(こずかた)賞と同じ1969(昭和44)年。第1回は旧盛岡競馬場1730mを舞台に行われ、優勝は平沢芳三騎手(現調教師)が騎乗したスズヒカリトップ。当時は現在と同じくサラ系A級戦。
興味深いのは第2回、第3回。春と秋の2回、岩鷲賞が実施されていた。続く第4回は距離が1750mへ変更され、第5回以降はアラブA級の重賞へ移行。第10回まで盛岡1900mを舞台に行われた。
第11回(1979年)から第18回(1986年)まではアラブ3歳(当時の表記は4歳)重賞。第19回から27回(1995年)まで、記憶に間違いなければアラブB級重賞で実施。第28回から第30回までアラブ3歳(4歳)特別。第31回(1999年)の一度のみサラ系B級で行われ、第32回(2000年)から第38回(2006年)までサラ3歳重賞で実施。
そして第39回(2007年)から今と同じ古馬短距離重賞へと移行、現在に到っている。ただし舞台は第39回(優勝・ヤマニンエグザルト)、第40回(優勝・トーホウライデン)が盛岡ダート1200m。第41回(優勝・ダンストンリアル)、第42回(優勝・ゴールドマイン)が水沢1400m、昨年、第43回(優勝・マイネルプロートス)が盛岡ダート1400m。以上のように、岩鷲賞は様々な変遷を経てきた。
今年の舞台は第41回、第42回と同じ水沢1400mが舞台。歴史も非常に古いが、これほど条件が替わったレースも珍しい、というよりほとんどない。これも余談だが、岩鷲とは岩手山が雪解けのとき、鷲が羽根を伸ばした姿に似ていることにより、別名・岩鷲山と呼ばれてきたのが由来。奇しくも不来方(こずかた)賞と並び、岩手競馬の難解名称の双璧を成す。初めての人は、まず"がんじゅ"と読めないと思う。
前説が長くなってしまった。「第44回岩鷲賞」はクラスターカップ(JpnⅢ)への道。1、2着馬には同レースの優先出走権が与えられ、また優勝馬主にはアラキファーム、須崎牧場の協賛により、種牡馬ローレルゲレイロの配合権利が提供される。
主軸はヒカルジョディー。トライアル・早池峰賞(盛岡ダ1200m)を5馬身差で圧勝。春のマイル戦線、赤松杯優勝、交流重賞・シアンモア記念で岩手最先着2着など段全の実績を誇り、1400mも守備範囲。折り合いさえ欠かなければ順当に勝ち上がるに違いない。
相手はダイワマックワン、スーパーワシントンのどちらにするか迷ったが、最終決断はダート1400m実績を重視。ダイワマックワンが上位に採った。早池峰賞ではスタートして2完歩目に脚を滑らして落馬寸前。そこから持ち直して好ポジションを取るため脚も使ったが、3着確保。唯一、気になるのが4走前の東海桜花賞で10着大敗したことだが、自分の競馬ができなかったと解釈したい。
一方、スーパーワシントンは佐賀デビュー戦を快勝後、JRA入り。芝1200mで2勝、芝1400mで1勝マークし、準オープンまで駆け上った。岩手初戦・赤松杯は大外を回る不利が影響して5着に終わったが、続く一戦で2着。前走・早池峰賞では出遅れ気味のスタートと前が壁になる不利が重なって後方2番手まで後退。それが痛かったが、直線で猛追してダイワマックワンとは0秒1差4着まで肉薄した。内枠をうまくさばければダイワマックワンに先着できる可能性も十分にある。
スーパーヴィグラスはなかなか体が絞り切れないが、2戦目の水沢1400mで2着確保。これで今後のメドが立った。南関東時代、短距離を専門に使われて重賞でも2着の実績があり、格負けはまったくない。
マイネルプロートスは盛岡ダ1400mで行われた昨年の岩鷲賞優勝馬。早池峰賞は流れに乗れず7着に終わったが、1200mの忙しい競馬が合わなかっただけ。200m延長は間違いなくプラスに作用するはず。
1頭、穴でおもしろいのがコアレスシルバー。岩手転入後は3着最高だが、中央未勝利ながら芝1200mで好走。中間の上昇気配から一発があればこの馬か。
◎(11)ヒカルジョディー
○(7)ダイワマックワン
▲(2)スーパーワシントン
△(9)スーパーヴィグラス
△(3)マイネルプロートス
△(1)コアレスシルバー
3連単は11を1着固定に、7、2の折り返しが本線。あとは9、3、1を3着押さえ
馬複は 7-11、2-11、9-11、3-11
<お奨めの1頭>
9R エイシンワールド
前走2着に敗れたが、これは勝った相手を誉めるべき。ここは負けられない一戦